第十八話 死闘
先に動いたのは沖田だった。鋭い刺突が純に迫りくる。
「ッ!」
純はすぐさま反応。体を傾けたと同時に、刃は真横を過ぎ去った。
「ハッ!」
しかし第二撃はすぐやってくる。沖田は笑って、突き出した刀を横に薙いだ。
純はその場にしゃがんだ。ヒュッと風の切る音が頭の上で鳴る。純は姿勢を低くしたまま、左前方に飛び、すぐに刃を閃かした。狙うは、沖田の首。
「おっと」
沖田が驚いたような声を上げる。刀を己の体に引き寄せ、純の凶刃を防いだ。
刀同士がぶつかり、甲高い音を立てた。
「やるねぇ。君」
沖田がにんまりと笑った。
「あなたこそ……」
――強い。
さすが、新選組の中で一、二を争う剣客だ。一筋縄ではいかない。
純は刀を弾いた。
今度は沖田の胴に刀を打ち込んだ。
「ふん」
彼は空の左手で、鞘を引き上げた。純の刀は鞘に阻まれる。鈍い音を立てて鞘が割れた。
「くっ」
驚くこちらに、沖田がうっすらと笑った。
「甘いな、君は」
言うが早いか、純の腹を蹴り上げた。
「がっ……!」
純は体勢を崩し、床に転がった。
急いで体勢を立て直そうと、顔を上げる。そのとき、頬を銀色の光が走った。見やると、沖田が笑いながら立ちふさがっている。純の真横には鋭く輝く刀があった。
「君はこの程度なのかな?」
沖田が笑いながら言った。頬から血が滲む。
「もうちょっと楽しませてよ。ねっ?」
暗い笑みを浮かべて、刀を壁から抜いた。
「終わりなの? こんなところで君は斬られていいの?」
煽るような口調。純は噛みついた。
「いいわけない!」
がむしゃらに刀を横に薙いだ。その刃は沖田に届かない。当然だ、間合いが遠すぎるのだ。それでも牽制にはなる。
沖田は身の危険を感じたのか、後退した。
その隙に純は立ち上がり、沖田から距離を取る。
荒い息を整え、滴る汗を拭う。
「そう来なくちゃね」
沖田は再び、刺突に構える。純も正眼に構えた。
互いに相手を睨みつける。
――死ねない。
純はぐっと柄を握り締める。
ここで捕まり、斬られたら、純の、長州藩のやってきたことはすべて水泡に帰す。桂の地位に支障をきたし、延いては長州藩の命運にも差し支える。
絶対に斬られるわけにはいかない。
そして……。
彼女のためにも――。
また会うんだ。笑顔で。
純はそう誓い、右足を踏み込んだ。
* * *
沖田はこの命の掛け合いをとても楽しみに待っていた。純に目を付けたそのときから、いつ彼と剣を交えるのかと楽しみにしていた。
それがやっと叶った。
そして、彼の剣に惚れた。
ただの一介の長州藩士だと思っていたが、そうではないようだ。いくつもの修羅場を超えている、と彼の剣が語っている。
沖田の心はますます愉悦に満ちた。
先に純が動き、刀を袈裟に振り下ろされる。
沖田は鍔元で絡め取り、受け流した。しかし純は足を止めず、横から襲いかかる。今度は横に薙ぎ払われた。
「……ッ」
沖田は斬撃を受け止め、弾き返す。今の攻撃はさすがの沖田も肝を冷やした。そして違和感を覚える。
――なんだ、この感じ……。
沖田は眉をひそめながらも攻防を続けた。
刀は何度も打ち合い、互いに引き寄せられるように交差し合う。
均衡が崩れたのはそのときだった。
閃く凶刃は、かわす沖田の顔先を掠めた。髪が一房、宙に舞った。
「ぐ……」
あと刹那遅かったら、額を裂かれていた。沖田は足を戻して、正眼に構える。その瞬間、純と目が合った。
「ッ!」
その瞳は輝きを失い、ただ、無情だった。ただ、目の前の獲物のみを捕食しようとする瞳だ。
背筋が凍った。
斬り合いなんて数えられないほどした。何度も浪士と斬り合ってきた。なのに、恐怖した。沖田は、この少年を恐れてしまったのだ。
「くそっ」
そんな己を叱咤するように叫び、刺突を繰り出す。
しかし――
「なっ!」
鋭い刺突は簡単に弾かれた。
ガラ空きとなった沖田の胴体。
純はそれを見逃すはずもない。
体勢を低くして腰を捻り、刀を思いっきり横に薙いだ。その刀身は月光に輝く。一瞬、沖田は美しいと思った。
純の刃が吸い込まれるように沖田の首筋へと迫る。
――やられる!
