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十一匹目 オオカミくんと來野の逆鱗

 結局サーカスに連れて行く件はうやむやになり、弥生は不満そうにしながらも今日は日直なので食べ終わったらすぐに家を出た。

 俺も適当に朝の情報番組を流しつつ、時間が来たので重い腰を上げた。今日も愛唯と來野に振り回されると思うと休みたくなるな。

「いってらっしゃあせ、若!」

「「「いってらっしゃあせ!」」」

 相変わらず分家の強面黒和服たちが軍隊よろしく整列して門までの道を作る中、俺は昨日より憂鬱な気分で学校へと向かう。

 あの夢のことを愛唯に話せば、喜ぶだろうか? 喜ぶだろうな。

 でも命の恩人、いや恩狼が俺だったと知られれば間違いなく余計に付き纏われることになる。だからその事実は俺の胸に仕舞っておこう。

 あいつと俺は過去に出会ってなんかいない。そう、出会ってなんかいないんだ。

「お嬢ちゃん、悪いこと言わないからその家には近づかない方がいいわよ」

「そうなのですか?」

「知らないのかい? ここは狩神家って言って……あんまり大声で言えないけど、ヤクザなのよ」

 家の門を抜けた瞬間、稀生高のブレザーを着た緩くふわっとした赤毛ちんちくりんが近所のおばちゃんから注意を受けていた。

「あ、オオカミさん! やっと出て来ましたね!」

 別人か目の錯覚だと思いたかったが、底抜けに明るい声とイチゴミントの香りまでもが俺を出迎えてしまえば夢でも幻でもない。

 今は会いたくなかった少女――赤ヶ崎愛唯がそこにいた。

「……」

 そそくさと立ち去ったおばちゃんとは対照的に、待ってましたと言わんばかりの満面の笑顔を向ける愛唯に俺は困惑する。え? なんでいるの? 俺の家を教えた覚えなんてないんですけど?

「ここがオオカミさんのおうちですよね。聞いてた通りすっごくおっきいですね! お部屋はいくつあるんです?」

 俺の屋敷を見上げてほえ~と間抜けな声を出す赤ヶ崎愛唯は……元々知っていたってわけじゃなさそうだ。となると調べたんだな。狩神家は地元じゃいい意味でも悪い意味でも名家の部類だから、この近所で聞き込みをすれば小学生だって知っている。

「オオカミさん、聞いてますか? オオカミさん?」

 門の前で固まっていた俺に愛唯はヒラヒラと手を振ってきた。どうせ構ったらまた相棒になれとか言ってくるんだろ? だったら無視してさっさと学校に行けばいい。悪い小さすぎて気づかなかったよHAHAHA。よし言い訳はそれだ。

「あ、待ってくださいよ! ここがオオカミさんのおうちってことはオオカミさんのご家族も住んでいますね。みんなオオカミさんになれるのだとしたら……その中に私を助けてくれたオオカミさんも……ごくり」

「いねえから!? ここにそういう奴はいねえから!? なに勝手に入ろうとしてんだ不法侵入で訴えるぞコラ!?」

 俺を追いかけてくるかと思いきや、まさかの門を開けようとしたので全力で止めに戻った。くそう、無視できなかったよ。

「で、なんで待ち伏せしてやがったんだ?」

「一緒に学校へ行こうと思いまして」

 話しかけると花咲くような笑顔を見せる愛唯に、思わずドキリとした。あの夢のせいだ。なんか目を合わせづらい。

「いつからここにいやがった?」

「十五分くらい前ですかね」

 となると弥生が出て行ったすぐ後か。弥生も見つかっていたら余計に面倒臭いことになりそうだから不幸中の幸いだな。

 俺が溜息をついて歩き始めると、愛唯はたたたっと駆け足で横に並んだ。背の低い愛唯は俺と歩調を合わせるためにちょっと早歩き気味だった。

「ついてくるな!」

「わたしも学校に行くので、方向はこっちですよ?」

「いやだから、なんで俺とお前が一緒に行かにゃならんのだ!」

「オオカミさんともっと仲良くなりたいからです。そして相棒になってもらうのです」

「それは未来永劫にないから諦めろって言ってるだろ?」

「ふふん、わたしの辞書に『諦める』なんて言葉は載ってないのです!」

「そんな落丁本は取り換えてもらえ!?」

 歩きながら自信満々に控え目な胸を張る愛唯。本当に収録されてなさそうだから困る。どうすりゃいいんだ? 一族の誰かを差し出すわけにもいかんし。

「さっきおばちゃんから聞いたのですが、オオカミさんってヤクザさんなのです?」

「よく間違えられるが、違う」

 わざとそう思われるように印象操作はしているけどな。

「ふぅん……あっ! そうですオオカミさん! 今日の放課後ですが、わたしの家に来ませんか? お見せしたいものがあるのです」

「はあ?」

 唐突に意味不明なことを言い出した愛唯に、俺は俯き加減で唸っていた顔を上げた。こいつ今なんて言った? 愛唯の家に、俺が行く? 冗談じゃない。まさか女子の家に男子を呼ぶって意味を知らねえわけじゃないだろうな。……知らなそうだ。

「嫌だね。断る」

「むむ、即答ですか。オオカミさんにも関係のあることなんですけどねー」

 むっと頬を膨らませた愛唯は俺の気を引いているつもりか、あからさまに意味深な態度で見上げてくる。

「じゃあ学校に持って来て見せればいいだろ」

「持って行けないから来てほしいのです」

 俺に関係があって、学校には持って行けないモノ? もしかして狩神一族の正体に関係するなにかだとか? いや、まさかあの夢の――あの日に関わるなにかだったり?

