第二十八話 居候
純は居候の身として、店の手伝いや家事など自分の出来るかぎりのことをした。そこまでしなくてもいい、とすみれも初も言った、笑顔でかわされてしまった。
とくに、接待は評判を呼んだ。
「純さんっ」
純に声を掛けたのは、若い女性客で、他に二人いる。
「はい、ただいま」
その女性が座っている席まで、純は駆け寄った。たちまち、女性たちがはぁと甘い吐息を漏らした。
「いらっしゃいませ。いつも御贔屓にありがとうございます」
にこやかに純が笑うと、三人とも頬を赤らめる。
「そ、それは、ここのお団子はおいしいですもの」
「そうやね」
「は、はい」
口をそろえて頷く彼女たちに、純は嫌な顔一つせず微笑む。
「そう言っていただけるのは喜ばしいことですね」
純はそう言って、注文を聞いた。
聞き終えた純がお辞儀をして立ち去るのを、彼女たちはずっと見つめていた。
「純さんってほんま素敵な人や」
一人が呟いた。それを皮切りに他の二人も口々に言う。
「そうそう。顔も綺麗やし」
「誠実な方やしねー」
はぁ、と再び甘い吐息を漏らした。
きゃいきゃいと盛り上がる女性客の話を、すみれは耳にしていた。
「……」
ぼんやりとした様子で今の会話を反芻し、小さく呟いた。
「……純さんって、もてるんだ」
「呼びました?」
「ひゃっ!」
いつの間にか、隣に純が立っていた。彼は首を傾げて笑っている。
「どうかしました?」
「い、いえ、なにも……」
すみれはおぼんで顔を隠して首を振った。
「? そうですか」
少し不思議な様子で答える純は、こちらの顔を覗き込む。純と目が合って、すみれは少しぎょっとする。
「何かあったら言ってください。僕は何でもしますから」
「……は、はい」
胸が大きく高鳴って、頷くことしか出来なかった。
客が入って来た。
「あ、いらっしゃいませ」
純は声を掛けて行ってしまった。
「……」
彼の後ろ姿をすみれは見つめた。その横顔は凛々しく映った。端正な顔立ちにすらりと伸びた肢体。優しく輝く瞳。くせのない黒髪を結わえただけなのに品が良く、目立った。
今思えば、純はかっこいいのだ。それは引く手あまただろう。
女性客も見惚れるわけだ。
純は今もさっきの女性客と笑って話している。
――なんかヤだなぁ~。
すみれは彼を思うと、胸がもやもやした。
「すみれちゃん、嫌やったら嫌って言わなあかんよ?」
すると、初が奥から顔を出してにこやかに言った。
「えっ、何をですか?」
後ろから声を掛けられてびっくりするすみれは訊ねた。
「え~、そういう悩みやないの?」
「?」
初はニヤッと笑った。
「純さんかっこいいんやから、はよしな誰かに取られんよ?」
「なっ。純さんは関係ないですよ!」
顔を真っ赤にするすみれに、初はくすくすと笑って奥に引っ込んだ。
「もう……」
頬を膨らませるすみれは、再び純を眺めるのだった。
* * *
純がすみれの実家に居候を始めて、早くて四ヶ月。
あと少しで年が明けようとしていた。
京の町は相変わらずの寒さで、純は身が凍えるかと思いながら日々を過ごしていた。
今日も純は、冷える朝から薪を割っていた。
「ふぅ……」
純は額の汗を拭い、息を吐いた。
「ん……?」
そのとき背後に誰かがいるのを感じた。職業柄、こういう気配には敏感なのだ。純は振り返った。
そこには懐かしい顔があった。純は大きく目を見開いた。
「よっ、純。久しぶりだな」
「甲斐さん!」
甲斐政義は笑顔で答える。
「朝から精が出るな」
「甲斐さんはどうしてここに?」
「京に帰ってきたら一番に寄るって決めてたんだ。案の定、純はここにいたよ」
甲斐がニヤリと笑った。その笑みはなんだか意地悪そうなそれだった。純は少し身構えると、甲斐は続ける。
「まさか、本当にすみれちゃんと一緒に住んでるなんてな」
「……何か勘違いしてません? ここは彼女の実家ですよ」
抗議するが、甲斐は相変わらずカラカラ笑って、
「そう言うなよ。ほとんど同じじゃんか」
「全く違います」
「それで、純よ」
甲斐は純に近づき、腕を肩に回す。
「な、なんですかっ?」
おっかなびっくりしながらも純は尋ねる。どんなことを言われようとも、落ち着いて対処する。そう心に決めた。
そして、甲斐は純の耳元で言った。
「すみれちゃんと、ヤッたの?」
「…………」
「…………」
「……なっ!?」
甲斐の言葉を脳内で繰り返した末、純はその場から飛び退いた。言うまでもなく、顔を真っ赤だ。それを見て、甲斐は呆れたように肩をすくめた。
「まだかよ。つーか、顔真っ赤だぞ。お前本当に男? 心すぎ」
「な、ななな、なに言ってるんですか!! ぼ、僕はっ、そんなつもりで、すみれさんと……! あと! 僕は男ですっ!!」
顔をゆでだこのように真っ赤にして、必死に訴える純はなかなか面白い。甲斐は腹を抱えて笑った。
