二十匹目 オオカミくんと赤ヶ崎家のペットショップ
放課後、俺は自分の家に帰る方向とは真逆の道を歩いていた。
東西南北に区画が綺麗に分かれている佐張市は、県内でもそこそこ面積のでかい都市だ。一口に西区と言ってもかなり広く、十五年テキトーに暮らした程度の俺ごときじゃ網羅し切れていない場所だって当然ある。
俺の縄張りは家から学校までの距離を半径にした円って感じだからな。反対側の住宅街なんて用でもなけりゃわざわざ行くこともない。
「セラスちゃん、部活は大丈夫でしたか?」
「うむ、今週は自主練期間だから問題ない」
本音を言えば、今すぐ真っ直ぐ帰りたい。だって女子の家だぞ! 死地だぞ! オオカミ化的に地獄だぞ! そんなとこに赴くくらいなら北や南や東を牛耳っている不良どもと喧嘩行脚した方がマシってもんだ(ちなみに西は俺が中二の頃に向こうから吹っ掛けてきたから潰しといた。おかげで不本意な二つ名がついちまったよ)。
「でも昨日のお昼休みに呼ばれていませんでしたか?」
「ああ、アレは校内で薙刀を振り回したせいで……その、注意を。だから決闘で決着を急いだのだが……」
くそう、俺はこんなにも帰りたいのに、愛唯と來野が挟むようにして歩いているもんだから逃げられない。まあ、ここで逃げてヘタレと思われるのも嫌っちゃ嫌だが、君らもうちょっと離れてくれませんかね?
右からイチゴミント、左からレモンの香りによる挟撃。しかも両方ともハッとするほどの美少女。俺にとっては既に戦場だった。
「着きましたよ。あそこがわたしのお家です」
そう言って愛唯が指差したのは、年季の入った小さなペットショップだった。住宅街だけど表通りに面しているからか、近所には雑貨屋や喫茶店なんかも並んでいる。通りを抜ければすぐに市街地に出るし、暮らしやすそうな場所だな。
一階部分が店で、二階部分が自宅になっているようだ。
「こんなところにペットショップなんてあったのか」
こっちの方にはあまり来ないとはいえ、全くってわけじゃない。通り過ぎるだけなら何度もあった。でもここにペットショップがあることは知らなかったな。
「ただいま帰りましたぁーっ!」
愛唯を先頭に店の入り口から中に入った途端――ワンワンミャアミャアギャーギャー。すごいな。動物たちが一斉に騒がしくなったぞ。
「なんだ、こいつらいきなり……」
俺の正体を本能的に感じて暴れ出したのかと思って身を引いたが、どうやら原因は愛唯のようだ。
イヌ・ネコ・ウサギ・ハムスター。インコにオウム。トカゲやヘビといった爬虫類から熱帯魚まで、多種多様なペットたちがそれぞれの檻や籠や水槽から愛唯の帰還を全力で歓迎している様子だ。
「えへへ、みんないい子にしていましたか? ちょっと待っててくださいねー♪」
愛唯は鞄をその辺に置くと、動物たち一匹一匹にきちんと挨拶して撫でたりおやつをあげたりし始めたぞ。あっちにトコトコこっちにトコトコ大忙しだな。
動物たちも動物たちで、ペロペロしたりスリスリしたりと最上の愛情表現で愛唯を迎えているよ。
「めっちゃ懐かれてる……てか、いいのかこれ? 商品にならなくなるんじゃ?」
「それは私も常々心配しているが、今まで一度も経営が傾いたことはないらしい。寧ろこの店で買ったペットは行儀がよくて躾いらずと評判だそうだ」
來野が親友の実家を自慢するようにちょっと鼻を高くした。なるほど、猛獣使いの赤ずきんが調教済みだからだな。あとは店主が余程上手にやり繰りしているのか……あれ?