沖田はそう思ったとき、胸から何かが這い上がる感覚を覚えた。
「ごふ……っ!」
嗚咽を吐き出した。彼は体勢を崩して畳に膝をついた。
かろうじて、純の刀は空を裂いた。
「沖田さん……」
純は目の前で跪く沖田を見下ろしていた。畳に赤い染みができていく。
「ごほっ、ごほっ!」
むせ返る沖田の口からは血の混じった痰が吐かれる。
「なに、やってるの?」
沖田は脂汗を滲ませ、純を睨みつける。
「なんで……、止めたの?」
「え……」
沖田は刀を支えにして危なっかしく立ち上がる。
「何で止めたって聞いたの!」
沖田は責めるような瞳を純にぶつける。純の右手は自然と下がっていた。
「……」
答えない純に沖田が無理に刀を構えた。
「まだ……、終わって、ないよ……」
肩を上下させながらそう言った。
「……終わりですよ」
純は静かに呟いた。
「終わってないって言ってるだろッ!」
沖田は刀を振り上げた。その刀はさきほどまでの速さも威力もなく、純は易々と避けた。沖田は身体をうまく制御できないのか、そのままよろける。
純はそんな沖田に叫んだ。
「そんな身体で、まだ闘うんですか!」
「当たり前だ!!」
沖田は即答する。鋭い眼光に純は竦んだ。沖田は歯を噛み締めて、吼える。
「僕は新選組だ!」
「……っ」
「新選組の前に立ちふさがる敵を斬る。それが僕の使命だ!!」
苦しいはずなのに。荒い息の中、沖田は必死に訴えた。
「何があっても僕は闘う! 新選組が無くなるまで!!」
これが、沖田総司を動かす信念。
この人は本当にがむしゃらで必死なのだ。徳川とか会津とかも関係ない。ただ、新選組のために一生懸命に、剣を振るって生きているんだ。
それはどこか自分に似ている。純はいつのまにか、目の前にいる敵を自分に重ねていた。
純の視線をどう思ったのか、沖田は再び叫ぶ。
「やめろよ……。なんだよその目は!」
「沖田さん……」
彼は、怒りの形相で純を睨みつけた。
「憐れみ? ふざけるな、僕がそんなに惨めかっ!?」
怒鳴った途端、沖田はむせ返った。畳に刀を突き刺し、跪く。
「ごほっ! ごほ……っ」
「沖田さん!」
刀から手が離れ、沖田は床に倒れた。
「僕は……、僕はまだ……闘える、のに……!」
沖田は気を失った。
「沖田さん! しっかり!」
純は沖田に駆け寄った。彼の肩を揺するが、反応がない。
「総司! どこだ!?」
「二階にいるはずだぞ!」
声と足音に、純は振り返る。
ここにいては、捕まってしまう。
純は沖田を見た。痛みに耐えている横顔に純はささやいた。
「絶対にまた会いましょう。沖田さん」
純は言い残し、窓から飛び降りた。
「っ……!」
さすがに、二階からの飛び降りは脚にきた。だが、足を止めている時間はない。池田屋はすでに新選組に包囲されているだろうが、是が非でも逃げおおせる。
敵が立ちふさがるなら斬るまで。純は鍔元を握りしめた。
「えっ」
しかし裏口には何もなかった。あったのは新選組隊士の死体。
何者かが斬り、逃亡したのだろうか。
疑問に思ったが、今はそれどころではない。純は死体を横切り、足を進めた。
「いたぞ! 裏だ!」
「しまった!」
表にいた隊士に感づかれた。
「原田、裏へ回れ!」
「応よ!」
暗くてよくわからないが、相手は長物を持っているみたいだ。さすがに槍と剣を交える気はさらさらない。
純は路地を全力で走り抜けた。
2013年10月31日:誤字訂正
2014年9月27日:誤字修正・加筆




