第十三話 思惑
庭が見える部屋。
上座に桂が座り、下座に純と甲斐が並んで座っている。
「それで話というものは……?」
出された茶を一口飲んだあと、甲斐は促した。
すると桂は渋面になる。やがて純を見つめて言った。
「純。ちょっと悪いが、仕事を頼みたい」
「なんでしょうか?」
純が茶に口を付けながら尋ねる。
「実は祇園祭の夜に、ある料亭で極秘の会合があってな。稔磨や宮部さんも出席することになっている」
「護衛ですか?」
答えると桂は首を縦に振った。
「そう捉えてもらっていい」
そして彼は目を細めた。
「何だったら、発言しても構わない」
「え……」
純がその言葉に驚いていると、甲斐は純の肩を掴んで言った。
「おおっ、すげぇことだぜ! 歴史に名が残るかも知れない。同席させてもらえよ」
「いや、僕は論客ではありませんし……。人を斬るのが使命では?」
純の言葉に桂は目を見開いた。しかしすぐに笑って、
「ならば護衛だけでもいい。純、どうかな?」
「はい。桂さんのためならば、僕は刀になります」
純が畳に手をつき、礼をした。そのとき、桂は甲斐と顔を見合わせていた。甲斐はそれを受け止め、眉尻を下げた。
「まあ、仕事の話はこれで終わりだ」
桂は茶を啜り、言った。
「純。変わったことはないか?」
にっこりと笑顔でそう訊く。さっきまでの顔とは別人だ。今はただ、純と話がしたいのだ。
「いえ、変わったことはありま……」
「桂さん」
純の声を遮り、甲斐はずいっと身を乗り出した。その顔はニヤニヤと笑っている。
「何だ、政義?」
「こいつ、女が出来ました」
「な――っ!?」
「は?」
これでもかと目を見開く純と、ぽかんと口を開ける桂。しかし、桂はすぐ表情を崩した。
「はっ、ははは――っ!」
「桂さん! 何で笑うんですか!」
思わず純は立ち上がった。
「いや、純に女か……。面白い」
「でしょう?」
桂と甲斐が笑いあう中、純は顔を真っ赤にした。
「ち、違います! 彼女はそんなんじゃありません!」
純はぶんぶんと横に顔を振って否定した。しかしその否定は墓穴を掘り。
「純、否定するところ間違ってるぜ。そこは『女はいない』って言うところだ」
「確かに今ので、純にそういう女性がいるとわかったな」
「あっ……」
立ち尽くす純を見て、桂は可笑しくて笑ってしまう。
「もうっ! 二人してなんですか! 失礼しますっ!」
「あ、おい純!」
恥ずかしさに堪えられなくなった純は、二人に怒鳴って出て行ってしまった。
静かになった部屋で、桂が呟く。
「……ちょっとからかいすぎたかな?」
「いいえ、純もあれくらい乗り越えてもらわないと。てか、女みたいな反応だった。顔赤くして」
いやらしく笑うこちらに、桂はぷっと吹き出す。
「やめろ政義、思い出してしまうではないか」
「桂さんもひどいですよ」
そして、桂は茶を飲み干してから口を開いた。
「政義、」
「はい?」
桂の声音が低くなったことに甲斐は片眉を上げる。
「本当に、変わりないか?」
「……」
真っ直ぐとこちらを見つめる桂の瞳は真剣そうに、そして悲しそうに揺れていた。
庭の鹿威しの音も遠く聞こえた。
甲斐は彼に向き直り、がばりと頭を下げた。
「この甲斐政義。不肖ながら助言したく思います」
「……」
「井ノ原純は長州藩のために動いているわけでは御座いません」
甲斐は畳に唾を吐きながら続ける。
「すべては桂小五郎の刃となるためであります。すべては先生のため……」
「わかっている」
桂は制し、こめかみを揉みながら唸る。
「誰かが純は長州の刀だと言ったのか?」
「いえ。直接的ではありませんが、久坂さん、浩幸あたりが」
「そうか」
桂は天井を見上げた。
井ノ原純は、桂小五郎が拾った少年だ。純はその恩に報いるため、桂の刀をやっている。純には主義や思想はない。すべては桂小五郎のためだ。
しかし、それは客観的に見れば桂が用意した人斬り。桂小五郎は長州藩の実質的な指導者である。結果的に純は長州藩の人斬りとなり、維新のための道具となる。
それが甲斐には許せなかった。この前、楠本と言い争ったのもこのためだ。
「……久坂君には私が話そう」
しばらく黙っていた桂はそう告げた。
「しかし」
甲斐は頭を上げると桂は淡く笑った。
「久坂君も同門だ。なんとかなるさ」
しかしすぐに笑顔は消え、
「だが、純を人斬りからは下ろせない」
「……!」
「もう少しだ。もう少しでこの国は変わる」
ぐっと拳を握りこむ。甲斐は静かに問うた。
「ならば、純が長州を出たいと申し出たなら……あなたはどうされるつもりですか?」
「それは決まっている」
桂は穏やかに微笑んだ。
「彼の思うようにやればいい。純は長州藩の人間ではないのだから」
甲斐は再び頭を下げた。
「その言葉を聞いて安心しました」
「君も律儀だな、政義」
「もし、」
甲斐は桂を見つめ、ニッと笑った。
「ん?」
「純が辞めたいと言ったときは俺が刀となりますよ、桂さん」
「頼もしいな」
桂はくすりと笑った。
「ところで政義もどうだ? 祇園祭の夜。純と共に」
「遠慮しときます。堅苦しいとこは嫌いなんで。それに」
「それに?」
「祭りの時は楽しく女と酒を飲むべきです」
こちらの言い分に呆れてしまったのか、桂は苦笑した。
「君のそういうところ、嫌いではないが少しは自重しろ」
「それは無理な注文ですね」
「君って奴は……」
「そんなことより、今度一杯どうです?」
甲斐は手で盃を呷る真似をした。
「そうだな、時間が空いた時にしようか」
「約束ですよ」
「わかってるさ」
四月も終わり。そんな談笑が部屋を満たす。
近くでうぐいすが気持ちよさそうに鳴いた。
2014年8月27日:誤字修正・加筆




