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十三匹目 オオカミくんと河原の決闘

 決闘の申し出を受けたおかげで、放課後までの間は比較的平和だった。

 愛唯は相変わらず纏わりついてきたが、その度に來野が強制連行で俺から引き離してくれたから寧ろ有り難かった。決闘なんていいからもうずっとそんな感じになってくれないかな? ないよね。

「まずは、逃げずに来たことを誉めてやろう」

「俺としても決着はつけたかったからな」

 相宕川の橋の下。丁度今朝に來野の生徒手帳を見てしまった辺りの直下に、俺たちは向かい合って立っていた。

 肌寒い微風にプラチナブランドを靡かせる來野は、気合いが入っているな。学校の制服じゃなく、晒製の白い胴衣と黒い馬乗袴を身に着けている。薙刀部の稽古着だろうね。

 背中には薙刀袋が三つ。得物使う気も満々かよ。

「二人とも、本当に決闘するのですか?」

 この場には俺と來野の他に立会人として愛唯も来ている。不安そうに眉を寄せているが、悪いな。一度買った喧嘩を投げ捨てられるほど俺は人間できてないんでね。

「止めてくれるなよ、愛唯。この石頭は肉体言語しかわからないらしいからな」

「逃げるだけが取り柄の貴様を叩きのめすには決闘に応じさせるしかないと思ったのだ」

「ハッ、誰の取り柄が逃げるだけだと?」

「誰の頭がコンクリートだと?」

 睨みつけると睨み返された。そこらの三下不良だったらそれだけで尻尾巻いて逃げ出しそうな眼力だ。てか誰もコンクリートまでは言ってない。

 愛唯には二人の間で火花でも散っているように見えてるのか、俺と來野の顔を交互に見やって小さく溜息をついた。

「喧嘩はよくありませんが、お二人が望んでいるのなら仕方ないですね。でしたら、わたしからも一つルールを加えます」

 愛唯は青い瞳に強い意志を宿し、腰に片手を当てて――

「いいですか、相手に怪我をさせたらめっ! です! 負けです! わたしが審判としてちゃんと見てますからね!」

 仔犬でも躾けるように人差し指を立ててそう告げた。

 怪我をさせたら負け、か。ちょっと温い気もするが、相手は來野とはいえ女子だからな。俺は賛成。來野も異論はなさそうだ。

「わたしはオオカミさんもセラスちゃんも傷つくところなんて見たくありません。だから、ちゃんと守ってくださいよ?」

 愛唯は俺たちが異を唱えないのを認めると、邪魔にならないようにゆっくりと後ろに下がって行った。

「難易度が上がったな」

「無理なら降参してもよいのだぞ? 貴様は不器用そうだからな」

「お互い様だろ」

 しかし怪我がアウトとなると問題は勝利条件をどうするかだが……來野が背中の薙刀袋を掴んで俺に投げ寄越してきた。俺の足下に転がったそれは、紐が緩んで中身が僅かに飛び出している。

 刃のついていない部活用の木製薙刀だった。

「拾うがよい、狩神狼太。愛唯に怪我をさせるなと言われたからな。それを使って相手に一撃を入れた方の勝ちというルールで行う」

 來野も自分の薙刀を抜く。もちろん刃はついていない。力加減によってはこれでも充分に人を撲殺できるんだけど、刃がないだけ安全か。部活でも使われてるものだし。

「愛唯、すまないがこれを預かってもらえないか?」

 來野が三本目の薙刀袋を愛唯に差し出した。アレが学校で俺を追い回した時に使っていた真剣だな。というかアレは部活じゃ使えんだろ。なんで持ち歩いてんの?

「わかりました。大事に持っておきます。……お、重い」

 一度下がっていた愛唯は來野に駆け寄って薙刀を受け取ると、小さい体に抱きかかえるようにしてよろめきながら元の位置まで戻った。なんか訳ありな品なのかな?

 まあ、興味ないからどうでもいい。それより薙刀勝負ってとこに俺は文句があるぞ。

「おい、俺は長物なんて扱ったことがない素人以下だぞ? お前に有利すぎないか?」

「ん? そうか。ならばハンデをくれてやろう。貴様は素手も使っていいとする」

「……後悔すんなよ?」

 それでもこっちが超絶不利なわけだが、上から目線でハンデなんて言われたらカチンと来たね。なら俺だってリーチの差はハンデとして受け入れてやるさ。

 これでルールは固まった。

 もういつでも決闘を開始できる。

 だが――

「始める前に一つ訊いてもいいか?」

「なんだ?」

 決闘するのはもう構わない。俺も決着を望んでるからな。だが、來野の方はどうだ? 本当にこんなことしなきゃならんのか?

