表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
剣戟のその先に  作者: ハクトウワシのモモちゃん
22/40

第二十二話 友よ……



 御所へ討ち入った長州兵は、蛤御門の前で敗走した。

 これで戦いは終わるかと思いきや、そう簡単にはいかない。

 御所の南。

 堺町御門は今、戦場と化していた。


 その中で、二人は向かい合う。

「浩幸、帰るぞ」

 甲斐が唸るように声で言い、楠本を睨みつける。

「……」

 それを無言で受け止める楠本の表情には、戸惑いが表れていた。彼のこんな表情を見たことがなかった。

 沈黙は続く。

 砂塵のおかげか、戦場が遠く感じた。

「浩幸くん、早く!」

 沈黙を破り、現れたのは久坂玄瑞だった。顔は土埃に汚れ、楠本と同じような甲冑に陣羽織を着ていた。

「先生……」

 楠本は振り返って、久坂の後を追おうとする。しかし甲斐が立ちふさがった。彼の表情は変わらない。

「行かせねぇって言ってんだろ」

「……政義」

 再び睨み合う二人。

 近くで銃声が聞こえた。

「ここにいては危ない! 早く御所へ参ります!」

 久坂がまわりの音に負けずに叫ぶ。

 甲斐が久坂に噛みついた。

「長州は負けた! 今さら何すんだよ!」

 怒鳴り声に久坂は怯みもしない。彼は甲斐の目を真っ直ぐに見つめ、告げた。

「この挙兵は、藩主毛利(もうり)敬親(たかちか)公の汚名の回復を願うためだ。たとえ、来島きじま殿が討たれたとしても、まだ諦めてはいけない!」

 彼は右手にある刀を力いっぱい握り締める。

鷹司たかつかさきょう参内さんだいを申し上げる!」

「……」

 純は彼の言葉に驚いた。それは甲斐も同じか、信じられないような目で久坂を見つめていた。

 この前、甲斐は久坂をこう評していた。

 生真面目で直情的だと。

 ――本当に真面目な男だ。

 純は思った。

 この戦は長州の負けが確定だ。それでもこの男は長州藩のために命を懸けることができるのだ。

「僕は、最後まで諦めはしない!」

 久坂は気の強い瞳を甲斐にぶつけた。続いて、楠本も口を開く。

「政義」

 その呼びかけに、甲斐は顔を上げる。楠本が少し笑う。しかし表情は真剣で、それでいて覚悟を決めたような表情だった。

「私が戻ることはありません。先生と共に行きます」

「……」

 甲斐の口が動くがそれは声にならなかった。

「楠本さん」

 純も彼の名を呼ぶだけで終わる。楠本が純に笑いかけてくれたそのとき、楠本の目が動いた。

「政義!!」

「えっ」

 楠本が甲斐を横に突き飛ばした瞬間――


 パァン――ッ!!


 乾いた発砲音。

 赤い液体が宙を舞う。

 眼鏡が割れた。

 楠本は地面に倒れた。

「浩幸!!」

「楠本さん!!」

 楠本は撃たれた。

 皆が駆け寄る中、甲斐が銃声の聞こえた方向を睨みつけた。そこには、地面に伏せた薩摩兵がいた。そいつは息も絶え絶えに、楠本を撃ったのだ。薩摩兵は渇いた笑みを浮かべた。

「てめぇ――ッ!」

 鬼の形相で刀を抜き、甲斐は踊りかかる。兵を一刀のもとに斬り伏せた。

「浩幸くん!」

 久坂が呼びかけるが返事はない。楠本は青い顔をして、辛そうに息をしていた。

 純は彼の傷口を抑える。

「楠本さん、しっかり!」

 しかいどくどくと血は溢れて止まらない。誰が見ても致命傷だった。

「止まって……!」

 懇願するように純は叫ぶ。手は段々と真っ赤に染まっていく。手に伝わる体温が冷えてくる。

 それを、楠本は制した。

「……井ノ原、君……」

「浩幸っ!」

 甲斐が純の隣に戻ってきた。

「もう、いいです……」

 荒い息でそう呟く。

「何を言ってるんですか!」

「……井ノ原君、政義のことを、頼みます……」

「そんなこと言わないでください!」

 必死に叫ぶ純に、楠本は穏やかに笑った。

「あなたにはまだ、生きてもらわないと困ります!」

「いいんですよ……もう……」

「もう喋るなっ!」

 純の手に甲斐も手を重ねた。

 だが、楠本の苦しい表情は変わらない。軽く咳き込むと、口から血が溢れた。

「こんなところで死ぬのかよ……ふざけんな! 生きろ!!」

 甲斐の声は涙に濡れている。しかし楠本は笑っていた。

「聞き分けがないのは昔からだな……まったく……」

 彼は青い空を瞳に映し、そして。

「まあ、そこがお前の良い……ところ、だな……」

 ゆっくりと、静かに目を伏せた。

「ああああぁぁ――――っ!!」

 途端に甲斐は絶叫した。

 悲痛の慟哭は青く高い空に響いた。


「……行こう」

 それは久坂の声だ。彼は純と甲斐に目を向ける。

「君たちは御所の東側から逃げるんだ。そちらは兵が手薄だから。僕たちは鷹司邸へ向かう」

「本気で言ってんのか……?」

 甲斐が震えた声で呟く。久坂は不敵に笑った。

「当然だ。私は長州の志士として、最後まで足掻いてみせるよ」

「……」

 彼の決意は固い。

 久坂は楠本の亡骸を肩で支えた。楠本の横顔を見つめながら、久坂は言う。

「浩幸くんのためにも僕は動かねばならない。君たちも浩幸くんのために生きてくれ」

「……はい」

 純は頷いた。

「もし、僕が死んでしまったら」

 久坂は微笑む。

「桂さんによろしく伝えてほしい。……あ、ついでに晋作にも言っといてくれ」

「はい。了解しました」

 楠本を久坂たちに託し、別れた。

 彼の背中は凛々しく、そして熱く燃えていた。


 それが、久坂玄瑞を見た最後だった。



 * * *



 東側の門は本当に手薄だった。純と甲斐は身を低くしながら、敵兵に見つからないように御所を抜けた。

「……浩幸」

 甲斐は御所を見つめて呟いた。目は赤く腫れている。

「……」

 それに、純は何も答えることが出来ない。

 楠本浩幸は甲斐政義にとって親友であり、よき好敵手であった。よくいがみ合ってはいたが、それは二人の日常みたいなものであり、ただの遊びみたいなものだ。

 だが、その相手はもういないのだ。

「まだ殴ってもないのに……、ちくしょう……」

「……甲斐さん」

 憔悴しきった甲斐を慰める言葉を持ち合わせず、純は黙って彼を見つめるのみだった。そのとき、純は顔を上げた。

「何か焦げ臭くないですか」

「は?」

 顔をしかめながらも、甲斐は鼻を動かせた。

「……向こうからです」

「そうだな」

 顔を見合わせて、二人はは走った。その方向は町の方角だ。なんだか胸騒ぎがした。

 歩を進めると、だんだんと気温が上がっている気がした。

 ぱちぱちと何かが爆ぜる音も聞こえてきた。

「おい、まさか……」

 甲斐が焦るように呟く。

 答えは、大通りにあった――。

「町が、燃えている……」






評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