第十二話 久坂玄瑞と……
四月も終わりに迎えた頃。
「お、いたいた。純」
「何ですか? 甲斐さん」
部屋でいると甲斐が入って来た。
まだ昼だ。純は立場上、夜にしか動かない。またろくでもないことだと思いつつ、純は甲斐を見上げた。
「ちょっと藩邸まで来い。上の命令だ」
「……わかりました」
珍しく甲斐は仕事をしているのに驚き、刀を差して料亭を出た。
「ところで楠本さんは?」
今日は朝から楠本を見ていない。
前を歩く甲斐は背中で答える。
「あいつはもう藩邸に行ってる。久坂って人が顔出してるからな。知ってるか? 純は」
「名くらいなら」
純は久坂という人とは面識がない。
甲斐は説明をくれた。
「久坂玄瑞は根っからの攘夷志士だよ。去年の外国船を撃った事件知ってるか?」
「はい」
去年の五月に、長州藩は馬関を通る外国船を砲撃した。純は結果だけを知っている。
「あれを主導したのがその久坂って奴。確かに帝は攘夷決行の詔を出されてた。けど、実際に攘夷を行う藩なんかいない。既に幕府が外国と交友の条約結んでいるからな」
「でも、長州藩はやった」
純が言葉を繋いだ。
「ああ。あれは失敗だったんだよな。外国から報復受けるわ、長州は政界から追い出されるわ。散々だった。過激だと駄目だな」
「過激……ですか」
純は甲斐の背中を見ながら呟いた。
「時と場合によるだろ? あのときは穏便に行動しなきゃいけなかったんだ」
「……」
真剣な声音。
甲斐も志士として長州藩、そして国の行く末のことを考えているのだ。ただの遊び人ではない。純は感心した。そしてこの男を少し見直した。
すると甲斐はこちらを振り返り、笑って告げた。
「口説くときと一緒だ。あんまりがっつきすぎちゃならない」
「…………そうですね」
前言撤回。甲斐は甲斐だ。
「だからお前もすみれちゃんにあんまりがっつくなよ」
彼はニッと笑ってそんなことを言う。
「な、なんで彼女の名前が出てくるんですか」
声が上擦るこちらを見向きもしないで甲斐は続ける。
「控えめすぎても駄目だ。女子も求めているときは求めてるんだ」
「何の話ですか。まったく」
馬鹿な話を半分以上していたら、あっという間に藩邸に着いてしまった。
「おや、政義。どうしたんですか?」
藩邸に入ると、楠本が顔を出した。
「ちょっと野暮用だ」
顔をしかめて甲斐は答える。
純は不思議に思った。いつも笑い合っている二人だが、今日は睨みあっている。何かあったのかと思う中、まあそんな日もあるかと一人納得した。
「君が井ノ原純くんですか?」
「はい?」
突然、声を掛けられ首を傾げる純。
見ると、羽織袴をきちんと着た中肉中背の男が笑顔で立っていた。
「あ、久坂先生」
楠本が声を上げた。
「先生はやめてください、浩幸くん。歳はあなたの方が上なのだから」
「一つしか変わりませんよ」
この人が、さきほど甲斐が噂していた久坂玄瑞という人だ。
苦笑交じりで受け答えをする久坂と笑顔で返す楠本。しかし楠本があんなに笑っているところを、純は見たことがなかった。
「浩幸は元々、久坂サンの下にいたんだよ」
甲斐が耳打ちをしてくる。
「蘭学も久坂サンに教わったからな。今じゃ心酔しきってる」
少し眉を寄せる彼に、純はくすっと笑った。
「甲斐さんは久坂さんのこと苦手ですか?」
訊くと甲斐はますます顔を渋った。
「……国のために懸命なのはわかってるが、直情的って感じがして、な」
「そうですか」
純は久坂を観察しようと目を向けると、目が合った。彼はにこりと笑った。
「噂はかねがね浩幸くんから聞いていますよ。僕たちのために君はよくやってくれている」
「は、はぁ」
答えると、手を握られた。目を丸くするこちらを余所に、久坂は続ける。
「君には汚れ仕事を任せているがそれも長州藩のためだ」
その言葉に甲斐がピクッと眉を動かした。
「君の活躍が藩を押してくれているんだよ。今が大事な時。これからもよろし――」
「久坂さん」
言葉を遮り、甲斐が久坂を呼んだ。
「……何かな?」
表情は柔らかいが声は低い。言葉を切られたことに怒っているようだ。隣でも楠本が睨んでいる。
そんなことは無視して、甲斐は尋ねた。
「桂先生はどちらにおられるかわかりますか?」
「えっ」
純は思わず甲斐を振り返った。
「……桂さんなら、中庭の方にいらっしゃったよ」
「そうですか、ありがとうございます」
礼を述べ、甲斐が純を促す。
「行こうぜ、純」
悪戯っぽく笑ってみせる。純は自然と顔が綻んだ。
駆け足で純は中庭へと向かう。
「おいおい、そんなに急ぐなって」
その後ろを甲斐は追いかける。呼びかけるが、純は聞く耳を持っていなかった。
甲斐は呆れたが、ほっとしている。
純がここまで喜んでいるのは仕方ないことだ。
純にとって、桂小五郎は親でもある。道端で倒れていたところを助けてくれ、読み書きも剣術も教わった。名前ももらったのだ。
嬉しさを止めろというのは不可能だろう。
甲斐は純を追いかけながらそう思った。
「桂さん!」
中庭に入ると、彼はいた。
彼は池の鯉に餌をやっている。精悍な顔立ちをしており、その横顔からは知的さを顕わにしている。
桂小五郎は、声に振り返った。
「ああ。久しぶりだな、純」
「はい。お久しぶりです」
純の姿を見ると桂は柔和な表情を見せる。純が駆け寄ると、彼はますます笑みを浮かべた。
「純の顔を見ると安心してしまった。元気にしていたか?」
「はい!」
純が答えると、今度は後ろにいた甲斐に声を掛けた。
「政義。変わりないか?」
「はい。都は相変わらずですよ」
「そうか」
桂は苦笑して純の頭を撫でた。
「子供扱いはよしてくださいよ」
頬を膨らませる純を愛おしそうに桂は見つめる。
――まるで、親と子だな。
甲斐は顎をさすった。
感動の再会を眺めたいところだ。しかし今回は本当に用事があるのだ。
呼びつけたのは桂で、彼が何故自分たちを呼びつけたのか聞いていない。
感傷に浸るのはあとにしよう。
甲斐は切り出した。
「桂さん。話っていうのはなんでしょう?」
「ああ、中に入ろうか」
カコン、と鹿威しが気味の良い音を鳴らした。
2014年8月27日:誤字修正・加筆