「ぶっちゃけ、決闘してまで俺を遠ざけたい理由がわからん。なんでお前はそうまでして愛唯を護ろうとするんだ?」

「わからないか? 私も相手が貴様でなければここまでするつもりはなかった」

 え? 俺そこまで悪いことしたっけ? 生徒手帳見ちまったことがそんな重い罪だったとは……。

「愛唯は、親以外で私の名前を初めて馬鹿にせずに接してくれた親友だ。その親友が貴様のような不良にちょっかいをかけられていると知れば、身を挺してでも助けるのは当然だろう?」

「ああ……」

 そういえば俺、家がヤクザで悪逆非道を尽くす人間のクズって認識されてんだった。俺が愛唯にちょっかいかけてるって前提から間違っているのだが、それを今説明したところでどうせ理解も納得もしてくれやしない。

 結局、拳で語るしかないってことか。

「いいか、私が勝てば二度と愛唯に近づくことは許さん」

「俺が勝てば襲撃も決闘もこれっきりにしてもらうぞ」

 互いの要求を伝える。

 正直、俺としてはどっちでもマイナスにはならない。だが、來野の要求だと愛唯から俺に近づくことまで制限されないからな。來野に約束を破ったとか言われて襲撃が続く未来しか見えん。現状維持になってしまうんだ。

 だから、俺は勝ちを取りに行くぞ。少なくとも來野が襲って来なくなれば俺にとって大いにプラスだ。

「もうお話は大丈夫ですか?」

 会話が途切れたことで愛唯が俺たち両方に確認する。

 俺と來野が首肯すると、愛唯は小さく深呼吸をして――右手を勢いよく振り上げた。


「それでは、始めてください!」


 最後の『い』の発音と同時に俺は地面を蹴っていた。

 先手必勝。一鼓動の内に來野との距離を詰めた俺は、借り物の薙刀を適当にバッティングの要領でスイングした。

 中段に構えていた來野は避けるかと思ったが――動かない。自分の薙刀を楯にして俺の一撃を受け止め、そのまま豪快に薙ぎ払ってきた。

「チッ」

 見た目からは想像できない馬鹿力だ。弾かれた俺は勢いに敢えて逆らわず身を捻り、今度は下段から掬い上げるようにして薙刀を振るう。來野からすれば型もなにもあったもんじゃない滅茶苦茶な使い方なんだろうな。経験者は逆にそういうのに弱かったりすることもあるらしいが、來野は違った。

 俺の二撃目も易々と受け止めると、薙刀の反りを絡めるようにして――すぽん。

 巻き落とされた薙刀が俺の手からすっぽ抜けた。

 嘘だろ。俺が薙刀雑魚とはいえ、そんな簡単に相手の得物を奪えるのかよ。

「確かに貴様は素人以下のようだ」

「――ッ!?」

 來野はそれだけじゃ終わらない。息をつく間もなく巻き落としからの連撃が来る。幾度も練習して体に覚え込ませたのだろう流麗な動き。面へと迫る無駄のないその一撃を、俺は咄嗟にバックステップでかわした。

 今のは危なかった。あと数ミリでも違っていたら入ってたぞ。

 わかってはいたことだが……強いな、來野。部活でもエース級なんじゃないのか?

「どうした? 拾わないのか?」

 俺の薙刀は來野の手前に落ちている。あー言っているが、拾いに行く余裕もなければ隙もない。不得手な武器なんて持っていても邪魔なだけだ。寧ろいらねえよ。

「次はこちらから行くぞ!」

 俺が動けないのを悟り、來野は打突の構えで突進してくる。空気を切り裂くような鋭い刺突を俺は体を右に開いてかわした。回避すれば隙ができるかと思ったが、俺が懐に入り込むより速く來野は二撃目・三撃目と技を繋いできやがった。

 まずいぞ。やっぱリーチが違いすぎる。避けるので精一杯だ。

「おのれちょこまかと……やはり逃げるのが取り柄ではないか!」

 このままじゃ否定できなくなっちまうな。どうにか隙を作って間合いを詰めないと、一方的に攻められているだけじゃ負けるのは確実だ。

 どうする?

 なにか手はないか?