「笑わないでくださいっ!」
「いや、だって……はははっ……。くっ」
「あなたって人は……!」
ぐぬぬ……と唸るが、甲斐は目端に涙を浮かべて笑っている。
不毛な会話を諦めた純は肩を落とした。
「ここにいては風邪をひきます。中に入りましょう」
「おう、そうだな」
甲斐は元気よく賛同した。
純が借りている部屋は二階の一番奥の部屋だ。四畳一間の布団しかない、質素な部屋だ。
「なんだよ、すみれちゃんと同じ部屋じゃないのか?」
部屋に入った途端、甲斐はそんなことを言い出した。
「まだ言いますか、あなたは。違いますよ」
「そんなことしたら源造さんが僕を殺しにかかりますよ、絶対」
「あぁ。あの人は確かに恐いな」
軽く笑い飛ばす甲斐。冗談とでも思ったのだろうか。残念ながら冗談にならない。絶対に。
あと、絶対に安眠は出来ない。
甲斐は刀を置いて、よっこいしょと胡坐をかいた。純も座る。
「とにかく無事で何よりです。甲斐さん」
「当然よ、簡単にくたばれるかよ」
甲斐は不敵に笑ってそう言う。少し痩せただろうか。純はそんな印象を受けた。しかし純はそのような感情は一切出さず、話を続ける。
「長州のほうはいかがでしたか?」
さっそく本題へ入る。甲斐が京へ戻ってきたいうことは、とりあえず長州藩は落ち着いたのだろう。
しかし、甲斐は顔を曇らせた。
「不安定だぜ、長州は」
彼こちらから目を離し、畳を見つめた。
「八月に、また外国船と撃ち合った。純は知ってるか?」
「耳にはしました」
答えると、甲斐は自虐的に笑った。
「四ヶ国相手に戦争したんだ。それで長州は大負けして下関を取られた。十月には俗論派の粛清が始まった。一回目の長州征伐はかろうじて免れたが、二度目があるって噂が立ってる」
「……」
「純は、高杉晋作って人を知ってるか?」
甲斐が質問する。純は頷いた。
「はい。昔桂さんと一緒に会ったことがあります」
桂に連れられ、一度会ったことがる。一度会っただけなのに、その男の印象は強かった。純は豪気な男だと記憶している。
甲斐は続けた。
「そうか。……あの人は今戦争を始めようとしてる」
「え?」
「あの人、藩政を奪還しようとして奇兵隊を率いてるって話だ」
「……」
「今や、長州は内乱状態だよ」
ふぅと疲れたように甲斐は息を吐いた。
「そんなことが……」
純は言葉を失った。
久しぶりに聞く故郷の様子は、落ち着ているどころかますます雲行きが怪しくなっていた。
「京は、何か変わったことはあるか?」
「そうですね……」
甲斐の質問に純は少し考えた。
「大きな騒動はありませんが、そのせいで役人が幅を利かせています」
「だろうな」
甲斐は頷いた。
禁門の変以降、長州藩が朝敵となった。尊攘派の志士たちは次々と捕まり、処刑されたいる。
「壬生狼はやっきになってんだろうな。今更だけどお前も気をつけろよ。祇園もあいつらの縄張りだからな」
「大丈夫です。下手は打ちません」
「まあ、お前なら大丈夫そうだな」
答えると甲斐も少し顔を綻ばせた。そして純は真っ直ぐと彼を捉えた。その瞳は鋭く輝いた。
「ところで、」
「なんだ?」
「桂さんから連絡は?」
純が一番危惧しているのはそれだ。つまり桂小五郎の安否。禁門の変から姿を見せない桂からは一向に連絡はなかった。この四ヶ月、純は暇さえあれば京市中を捜索したが、出会えたことはない。
甲斐は口を閉ざし、やがて開いた。
「……ない」
「もう四ヶ月です。どうして桂さんは何も言ってくれないんですか!?」
純は声を荒らげた。立ち上がって甲斐の肩を掴む。甲斐は揺すぶられながらも呟く。
「俺だって不安だよ。だけど何もないんだ、仕方ないだろ」
「……」
甲斐の悲痛の言葉に、純は黙って手を離した。
「とにかく桂さんの捜索は俺に任せろ。何か情報があったらここに来るから」
「わかりました」
純は小さく答えると、甲斐が立ち上がって刀を腰帯に差した。
「……そろそろ行くよ」
逃げるようにそう言う甲斐を責めるほど、純は愚かではない。
「すみません、お茶も出さずに」
「いいさ別に。それより、そんな暗い顔するなよ」
「え……」
甲斐はニヤッと笑って、純の頬を引っ張った。突然のことに驚き、甲斐にされるがままになる純。
「い、痛っ、……痛ひれふ」
「笑えって。茶屋なんだから接客しなきゃいけないだろ? せっかくの男前が台無しだぜ」
「は、はい……」
甲斐は手を放して、純に言った。
「俺のことは気にすんな、頑張れよ。特にすみれちゃんとな」
「……わかりましたよ」
純は適当に頷いた。
そうでも言わないと、甲斐はまたおちょくってくるだろう。
だけど、久しぶりに甲斐と会えて、純の心は少しでも和らいだ。
2014年10月5日:誤字修正・加筆