「店員が誰もいないようだが?」
軽く店内を見回すが、駆け回って動物たちの相手をしている愛唯と俺たち以外は人の気配すらない。獣臭に混じって愛唯とは微妙に違うイチゴミントが漂っているようだが、かなり薄いな。これはだいぶ前にいた人間の残り香だ。
「む? 妙だな。いつもなら愛唯の母君がいるはずだが……」
來野も訝しそうに眉を寄せた。納得。このちょっと熟したようなイチゴミントは愛唯の母ちゃんか。
「お母様ならいないようです。書置きがありました」
一通り動物たちの世話を終えたらしい愛唯が手になにかを握って戻ってきた。千切ったメモ用紙と、赤と青のカラフルな枠をした封筒は国際郵便だな。
愛唯はメモ用紙の方を俺たちに見せる。そこには可愛らしい丸文字でこう書かれていた。
【愛唯さんへ。ちょっと目を離した隙にインコさんがお散歩に出かけてしまったのでお迎えに行ってきます。その間、店番をお願いします。母より】
「逃げられてんじゃねえか! ここのペットはお行儀がいいんじゃないかったのかよ!」
いやまあ、お行儀のいい表現で書かれているけども。つまりそういうことだろこれは。
「あと店を開けたままとか不用心すぎないか? 他に店員いないのかよ?」
「お父様はお仕事で外国に行っていますし、今はわたしとお母様だけです」
経営が順調ならアルバイトでも雇ったらいいのに。俺は頼まれてもやらんけど。
「まあ、どうせお前の母ちゃんも猛獣使いの力が使えるんだろ? だったらすぐ捕まえて戻ってくるんじゃないか?」
「あ、お母様は猛獣使いではありませんよ? お祖母様の血を引いているのはお父様ですし、力の存在自体知らないはずです」
「そうなのか?」
それならそれでちょっと安心だ。猛獣使いが二人もいるとか勘弁してほしいからな。
「お母様も動物さんたちのお世話は大好きで、夢が叶ってこのペットショップを開いたらしいのです。でも動物さんたちを躾たりするのは苦手でして、よくからかわれたりして困ってますねー」
「ペットショップのオーナーがそれでいいのか……」
聞いているだけだとかなりのポンコツに思えてくるな。きっとアレだ。経営学とかには精通しているんだろう。うん。
ツッコミどころが多すぎて冷や汗を掻いていると――にゃー。なんか俺の足下で茶トラのネコが鳴いて頭を擦りつけてきたぞ。
「こいつ、昨日のネコか?」
俺がしゃがんで軽く喉を撫でてやると気持ちよさそうにゴロゴロ言った。よく見たら前片足に包帯が巻いてあるな。ちゃんと動物病院で治療してもらったようだ。それに毛並も綺麗になっている。
「里親さんが見つかるまでうちで預かることになったのです」
「飼えばいいじゃないか?」
「はい、見つからなければ責任持ってそうするつもりですよ」
ここはペットショップだからな。すぐにでも里親が見つかりそうだ。愛唯もそれがわかっているのか、ちょっと寂しそうな顔をしていたよ。
それにしても人懐っこい。俺の次は來野に擦り寄って甘えた声で鳴き始めたぞ。ネコって柑橘系の香りは苦手なはずなのにな。
來野もネコが好きなのか、ゆるっゆるの笑顔になって「よーしよしよしよし」とか言って撫でている。北の大地に動物王国でも建国するの?
來野はいっつもピリピリしているイメージだったが……へえ、あんな顔もできるんだな。騎士然としている姿も凛々しいが、こうして見ると普通の女の子って感じだ。
つい物珍しさに眺めていると――
「むむ? オオカミさんがセラスちゃんをじっと見てます」
「へあっ!?」
愛唯が不思議そうにそう言うや、驚愕した來野は顔を赤くして飛び跳ねた。しまった、無意識に來野を見すぎていた。変な意味じゃないのに、俺も少し顔が熱くなってきたぞ。
「な、なにを見ている狩神狼太!?」
「なんでもねえよ! ネコを見てたんだネコを!」
「もしかしてオオカミさん、羨ましいのですか?」
「は?」
羨ましいって……俺、そんなにネコを撫でたそうにしてたのか? 確かに人懐っこいネコって無性に撫でたくなるけども。
「もう、そんなに撫でられたかったのならわたしに言ってくださいよぅ。いつだってもふもふしてあげます! もふもふ!」
「そっちかよ!? 撫でられたいとか微塵も思ってねえからその手をやめろ!?」
「わたし知ってます。オオカミさんみたいな人を『ツンデレ』さんて言うんですよね?」
「全力で違うわ!?」
片手をわきわきしながらじりじりと俺に迫って来るヘンタイ赤ずきん。後ろは壁。逃げ場はない。
「そ、そっちの封筒はなんだったんだ? 外国からみたいだが?」
なんとか話題を逸らして誤魔化すため、俺は愛唯がわきわきしていない方の手に持っていた国際郵便を指差した。
すると愛唯は……なんだ? 急にクールダウンした様子で封筒を見たぞ。
「あー、これはただのお手紙です。お母様のメモと一緒に置いてあったのですが、お祖母様からだったらよかったのですけどねー」
「愛唯?」
残念そうに俯く愛唯に來野が心配そうに声をかける。封筒の差出人には『萬石調』と漢字で名前が書かれていた。
誰だ?
いや待て、その名前どこかで……それもつい最近見たような気がする。
「ではでは、お二人ともちょっとお外に出ていてもらえますか?」
「ん? あ、ああ」
顔を上げた愛唯はすっかり元の調子に戻っているようだった。単にドイツの婆さんからの手紙じゃなかったことが残念だったってだけか。
俺と來野は言われるままに一旦店の外へと出た。




