三十一匹目 オオカミくんと責任
「ならん」
が、説明をするや否や爺さんは渋い顔で首を横に振った。
「なんでだよ!?」
思わず嚙みつく。あのハイイロオオカミと同じくらいでかいニホンオオカミたる俺の爺さんは、威圧的な眼光で俺を真っ直ぐ貫いた。
「わからんか? 儂らは警察でも保健所でもない。一族の秘密が明るみになる危険を負ってまで、そのサーカスとやらを潰す利点がないからだ」
そう言われるとぐうの音も出ないな。俺だって一族の秘密は守りたい派だ。だが、今回はそれで引き下がれる話じゃない。俺は動物同士を戦わせていた萬石を見てからずっと嫌な予感がしてるんだよ。
「萬石は、あのサーカスの団長はニホンオオカミを探していた。もし一族の誰かが捕まったら死ぬまで剣闘奴隷だぞ! それだけで充分狩神家が動く理由になるだろ!」
「ふむ、だがニホンオオカミに限らず絶滅種を探している連中などごまんとおる。少しばかり力とコネがある程度では様子見するのが関の山だろうて」
後手に回らないと動かないつもりか? 狩神家ならそれでもなんとかできるかもしれんが、相手は『少しばかり』なんて小者じゃないんだぞ。実際に人化できるオオカミを捕えているんだ。俺たちがそうならない保証はない。
「お爺ちゃん、お願い。あんな酷い連中、お爺ちゃんも野放しになんてできないでしょ」
「……孫娘の頼みとあっても、こればかりは難しい」
弥生がおねだりしてもダメか。どうすれば爺さんを納得させられる? どうすれば狩神家の力を借りられる?
待てよ、そういえばいいものを手に入れていたな。
「爺さん、これを見ろ」
俺は一枚の写真ファイルを起動させたスマホ画面を爺さんに突きつけた。愛唯の部屋に飾ってあったあの雪山の写真だ。
「去年撮られた写真らしいが、爺さん、あんた写ってるぜ?」
他人にはさんざん気をつけろと言ってるくせに自分が写真を取られたとあっちゃあ、宗主の威厳に罅が入っちまうよなぁ。
ふん、と鼻息が鳴った。あれ? あんまり怯んでないぞ。
「頼んで無駄とわかれば次は脅す気か、狼太よ」
「ああ、こうなったら絶対に首を縦に振らせてやる」
「うわぁ、兄貴もたいがいクズいなぁ。でもいいよもっとやって!」
弥生からの援護射撃。クズは余計だ。でもずいぶん悪い顔してそうだな、今の俺。
「さあ爺さんよ、この写真を一族に公開されたくなければ俺たちに協力してもらおうか」
「儂一人の名誉などこの際どうでもよいと知れ。それと、残念ながらその写真に関する噂は既に潰しておる。それがニホンオオカミだとわかる者は身内だけだ」
なん……だと……?
写真が爺さんに通用しない。いやそれより、この写真って一回噂になったのか。そういや愛唯の親父さんがどっかに発表したけど、結局ヤマイヌ扱いされたって言ってたな。
まさか、萬石はこの写真を見てこの街に……?
