第三十五話 時代は移ろう
月日は流れ――。
慶応三年十月十四日。
京、二条城にて。
江戸幕府第十五代将軍徳川慶喜は、政権を朝廷に返上した。
この大政奉還により、事実上幕府は終わりを告げる。これをやり遂げたのは土佐の坂本龍馬だった。幕府を潰すことなく朝廷と一本化させる奇策は世の人々を驚かせた。
しかし。
時代はうまく流れてはくれない。
同年。十一月十五日。
坂本龍馬が暗殺された。
大政奉還を成し遂げた重要人物がたった一ヶ月後にこの世を去った。
坂本龍馬がこの世を去り、時代は急変する。
純がそれを聞いたのは、坂本龍馬が死亡した二日後。
速水藤真と会ったのがきっかけだった。彼は薩摩の伝令係として、長州の方にも顔を出すのだ。
長州藩が隠れ蓑にしている屋敷に速水はやってきた。
「坂本さんが斬られたって本当ですか」
突然の訃報に純は驚きを隠せない。
「ああ、そうだ」
速水は淡々として答えた。
純は言葉を失った。
坂本がやり遂げたことは、この国を左右するものだった。それが認められ、今からどう行動するか決める前に、成し遂げた人物がいなくなった。それではあんまりだ。
純が茫然としていると速水は横を通り過ぎて、歩き出す。純は追いかけると、速水は呟いた。
「まぁ、坂本は敵が多かったからな。紀州の三浦って奴にも睨まれている。もちろん佐幕派の奴らにもな。そして、倒幕派の連中にもだ」
「え?」
速水の言葉に純は目を瞬く。それが気に食わなかったのか、彼は顔をしかめた。
「お前は、大政奉還がどういうものか理解できてるか?」
「それくらい知ってます。幕府が朝廷へ政権を返還。幕府を潰すことなく朝廷と一本化させるってことですよね」
「御名答」
速水は頷いて、冷たい視線を向けた。
「だけど、薩摩はそんな平和主義を掲げていない」
「……どういうことですか?」
彼はニヤリと口元を吊り上げる。
「今年の五月に、薩摩と土佐は討幕同盟を結んだ」
「……?」
それは初耳だった。しかしそれとと何が関係あるのかわからかった。
「諸藩に声を掛けている間に、坂本は大政奉還を成しちまった」
「……」
「薩摩と長州、そして土佐は、新しい国を創るために同盟を結んだんだ。だったら、徳川の古い制度なんか要らない」
速水が何を伝えようとしているのか、純にはだんだんとわかったきた。青ざめる純を速水が笑って続ける。
「異国に追いつくために、西郷のだんなは武力による革命を望んでいる。徳川は新しい政府に必要ないんだよ」
「そんな……」
「坂本が消えてくれたおかげで、薩摩は動きやすくなったわけだ」
「それじゃあ坂本さんのやってきたことは無意味だったんですか!」
そう批判するが、速水は肩をすくめるだけだった。
「さあな。それは後世の人間が考えることだ」
そう言い捨てて、速水は足を止めた。
「長州はともかく、薩摩と土佐は幕府が嫌いだからな。関ヶ原の因縁は切れないぜ」
そう言い、純に振り返る。
「とにかく今は桂に面通しをしたい。案内してくれ、井ノ原」
「……わかりました」
純は顔を歪めて、速水を導く。ふと、思い出したことがあった。
「速水さん、聞きたいことがあります」
「あ? なんだよ」
純が振り返ると、速水が不機嫌そうに眉をひそめた。さっさと仕事を終わらせたいみたいだ。
「あなたが斬ったわけではないですよね?」
何を、なんて言わなくても速水は理解できるだろう。
「俺が答えると思ってるのか?」
蔑んだ瞳が純を捉える。
速水は嘲笑った。
「俺が斬ってなくてもあいつは斬られてた。やったのはどうせ、新選組か見廻組だろ。そんなこと俺には関係ないんだよ」
速水は吐き捨てて、廊下を歩き出した。
そんな彼の後ろ姿を、純は黙って睨みつける。すると速水が振り返った。
「そういや。お前はどうするんだ?」
「何をですか?」
突然の質問に首を傾げると、速水はため息を吐いた。
「まぬけな顔してんじゃねーよ。これから確実に戦になる。西郷のだんなは武力で徳川を潰すんだからな」
彼の問いを理解できた。だから、純は微笑んだ。
「……まだ戦いは終わっていませんから」
「そうか」
速水はそれだけ言うと、背を向ける。その背中に純は聞いた。
「……速水さんはどうするんですか?」
同じ質問をすると彼は嫌そうな顔をした。
「藩の指示に従うさ、俺は別にやることはないからな。戦えって言われたら戦うまでだ」
速水は笑う。
「俺はお前みたいに悩む必要はないからな」
からからと笑う彼の心情を、純は読み取ることができず、黙ってしまった。場をとりなすように純は言った。
