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三十匹目 オオカミくんと愛唯の頼み事

 狩神家の応接間。

 畳に敷かれた座布団に腰を下ろした俺たちの間には、サーカスのリハーサルを見ていた時とは打って変わって重たい空気が満ちていた。

「冷静に考えてみたんだけど、アレって訴えたら犯罪になるのかな?」

 小さく挙手して口火を切ったのは弥生だった。

「なに言ってんだ?」

 相手は虐待に加えて猛獣同士を戦わせて見世物にしているんだぞ。そんなの警察や動物愛護団体とかに訴えたら一発でお縄行きだろ。

「だって動物を戦わせるってハブとマングースとかでもやってるし、あの鞭で叩いてたのも『調教』って言われたらそれまでな気がするんだけど」

「あー」

 一理ありそうだ。俺はまだ冷静になれてなかったみたいだな。でも傷だらけの動物が公になれば世論が味方についてなんとかなりそうな気もする。公にできるかが問題だけど。

「サーカスなら、もしかして普通なんじゃ」

「そんなことありません!」

 弥生の言葉を愛唯が勢いよく否定した。だがすぐにハッとし、項垂れると少し萎んだ声で言葉を紡ぐ。

「そんなことない……はずなのです。でも、残念ながらサーカスの動物さんたちが虐待紛いの調教を受けていることは珍しくありません。ライオンさんやトラさんみたいな大型の猛獣は、そのくらいしないと普通は言うこと聞いてくれないからです。地域によっては動物さんが出演するサーカスは禁止されているところもあったりします」

「軽く調べてみたが、確かにそういう問題の記事が何件もヒットしたな」

 來野が携帯の画面を俺たちに見せた。そこには虐待されたクマやゾウやライオンなどの写真が掲載され、サーカスについてずいぶんと批判的な文章が書かれているな。これだけ見ると相当な悪事のように思えてくるからネットって怖い。

「もちろん、そうじゃないサーカスだってたくさんあります。わたしが目指しているお祖母様のサーカスだってそうです」

「それはお前の理想だろう?」

「そうですね。お祖母様やわたしみたいな力を使えない普通の猛獣使いでは難しい問題です。ですが、萬石さんは違います!」

 あっさり認めた愛唯は、しかし強い語気で萬石の名を出した。

「あの人はお祖母様の弟子です。本来は鞭なんかに頼らなくても動物さんたちの心に届く『言葉』を操れるはずなのです。なのにその才能をあんなことに使っているなんて、やりすぎです! 絶対に許せません!」

 真剣な顔で愛唯はハッキリと言い放った。萬石は確かに猛獣使いの強制力で命令していたように思えた。いや、愛唯が言うのだから本物なんだろうね。

 同じ力を持つ者として、同じ人を師事した者として、愛唯は萬石が許せないんだ。

「オオカミさん、セラスちゃん、弥生ちゃん」

 愛唯は改めて居住まいを正し、俺たちを一人ずつ見詰めて――

「わたしは萬石さんのサーカスにいる動物さんたちを助けたいです。巻き込んでしまうのは本当に申し訳ないのですが、ご協力、していただけないでしょうか?」

 深々と頭を下げて『お願い』した。

 命令ではない。たとえ強制力ある命令だったとしても、人間の状態の俺たちには効果はない。現場では感情に任せて突っ走っていた愛唯だが、自分一人じゃどうにもならない相手だと理解している。故に俺たちを悪いと思いながら巻き込もうとしているんだ。

 だが、サーカスの動物を助けるということは、サーカスそのものを潰すことと同義だぞ。

「いいのか? お前の兄弟子だぞ?」

「だからこそ、です」

 即答した愛唯の青い瞳には、迷いなど一点もなかった。

「実際にこの目で見てしまったからな。あのような者たちを放っておくことなどできない」

「あたしもあたしも! せっかく楽しいサーカスだったのにもうぶち壊しでしょ!」

 來野も弥生も愛唯に賛同するようだな。だがこれは、簡単に決めていい話じゃないぞ。一組織相手に高校生三人と中学生一人でどうしようってんだ? 無茶にもほどがある。

 それに、俺は――

「実は、あのハイイロオオカミに『このサーカスには近づくな』って忠告されてたんだ」

「貴様、なぜそれを早く言わなかった!」

「仕方ないだろ。その時は贔屓されてる愛唯を妬んでる奴かと思って気にしなかったんだ。俺としては忠告通り大人しくする方が利口だと思うが?」

 否定的な意見を述べた俺に、女子たちは一斉に白い眼を向けてきた。知っておきながら見捨てる気か? と無言の圧力をひしひしと感じる。

「オオカミさん」

「あー、わかったわかった」

 愛唯が俺を諭そうと口を開きかけたので、片手を翳してその機先を制した。

「俺がなにを言っても曲げないんだろ? だったらできる限りは協力してやるよ。俺だって、あんな糞みたいな連中がこの街にいるってだけで虫唾が走る。潰すなら徹底的にやってやんよ」

 それは本心だ。別に知り合いでもなんでもない奴を助ける義理なんてないが、だからと言ってここまで知って無責任に引き下がれるほど俺は人間の色には染まっていないらしい。

 そうと決まれば、まずやることがあるな。

「どこに行くのだ、狩神狼太?」

 立ち上がった俺に來野が眉を顰めて訊ねた。

「俺たちだけでなにができる? 通報くらいだろ。そんなの簡単にあしらわれるだけだ」

 相手は腐っても世界的に有名なサーカスだ。普通の監査なんてそれこそ国境を超える度に行われていたはず。それを突破できているってことは、今さら普通の方法でどうにかできるとは思えない。

 だから――

「狩神家の協力を得る。愛唯と來野はここで待ってろ。弥生は来てくれ」

 俺は俺が知る限り最大の力を味方に引き入れることにした。


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