星天大戦⑥
「んのぁぁぁあああ??!!」
人体模型にむぎゅっと握られていた手を、少女ごと振り払い、ずざざざざっと目にも止まらぬ素早さで後退る光流。
そして彼は、未だうるうるとそのグロテスクな見た目に反して愛らしく瞳を感激の涙で潤ませた人体模型を指差すと、自身の窮状を訴えるべく仲間達を振り返る。
「うっ、動っ、動いて、人体模型が、動いてーーーぇ?」
しかしーーー。
振り向いた光流の視線の先、其処には
「人間だわ」
「本当だ、人間だ」
壁や柱の影からちらちらと此方の様子を窺う、無数の人影が在った。
しかも、そのどれもが・・・何処かで見た事ある様な、否、聞いた事のある様な姿をしている。
(・・・なんなんだ、あいつ、校内で赤いマントを羽織ってるなんて。おかしいだろ。よく注意されなかったな。・・・ん?あっちの子供は・・・本を持ちながら、何を背負ってるんだ?・・・え、薪?この時代に薪・・・?いや、待てよ・・・。あの子供の顔、何処かで見た様な・・・・・・)
『彼ら』の個性的とも言える独特のその容姿に、思い当たる節なあった光流は「まさか」とは思うが、しかし、直ぐに「ないない、絶対にない」と自身の頭に浮かんだその考えを追い払う様に激しく何度も頭を振った。
と、そんな光流の様子に気付いたのか、此方の様子を窺っていた者達の様子が俄に騒がしくなってくる。
「ねぇ、もしかして、あの人間、僕達が見えるんじゃないのかな?」
「馬鹿な事を。有り得ません。今、我々は可視化の術を解いているのですよ?どれだけ霊感があろうと、人間に見える訳がーーー」
「でもさ?赤マント。あの人間、さっきからずっとこっち見てるよ?」
薪を背負った少年が光流を指差しながらそう告げた瞬間、彼らの視線が一斉に光流に注がれた。
「・・・っ?!」
咄嗟の事に身を隠すことも出来ず、一身に彼らの注目を浴びる光流。
彼は無数の好奇の視線を全身に受けつつ、自身もまた彼らの正体を見極める為、目を凝らす。
赤いマスクに赤いマントの青年、薪を背負った古風な服装の少年、髪も唇も着物も全てが紫色の妙齢の女性、旧日本軍のものとおぼしき軍服を身に付け全身の至る所から出血している精悍な青年。
その姿のどれもに、光流は、やはり、見覚えならぬ聞き覚えがあった。
何より極めつけなのは
「あんた達!さっきの見たろ!あの人間は悪神の手下を倒してくれたんだ!きっと、あたしらを助けに来てくれたに決まってるさ!」
そう、威勢良く周囲に居る者達を鼓舞している、真っ赤なロングコートの女性の存在だ。
年は二十代前半だろうか、若々しく気っ風の良さそうな彼女はーーーその顔の下半分、鼻から下を非常に大きなマスクですっぽりと覆い隠していた。
(・・・これは・・・絶対アレだろ)
彼女の姿に、頭に浮かんでいた予感が確信に変わる光流。
しかも、非常に嫌な予感に。
(・・・そうだ。このまま何も見なかった事にして楓達と悪神の退治に戻ろう。うん、そうしよう)
今ですら面倒な事態になっているというのに、これ以上面倒臭い事に巻き込まれて堪るか。
僕は何も見なかった。
自身の予想や葛藤にあっさりとそう結論を出すと、くるりと踵を返し、そのまま本当に何も見なかった事にしてその場から立ち去ろうとする光流。
が、そんな光流を足止めするかの様に、何かふわふわした白い塊が光流の足元に寄ってくる。
よく見ると、それは白い毛並みの犬であった。
白い犬は、まるで光流に行くなとでも言う様に何度も彼の足元にその頬を擦りつけてくる。
