第十四話 壬生の狼
あれから桂とは会っていない。
少し寂しく感じるが、桂も多忙である。
純は仕方がないと思い桂のために剣を振るった。
京の町には、ますます血の雨が降った。
その日はすみれに買い出しに付き合っていた。
「すみません。わざわざ」
すみれが眉をひそめる。
「せっかく茶屋に来てもらったのに……。お初さんが二人で行くようにとしつこく言われたので、つい」
頬を膨らませる彼女に純は笑いかけた。
「いいですよ。僕は暇ですから」
「純さんがいいのならいいですけど」
まだ不満そうだったが、すみれはそれで承諾してくれたみたいだ。
純はそんな彼女を愛おしそうに眺めた。
こんなふうに出かけるのは何度目だろうか。
彼女と出会って二ヶ月くらいが経つ。
こんなにも長く、一緒にいられるとは思ってもみなかった純には喜ばしいことだ。別に買い出しなどついて行かなくてもいい。だけど純はついて行く。それはたぶん、彼女を大切に思っているからだ。
何故、大切に思っているかくらい、純は気づいている。自分の気持ちくらいわかっている。それを伝えるか伝えないかはわからないが。
しかし、純はその答えを決めてしまっている。
そんなことを考えていると、
「あっ、猫」
「またですか……」
出歩く際はもう習慣になってしまった。すみれはよく猫を見つける。京には猫がたくさんいるみたいだ。
すみれはぱたぱたと路地のほうへ駆け寄る。純は呆れながらも彼女を追った。すみれの向こう側を見ると、そこには黒と白の猫が日陰で気持ちよさそうに寝ていた。
「猫さん」
すみれがそっとその猫に話しかける。当然だが猫は見向きもせず、寝ている。
「寝てますよ、純さん」
「そうですね……」
にこにこと笑顔のすみれは猫の背中をそっと撫でた。身じろぎする猫を見て、すみれは楽しそうだ。
あまり動物に興味ない純はわずかに肩をすくめる。だけどすみれの笑顔を見るのは好きだ。
「純さん。この子、片足しか足袋を履いていません」
「え?」
彼女の言っていることが理解できず、純は猫を覗き込む。
「ほらっ」
すみれは猫の足を指差した。その猫は前足と後ろ足の片方ずつが白い毛をしていた。確かに白足袋を片っ方ずつ履いているように見えた。
「確かに……」
「面白いですね」
「え、えぇ……」
今思えば真横にすみれがいる。目が合って純はびっくりした。知らずか、心臓がトクトクと鳴った。
「猫は飼わないんですか?」
訊くと、すみれは苦笑いを浮かべた。
「これ以上、お初さんと源造さんに迷惑はかけられません」
「そうですか」
「猫って良いよね」
「「えっ?」」
背後からかかった声。驚いて振り返った。
純の視線の先には若い男だ。歳は純の少し上くらいか。色白で端正な顔立ち。細身で、髪の毛がところどころぼさぼさと跳ねているのを結っている。
突如現れた男に驚いた純だが、男の着ている衣服にもぎょっとした。
男の着物は、浅葱色のダンダラ羽織。
――壬生狼……!
「……ッ」
声が漏れるのを必死に押さえ、冷静を保つ。
新選組隊士であるその男は、にこにこと笑顔で、すみれに話しかけた。
「猫、好きなの?」
「え。あ、はい」
すみれも驚きの表情をしているが、すんなりと頷く。彼女の頷きに男は楽しそうに笑った。
「僕も好きなんだ、猫。見ているだけで癒される。愛くるしいよね」
「私もそう思います! 猫は可愛いです」
すみれも気を良くしたのか、嬉しそうに笑う。
「……行きましょう、すみれさん」
面白くない。純はそう思った。理由はともかく、長居は無用。この男は新選組隊士。純の、長州の敵なのだから。
いろいろな理由があるが、とにかく純はすみれを促す。しかしそううまくいかず。
「もうちょっと、見ていたいです」
「すみれさん、買い出しは……」
「君、」
そのとき、男が純に言った。変わらず、すました笑顔をしている。それにますます腹が立ち、純は男を睨んだまま尋ねる。
「なんですか?」
「嫉妬は良くないよ?」
「なっ!?」
言葉を失うこちらなど意に介さず、男は純とすみれをすり抜け、猫の前でしゃがんだ。 男が猫に触れようとしたとき、猫はかっと目を見開いた。猫は驚いたように三人を見上げて、路地の奥へ行ってしまった。
「あ……」
すみれが残念そうな顔をする。
「逃げちゃったか、ごめんね」
「い、いえ」
男は立ち上がって、こちらに目を向けた。その顔の表情は変わらない。
「邪魔して悪かったよ。まあ、狭い路地で男女がなにしてるのかなーって思っただけだから」
「は?」
純が目を見開くと、男は口角を吊り上げた。
「僕は役人だからさ、往来でそういうことしちゃあダメだよ?」
「なっ……!」
男の言いたいことを理解した純は驚愕した。すみれは隣できょとんと首を傾げている。
純の様子が可笑しかったのか、男は肩を揺らす。
「ふふふ、面白いね、君」
「……」
「あと、」
男はすっと目を細めて、純の左腰を見つめる。
「あまり刀差して歩かないほうがいいよ。世の中物騒だから。僕も役人だからね? 目をつけられちゃうよ」
「……心に留めて置きます」
最後の一言は脅し文句に聞こえた。
「まあ、君は志士らしくないから大丈夫か」
笑って付け足す男に少し腹が立った。
「そうです、純さんは悪い人じゃありません」
「すみれさん……」
隣ですみれがそんなことを言った。心が弾んだ。嬉しいのだ。
そんな二人の様子に沖田は穏やかに微笑みながら、
「まあ気をつけてね」
「はい。ありがとうございます」
純は礼を言い、すみれの手を引いた。この人と早く別れたかったからだ。
「おーい、総司ー!」
「ん?」
男はその声に反応して、背後を見やる。純も立ち止まってしまった。
――今、総司って……?
