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F川奇譚  作者: 三塚日月
3/5

文吉狐と茂平

※県立D大学(旧・D女子大学)武澤研究室による、F川周辺における狐譚の聞き取り調査に基づく。採録は昭和四十九年七月から五十三年二月に行われた。

 文吉狐が金を持っているのは有名なことでした。

 京都にある伏見大社といえば狐たちの元締めでして、偉い狐たちは何年かに一度、そりゃあもう素晴らしい行列を設えて伏見にのぼるんです。文吉もまた偉い狐でしたから、その費用をせっせと貯めていたんですね。

 ある時、F川の榎村に住む茂平という百姓が文吉に金を借りに来ました。暴れ川として有名な牛河はその年も氾濫しましたが、その折に榎でも堤防が崩れてしまい、それを修繕、補強したいというのです。その金額はそりゃあもうたいそうなものでした。

「貸せるには貸せるが、お前はその金をどうやって返す気だ」

 とてもただの百姓に返せる額ではありません。

 でも、茂吉は平気な顔で指をたてて折ってみせます。

「毎年これだけずつ返せば、三百年もあれば返せるだろう」

「ふざけるな。人間が三百年生きるものか」

「生きる人間もいるさ。狐だって、たいていは二三年で死ぬが、お前みたいに長く生きる狐もいるだろう? 人間だって同じだ。百年を生きたお前なら、ひとりぐらい見たことがあると思うんだがなあ」

 そのころ、文吉狐はまだ五十年程度しか生きていませんでしたが、古狐に見えたのは気分がよく、得意げに鼻をひくつかせました。

「ああそうだった。百二十年生きてきて、ふたりほど見た」

 まあ、法螺ですが、お調子ものですからね――。

 茂平は胸をとんと叩いて、気持ちのいい笑いを浮かべました。

「俺もそのひとりだ。三百年待たせるが必ず返す」

「ふうん、なら三百年後に返してもらおうか」

 そして、文吉狐は茂平に金を貸しました。

 やがて立派な堤ができて、榎村のひとたちは安全に暮らせるようになりました。


 茂平は毎年こつこつと金を返しましたが、とうぜん年を取っていきました。髪が白くなり腰が曲がって、そのうちあまり歩けなくなくなりました。そうすると、病気になるのはすぐでした。ある晩、痩せ細り、床に伏せる茂平の枕元に文吉狐が現れました。

「やい茂平、これはどういうことだ。お前はあと二百六十年生きるんじゃなかったのか」

「生きるは生きるが、皮が悪くなった。人間はお前らと違って皮が途中で悪くなるから、たんびたんびで取り換えにいかんきゃならんのだよ」

 茂平は弱々しく笑いました。歯も少なくなって顔はしわくちゃでしたが、その笑いかたは昔のように気持ちのいいものでした。

「ふうん、次は俺みたいに狐の皮にしたらどうだ」

「莫迦をいえ、狐をやるには、あと二三回人間をやらなきゃだめだろう」

「ああ、そうだったな」

 そうして茂平は死にました。


 それ以来、文吉狐は会う男、会う男に「お前は茂平か」と尋ねるようになりました。茂平が次にどんな皮を被るつもりなのか、聞き忘れたからです。一年経ち、二年経ち、もしや茂平は女の皮を被ったのかもしれんと思い、誰彼問わず、「お前は茂平か」と尋ねてまわりました。赤ん坊の皮をかぶったのかもしれないので、赤ん坊にも子供にも尋ねてまわりました。だから、F川の人間はみんな一度は文吉狐の気配を感じたことがあるはずです。夜の暗がりから、ススキの間から、「お前は茂平か」と声がするのです。


 ハイ、と嘘を吐いた者もいたそうですが、みな嘘がバレて酷い目にあったとか――……。


 榎村の堤は、その後も修繕に修繕を重ねて、まだ残っています。




 ……そんな話をうちのひいばあさまがしていて。

 でもね、私の世代はもう誰も茂平のことを訊かれてはいないもんだから、ある夕暮れ、文吉狐がかんなの土手にちょこんといた時に、揶揄うつもりで「茂平はもういいのかい。あんたもついに諦めたのかい」って言ってみたんだよ。

 そうしたら、あいつ、「ああ、金ならもう全部返してもらったよ」って言って、尻尾を揺らしながら山んなか帰っちまったって話。

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