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三十六匹目 オオカミくんとアニマルファイト

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 愛唯にやられてわかっていたが、猛獣使いの言葉の強制力は恐ろしい。意識では気絶するまで萬石をぶん殴りたいのに、そう命じられたら体が思うように動いてくれないんだ。

 愛唯と來野もピエロに連行されている。來野も一緒なのは俺や愛唯に対する目に見える人質だろうな。仮に助け出せたとしてもまだ弥生や分家の連中が残っている。愛唯は猛獣使いの力を使えないように猿轡を嵌められているし、徹底してやがるよ。

 ハイイロオオカミの男は人間のままだったから強制力は働かないと思ったが、萬石は取り出したピストルでなにかを撃ち込みやがった。鉛玉じゃない。麻酔銃のように薬を撃ち込まれた男は、苦しげに呻きながらその体を変異させた。

 屈強な肉体を覆う灰色の体毛。頭からイヌ科の耳が、口には牙が、手足には鋭い爪が、腰には尻尾が生えている。

 俺と同じ、半人半狼の姿。

「その姿、どうなってんだ……?」

 命令通り大人しく萬石の後について歩きながら、俺は横の男に訊ねた。

「見てわかっただろ。萬石はただ俺たちを使ってショーをやっているだけじゃない。俺たちの体を研究者に調べさせて、動物の血を活性化させる薬を作りやがったんだ。量を調整すれば完全な獣にも今みたいな半獣にもなれる」

「強制的に獣化させられるってのかよ」

 表沙汰にできない動物同士を戦わせる。考えてみりゃそれができなきゃ成り立たないよな。檻の中には人間化できそうな動物の方が多かったくらいだ。

 萬石が歩きながら首だけ振り返る。

「心配しなくとも、夜の客はこちら側に理解のある者ばかりでね。人間同士ならプロレスでも見ろという話だが、半獣なら逆に盛り上がるだろう」

「んな心配してねえよ! てめえら全員豚箱に叩き込んでやる!」

「吠えるじゃないか。せいぜいその威勢で盛り上げてくれたまえ」

 猛獣使いの力を持ってるからか、萬石は余裕そのものだ。俺たちに危害を加えられるなんて微塵も考えてなさそうだな。

 気に入らねぇ。絶対に抜け道を見つけてやる。

 だが結局なにもできないまま、俺たちはステージの上に立たされてしまった。


「レディースエァーンドジェントルメェン! 世にも珍しいアニマルファイトの時間だ! 今宵はすごいぞ! なんと半獣同士だ! 片やハイイロオオカミ、片やニホンオオカミ! 獣と人間の双方の特徴を持ったバトルをご覧あれ!」


 観覧席にポツリポツリと座っている客に向かって萬石が司会進行をする。客は昼間のサーカスに比べたら寂れた球場並みに少ないが、それでも一人一人が裏社会の大物だろう。

「覚悟はいいか?」

 後ろに下がった萬石が問う。愛唯と來野が舞台裏から不安そうな顔で俺たちを見ている。

 俺は対峙するハイイロオオカミの半人半狼に視線を向ける。覚悟なんて、できるわけないだろ。なんで俺たちがこんなくだらないことに付き合わなきゃいけねえんだ。

「まあ、覚悟など不要だがね。――()()!」

 萬石の命令がゴングとなる。

 俺の体は勝手に動き、ハイイロオオカミの男に飛びかかった。相手は俺の回し蹴りを屈んでかわすと、固く握った拳をアッパーの要領で突き上げてきた。俺は紙一重で身を逸らしたが、少し顎に掠ってくらっときたぞ。

 爪を立てた手で引き裂こうとしても、バックステップでかわされ蹴りの反撃を貰う。腕で防御しても骨に響く。全身傷だらけで昨日もライオンと戦わされたってのに、疲労もダメージも全く感じさせない。

 足枷の鉄球も武器として振り回される。その一撃がまた重い。移動速度だけは足枷のおかげでかろうじて俺の方が勝っているが……こいつ、かなり強いぞ。

 体格も違うし、延々とこの場で戦わされた経験の差だな。昨日のライオンには負けたのかと思っていたが、こりゃ圧勝してんじゃねえの?

 こんなに強ぇのに、萬石には手も足も出せないってのはマヌケな話だ。俺も一緒か。

「できるだけ防御しろ。手加減はできねえぞ」

 ハイイロオオカミの男が高く飛び上がった。鉄球二つ抱えてんのになんつう脚力だ。

 テントの骨を蹴り、照明を蹴り、空中ブランコすら使って三次元的に飛び回ってやがる。サーカス団員として鍛えた曲芸か。くそっ、どっから襲撃されるかわから――

「がっ!?」

 背中に重い蹴りの一撃が入った。咄嗟に自分から前に飛ばなかったら背骨が粉砕していたぞ。

 躊躇っても体は勝手に戦ってしまうが、それに任せていたんじゃあ嬲られるだけだ。

「勝敗をつけなきゃ終われないなら、俺は負けてやる気なんてねえぞ!」

 ステージを転がっていた俺は体勢を整えて床を強く蹴る。足の裏を爆発させるような勢いで着地して隙のできたハイイロオオカミの男を狙う。

「ぬっ!?」

 突き出した掌底が男の鳩尾に入った。くの字に曲がったが吹っ飛ばない。足でしっかり床を掴んで踏み止まりやがった。

「今のは効いた。いいもん持ってんなぁ」

「てめえ、実は戦いを楽しんでやがるだろ?」

 顔面を狙ってきた男のパンチを首だけ逸らしてかわす。

「バレたか。半狼形体での戦闘は久々だからな。だが、勘違いするなよ。楽しいのは相手がお前だからだ」

「キショいこと言ってんじゃねえよ戦闘狂が!?」

 もう二度と脳筋と戦闘狂の相手だけはしたくねえな。しかし相手にも負けてやる気がないってことがわかっちまった。

 認める。状況がどうあれ、ハイイロオオカミの男はかつてない強敵だ。本気の本気で挑まなけりゃ負けるだけじゃ済まない。たぶん、死ぬぞ。

「(戦いながらでいい。聞け)」

 俺の拳を受け止めたハイイロオオカミの男が小声で語りかけてきた。真面目な口調だ。

「(萬石の命令は戦うことは強制させられても、どう戦うかまではいちいち細かく指示でもしない限りは操れない。それとあの力は猛獣使いから一定の距離を離れることでも解除される)」

「!」

 鉄球をかわして蹴りを叩き込む。簡単に避けられ、顔面を掴まれた。こいつ、戦闘を楽しんでる風に見えたのは演技か? 本心か?

 どっちだろうと、今こうして語りかけている声はマジだ。

「(折を見てお前を舞台裏まで蹴り飛ばす。そうしたら小さな赤ずきん(リトルメイジー)たちを解放して脱出しろ)」

「(あんたは?)」

「(他人の心配をしてる場合か)」

 腕を払って一度距離を取る。だが、その方法だと弥生や捕まっている分家の連中まで助けられるかは賭けだぞ。しかもかなり分の悪い。確かに他人の心配なんかしてる余裕はないが、あいつらは身内なんだよ。

 俺は乗らないぞ、そんな賭け。

「オラどうした? その程度かニホンオオカミ!」

 だが、そうは思っても体は戦いをやめてくれない。実力差からして、あいつに蹴り飛ばされるのも時間の問題――


()()()()()()()()()()!」


 再び衝突しようとしていた俺たちの体が、ピタリと止まった。


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