第二十話 彼らの思い
「なんか、最近騒がしいなぁ」
ちかが通りを眺めながら呟いた。すみれとちかは店の外に置いてある緋毛氈を敷いた縁台に座っている。
「うん」
すみれは隣でお茶を啜った。
今日はちかと二人で出かけていた。
「幕府ん人が事件起こしたんやって。知ってる?」
「うん、知ってるよ」
そんな立て札を見た。詳しいことは知らないが。
すみれは、ふと通りに目をやる。ふと侍風情の人が歩いていた。男を見て、すみれは思った。
そういえば、最近純と会っていない。
「……なんか上の空って感じやわ」
「え?」
声に目を瞬くと、鼻がくっつきそうな距離で、ちかが顔を近づけていた。
「え、なに?」
驚くこちらに長いため息を吐くちか。
「ほんまにもうっ」
ちかが頬を膨らませて、ジト目ですみれを眺める。
「あたしの話聞いてる?」
「う、うん、聞いてるよ?」
「ぜったい聞いてへん」
頑なに首を振るちかにすみれは首を捻った。そう言い切れる根拠はどこになるのだろうか?
こちらの疑問も気にせず、ちかは何か閃いたのか、意地悪く笑った。
「純さんに会ってへんなぁとか考えてたんやろ?」
「へっ!?」
驚いた。危うく手から湯呑が落ちそうになった。
「その顔は図星やな?」
「や、ち、違うよっ?」
上擦る声を抑えたつもりだが、ちかにはばればれだったみたいだ。にやにやとした笑みを隠さず、ずびしとこちらを指す。
「うそや、ぜったい!」
「うっ……」
言葉に詰まるこちらを余所に、ちかはふむふむと頷く。
「祇園の日も一緒に回られへんかったし、欲求不満やんな~」
「よっ、欲求不満って!」
顔が火照るのがわかった。顔を赤くするすみれがそんなに可笑しいのか、ちかは大笑いした。
「ちかちゃん、笑いすぎ……」
「ごめんごめん」
目の端を拭うちか。何がそんなに面白いのか。すみれは少しむっとして、団子を口に運ぶ。
団子を食べていると、ちかはすみれを見つめていた。その表情はさきほどの人で遊ぶ顔ではなく、どこか真剣味を帯びていた。
「なに?」
眉根を寄せて聞くと、ちかは愛想笑いを浮かべた。
「いや、なんでもあらへんよ?」
「ほんとうに?」
「ほんまほんま」
うんうん頷くちかにすみれはますます眉をひそめた。すると、ちかはこちらの表情に負けたのか、一息吐いて、言った。
「純さんからなんか聞いてる?」
「ん?」
質問の意図がわからなかった。すみれは首を捻る。ちかがたま質問をぶつける。
「あれから、会ってる?」
「……会ってないから考えちゃうの」
聞いていることがわからなかったからか、それともめんどくさくなったのか。おそらく後者だ。思わず本音が出た。慌てて口を押さえたがもう遅い。ちかが大きな瞳を開いて、ニヤッと笑った。
「ふーん……。良いこと聞いた♪」
「い、今の忘れてっ!」
「どうしよっかな~」
意地悪そうな顔をして、足をぶらぶらと揺する。
むーっと唸るが、どうしようもない。ほとんど諦めていると、ちかがぼそっと呟いた。
「純さん、まだ言ってないんや……」
「え?」
聞き取れなかった。すみれは首を傾げて、ちかの顔を覗くが、ちかはけろっとした表情をした。
「寂しいんやったら会いにいったらええのに」
「べ、別に寂しくないっ」
一応反論をしておく。当然だがそれに力はない。ちかは意に介さず、団子をぱくっと口に入れた。
「いきなり行っても、純さんが困ると思うし……」
「そんなん言ってたら、なんもできひんよ」
「うう、そうなんだけど……」
いきなり会いに行って、はしたなく思われたくない。初めて訪れたとき、彼は少し顔を引きつらせていた。
ちかがまた団子を食べた。……あ、それ私の。
「いっそのこと押し倒しちゃえ!」
「そっ、そんなこと出来ないよっ!」
ぶんぶん顔を横に振る。想像するだけで、恥ずかしすぎて死ねる自信がある。するとちかがぐっと顔を寄せて、耳元で言った。
