第十一話 人斬りとして
ある日。
甲斐は楠本に呼び出された。
「ったく、何だよ。これから遊郭にでも行こってときに……」
ぶつくさ文句を言いながら甲斐は楠本の部屋に入った。
「おや。時間通りとは珍しい。何かあったのですか?」
入った途端、皮肉をぶつけられた。
「うるせぇ。で、話ってなんだ?」
甲斐は刀を右側に置いて、どかっと楠本の目の前に座った。それを見届けてから楠本は眼鏡の位置を修正し、口を開いた。
「井ノ原君のことです」
それに甲斐は片眉を上げた。
「純がどうかしたか?」
「検分役の方から聞きました」
「検分役?」
「はい。最近、井ノ原君の剣のキレが微妙に鈍っているのではないか、と」
甲斐は眉をひそめた。
「それがどうした? 純はよくやってるじゃないか。別に大したこと――」
「ありますよ」
強く言う楠本。甲斐はますます眉をひそめる。
「問題あるのか?」
忌々しく思いながらも聞くと、楠本は朗々と語り出した。
「大ありです。いいですか? 今長州藩は失地回復のため鋭意奮闘しているのです。暗殺も一つの手段なんです。もし、井ノ原君が失敗でもすれば長州はどうなるかわかりますか?」
甲斐は呆れてしまった。
確かに人斬りは重要な役割だ。しかし、純にそんなことを言っても詮無い。それに純は長州のためによくやっている。たかが剣が少し鈍ろうと、純は役目を果たしている。
そんなことを考えていると、楠本は吐き捨てた。
「やはり、あの娘が原因でしょうか」
「お前な!」
その言葉に甲斐は思わず怒鳴った。
「あの子は関係ないだろ! 純に好意を持ってるだけの……」
「それがいけないのではないのですか?」
楠本は眼鏡の奥の瞳が暗く光った。
「彼女に会ってから、井ノ原君の剣が鈍っています。これは事実です。それでも関係ないと言い切れますか?」
「ちょっと黙ってろ!」
襟元を掴むとさすがに楠本も口を閉じた。
睨む甲斐だが楠本も負けず睨み返す。甲斐は舌打ちをし、乱暴に襟を離した。
「純は……今は長州のために汚れ仕事してくれてる」
甲斐は静かに口を開く。
「でも、ずっとってわけにはいかないだろ?」
楠本は襟を正し、黙って聞いていた。
「そりゃあ、今はあいつの力が必要だ。けどよ……、純に全部背負わせるのは間違ってる。俺たちだって同罪だ」
「……」
「あいつにだって自分の道がある。俺はそう思っている」
「ならば」
楠本はここで口を開いた。怜悧な瞳が甲斐を捉える。
「彼が辞めたいと言ったときに、政義は責任がとれるか?」
「ああ、なんだってしてやるよ」
甲斐は不敵に笑う。
「腹も切ってやる。いっそ、純の後でも継いでやろうか?」
そう言い、右隣に置いてあった刀を握り締めた。
すると楠本が薄く笑った。
「お前らしいな。……だけど今のはないな」
「あ?」
「お前が井ノ原君の後を継げるはずもなかろう」
彼は馬鹿にしたような笑みをつくる。文句を言おうとしたが、楠本に遮られる。
「だが今、長州にとって大事な時期。井ノ原君に注意はしておいてくれ」
楠本はそう言い残して部屋を出て行った。
「…………」
甲斐はそのまま黙って障子を見つめていた。
「くそ……っ」
自然と出た舌打ち。
楠本の言うことも一理ある。だが純は……。
「あー! 腹立つなぁ!!」
甲斐はがしがし頭を掻き回し、廊下に向かって叫んだ。
「おい酒だ! 誰か付き合え!!」
2014年8月27日:誤字修正・加筆