「桂さんはこちらです。どうぞ」
純は廊下の先にある部屋を指した。
案の定、速水の言ったとおりになってしまった。
年が明けて、慶応四年一月三日。
旧幕府勢力は新政府の徳川慶喜の扱いに不満を持ち、兵を上げた。会津、桑名を中心とする旧幕府軍は伏見で新政府軍と衝突。後に言う鳥羽伏見の戦いが始まった。
この戦がすべてを決めるのだ。
しかし、戦はあっさりと幕を閉じる。徳川慶喜は戦う幕臣たちを捨て置き、江戸へ逃げてしまった。そのため、旧幕府軍は士気を失い、新政府軍の勝利に終わった。
戦が終わったあと、純は速水に会いに行った。
彼は薩摩の陣営の前で石の上に腰を下ろしていた。驚いたのは彼の恰好だった。詰襟の黒い軍服に長靴と、西洋かぶれな服装をしていた。しかし腰には刀が差してあった。
こちらに気づいた速水は軽く手を上げた。
「よっ。井ノ原」
「速水さん、お久しぶりです」
彼は土に汚れた顔を拭う。
「お前、前線で見なかったな。どこいたんだ?」
「見ないの当然でしょう。長州と薩摩の陣地は違うんですから。それと、僕は桂さんの護衛だったので、戦に参加していません」
「なんだよ、つまんねーな」
速水は口を尖らせる。
それを無視して、純は速水の隣に腰を下ろした。
「世が変わるんですね」
「あぁ……」
これからは武士が偉い世ではなくなるだろう。新しい国がどうなるかわからないが、良い方向に進んでほしい。
「なあ、井ノ原」
「はい?」
すると速水が声を掛けた。振り返ると、彼の表情は寂しそうだった。
「お前、いつか言ったよな? 剣は人を守るためにあるって」
「……少なくとも僕はそう思います」
「だったら、人のために振れないのはいけないことか?」
「……」
速水はぽつりと言い、空を見上げた。空は硝煙で少し暗かった。
「新しい時代はこんな来る。その世に、俺みたいな奴は必要なのか?」
速水藤真は人斬りだ。
今まで暗殺の仕事を生業にしてきた。新しい世に戦いはないだろう。その中を速水は、生きていかねばならない。
「人を斬るしか能がない俺が、どうやって生きていけばいい?」
速水の声は今までにない語調だった。虚ろな瞳が揺らいでいる。
言葉を紡げない純は、彼を見つめるだけだった。
「今、俺はお前が羨ましい」
「え?」
速水がこちらを眺めた。
「何か、大切なものを見つけて、お前はそれのために生きるんだから」
「……」
「俺はコイツなしじゃ生きられないから……。俺は最期までコイツといるんだろうな」
速水は腰の刀に手を置いた。
「大丈夫ですよ」
純は声を掛けていた。速水がぼんやりとした様子で振り返る。
「速水さんは速水さんです。いつかあなたを剣としてではなく、あなた自身を必要としてくれる人が現れますよ」
「井ノ原」
「あなたは、あなたの正義を信じて歩き続けてください」
それが今、速水に言える言葉だった。口下手な純はこれぐらいしか言えない。だけど、彼にも何か見つけてほしかった。
速水はきょとんとして純を見つめる。そんな表情をする速水が可笑しかった。くすりと笑う。すると速水が顔を逸らして、
「お前のくせに、偉そうだな」
恥ずかしげにそうぼやいた。
純は声を上げて笑った。
「まあ、」
速水が立ち上がる。
「考えとくわ。これからのこと」
目を細めて、願うように速水は呟いた。
「……それにまだ、戦は終わってないしな」
確かに戦は終わっていない。旧幕府勢力は江戸へ逃亡した。今から新政府軍はそれの追討に当たるのだ。
速水は純を振り返る。その表情はどこか吹っ切れていた。彼はいつものように、端正な顔を綻ばした。
「お前とはいがみ合ったが、同じ人斬りとして楽しかった」
「楽しかったって……」
速水らしい言葉に苦笑する。
「一度ぐらい斬り合ってみたかったな」
「冗談はやめてくださいよ。身が持ちません」
そう答えると、速水馬鹿にしたように鼻で笑う。そして、純に手を差し出した。
「短い間だったけど。ありがとな、井ノ原」
「……」
純は驚きと感動のあまり、しばらく体は動かなかった。
「速水さんもお元気で」
純は彼の手を固く握り返した。
「幸せにな。純」
最後まで、速水藤真はその整った顔を崩さなかった。
鳥羽伏見の戦場から、速水藤真とは会っていない。
噂に聞けば戊辰戦争を生き残り、維新後は警察官をやっているらしい。
あの人が警官とは。純は最初笑ってしまった。まだ上司の命令ばかり聞いているのだろうか。
それとも……。
あの人も自分の道を見つけられただろうか。
何はともあれ、純も彼の幸せを願っている。
2014年10月5日:誤字修正・加筆