新選組で総司という名は聞いたことがある。
純はこの男の横顔を見上げた。視線に気づいた彼は、片眉を上げて笑った。
「あ、僕は沖田総司。何か事件があったら言ってね、すぐ駆けつけるから」
「沖田……」
純は言葉を失った。純も名前ぐらい聞いたことのある人物。新選組の中でも一、二を争う剣客が目の前にいるのだ。
「純さん?」
純の様子を不思議に思ったのか、すみれは袖を引く。
「あ、すみません」
すみれに謝り、純は再び沖田を見上げる。
「それでは。僕たちはこのへんで……」
「気をつけてね、ご両人」
終始笑っている沖田。にこにこ笑顔の下に何があるのか。純は少し気になった。
すみれが沖田にしっかりとお辞儀をし、二人はその場を去った。
「おい総司、返事ぐらいよ」
沖田総司が、純とすみれの後ろ姿を眺めていると、怒ったような声が下から聞こえた。目を向けると、沖田と同様の、浅葱色のダンダラ羽織を着た若者がいる。小柄な彼は、髪を高い位置で結んでおり、それが活発そうに揺れていた。
「やあ、平助」
彼は藤堂平助。新選組八番隊組長だ。
沖田は挨拶をすると、藤堂は頬を膨らませる。
「何がやぁ、だ。巡察サボって何やってんだよ」
「サボってなんかないよ。ほら、あそこにいる二人。あの二人と猫について語ってたんだ」
「それをサボリって言うんだよ」
「町民と話をすることは大事なことだと思うけど?」
悪びれもせず言いのける沖田に、藤堂は呆れた。
「ったくよ……」
藤堂はため息を吐き、沖田が指した二人を眺める。もう遠いが、顔は確認できた。とくに女の方は。
「いい女だな」
藤堂は鼻を伸ばして、女――すみれを眺める。しかし視線を横に、つまり純に向けられると大きく肩を落とした。
「男持ちかよ……」
残念そうに呟く藤堂を尻目に、沖田は別のことを考えていた。
「ほんとに……ねぇ」
視線は純の背中。その視線に気づいた藤堂はぎょっとした。
「いや総司?」
「ん、なにかな?」
「その、なんだ……。人の趣味をどうこう言うつもりはねぇけどよ……。これは、同じ仲間としてだな。そういうのはどうなの……?」
藤堂がしどろもどろに言うのを沖田は目を丸くしたが、それも一瞬でいつもの笑顔に戻った。
「平助。八番隊は暇なのかな? ちゃんと巡察しないと土方さんに怒られるよ? それとも斬られたいの?」
「おまえにだけは一番言われたくねぇよ! つーか斬るなよ!」
藤堂の言葉を気にせず、沖田は続ける。
「だったら人の趣味に口出さないでほしいな」
「だから総司! そういうのはよせって」
「うるさいなぁ。……ほら、呼んでるよ」
二人の背後には、いつの間にか一番隊と八番隊の顔ぶれが並んでいた。八番隊の一人が手を上げている。
沖田はしっしっと犬でも追い払うように藤堂に手を払う。
「今行くよ!」
藤堂は八番隊の隊士に声を掛け、再度こちらを振り返った。
「総司、おれは信じているからなっ」
「なにを……」
藤堂は意味のわからないことを告げて、自分の隊と合流して行ってしまった。
「組長、探しました。私たちもそろそろ……」
一番隊の隊士が沖田に呟く。
「ごめん。そうだね……」
面倒くさそうに頷き、がしがしと後頭部を掻く。
隊士たちが歩く後ろ、沖田はもう一度、純とすみれの行った方をじっと見つめた。
「……」
思い出すのは、二ヶ月前のこと。
三条大橋で目を回していた浪人を捕縛したあの日――。
「君が、そうかな……?」
ニッと笑う。
「こほっ……」
沖田は軽く咳払いをして、浅葱色の羽織を翻した。
2014年8月27日:誤字修正・加筆




