42歳、執筆活動に目覚める
夜の九時過ぎ、陽介は自分の書斎の椅子に深く腰掛けていた。
仕事のメールチェックを終え、パソコンの画面には、ある動画の再生画面が表示されている。
およそ一年前、彼が庭づくりを始めるきっかけとなった、庭キャンプ系動画投稿者、桜井慎の動画だった。
桜井の動画は、技術的な説明よりも、焚き火の煙の匂いや、土を触る指先の感覚、そして何よりも、「仕事の鎧を脱ぎ捨てる瞬間」の表現に溢れていた。
陽介は、初めてその動画を見た時の、胸の奥に灯った熱い感覚を、今でも鮮明に覚えている。
あれは、単なる趣味の紹介ではなかった。それは、「人生の効率」という呪縛からの、解放の招待状だった。
陽介は、自らのこの一年の変化を振り返った。
最初は、仕事のプレッシャーからの逃避――「避難所」を作るための、純粋な実用主義から始まった。
次第に、焚き火台を設置し、ハーブ台やハンモックを備え、ピザ窯を築いた。
その過程は、泥まみれで、計画通りに進まないことの連続だった。しかし、その「非効率な時間」こそが、彼に真の余白を与え、仕事の効率までをも押し上げる、逆説的な力を持っていた。
陽介は、キーボードに手を置きながら、心の中で強く感じた。
「この経験を、言語化しなければならない」
それは、誰かに見せびらかしたいという虚栄心ではない。
まるで、体の中に溜まりに溜まった、熱い蒸気のようなものが、言葉という出口を求めているような、抑えきれない「経験の放出衝動」だった。
彼は、あの日の自分のように、「効率」のレールから外れられずに苦しんでいる、かつての同僚や、自分と同じサラリーマンに、この「寄り道の価値」を伝えなければならない、という使命感に駆られていた。
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陽介は、まず書き始める場所を決めた。
一つは、最も普遍的なテーマを扱う外部のライフスタイルブログ。
そしてもう一つは、最も親近感のある読者層を持つ、社内報のコラム欄だった。そこに匿名で投稿できるシステムがあることを知っていた。
陽介は、画面上に新しいドキュメントを開き、深く息を吸い込んだ。
「さて、タイトルだ」
彼の頭に浮かんだ言葉は、庭づくりの楽しさや技術ではない。彼の人生を支配していた、最も重い概念、「効率主義者」だった。
【効率主義者の庭づくり】
彼は、そのタイトルをタイプしたとき、指先に微かな震えを感じた。
それは、まるで、過去の自分――仕事の進捗率を0.1%でも上げるために、家族の時間を削り、心を硬直させていた自分――に、正面から挑戦状を叩きつけるような行為だった。
このタイトルは、読み手を強烈に惹きつけるだろう。
なぜなら、彼の会社の人間、そして現代社会で働く多くの人々にとって、「効率主義者」であることは、「宿命」であり、「誇り」であり、そして同時に「呪い」でもあったからだ。
「効率主義者が、最も非効率に見える『庭づくり』にハマる。このギャップこそが、俺の物語の核心だ」
陽介は、文章のトーンを考えた。
彼の仕事の報告書は、常に論理的で、冷徹で、感情を排した「A4一枚」の美学に基づいている。
だが、このコラムは違う。ここで必要なのは、数字ではなく、「心の震え」だ。
彼は、自分の思考回路を意図的に切り替えた。
パソコンの横に、美和が淹れてくれたハーブティーが湯気を立てている。彼はその香りを深く吸い込み、「庭にいる時の自分」を、キーボードの前に呼び出した。
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深夜、家族が寝静まった後が、陽介の執筆時間となった。
書斎の静寂の中、キーボードを叩く音だけが響く。それは、彼が仕事の報告書を書く時の、焦燥感に満ちたクリック音とは全く異なっていた。