「……く、口づけも……し、しちゃおぅ……」
ぼっと赤くなる顔がふたつ。二人は見つめ合った。
「……自分でも恥ずかしいなら言わないでよっ!」
すみれはちかの肩を叩いた。
「だ、だって~……」
ちかはぱたぱたと手で顔を煽ぐ。そんなことしても火照りはおさまらないが。
「ちかのせいで恥ずかしい思いしてる」
ふてくされた感じに言うと、ちかは肩をすくめた。
「すみれがためらってるから、背中押してあげてんのに……」
「どこが?」
「じゃあ、純さんのこと、好きなん?」
すみれは固まってしまった。
相変わらず、わくわくした様子でちかは笑顔だ。でもなんだか悲しそうだった。すみれはちかから目を逸らして、呟いた。
「……好き……かな」
「ん?」
ちかはわざとらしく耳に手を当てて聞き返す。なんか腹立たしかった。
「……聞こえたでしょ」
ずず、とお茶を啜るが、ちかはしれっと言った。
「聞こえへんかってんよ?」
悪びれずによくそんなことが言える。
「で。なんて?」
また聞いてくる。
黙ったままでいるとずっと聞いてきそうな勢いだ。
「……」
すみれはちかから目を離した。
――好きなのかな?
ちょっと謎がある、腕の立つ剣客で、誠実で、口下手な彼。
一緒に出歩いて、両親の話をしたり、彼の話を聞いて……。自分は彼が好きなのだろうか?
この想いを好きと言ってもいいんだろうか?
すみれは頬を少し赤く染めて口にした。
「好き、なんだと思う」
「……曖昧やね」
ちかはくすくすと笑う。一生懸命答えたつもりだが、彼女の期待した答えではなかったようだ。期待されても困るが。
ちかは諸手を上げた。
「『好きだ!』って言ったらええのに」
「ちょっ、声大きいよっ」
京の夏空に、一人の女の子の悲鳴が聞こえた。
* * *
池田屋の件は、長州藩に伝わった。
正しく伝えられたかはうかは置いておくとして、藩では論議が交わされていた。
幕府に直接訴えかけ、積極的に動こうとしている者。慎重に行動すべきだと唱える者。長州藩内は二つに分かれていた。後者にはもちろん桂小五郎がいる。
そんな激論が上で繰り返されていることなど露知らず、純は日常をすごしていた。
「……」
純は自分の部屋にこもり、窓にもたれて町を見下ろしていた。
別に何もすることはない。
池田屋事件から長州も動きにくくなり、人斬りの仕事も減った。
七月に入り、まだ暑苦しい日々が続く。
純は夕日が沈んでいくのを静かに見守っていた。
「しけた面してるな。純」
障子が開けられる。無断に部屋に入ってくる人は決まっている。
甲斐だ。
「何か用ですか?」
純はついっと目だけを動かして、甲斐に言う。
「つんけんすんなよ。せっかく酒持ってきたのに」
「僕はあまり飲めませんよ」
「ちょっと付き合えよ」
甲斐はニッと笑って、酒瓶を振った。
「最近暗いな。どした?」
盃を五杯くらい呷ったところで、甲斐が聞いてきた。
「そうですか?」
首を傾げると、甲斐が純の顔を差して笑った。
「ああ、暗いぜ」
「……」
「何かあったのかって思ってさ」
「……まあ、思いつくことはあります」
純は酒を飲んだ。すると甲斐はぽんと手を打った。
「あっ、すみれちゃんに会ってないからか?」
「は?」
「いや、最近出歩いてないなって思って。二人でどっか行ったらどうだ? たとえば、そうだな……」
「ちょっと待ってください」
「なんだ?」
勝手に答えを出して、勝手に話を進める甲斐を止めた。
「たしかに、彼女とはあまり会っていませんが、違います」
「少しはあるってことだな」
「……もうそれでいいです」
甲斐はにんまり笑う。純は呆れて肩を落とした。体が熱くなってきた。酒がまわってきたようだ。
ぶっきらぼうに答えると、甲斐はカラカラ笑う。
「で、すみれちゃん以外に何があるんだ?」
酒をつぐ彼はごきげんみたいだ。
