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12.不憫な主について(※アマリア視点)

マリーの世話をしているメイドのアマリア視点でお送りします。

 わたくしのお仕えするアルージェ伯爵はたいへんな愛妻家です。わたくしがメイドとして雇われてすぐにご結婚なされましたが、それはもう、目の毒と思うぐらいにいちゃいちゃしておられました。当時、既に結婚し二人の子を持っていたわたくしの目から見ても、若いメイドが結婚に夢を持ってしまうのも納得するぐらいの熱々ぶりでした。

 ほどなく、跡継ぎのお子様を授かり、その右腕になるであろう二人目の男の子も無事に産まれました。旦那様によく似た凛々しい顔つきをされておいででした。


 ただ、奥様は女のお子様を諦められなかったようでした。

 少し、間隔が空いて妊娠された際にはとてもお喜びの様子でしたが、残念ながら三人目も男のお子様でした。ただ、上のお二方と異なる所があるとすれば、奥様によく似た綺麗な顔立ちをされておりました。もしかしたら、女の子を願った奥様の執念がそんなところに結実してしまったのかもしれません。


 三人目のお子様が二つになるかならないかの冬、体調を崩された奥様は不帰の旅人となってしまいました。

 あの時は、ご一家の皆様方だけでなく、使用人一同も深い悲しみに暮れたものです。

 その後、時間が悲しみを薄れさせ、お子様方はすくすくと成長されました。


 唯一、問題があったとすれば、上二人のお子様が末のクレスト様に対し、無体を強いることが度々あったことでしょう。

 当時から使用人を束ねる地位にあったハールが旦那様に何度も進言したようですが、お兄様方は人の目を避けるようにして執拗にからかっておりました。

 初めは困惑し、怒ったり泣いたりしていたクレスト様でしたが、いつの頃からかスッパリと感情を消してしまうようになりました。お兄様方が二人つるんで様々な嫌がらせをするのにも、眉一つ動かさないようになってしまったのです。

 十になる頃には、綺麗だった奥様に瓜二つながら、感情を表に出さないお人形のようなクレスト様ができあがってしまいました。お兄様方のように徒党を組むことはせず、一人黙々と読書をなさったり、庭で鍛錬を繰り返したりなさるクレスト様に対して、使用人の中にも気味悪がって避ける者がおりました。

 それでも友として接してくださった同年のカルル・バルトーヴ様には、わたくしは心の底から感謝しております。

 旦那様も、子どもらしい表情を見せないクレスト様を持て余していらっしゃったようで、しまいにはお兄様方と隔離する名目で別邸にわたくし達一部の使用人とともに押し篭めることを選択されました。


 わたくしは、ハールを筆頭とする無邪気なクレスト様を知る一部の使用人と共に、悔し涙を流したものです。

 最初にマリーツィア様と出会ったのは、別邸での生活もすっかり慣れてしまった頃でした。


「この間、ヴィンドボナ候の邸でとても興味深い余興を見せる魔術師を見た。同じものがもう一度見たい」


 見たいという割には、そこに興奮が一片もないことに疑問を抱きながらも、ハールはその珍しいクレスト様の要望を旦那様に伝えたのでしょう。その魔術師はクレスト様の誕生日を祝うパーティに呼ばれることとなりました。

 確かに、その魔術師が見せた余興はとても素晴らしいものでした。ただ、同時に、このようなものがクレスト様の好みなのだろうかと、少しだけ違和感を覚えたものです。

 のちに、ハールの口から聞かされた経緯に、私は自分の違和感が間違っていないことを確信しました。

 マリーツィア様。

 どこか哀しげな瞳を持つ、黒髪の綺麗な少女が、クレスト様の本当に欲したものだったのです。



 ◇  ◆  ◇



「アマリア。あなたにあの少女の世話をお願いしても良いでしょうか」


 ハールから言いつけられて二ヶ月。

 わたくしは、もう何度マリーツィア様に心の中で頭を下げたか分からない状況でした。

 最初の数日は、クレスト様が初めて見せた「執着」という人間らしい感情の発露に感動すら覚えていました。


 でも、これは違います。


 わたくしは、十二歳になったばかりというこの幼い少女の言行すべてを報告する義務が課せられました。

 つい先日、年頃の娘らしく若いメイドと装飾品について楽しげに会話していたことを報告した時も、わたくしと若いメイドは叱責を受けました。マリーツィア様が楽しげに会話をする相手は、クレスト様でなければならないという理由で。