 気になる。

 気になるが……。

「(それに昨日は不完全燃焼でしたし、あわよくば今度こそ邪魔の入らないところでオオカミさんをもふもふうぇへへ♪)」

 小声で本音を垂れ流す愛唯を見て――うん、行かない方がいい気がしてきた。


「楽しそうだな、狩神狼太」


 ゾクリ、と。

 凛とした声と共に、殺意の刃が俺の首筋に添えられた。

 刃といっても薙刀袋越しだが……僅かに首を動かして振り向けば、輝くようなプラチナブロンドの女子生徒が引き攣った笑みに影を落としていた。

「げっ!? 來野ッ!?」

「ずいぶんな挨拶だな。朝から私の親友にちょっかいかけてなにをするつもりだった?」

「ちょっかいかけられてんのはこっちだわかれ!?」

 昨日といい今といい、考えと聞く耳が一方通行すぎて説得の余地がない。なんで愛唯と並んで歩いていただけで刃物を突きつけられないといけないんだ。しかも俺から望んでやってるわけじゃねえし! 理不尽!

「あ、おはようございます、セラスちゃん」

「うむ。おはよう、愛唯」

「いやこの状況で普通に挨拶してんじゃねえよ!?」

 場所は稀生高校から目と鼻の先にある北区から西区にかけて流れる大きな川――相宕川に架かった橋の上。学校はもちろん、市街地に行くにも便利なこの橋には今も多くのサラリーマンや学生たちが通勤・通学している。

 つまり衆目の中で俺は來野に脅されているような図だ。

 でも誰も止めようとしないな。見て見ぬフリして通り過ぎて行ってるよ。たぶん不良の俺が女子二人に絡んでいる方だと思われてんだろうなぁ。逆です。

「ちょっと待っていてくれ、愛唯。今にそこの不埒者を成敗する」

 ぐっと薙刀が首に強く押しつけられる。流石に校外で袋から抜くような真似はしないようだが、元から隠すつもりもない殺気と闘気が跳ね上がったぞ。

「えっと、セラスちゃん? オオカミさんは別にそういうんじゃ――」

「すまない、愛唯。話は後にしてくれ。覚悟はいいな、狩神狼太?」

「今聞けよ話!? くそっ、付き合ってられるか!?」

 愛唯でさえ話を後回しにされたのではやってられない。一度ボコられたらいいのかもしれんが、俺はそんなマゾじゃないんでね。

「また逃げるか臆病者め!」

「喧嘩する意味がねえだけだ!?」

「逃げるなら腕の一本くらい置いて行け!」

「山姥かお前は!?」

 脚力に物を言わせてスタートダッシュした俺を來野が追いかけようと足を踏み出す。だがそこで、なんとか來野を止めようとしてくれている愛唯が思いっ切り腰にしがみついた。

「お、落ち着いてくださいセラスちゃん!?」

「わっ!? 愛唯!? 急に抱きつかれたら――きゃん!?」

 バランスを崩した來野が前のめりに転倒した。顔面からいったぞ。アレは痛い。それはそうと俺も似たようなことやられたな。愛唯は人を転ばせる天才かもしれん。

 と、來野の胸ポケットからなにかが零れて俺の足下まで滑ってきた。

「なんだ? 生徒手帳?」

 俺たち稀生高生徒に配布される深緑色のカバーをした手帳だ。裏表紙には顔写真付きの生徒証明書を嵌め込められるようになっている。

「ば、馬鹿!? 見るな!? それを見るなぁあッ!?」

 なんか來野がめっちゃ慌てて喚き出したぞ。ほほう、これにはそんなに恥ずかしいことが書かれてんのか。あの取り乱し方は相当だ。だったら今後のためにも見ない手はないな。

 パラパラっと手帳を捲る。が、特におかしいことは書かれていないぞ。メモとして使われている様子もない。新品同様に綺麗なままだ。

「返せ!? 見るなぁ!?」

 転んで打った鼻を赤くした來野が涙目で叫ぶ。中身は普通だった。裏表紙の生徒証明書も銀髪黒眼の美白少女が真面目な顔で写っているだけ。違う人間でもないし、髪を染める前の写真ってわけでもないな。そもそもあいつも地毛だろう。

 別にこれといって変なものは――

「一年三組、來野……天使?」

 俺は気づいてしまった。確かにファーストネームの部分に『天使』と書かれていたんだ。そしてフリガナが『セラス』……つまり『天使』と書いて『セラス』と読む。

 キラッキラなネームだった。


「……見たな? 見たのだな、狩神狼太?」


 ゴゴゴゴゴゴ!

 地鳴りのような音を幻聴する。生徒手帳から視線を上げると、表情を消した來野が幽鬼のようにゆらりと立ち上がり――割とガチな様子で、袋に入ったままの薙刀を構えた。

 怒髪天や逆鱗とはこのことかと言わんばかりの、憤怒。愛唯から俺を突き放す時とはまた別種の殺意を感じた。なんか一瞬だけ額から太いツノまで生えたような幻まで見えたぞ。

 あ、これ、どうにかしないと死ぬやつ。

「ま、待て來野! 確かにキラキラな名前だったがお前の容姿的に別に変じゃ――」

「問答無用で忘れろぉおおおおおおおおおおおッ!!」

「なんかホントすいませんしたぁああああああッ!?」

 理性を失った來野が激昂するや、俺は即座に回れ右してダッシュした。そのまま街中を我武者羅に逃げ回る。俺に向かって猛進する來野は、まるで五トントラックが迫ってくるような威圧感があった。

 結局、遅刻ギリギリまで鬼ごっこをする羽目になっちまったよ。


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