エピローグ
当たり前の話だが、俺は萬石を殺すつもりなんてなかった。
だってそうだろ? 殺人の罪なんて背負いたくねえもん。そりゃしっかり嚙みつきはしたけど、跡が残る程度に力は抑えていたんだ。
それでも萬石の意識を奪うには充分だった。後から突入してきた警察によって観客諸共仲良く連行されていったよ。
サーカス団は動物虐待やら銃刀法違反やら、他にも様々な悪事がポロッポロ出てきてあえなく解体となった。流石に世界的に有名なサーカス団の解体は衝撃が大きく、朝からどこのニュースでもその話題ばっかり取り上げられていた。
中にはサーカス自体を批判するような声もあったな。これから先しばらくは風当りが強くなりそうだ。今から立ち上げるのは無理ゲーなんじゃないかな? まあ、愛唯は諦めないだろうけど。
狩神家と俺たちについては、爺さんがいろいろ手を回してくれたおかげでお咎めなし。普通に週が明けて、普通に学校に登校できるくらいなにもなかった。
「オオカミさん、サーカスにいた動物さんたちはどうなったのですか?」
昼休み。例の校舎裏にある飼育小屋の前で、俺と愛唯は昼飯を食べながらその後について話し合っていた。俺は相変わらず購買の惣菜パン。愛唯は無駄に高クオリティで動物愛を感じる弁当だった。リアルなオオカミのキャラ弁なんて初めて見たぞ。
「あ、ああ、えーと、人間になれる連中は爺さんの口利きで生活の場を確保できそうだ。他は近場の動物園が保護するってよ」
「おお、それはよかったです!」
太陽のような笑顔が、今の俺には眩しすぎた。あの一件から愛唯と顔を合わせづらくて、会話も言葉が突っかかって上手くできないんだよ。
原因は……わかっている。
「そうだオオカミさん、落ち着いたら一緒にその動物園に行ってみませんか!」
「えっと、俺と、お前でか?」
「? セラスちゃんと弥生ちゃんも誘いましょうよ?」
「だよな!」
愛唯が隣にいるだけで心臓が早鐘と化してドキドキやかましい。これについても、なんであの時の俺は完全なオオカミに変身できたのかについても、理由は同じだ。
小三の頃、俺が初めてオオカミ化した相手は愛唯だった。
そのくらい異性として意識しちまったってことは、つまるところ。
初恋――だったんだ。
それに気づいてしまったから、俺はこうして不審者一歩手前な挙動を取ってしまっているわけである。なにこの地獄! 焼きそばパンが喉を通りません!
こうなったら、もうハッキリさせておこう。
「愛唯、一つ言っておきたいことがあるんだが」
「なんですか?」
くっそ、もぐもぐしながら小首を傾げるな。可愛いだろ。
「小学校の時、近所の山でお前を助けたっていうニホンオオカミなんだが……アレ、俺だ」
「あー、はい。知ってます」
「そうか、知ってて――はぁ!?」
一世一代のカミングアウトのつもりだったのになにその淡泊な反応? 俺どっかで喋ったっけ? いや、そんなはずはない。
「ま、待て。な、なんで、知って……?」
「セラスちゃんに追いかけられて逃げ込んだ空き教室で、オオカミさんをもふったことがあるじゃないですか?」
「ああ、あったな」
大変だった記憶しか残っていない。もふられまくってる間も記憶が真っ白だし、もしかしてそこで暴露したってそんなわけがない。あの時の俺はまだ忘れていたはずだ。
「その時の臭いや触り心地でなんとなく、気づいちゃったんです。でもオオカミさんは覚えてなさそうだったので、言っても困らせるだけかなぁって」
なるほど、ヘンタイだったか。ところでそれ以外でも死ぬほど困らされた件については……認知してませんね。ですよね。
「まさか、あれだけ完全なオオカミになれる一族の奴らを相手にしておきながら、あくまで俺に拘っていたのって……」
「そういうことですね♪」
「ぐはっ!?」
気づいてからずっともやもやしていた俺の葛藤を返せ! いややっぱいらない。返さなくていい。記憶を抹消したい。
ここがベッドの上ならシーツに包まって悶絶したい衝動をぐっと抑える。愛唯がとっくに知っていたってことは、アレの意味についても問い質さないとな。
「ひ、一つ訊いてもいいか?」
「あれ? 二つになってますよ?」
「さっきのは言いたこと! 今度は訊きたいことだ!」
いちいち人の揚げ足を……まあいい、とにかく訊くぞ。
「お前、俺にき、キス、したよな? アレってどういう意味?」
「え? 愛情表現のつもりでしたが」
「愛情表現!?」
即答で返ってきた衝撃的な言葉に俺は絶句した。
「はい。わんちゃんやネコさんとキスする飼い主さんって別に珍しくないと思いますけど……嫌、でしたか?」
「……」
あっ、そういうアレですか。ペットとの愛情表現的な。だよね。そんなことだろうと思ってましたよ。
「嫌っていうか、俺にキスしたってことだぞ?」
「そうですよ? オオカミさんにキ……」
言葉の途中で愛唯が固まった。箸で摘まんでいた黒豆がぽろりと地面に落ちて転がったぞ。勿体ないな。
そして――しゅうううううううっ!
