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二十七匹目 オオカミくんと忠告

 サーカスの特設会場はメインとなる大テントを中央とし、駐車場からアーチをくぐった表側に売店や写真撮影用の顔嵌め看板などが準備されている。

 仮設トイレも表側――メイン会場寄りの隅っこにずらりと並んでいた。

「なんで女子トイレの方が多いんだよ」

 ほとんどが女性用で男性用は端の方に三つあるだけだった。たぶん女子トイレの方が混むからだろうな。危うく間違えるとこだったぞ。

 施設の設営は既に完了しているためか、周囲には関係者すら誰もいない。テントの中やショッピングモールの方がずいぶんと賑やかなだけに、都市の真ん中にポカンとできた砂漠にでもいるような気分だ。このまま黙って帰っても後で文句言われるだけだろうね。帰ろうかな?

 トイレ前の段差に座ってそんなことを画策していると――ジャラジャラジャラ。

 なにか重い金属を引きずるような音が聞こえてきた。誰かがこちらに近づいて来る。

「チッ、こっそり帰ろうかと思った矢先に……」

 ボロいタンクトップがはち切れそうなほど筋骨隆々とした大男だった。年齢は二十台後半ってところか。逆立てたアッシュブロンドの短髪に獰猛さを感じる切れ長の目。肌にはいくつもの古傷が見える。

 それに、両足。ジャラジャラと引きずっている鎖で繋がれた黒い鉄塊は――足枷だ。

 マフィアの構成員だと言われた方が驚きの少ない強面だが、ここにいるってことはサーカス関係者だろうな。メイクを落としたピエロかもしれん。足枷を使った曲芸なんてリハーサルにはなかったけど。まさか脱獄した死刑囚だったりしないよね?

「お前は、小さな赤ずきん(リトルメイジー)の友人か?」

「ああ?」

 関わらず立ち去ろうと思ってたのに向こうから話しかけてきやがった。

「『小さな赤ずきん(リトルメイジー)』ってのが赤ヶ崎愛唯のことなら、友人ではないな。だがまあ、ツレなのは確かだ」

 愛唯をそう呼ぶってことは、やっぱりサーカス関係者だな。野生の死刑囚が飛び出してきたわけじゃなくてよかった。

 男は俺の手前で立ち止まると、腕を組んでなにやら考え始めたぞ。じろじろ見られて気持ち悪いが、やがておかしそうに鼻息を吹かれた。

「ふん……なるほど、似ているな」

「なにがだ?」

「こちらの話だ。気にするな」

 気にするなと言われたら余計気になっちまうのが人間の性なんだが、そんなことよりもこいつ……臭う。

 いや、悪臭って意味じゃない。萬石みたいに香水がきついわけでもない。

 俺や弥生――狩神一族に近い臭いだ。

「トイレなら今は誰も入ってないぞ。それとも俺になんか用か?」

 正体がなんであれ、ここで問い質すつもりはない。寧ろマナー違反だな。こいつは正体を隠してサーカス団員をしているのかもしれないだろ。それに正体を聞いてしまうと俺もニホンオオカミだと明かさなきゃならなくなるかもしれん。

「一つ、忠告しておこうと思ってな」

「忠告だと?」

 上から押しつけるような態度と口調には少しイラっとした。敵意はなさそうだが、他のサーカス団員とは違って俺たちを歓迎している雰囲気じゃあないな。

「このサーカスには関わるな。これから先も平和に暮らしたければな」

「なに?」

 不穏な言葉に俺は反射的に訊き返していた。

「すぐに立ち去れ。お前のツレとやらも一緒にだ」

 男はそれだけ告げると――ジャラリ。鎖の擦れる音だけ響かせて静かに踵を返した。こいつ、俺の質問には答えるつもりがないってことか?

 ふざけんな! てめえだけ言うこと言ってサヨナラなんて誰が許すかよ!

「待てよ! 説明不足すぎんだろ! 今のはどういう意味――」

「オオカミさん! ここにいましたか!」

 生まれつき悪い目つきをさらに極悪にして凄んだ俺だったが、横からぶつけられた底抜けに明るい声のせいで毒気を抜かれてしまった。

 見ると、愛唯が手を振りながら駆け寄ってきていたよ。

「愛唯、なんの用だ? 動物はもういいのか?」

「それがですね。これから今回のプログラムには組まれてないショーをやってくれるそうなのです。オオカミさんも一緒に見ませんか?」

 パーに開いた両手を羽ばたくようにバタバタさせる愛唯は、存外に楽しんでいるようだな。兄弟子のサーカスは乗り気じゃなかったし、実際に自分の理想と違う動物のショーには思うところがあったみたいだが、それはそれこれはこれって感じだ。

「後で行く。悪いが今はちょっと取り込み中でな」

 俺はしっしとぞんざいに手を振って追い返す。でも相手は愛唯だ。その程度で素直に引き下がるなら苦労はしないんだよなぁ。

「取り込み中? おトイレですか?」

「違ぇよ。おい、あんたさっきの――って」

 小鳥みたいに小首を傾げる愛唯はこの際もう放置して向き直ったが、そこには既に男の姿は影も形もなかった。

「いねえし」

 立ち去る気配がまるでなかったぞ。そういや来る時もけっこう近づかれるまで気づかなかったな。足枷の鉄球をわざわざ持ち上げて移動したのか? 静かに移動できるのなら、最初にジャラジャラさせていたのは……俺に自分の存在を気づかせるため?

「なんだってんだ?」

 結局、意味はわからなかった。臭いは残っているから、追おうと思えばできないこともない。だが、たぶん追ったところで撒かれるだろうね。只者じゃなかった。

「オオカミさん?」

「なんでもねえ。戻るぞ」

 大方、団長の萬石に目をかけてもらっている愛唯に対する僻みかなんかだろ。どこに行っても人が集まれば必ずそういう面倒臭い奴が出てくるからな。

 気にしても疲れるだけだ。

 そう考えて、俺は愛唯と共に最初にリハーサルを見物したサーカスのメイン会場へと戻るのだった。


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