「オオカミさん、遅いですよ!」
「愛唯、勝手に入ってはマズいのでは!?」
ノックも断りもなしに襖が開いて真っ赤な髪をしたちんちくりんが突入してきやがった。応接間で待ってろって言ったのに、犬でもちゃんと躾ければもうちょっと我慢できるぞ。
愛唯に続いて來野も恐る恐る入ってくる。できれば爺さんには会わせたくなかったんだが、来てしまったもんはしょうがないな。
「お、大きなニホンオオカミさんです!」
ほら、爺さんを見つけた愛唯が目を輝かせたよ。でも飛びつくのは自制できたようだ。
「俺の爺さんだ」
「オオカミさんのお祖父様……ッ!?」
「狼太よ、正体を知られたのは一人ではなかったのか?」
愛唯と來野を見た爺さんが怪訝そうな狼顔を俺に向けてくる。そういや來野についてはなにも話してなかったな。
「こいつは純粋に人間だが、來野――そっちの銀髪はシロサイだ。俺たちの同類だから問題ないと判断した。てか、今そんな話はどうでもいいだろ!」
都合も悪くなりそうだしその話は隅の方に蹴り飛ばしておく。
「オオカミさんのお祖父様!」
すると、愛唯がいきなり爺さんの前で膝をついて頭を下げたぞ。
「お願いします! わたし、どうしても兄弟子のサーカスに囚われている動物さんたちを助けたいのです!」
「わ、私からもお願いします」
來野も愛唯に倣って土下座する。これは俺たちもやるべきなのかと迷っていると、爺さんも面食らったように口を半開きにしていた。
「……」
そのまま爺さんは無言で土下座する愛唯たちを見詰め――やがて短く溜息をつくと、その視線を俺へと変えてきた。
「狼太よ。仮に狩神家を動かすとして、お主に責任は取れるのか?」
「責任だと?」
「もし狩神家が窮地に陥るような事態になった場合、儂らはお主を切り捨てなければならぬ。その覚悟はあるかと問うておる」
「なっ!?」
その言葉には、流石に怯んだ。
俺が、狩神家に切り捨てられる? 単純に勘当されるってわけじゃない。最悪の場合、萬石のサーカスに対する生贄にされるってことだ。
そうまでして見ず知らずの動物たちを助けたいのか? 俺はそんなに慈愛に満ちた性格だったか? 確かにあの光景を見てしまった以上、見捨てるのは気分が悪い。
でも、それだけだ。
あの時、コンビニ前で不良から愛唯を助けたのはただの気まぐれ。愛唯がクラスメイトだったからで、赤の他人だったらどうせ店員が呼ぶ警察に任せてスルーしていた。
血の気が下がる。俺はどうかしていたんじゃないか? 愛唯や來野と過ごしている内に感覚が麻痺して正常な判断が下せなくなっていた可能性がある。
いつの間にか、こいつらの仲良しこよしグループに染まりかけていた。どうせ正体がバレているからって警戒心を無意識に緩めてしまっていた。
でも、俺は。
「オオカミさん……?」
沈黙する俺を愛唯が不安そうに覗き込んでくる。
ドクン、と心臓が跳ねた。
愛唯にはもう協力すると言ってしまったのだ。一度口にした言葉を撤回するのは男としてみっともないな。それに俺が協力しなければ愛唯は一人だろうと戦ってしまう。
それを放置できるのか? コンビニ前では助けたくせに、今は己の身が可愛いからって見捨てるのか?
答えは、否だ。放ってなどおけるか。
愛唯を見ていると、なぜかその気持ちの方が勝ってしまった。
だから、もう迷わない。俺は俺がしたいようにすればいい。
そう、決めた。俺が決めた!
「ああ、トカゲの尻尾でもなんでもなってやるよ! 俺が、こいつに協力したいんだ!」
「オオカミさん!」
愛唯が歓喜の声を上げて俺に抱きついてきた――ってうおぉおッ!? やめて!? イチゴミントと柔らかい感触が俺のオオカミ化を刺激するからやめて!?
「本気だな、狼太よ。よかろう。ならばこの狩神家をお主の好きなように動かしてみよ」
「い、いいのか?」
來野に手伝ってもらってなんとかオオカミ化する前に愛唯を引き剥がせた俺は、あれだけ頑なだったのにあっさり承諾した爺さんへと戸惑いながら問い返した。
爺さんはゆっくりと頷いた。
「お主はいずれ宗主となるのだ。全責任を背負う重みを今の内に知っておけ」
「いや、俺は跡を継ぐなんて一言も――」
「違います! オオカミさんはわたしの相棒になるのです!」
「ややこしいから愛唯はちょっと黙ってろ!?」
ここでサーカスの相棒問題を引っ張り出されると全てがご破算になるかもしれん。俺は爺さんの気が変わらない内に頭をフル回転させ、速攻でまずやるべきことを纏める。
「弥生、分家の幹部連中を集めてくれ。これから作戦会議を始める!」