 何とか別邸の生活に馴染もうとするマリーツィア様に対し、わたくしは優しい言葉ひとつかけることを許されませんでした。


「あの、アマリアさんはどういう本が好きですか?」

「庭にきれいな小鳥が止まっていたんです。今日も来るでしょうか」

「髪を切ってしまって頭が軽くなったのはいいけれど、なんだかスースーして落ち着かないんです。アマリアさんはずっとその髪型なんですか?」


 困惑しながらも精一杯話しかけてくる少女に対し、わたくしは面白おかしく返答することもできません。

 おそらく、彼女も何かを悟ったのでしょう。


「刺繍を始める許可を頂いたのですが、あの人はどういう模様を喜ぶのでしょう」

「この中で、手に取ってしまうと怒られそうな本はあるでしょうか?」


 わたくしが答えることを許された、クレスト様についての話しか持ちかけて来なくなりました。庭木や空を見て考え込むことも多くなっていました。

 この別邸には、クレスト様を諌めることのできる人間がおりません。本邸で暮らす旦那様も、元気であれば問題ないとばかりに、あまり別邸へ顔をお見せすることはありません。何より、クレスト様は利発過ぎたのです。


「マリーツィアは読書が大好きで」

「最近は刺繍も嗜むようになって」

「とても心安らかに過ごしています」


 一度だけ、旦那様にそう近況を話しているのを聞いたことがありました。


「マリーツィア様は読書ぐらいしか許されず」

「最近はようやく刺繍という逃げ道を得て」

「とても鬱々と過ごしています」


 わたくしが直接旦那様に報告することができたら、と何度も思いました。使用人の中で唯一それが許されていたハールは、マリーツィア様に対する執着の重さを口にしたはずです。しかし、同年の令嬢どころか他人に対する興味の欠片も見られない末っ子がようやく誰かを気にするようになったと、好意的に受け取られてしまったようでした。


 彼女が忽然と姿を消してしまった時、取り乱し半狂乱になりながらも捜索の手を広げるクレスト様を見ながら、わたくしども使用人に当り散らすクレスト様を視界に納めながら、どこか安堵しました。

 まだ子どもと言える彼女の、あんな寂しそうな顔を見ずに済むのだ、と。

 彼女の部屋の痕跡を調べた協会所属の魔術師によって、転移の魔術が使われたと判明した後も、卑怯な手を使って魔術師が彼女を掠め取ったのだと激昂するクレスト様とは違い、きっと彼女自身が魔術師の下へ戻ったのだろうと確信していました。

 見つめていたあの空の下へ、行くことができたのだろう、と。



 ◇  ◆  ◇



 結局、四年という月日を越えて、マリーツィア様は連れ戻されてしまいました。

 十代の少年少女にとっては決して短くない歳月は、クレスト様の内面を少しも変えることはできませんでした。むしろ伯爵の三男という誰かの付随品ではなく、騎士という自立した身分を得たことで悪い方に成長してしまったのかもしれません。

 対してマリーツィア様は、あの頃よりも随分強く、大人になられた印象を受けました。クレスト様の束縛に対し、自らの力で抗っておられるようです。

 相変わらず他人への興味はなく、表情筋が退化しきってしまったのではないかと心配していたクレスト様も、マリーツィア様に対してだけは、僅かながら頬や眉間を動かす様子が見られます。


 どうか、今度は四年前のようなことにはなりませんように。

 そんなことを願いながら、彼女の世話をしておりました。


「アマリアさん。意見を聞いてもいいですか?」

「なんでございましょう」


 クレスト様に贈るべく、白いチーフに騎士団の紋章を刺していたマリーツィア様が尋ねて来たのは、秋も深まろうとする頃でした。


「以前、連れて行ってもらったお祭の時につけた、あのアクセサリーを手元に置いて、いつでも見られるようにすることはできるでしょうか?」


 わたくしはつい、渋い顔をしてしまいました。

 クレスト様が買い求めたあの宝飾品の額を知っているからです。騎士見習いが参加する武術大会で優勝した際の賞金だけでなく、マリーツィア様の捜索の際に親しくなった商人に商売のアイデアを譲渡した礼金など、クレスト様がその頭脳や武勇を元に稼ぎ出して貯蓄していた財を半分以上放出して得た極上のダイヤモンド。あれに万が一のことがあった際の、クレスト様の精神負荷を考えると、とても無用心な場所に置くことはできません。


「クレスト様にお伺いしてみますが、正直、難しいと思います」

「……そうですよね」


 マリーツィア様も、あの宝石の価値を知っているのでしょう。意気消沈というよりは、納得したように頷いていました。

 驚くべき事態になったのは、その日の夕食の席でした。


「装飾品を手元に置きたいと聞いたが」


 わたくしからの報告について、思うところがあったのか、クレスト様の方からマリーツィア様に質問が投げられました。


「はい。雷王祭以降、身につけることもありませんし、それならばせめて、自由に鑑賞できたらな、と」

「宝石類は好まないと思っていたが、そんなに気に入ったか?」

「せっかく贈っていただきましたし、装飾も精緻で見事なものだったので、刺繍に写し取れないかと思ったんです」

「……」

「それに、あの日の楽しかった記憶を偲ぶよすがになれば、と思いまして」


 マリーツィア様のこのセリフに、わたくしは痛ましいものを感じました。祭の日、とても疲れた様子で帰宅された彼女は、すぐに寝台に潜り込んでしまいました。

 翌朝、いつもより遅い時間に目を覚ました彼女は、「あの人には内緒にしてください」という前置きをつけて―――


「周囲の視線も怖かったけれど、何よりあの人の行動の意味不明さが怖かったんです」


 そう呟かれたのです。

 それを「楽しかった記憶」などと!

