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二十四匹目 オオカミくんと猛獣使いの兄弟子

 一階の店に下りると、身なりのいい黒スーツの男が茶トラを撫でていた。

 三十代半ばってところかな。整えられた髭に広鍔のフェルトハット。高級そうなアナログの腕時計。それと全身から濃厚なシナモンっぽい香りが漂ってくる。けっこうきつめに香水をつけてるぞ、このオッサン。

 辺鄙な場所にある小さなペットショップだってのに、こんな上流階級にいそうな人間まで客として来るんだな。

「あ、萬石さん」

 愛唯が男を見て僅かに瞠目した。

「なんだ知り合いか? 店の常連とか?」

「いえ、そうではありませんけど……」

 歯切れ悪く答えた愛唯はどこか困惑している様子だった。すると、こちらに気づいた黒スーツの男がネコを撫でるのをやめて歩み寄ってきたぞ。

 男は俺たちの手前で立ち止まると、四十五度の角度で仰々しくお辞儀をした。

「久し振りだね、小さな赤ずきん(リトルメイジー)。そちらはお友達かな?」

 小さな赤ずきん(リトルメイジー)が愛唯のことだってことはわかる。そんなあだ名で呼ばれているってことは、かなり昔からの知り合いみたいだな。

「どうも、初めまして。私は萬石調。しがないサーカスの団長を務めている者だ。小さな赤ずきん(リトルメイジー)――赤ヶ崎愛唯とは兄妹弟子になるのだよ」

 男は慇懃に自己紹介をすると、スーツの懐から名刺を取り出して俺と來野に渡した。『萬石調』って国際郵便の封筒に書かれていた差出人の名前だ。

 いや、それより気になることを言ったぞ。

「兄妹弟子って、まさか猛獣使いのか?」

「おや? ご存じだったとは」

 やっぱりか。この萬石って奴も愛唯の婆さんを師事していたってことは……警戒すべきだな。こんなオッサンにもふもふされたら俺は死ぬかもしれん。

「『MANGOKU CIRCUS』……これ、今週末からこの街で開演されるサーカスの名前ではないか? 世界的に有名なサーカスで、うちのクラスでも話題になっていたぞ」

 來野が名刺を見て驚愕した。あ、そうか。どっかで見た名前だと思ったら弥生に見せられたサーカスのホームページだ。

「お前そんなすごい人と知り合いだったのかよ」

「兄妹弟子と言っても一緒に修行していた時期はほとんどありませんよ? わたしがお祖母様から習い始めた頃には、萬石さんはもうステージに立っていました」

「ハハハ、あの頃はまだまだひよっ子だった」

 昔を懐かしむように快活に笑った萬石は、愛唯に向き直ってわざとらしく眉を顰めた。

小さな赤ずきん(リトルメイジー)、私が来ることを知らなかったようだが、手紙は読んでいないのかい?」

「萬石さんのサーカスが来ることは知っていました。でも手紙は今日届いたのでまだ読んでないのです」

「おっと、これは失礼。どうも出すのが遅すぎたようだね」

 これまたわざとっぽく萬石は仰け反った。一々反応が大げさな人だな。まあ、サーカスの団長っていうから素でもそんな感じなんだろうね。

 ていうか、さっきから愛唯の様子がおかしいぞ。

「(そういえばお前、あれだけサーカスサーカス言ってたくせに、この街に来るサーカスについては一度も触れなかったよな?)」

「(そうでしたっけ? ん~、わたし、萬石さんはちょっと苦手なのです)」

 小声で確認すると、人懐っこい愛唯とは思えない回答が返ってきた。でもまあ、わからんでもない。萬石は気さくでいい人そうだが、俺もこういう大仰な人間とは関わりたくないからな。