純は一瞬考えた。こんなことを言ってもいいのだろうか? しかし相手は甲斐だ。別に何もないだろう。
純は盃を眺めながら話し出した。
「僕はこの一年、人斬りとして桂さんの下で動いてきました」
「……ああ」
甲斐は少し淀んで相槌を打った。突然こんなことを言うもんだから戸惑ったのだろうか。純は少し笑った。
「僕は人斬りとしてよくやってますかね?」
甲斐の目を見て聞くと、彼は盃に目をやる・
「ああ、お前はすごいよ。さすがだ」
「あなたにそう言ってもらえるのは嬉しいです。だけど……」
純は詰まりながらも、思いを告げた。
「人斬りとして、相手の命を思いやることは必要ですか?」
この前、池田屋で新選組の沖田総司と剣を交えた。彼は一生懸命に、がむしゃらに新選組のために剣を振るっていた。
すごい、と純は思った。
彼はすべてを投げ捨てて戦っていた。
もっと己の正義のために剣を振るってほしい。
そう願ったのは、彼は自分に似ていると思ったからだ。純も桂のために剣を振るっている。自分の身が血に塗れようと、あの人のためなら剣を振るえる。
彼も同じだろうと考えてしまったから。
池田屋の事件後から、もやが晴れない。
「僕は、間違っているでしょうか?」
酒が入っているからだろうか、すらすらと口に出た。
甲斐は黙って話を聞いてくれていた。そして盃を呷って。
「いいんじゃねーの。それで」
「……」
「そう考えるのが人ってものだろ? 考えない奴は人じゃない。感情があるからこそ、人は迷って、悩んで、生きてるんだよ。純は間違ってなんかいないさ」
甲斐は笑っていた。
「ありがとうございます」
純は頭を下げた。
「甲斐さんに話したらすっきりしました」
にっこりと笑って答えると、甲斐は嬉しそうだった。
「久しぶりだな、純の笑顔は!」
「そ、そうですか」
気恥ずかしくなっれ、ぽりぽりと頬を掻くと、甲斐が肩に手を回してくる。
「よっしゃあ! 場所変えよう、島原行くぞ!」
「何言ってるんですか! 行きませんよ!」
「あ、すみれちゃんに悪いって思ってる?」
「ち、違いますっ! 僕たちは追われてる身なんですよ」
「そんなこと気にしてどうする? 大丈夫だ、ばれねぇって」
「遠慮しておきます!」
「今日は賑やかですね」
すると、声ともに部屋へ入ってきたのは男だ。眼鏡を掛けており、聡明な微笑みを湛えている。
「楠本さん」
楠本浩幸である。
「今晩は、井ノ原君。勝手に入ってしまい申し訳ありません。とても面白そうな会話が聞こえたもので」
今の会話に面白い要素があったかどうか不思議だったが、楠本は笑っていた。
「いきなりなんだよ、浩幸」
彼の登場が気に食わないのか、甲斐は睨むような視線を楠本に送る。それに楠本も負けてはいない。冷たい笑顔を甲斐へ返した。
「あなたに用がありましてね。探していた次第です。案の定、井ノ原君と一緒にいました」
「俺に?」
甲斐は自分を指差した。楠本は「ええ」と頷いた。
「あの。お邪魔でしたら、僕は退席します」
提案すると、楠本は首を横に振る。
「ここは井ノ原君の部屋です。出て行くとしたら私たちですよ」
「あ、そうですね」
すると、楠本は顎に手を当てた。
「まあどちらにしろ、井ノ原君の耳にも入る話ですから。別段井ノ原君がいても差し支えはありませんが」
「だったらここで話聞こうぜ。な? 純」
「えっ。この状態でですか?」
赤ら顔を向ける甲斐に、純は驚いた。酒を飲んでいるのに大丈夫なのか? それとも急ぐ話なのだろうか。だったらなおさら居づらい。
そんな純の心情はもちろん流され、楠本は座った。
「今日。長州藩のご家老がたがご決断を下しました」
家老という言葉に甲斐が眉をひそめる。
そして楠本は眼鏡の位置を修正して告げた。
「『藩主の冤罪を帝に訴える』という名目で挙兵をなされた」
2013年11月10日:修正・加筆
2014年9月29日:誤字修正・加筆