 素手じゃ間合いに入れない。薙刀じゃ話にならない。

 小石を投げて当たったとしても、それは許可された攻撃手段じゃないから一撃には入らないよな。下手すると怪我させて俺が負ける。

 いや、待てよ。これは別にスポーツマンシップに則った試合じゃない。來野は薙刀、俺は素手か薙刀で怪我させないように一撃入れりゃいいってだけの戦いだ。

 卑怯だ汚いと罵られようが、そんなもんは知らん。勝ちゃいいんだ勝てりゃあな。

「いい加減に観念するがよい! 貴様に勝ち目はないのだぞ!」

 脛を狙った払いを俺は後ろへ大きく飛んでかわす。來野はそろそろ煩わしくなってきたらしいな。即座に俺を追うようにして突撃する。

 來野は薙刀捌きも凄まじいが、なによりオオカミの俺でも引き離せない突進力が脅威だ。少しでも掠れば正直怪我どころじゃ済まない威力だろう。

 でもその突進は直線でしか活かせない。猪突猛進ってやつだ。これまで追い回されてわかったことだけどな。

 フェイントなんて存在しない。

 真っ直ぐしか来ないとわかっているのなら――

「これでもくらえ! イノシシ女!」

 俺は足下に落ちていた自分の薙刀を、思いっ切り蹴り上げた。

 來野が迫る直線上に。

「そんなものが通用すると思っているのか?」

 失笑を漏らす來野はあっさり俺の薙刀を弾いてしまった。蹴り飛ばした薙刀でも当たれば一撃――なんて思ってるわけないだろ?

「――なッ!?」

 俺は薙刀を蹴るとすぐに走っていた。薙刀は目眩ましだ。突撃しながら防いだ上で、遅れて認識した俺に対して攻撃に転じられるならやってみろ。

 まあ、とはいえ、もう既に俺の手が届く間合いだ。

 接近してしまえばこっちのもの。

「勝負ありだ、來野!」

「くっ!?」

 急ブレーキをかける來野に、俺は殴――るわけにもいかないので左肩をソフトめにタッチするつもりで右手を伸ばした。

 だが來野は俺に負けることが余程屈辱的なのか、運動の法則を強引に捻じ曲げる勢いで左に跳ぼうとし――


 ふよん。


 俺の右手に、とってもふくよかでやーらかい感触が伝わった。

「……」

「……」

 突然のことでフリーズした俺と來野は、そのままお互い運動のベクトルに従って倒れ込んでしまった。服に泥がつくとか、擦り傷を作って決闘の判定がどうなるのかとかそんなものは一切考えられなかった。

「オオカミさん!? セラスちゃん!?」

 愛唯が慌てて駆け寄って来るが、俺の意識はそこにはない。な、なんだあの掌から溢れるくらい大きな膨らみは愛唯のと比べるとまるで米粒と鏡餅ってそうじゃなくてッ!

 やばいやばいやばい! 血流が! オオカミ化が! 落ち着け俺なにも考えるな一瞬だったから感触なんて覚えてません! だから心を無にするんだヒーヒーフー!

 よ、よし……なんとか、ギリギリでオオカミ化は抑えられそうだ。

「な、な、なななななななななななっ!?」

 愛唯に上半身を起こしてもらった來野は、自分の胸を抱き寄せるようにして――かぁああああああッ。雪のように白かった顔がポストよりも真っ赤になってるんですけど。

 あかんわ。これ俺が悪いやつだわ。

 事故だからってことで許してくれないかな? ないよね。

「す、すまん! わざとじゃないから! 今のは一撃には入らない! ノーカンでいいからノーカンで!」

 とりあえず、頭を下げて手を合わす。

「き、貴様は、何度私を辱めれば気が済むのだ……ッ!」

 今朝のキラキラネームと今の件で來野さんは完全にご立腹だ。ゆらりと立ち上がった來野から殺意のオーラが出ているように見えるぞ。あと額からなんかごっつい角が……角?

 オーラは幻覚だが、角は……違う。

「せ、セラスちゃん、それ」

「來野、お前、その角」

 俺と愛唯が目を真ん丸に見開いて指摘すると、來野は自分の額から伸びるそれに触れて『しまった』という顔をした。

 來野は愛唯から真剣の薙刀を奪い取る。袋から抜き放ち、俺に向かって跳躍した。

「忘れろ! もしくは死ね!」

 大上段に振り上げられる凶器に、俺は冗談抜きで死の光景を見た。

「落ち着け來野!? 愛唯の目の前で殺人を犯す気か!?」

 反射的に両手で真剣白刃取りを決めてしまった俺。來野は『愛唯』の名前を聞いて正気を取り戻したらしい。一瞬力が抜けた隙に、俺は薙刀の刃を真横に逸らした。

 刃は叩きつけられ、地面を深く抉り取る。

 だが、來野は勢いを殺せずそのままつんのめってしまい――

「きゃあ!?」

「のわっ!?」

 俺に、覆い被さる形になっちまったよ。

 ああ、そうさ。ちょっと触っただけでオオカミの血が沸騰しかけた二つの双丘が、俺の顔面に夢乳っと、もといむにゅうっと押しつけられたらどうなるかなんて自明の理。

 せっかく抑えられたってのに、トドメを刺された形だ。

 俺はもはや諦めの境地で、全身に沸き立つ熱を受け入れるしかなかった。

「か、かかか狩神狼太!? 貴様また――は?」

 飛び退いた來野が見た先。果たしてそこにいたのは人間の俺じゃなく、犬耳と尻尾と黄褐色の体毛と犬顔になったオオカミ男の俺だった。


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