その余りに必死な姿に、若干の罪悪感を感じ、そっと手を伸ばすと、優しく白い犬を撫でてやる光流。
「・・・ごめんな」
すると、白い犬はやおら顔を上げると、光流を真っ直ぐに見つめ、言い放った。
「謝る位なら逃げんじゃねぇよ、にいちゃんよぉ」
まるで叱責するかの様に光流にそう告げる、犬のその顔はーーーおっさん。
場末の酒場や、終電を逃した駅のホーム等、何処にでも居そうなおっさんの顔をした犬が、無駄にバリトンの良い声で自身を嗜めてくる。
しかも、足元に頬擦りしながら。
その現実を光流の脳が理解した瞬間、彼は再度耳をつんざく様な叫び声を上げ、今度こそ全力で仲間達の元へと走っていく。
そうして、彼の事を待っていた楓の肩を強く掴むと、鬼気迫る勢いで
「犬!犬が!おっさんで!おっさんの犬!おっさん犬が!」
と、必死に訴える。
けれど、いきなり『おっさん犬』と言われたところで、一体何が何やら理解出来ない楓は「と、兎に角落ち着いて!」と光流を宥めるので精一杯だ。
だが、光流は未だ興奮さめやらぬ様子で、件のおっさん犬やマント男達が居る方向を指差し、必死に告げる。
「あっち!ほら、あそこに!怪談!怪談が!学校の!いっぱい!」
しかし、光流の指差す方向を見た楓は、小さく首を傾げると、酷く訝しげな表情を浮かべ、光流に言った。
「あっちって??誰もいないよ?」
(そんな、馬鹿なーーー!)
楓のその言葉に、全身の血の気がさーっと引いていくのを感じる光流。
楓がこういう場面で冗談を言ったり、嘘を吐いたりする性格ではないことは光流が一番よく知っている。
だからこそ、彼女の肩を掴んだまま、光流は大きく息を吸い込むと、もう一度彼女に問い掛けた。
「良いか?あっちだ。あの、消火器がある壁の辺り。あそこに変なマントを着た奴や、薪を背負った子供が居るの、分かるか?」
けれども、彼女の答えは先程と全く変わらず
「わっかんない。何もいないよ?大丈夫?疲れてんの?」
寧ろ、心配そうに光流を見上げてくる。
それもそうだろう。
彼女からすれば、一緒に暮らす家族が『何も居ない方向』を指差してあっちに何か居ると言い出したり、何も起きていないのに行きなり奇声を上げたりし始めたのだ。
今がこんな緊急時でなければ、迷わず檻のついた病院へ行くことを全力でお勧めする案件である。
そんな、可哀想な人を見る目で見つめてくる楓に対し、まるで「神よ!」とでも言わんばかりに頭を抱える光流。
(くそっ・・・!おかしいだろ!何で僕にしか見えないんだ・・・!)
そう、今すぐ転げ回らんばかりの勢いで悩み出す光流に対し、彼の背後から、笑うのを堪えている様な至極愉しげな声がかけられる。
「よォ、ガキ。・・・その様子じゃァ、俺がくれてやった能力は気に入ってくれたみてェだな?」
その言葉に、光流がはっと後ろを振り向くとーーー其処には、酷く楽しそうな笑みを浮かべた雲外鏡が立っていた。
彼のその台詞に、光流は全てを理解する。
(ーーーそうだ。)
先刻、朧で光流が、『自身の命を助けてくれた時、自分に何かしなかったか』ーーーそう訊ねた時、確かに彼はこう言ったのだ。
『さァ?如何なんだろうなァ?』
否定とも肯定ともとれる、とても曖昧でぼやけた言葉。
(あれは、こういう意味だったのかーーー?)
まるで、胸につかえていた氷が一気に溶けてなくなったかの様に、ストンと自分の中に落ちてきたその事実に、光流は力なく苦い笑みを浮かべるのだった。