 もしかしたら、恐怖を忘却の彼方に塗り篭め、珍しい外出が楽しかったものなのだと自分を騙しているのでしょうか。

 でも、この時のわたくしの驚きなど、続いたマリーツィア様の言葉に掻き消されてしまいました。


「……そうですよね。あれほど高価なものですもの。持ち出して何かあれば困りますものね。こんなことになるんだったら、遠慮せずにお祭の時に売っていた綺麗なリボンを買っていただければ良かった」


 ひどく残念そうに、呟かれたのです。

 雷王祭では、ソール神に大事な人との縁を切らないように祈るため、恋人同士でビロードのリボンを贈り合う風習があります。

 人の移り気な心に我慢できなくなったソール神が乱心し、それならばいっそ、と絆という絆を全て切り捨ててしまおうとしたことがありました。神の力を恐れた人々は、家族や仲間など大事な者同士が同じ色の糸を結ぶことによって、万が一絆が切り捨てられてしまっても色糸を見て思い出せるように備えたのだそうです。それがこの風習の由来となった伝説です。

 もっとも、今では家族や仲間ではなく、恋人たちのささやかな楽しみに成り果ててしまっていますが。

 つまり、マリーツィア様は、そんな恋の遣り取りをしたかったと告白したのです。


 はっきり言いましょう。

 わたくし、マリーツィア様はクレスト様のことを厭わしく思いこそすれ、愛しくなど思っていないと考えておりました。


 常識的に考えてみてください。

 貴族出身でもない女性を、外出も、会話も、邸の中の行動にさえ制限や監視をつけて手元に置いているのです。

 これで惚れろという方がおかしいでしょう!


 雷王祭で、クレスト様への評価をひっくり返すほどの何かがあったのでしょうか。

 気になります。


 わたくしは、その翌日からマリーツィア様に何とかして雷王祭で何があったのか尋ねようとしました。

 でも、何を伺えば良いのでしょう。

 メイドとして働くようになり十年余り。わたくしの行動はどう考えても職務を逸脱していることは自覚しています。

 それでも知りたい! そう思うのは人として無理からぬことでしょう。


「ねぇ、アマリアさん」

「は、はい!」


 刺繍に集中していたはずのマリーツィア様に呼びかけられ、わたくしは慌てて返事を口にしました。もしや、わたくしの心中を悟られてしまったのでしょうか。


「硬貨の模様を刺繍してみたら綺麗だと思いませんか?」

「硬貨、ですか?」

「えぇ。……あ、でも硬貨に描かれているのは功績のあった代々の国王様だから、不敬と思われてしまうんでしょうか」


 少し悩ましげに呟かれ、わたくしは日頃慣れ親しんだ貨幣を思い浮かべました。


「表は確かに肖像が彫られておりますが、裏は月桂など我が国を象徴する木々ですし、問題ないのではないでしょうか」

「銅貨を赤茶の糸で、銀貨は……どうしようかしら。―――あ! 銀貨の模様を黄色の糸で刺してしまえば、何だか金貨っぽく見えてお得な感じがしませんか?」


 いいことを思いついた、とばかりに無邪気に笑うマリーツィア様に、わたくしもつられて笑みがこぼれます。

 クレスト様に『保護』される前は、食堂の給仕をなさっていたがゆえの、こういった庶民感覚を持ち出されると、わたくしもつい力強く頷いてしまうのです。

 本当に、クレスト様の過分な執着さえなければ、普通に過ごせていた方でしたのに。こういう時に、わたくしは罪悪感を抱えてしまいます。


「ハールに話して、見本となる硬貨を借りて参ります」

「本当に? ありがとう、アマリアさん」


 感謝の言葉を紡ぐマリーツィア様の笑みは、本当に心からのものでした。


 数日後、マリーツィア様がその硬貨とともに二度目の失踪をされた後になって、ようやくわたくしも自分の思い違いに気がつきました。

 あの方は、やはり、自由を求めていらっしゃったのです。

 いたいけな十二歳の少女のままではなく、それなりに社会経験を積んだ十六歳の女性に成長したのだと気付くべきだったのです。

 自らのために周囲を欺くことのできる大人になったのだと。


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