第十九話 事後
純は何度も路地を折り返し、浅葱色の連中を撒いた。無事に長州志士が隠れ蓑としている料亭へと辿り着いたのであった。
「純っ!」
勝手口から入ると、突然抱きすくめられた。懐かしい匂いが鼻をつく。
「……桂さん?」
見上げると桂の不安げな表情が目に入った。
「よかった、純が無事で……」
「……っ」
背中に腕を回されて、ぎゅっと抱きしめられる。少し苦しかった。だが、純は文句を言わず、笑う。
「桂さんもご無事で何よりです」
桂が生きていた。
その事実だけで純は嬉しかったのだ。
桂の優しい声が耳に落ちる。
「すまないな。純にはいつも辛いことをさせている」
「僕は桂さんの剣ですから。桂さんが気に病むことなんてありません」
「いや、私のせいだ……」
いつもよりしおらしい桂に驚く。純は桂の抱擁をゆっくりと解き、桂を見上げた。
「桂さんが無事なら僕は……」
「純が帰ってきたのか!?」
純の言葉を遮り、奥からバタバタと走ってくる男いる。言うまでもない。甲斐政義だ。甲斐は目に涙を溜めて、こちらに駆け寄って来る。
「純~、よかった! 本当によかった!」
「わっ!? ちょっと甲斐さん……!」
甲斐は純の脇に手を通し、童のように抱き上げた。甲斐が怪力なのをこのとき初めて知った。……心底どうでもよかった。
「おおっ。ちゃんと足ついてるか!? 幽霊とか言わないよな!」
「ぼ、僕は実在していますっ。というか下ろしてくださいっ!」
甲斐の様子を見て、桂もくすくすと笑っていた。
血に塗れた着物から着替えて、純は再び桂と向かい合った。純の隣には甲斐がいる。まだ緩んだ表情をしていた。それだけ純の帰還が嬉しかったようだ。まあ悪い気はしない。
「すまない。純」
桂は謝罪してから話し出した。
「私が旅館へ着いたとき、時間が早くてな。対馬の大島さんと対談している合間に、こんなことに……」
ぐっと唇を噛み締める桂。その気持ちは純も同じだ。目の前でたくさんの長州志士が倒れていたのだ。彼らを助けられなかったのが悔しい。あのとき、自分が席を外さなければ、一人でも多く助けられたかもしれない。
それでも、後悔はしていられない。
「これ以上、長州を失墜させるわけにはいかない」
桂は桂が鋭く発言した。甲斐も続ける。
「そうですよね。これが国へ伝われば……」
「事を起こす者もいるだろう。それを阻止しなければならない」
「桂さん」
彼の厳しい表情を見て、純は不安になった。こちらの表情を見て、桂は淡く笑った。
「心配することはない。今まで通りに動くだけだ」
「……」
――今まで通り。
桂にはやるべきことがある。それを日常と変わらないだろう。
ならば。
自分は人斬りとして、今日、役目を果たしたのだろうか。
脳裏に聞こえるのは敵である彼の声。
あのとき、純は彼を死なせたくないと思った。生きてほしいと思ったのだ。それは間違っていたのだろうか。
すると甲斐が肩を揺さぶった。
「どうかしたか? 純」
「あ、いえ、なんでも」
「疲れてるんじゃねーか? 今日はもう寝ろよ」
その言葉に、純は桂を見やる。桂は微笑んで頷いた。
「それじゃあ、お言葉に甘えて」
純は甲斐に返し、桂にお辞儀をして、部屋を出て行った。
元治元年六月五日。
京都守護職配下にある新選組は、三条小橋の旅館、池田屋に潜伏していた尊王攘夷派志士を襲撃した。
新選組は激闘の中、志士を七名斬殺。二十三名を捕縛した。
のちに池田屋事件と呼ばれるこれは、尊王攘夷派の志士に大きな損害を与えられた。その中心である長州藩にとって、この事件は衝撃的だった。
* * *
目覚めたとき、沖田は布団で寝ていた。
「…………ぁ」
ぼんやりとした様子で天井を見つめ、自分の身に何があったか思い出した。
「……くそ」
沖田は忌々しそうに吐き捨てる。
あの時、池田屋で彼と斬り結んだのだ。そして今、ここにいる。それが何を示しているのか……。
「見逃してもらったのか? 僕は……!」
どん、と強く畳を叩いた。そのとき、障子が開いた。
「おや、総司。目が覚めたのかい?」
「あ……、井上さん」
起き上がろうとすると、隊士の井上はそれを制した。
「駄目だ駄目だ。寝てなさい」
「……」
にこやかに微笑む井上に沖田は従った。井上は満足そうに頷き、
「今、近藤さんとトシさんを呼んでくるよ」
「うん。ありがとう」
沖田が答える、井上はまた微笑んで行ってしまった。
井上を見届けてから、沖田は天井を見上げた。顔を腕で覆う。
「なんでだよ……」
忌々しげに呟く。
どうして自分を斬らなかった?
どうして自分を生かしたのだ?
考えれば考えるほど、沖田は腹立たしくなった。
あの場で斬ってくれればいいのに。あの、美しく輝く刃を叩きこんでくれたらよかったのに……。
そしたら、自分は武士として死ねた……。
「ごほ……っ」
沖田は苦しくて咳き込んだ。
2014年9月29日:誤字修正・加筆