彼の文章は、庭のDIYと同じ、ゆったりとしたリズムで紡がれていった。
彼は、まず、自分の出発点を正直に書いた。
『私は、常にKPI(重要業績評価指標)を最大化することに人生の価値を見出してきた人間だ。
無駄な会議は悪。余計な時間は罪。
そんな私が、なぜ、全く生産性のない「土いじり」に時間と金を費やすようになったのか』
そして、彼は庭の描写に移行した。ここで彼のビジネスマンとしての論理的な思考力が、意外な形で役に立った。
庭の経験という、感情的で、混沌とした素材を、読者が理解しやすいように、論理的な構造に整理していくのだ。
1.問題提起: 仕事の効率化の果てに待っていた、心の疲弊。
2.解決策(仮): 避難所としてのDIY。
3.予期せぬ効果: 家族との共同創造、心の余白の創出。
4.結論: 最高の効率は、非効率な寄り道によってもたらされる。
彼が書くたびに、庭での体験が、五感を伴って鮮やかに蘇る。
『ピザ窯の最初の火入れの時、家族全員が炎に照らされて笑っていた。あの熱は、オフィスで得られるどんな達成感よりも、温かく、確かなものだった』
『道具の手入れは、一見、ムダな時間に見える。しかし、それは、次の創造への準備であり、何よりも、自分の心を整える、最も効率的な精神安定剤だ』
彼は、自身の経験を「言語」というツールで再構築していく喜びを知った。
それは、泥まみれだったDIYの経験が、「哲学」という、誰にも奪えない普遍的な価値へと昇華していく瞬間だった。
特に筆が乗ったのは、高橋上司に関するエピソードだった。陽介は、匿名であるため、遠慮なく、しかし敬意をもってその姿を描写した。
『私の直属の上司は、誰よりも「効率」という言葉を愛する、生粋の仕事人間だ。彼女にとって、趣味とは、休日のゴルフや、ビジネス書を読むこと以外は、すべて「ノイズ」だったに違いない。』
陽介は、高橋上司が、佐々木や彼の庭の活動を、最初は皮肉と軽蔑の目で見ていたこと、しかし、ピザ窯での交流を通じて、徐々にその頑なな心が解け始めている様子を綴った。
高橋部長が、ピザ窯の火をじっと見つめながら、「悪くない」と、ぽつりと呟いた場面を、詳細に描写した。
あの時、高橋上司の顔に浮かんだ、一瞬の「少女の表情」が、陽介の脳裏に焼き付いていた。
このエピソードこそが、社内報の読者、特に管理職層に、最も強烈に響くだろうと陽介は確信した。
彼らは皆、高橋上司の「鎧」を身に纏い、効率という名の義務感で生きてきた人々だからだ。彼らは、高橋上司の姿に、自分自身の疲弊した心を重ね合わせるだろう。
陽介は、この文章を通じて、高橋上司を批判しているのではない。
彼は、高橋という、彼の人生の最も重要な「効率の体現者」に、「心の解放の道筋」を提示しているのだ。
書き終えたとき、陽介は深い疲労感と共に、清々しい達成感に包まれた。
それは、単なる「報告書完了」のそれではなく、「魂の整理」を終えた時の安寧だった。
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陽介は、完成した原稿を、外部ブログと社内報のコラム欄に、それぞれ匿名で投稿した。
ブログには、咲が撮った、光と影が美しいピザ窯の写真を、家族の顔は写らないように添えた。
彼は、特に大きな期待はしていなかった。せいぜい、趣味の合う数人の読者からコメントが来る程度だろう、と。
しかし、その翌週、驚くべき現象が起こった。
まず、社内報が公開されると、すぐに彼の部署のチャットで、件の記事が話題になり始めた。
「読んだか?『効率主義者の庭づくり』。あれ、やばくないか?」
「高橋部長のエピソード、あれ、誰が書いたんだ? 状況描写がリアルすぎる」