フリーズした愛唯は、頭の天辺から湯気が噴き出る勢いで真っ赤になっていた。俺がオオカミだけじゃなく、人間の男でもあるってことをようやく思い出したみたいだな。口がへにゃへにゃになってあわあわしている。なんか可愛いなそれ。
「わ、わわわわたしからもオオカミさんに訊きたい事がありますッ!」
露骨に話を逸らしてきたな。
「オオカミさんこそ『俺たちが、変えてやる!』って格好よく言っちゃってましたけど、アレってどういう意味ですか!?」
「ぶっ!?」
危うく焼きそばが鼻から出るところだったぞ。弁当箱を脇に置いて俺に詰め寄って来る愛唯は、真っ赤になった顔がち、近い! 直視できず俺は首を逸らしてしまった。
「……………………ソンナコト言ッテナイゾ」
「言 い ま し た!」
ダメだ誤魔化せない。アレは勢いというかなんというか、俺も深い意味で口走ったわけじゃないといいますか。うん。よし。
「そろそろ授業が始まるな! 教室に戻らないとな!」
「話を逸らさないでください! ちゃんと答えるまで逃がしませんよ!」
「うわっ!? だからくっつくなって!?」
立ち上がって逃げようとした俺の腰を愛唯が思いっ切りホールドした。やめろこんなシーンを來野にでも目撃されたらまた襲撃が再開してしまう!
「オオカミさーん? なんで答えてくれないんですかー?」
「ぎゃーっ!?」
愛唯は仔猫みたいに俺の制服を掴んで登ってきやがった。迫り来るイチゴミント。あと胸が、小さいけど胸が擦れてるんですけど!
「わかった!? わかったから!? お前の考えてる通りってことでいいから!?」
「むぅ、ちゃんとオオカミさんの口から聞きたかったんですけど」
不服そうに頬を膨らませた愛唯は、なんとか俺から離れてくれた。あと一歩でオオカミ化してたよ。そしたらもふられて余計にやばいことになっていた。危なかった。
俺が制服の乱れを整えている間に愛唯も落ち着いたようで、一つ二つ息を吸って吐いてから俺に向き直った。
「改めまして、わたしの相棒になってくれませんか?」
差し出された手を、俺はすぐには取らない。まだ少し、というかかなり躊躇いはある。
だが愛唯は、兄弟子のことがあっても、いやあったかこそ目指す夢は変わらずで。
最初の相棒はニホンオオカミ――それも、俺だと決めていることも揺るがない。
いつものように断ったとしても、絶対に諦めることはないとその青い瞳は告げている。
「……仕方ないな」
俺は苦笑を浮かべて愛唯の手を取った。俺もたいがい頑固な方だが、これが先に惚れた弱みってやつのなのかね?
サーカスは正直もうこりごりだが、愛唯となら不思議とやっていけるのではないかと思うようになってしまった俺がいる。相変わらず不意のスキンシップで無駄にオオカミ化の危険が付き纏う愛唯は鬱陶しくもあるが――
気持ちのハッキリした今は、どこか晴れやかな気分だった。