「ふむ……読んでいないのなら仕方ない。口頭で伝えるとしよう」

 顎に手をやって少し逡巡した萬石は、どこか真剣な顔つきになって愛唯を見詰め――

小さな赤ずきん(リトルメイジー)、私のサーカスで猛獣使いをやらないか?」

「えっ!?」

 ほとんど蚊帳の外になっている俺たちも驚くようなことを告げた。

「私はね、小さな赤ずきん(リトルメイジー)の能力を高く買っているのだよ。君の才能はこの小さな国に留めておくには勿体ない。私たちと共に、世界を回ってみないかい?」

 これは予想外だった。仔犬たちのショーを見た時は素直にレベル高ぇと思っちゃいたが、まさか本物のプロからスカウトされるほどの実力だったとはな。

「よかったではないか、愛唯! 夢を叶えるチャンスだぞ! 愛唯と離れ離れになるのは寂しいが、私は応援している!」

「セラスちゃん……」

 親友の來野に背中を押されたが、愛唯はまだ躊躇いの表情を浮かべていた。

 しゃあない。俺も援護射撃してやるか。

「世界屈指のサーカスで働けるんだぞ? 自分のサーカス団を立ち上げるにしても、そこでノウハウを学んでからにした方が絶対にいいだろ」

 なにせ俺としても相棒の件が保留になってそのまま流れてくれるかもしれない大チャンスだ。これを逃す手はないんでね。

 そうなると愛唯はこの街からいなくなるわけで、俺も元の平穏な生活を取り戻せるって寸法よ。ここ数日は毎日毎日賑やかで落ち着かなかったからな。

 まあ、その喧噪がなくなると思うと少し――っていやいやなに寂しい感じになってんの俺! いいじゃないか。もう付き纏われることもなくなってせいせいするね!

 これでいいんだ。

 これが、俺にとっても愛唯にとってもベストな選択のはずだ。

「そう、なのですけど……」

「なにが不満なんだ?」

 だというのに、愛唯の歯切れはなおも悪い。

「不満というわけでもないのですが……なんといいますか、わたしと萬石さんは猛獣使いとしての考え方が違うのです」

「ほほう、考え方とな?」

 本人の前でハッキリと口にする愛唯に、萬石は興味深そうに唸った。

「わたしにとって動物さんは相棒です。パートナーです。一緒にサーカスを盛り上げるお仲間なのです。でも、萬石さんは――」

「そうだね。私にとって動物は道具とは呼ばないまでも、同列としては扱っていない。私がトップで彼らは部下という表現が適切だろう。だがね、小さな赤ずきん(リトルメイジー)。冷たく聞こえるかもしれないが、上下関係を構築することは動物を飼育する上で当然の考え方なのだよ」

「それは、わかっています」

 愛唯の方がいいこと言ってそうだが、それは理想論だ。現実は萬石が正しいぞ。

 なにせ動物ってのは弱肉強食。基本的に縦社会だからだ。オオカミもそうだが、群れを作る動物なら特にな。

 要するに愛唯は萬石のサーカスが自分の理想とは違うから乗り気になれないってことか。かといって愛唯もそこはちゃんと理解しているから、萬石の考えを頭から否定するようなことはしない。

 きっぱり『嫌だ』と言わない辺り、愛唯も迷っているんだろう。

「では、こうしよう。明日の夕方に公演の最終リハーサルを行うことになっている。見学にくるといい」

 愛唯の迷いは萬石も感じたのか、大げさに指をパチンと鳴らしてそう提案してきた。

「萬石さんのサーカスにですか?」

「特別に我がサーカスの動物たちと触れ合える場を設けようではないか」

「行きます!」

「即答かよ!?」

 迷いが一瞬で吹き飛んだぞ。動物が絡むと掌くるっくるじゃないか。今の今まで憂いを帯びた表情だったってのに、もう動物たちをもふることを考えてニヨニヨし始めてるよ。

「君たちもどうだね? 歓迎するよ」

 柔和な笑みを浮かべて萬石が俺たちも誘ってきた。

「愛唯が行くのであれば私もお言葉に甘えようか」

 來野は当たり前のごとく即答したな。俺は……ぶっちゃけあまりサーカスには関わりたくないんだが、なんかもう行く流れだよなぁ。サーカスのリハーサルを見に行ったなんて弥生に知られたら……待てよ?

「あの、俺の妹がサーカスをすごく楽しみにしてるんだが、連れて行っても?」

「もちろん。家族でも友達でも好きなだけ連れて来るといい」

 おお、なんて太っ腹な団長さんなんだ。言ってみるもんだな。これであの日のポテチの件はチャラにしてもらえるだろう。しかもリハーサルとはいえタダだからな。何千円も払ってチケット買わなくていいとかなんて経済的!

 さらに言うと弥生が俺の代わりに愛唯たちと楽しんでくれれば完璧。俺は久々にできる平和を家でゴロゴロしながら享受するとしよう。

 そう考えたら明日が楽しみになってきたな!


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