「作者は誰だ? きっと、我々の部署の人間だ。あの『効率』の匂いをここまで言語化できるのは、我々しかいない」
陽介は、社内のカフェテリアで、社員たちが記事について熱心に議論しているのを耳にした。
誰もが、その匿名性を追求し、そして、その内容に強く共感していた。特に、高橋部長とのやり取りは、一種の「伝説」として語られ始めていた。
高橋が、陽介の横を通り過ぎながら言った。
「やってくれたな、佐藤」
「すみません、部長。誰かわからないようには書いたつもりなのですが」
高橋は陽介のそばに缶コーヒーを添える。陽介は小さく礼を言い、少し冷めたコーヒーで渇いたのどを潤した。
「いや、構わん。むしろ礼を言うのはこちらのほうだ。
私は、君の『非効率』が伝播していくことを願っているよ」
そう言い残し、高橋はカフェテリアの雑踏に消えていった。
「佐藤さん、これ見てくださいよ!」
昼休憩中、佐々木が興奮した様子で、陽介に自分のスマートフォンを見せてきた。
そこには、陽介が投稿した外部ブログの記事が表示されていた。コメント欄には、数百件の反響が寄せられていた。
『私もIT企業の管理職です。記事を読んで、涙が出ました。効率化こそが正義と信じ、家族の趣味を無駄と切り捨てていました。私も、ベランダにハーブを植えてみます』
『この「非効率こそが持続可能な効率を生む」という哲学、ビジネスのパラダイムシフトですよ。今すぐ、全社員に読ませるべき内容だ』
佐々木は、陽介に言った。
「匿名なのに、すごい反響ですよ。佐藤さんの周りの人が、一斉に庭づくりを始めたみたいじゃないですか!」
陽介は、ただ微笑むしかなかった。彼は、自分の手の内にあるこの「言葉の力」に、深い驚きを感じていた。
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夜、書斎に戻った陽介は、静かに椅子に座り、寄せられたコメントを読み返した。
彼の個人的な、極めて内向的な趣味の経験が、なぜこれほどまでに多くの人々の心を動かしたのか。
彼は気づいた。
それは、彼が単に「庭は楽しい」と書いたのではなく、「効率主義者」という、現代人が背負う最も重い荷物を、庭の経験を通じて、一つ一つ解体し、再定義したからだ。
彼の文章は、「仕事の論理」で書かれた、「人生の哲学」だった。
陽介は、これまでの自分の人生を振り返った。
彼は、プロジェクトを成功させ、売上を伸ばし、チームを効率的に動かすことには長けていた。
しかし、彼の経験を、他者の価値観を変えるような「普遍的な知恵」に変換する術を持たなかった。
庭の創造は、彼に「経験」という素材を与えた。そして、「執筆活動」は、その経験に「言語」という、最も効率的な伝播のツールを与えた。
陽介の哲学は、言葉になることで、彼の庭という物理的な空間を超え、会社の壁を超え、見知らぬ人々の心の中へと、静かに、しかし確実に広がっていった。
それは、彼がかつて、何億円もの広告予算をかけても成し得なかった、「価値観のシフト」という名の、最も困難なプロジェクトの成功だった。
陽介は、キーボードに手を置き、改めて確信した。
個人の真の経験は、言語化された時、それは個人的な日記ではなく、他者の人生を照らす「哲学」へと進化する。
彼は、自分の役割が変わったことを理解した。彼は、もはや一人のサラリーマンではなく、「新しい人生の戦略」を体現し、それを言語で世界に発信する「伝道師」になりつつあった。
その夜、陽介は、もう一つ、彼の庭の哲学を深く掘り下げた文章を、そっと書き始めた。
それは、彼の「効率主義者の庭づくり」という物語の、最終的な結論へと繋がる、最も重要な章となるだろう。
彼の心は、かつての仕事への焦りではなく、「真理を伝える喜び」という、新しい情熱の光に満たされていた。




