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42歳のすみかは庭になりました  作者:
第1部 第4章「一緒にするということ」

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42/85

42歳、娘の依頼でハーブ棚を作る

 それは、秋晴れの日曜の午後、陽介が芝生の手入れ――といっても、芝刈り機をかけるほどではないが、目土を入れた部分に水をやり、雑草を丁寧に取り除くという、一種の瞑想のような作業に没頭していた時のことだった。


「ねえ、お父さん」


 庭の隅のウッドデッキから、咲の声がした。

 陽介が振り返ると、咲はスマホを片手に、少し不満そうな顔でハーブの鉢植えが置かれた一角を見つめていた。


「どうした、咲。バジル、また大きくなったぞ。次のパスタに使うか?」


 陽介は、ハーブの成長を褒めれば、娘の機嫌が直るだろうと考え、軽い調子で言った。しかし、咲の不満は、バジルの成長ではなく、その周囲の環境に向けられていた。


「成長はいいんだけどさ、この置き方、なんとかならないの?」


 咲が指さすのは、ウッドデッキのコンクリートの壁際だった。ラベンダー、ミント、ローズマリー、そしてバジルなどの鉢植えが、大きさも高さもバラバラのまま、雑然と並べられていた。

 陽介は特に気にしていなかったが、確かに、それぞれの鉢が勝手に置かれているという「生活感」が滲み出ていた。


「ん?ちゃんと水はけも考えて、ブロックの上に置いたりしてるだろ?使いやすいように」


「使いやすいとか、そういう話じゃないの!」咲は、陽介の「機能性=正義」という思考回路に、苛立ちを覚えたようだった。


「お父さんのやってるキャンプとか焚き火は、非日常の『遊び』だからいいんだよ。道具がゴツゴツしてても、それはワイルドで許せる。でも、ハーブは違うでしょ。ハーブは、美和がお母さんのキッチンに飾るお花と同じで、『庭という空間を美しく彩るための道具』なの」


 咲は、美和のキッチンから運ばれてきた、自家製ハーブを使ったモヒートやピクルスが、佐々木に絶賛されたことに、確かな誇りを感じていた。

 ハーブは、もはや陽介の趣味の添え物ではなく、彼女の「美的センス」を表現するための重要な要素になっていたのだ。


「見てよ、これ。高さがバラバラで、せっかくのラベンダーも日陰になっちゃってるし、百均の小さなランタンとか、私が置いてる小さな小物が、全部埋もれちゃって、ただの『物置』みたいになってる」


 陽介は、娘の指摘に耳が痛くなった。      

 自分は、芝生や火の周りには情熱を注ぐが、それ以外の「装飾」や「収納」といった、生活に直結する部分には、無頓着だった。仕事で培った「機能すればよし」という価値観が、家庭内の美的感覚を完全に無視していたのだ。


「じゃあ、どうすればいいんだ?棚にでも入れるか?」


 陽介が問うた。咲は、待っていましたとばかりにスマホの画面を陽介に突きつけた。


「そう!ただの棚じゃないの。こういうの。見て」


 スマホに表示されていたのは、海外のDIYサイトで紹介されている、木製のハーブ棚の画像だった。

 それは、複数の段が設けられ、上部にはフックや小さな屋根のようなものが付いている、非常に洗練されたデザインだった。


「単なる配置転換じゃなくて、『構造物』なの。ハーブが映えるように計算されてて、おしゃれで、なおかつ使いやすい。お父さんの仕事でいう『機能的で、なおかつデザイン性の高いソリューション』ってやつでしょ?」


 咲の要望は、単なる不満から、明確な「プロジェクト依頼」へと進化していた。彼女は、陽介の庭活動を、自分の「創造性」を発揮する場として利用しようとしていた。


 陽介は、娘のその発想力と、自分の趣味を「実用性と美意識の融合」という新たなレベルに引き上げようとする積極性に、感銘を受けた。


「わかった。その棚、作ってみよう。俺と咲の共同プロジェクトだ」


 陽介が快諾すると、咲は満面の笑みを浮かべた。その笑顔は、単に要求が通った喜びだけでなく、自分の感性が、父の活動によって「形になる」ことへの期待に満ちていた。


 陽介は、この庭活動が、娘の「創造的なインプット」を促すための、重要な道具になっていることを確信した。



---



 ハーブ棚のDIYを決意した陽介は、週末、美和と咲、そしてもちろん翔も誘って、地元の大型ホームセンターへ向かった。


 木材売り場。

 陽介は、咲が選んだデザインを基に、必要な木材のサイズを大まかに計算した。


(高さ80cm、幅$100cmの二段棚。構造用のSPF材で十分だろう。木を切るのも簡単だし、あとは適当にネジで留めれば……)


 陽介の頭の中は、いつもの「効率」と「概算」で埋め尽くされていた。仕事での彼の得意技は、「時間をかけずに、最低限の要求を満たす」ことだった。

 陽介が100cmの木材を数本カートに入れようとした、その時だった。


「父さん、ちょっと待って」


 翔が、陽介のカートに手を置いた。翔は、陽介のDIYにはもともと無関心だったが、自転車の整備で使う工具や、部活で使うタープの設営など、「道具」と「構造」に関わることには強い関心を示し始めていた。


「なんだ、翔。これは咲の棚作りだよ。お前の自転車とは関係ないだろ」

「関係あるよ。父さんのその設計じゃ、ハーブの鉢の重さに耐えられない」


 翔は、陽介が書いたメモを覗き込み、眉をひそめた。


「父さん、この棚、奥行きは30cmだよね?そして、鉢を10個置くとして、一つあたりの重さを水やり後で3kgと見積もると、一段あたり30kg以上の荷重がかかる。もし100cmの幅で支柱を二本しか立てないなら、真ん中が確実にたわむよ」


陽介は、驚きで固まった。

彼は、「たわみ率」や「最大荷重」など、微塵も考慮していなかった。彼の脳内には、「見た目の形」しか存在しなかったのだ。


「たわむって……大げさだろ。木材だぞ」

「大げさじゃない。このSPF材は、構造材としてはそこそこだけど、長いスパンで荷重をかけると、湿気で変形しやすい。理科の授業で習った『梁の強度計算』を思い出してよ。支柱の間隔は、せいぜい50cmに抑えるべきだ。そうしないと、咲がせっかく可愛く飾っても、数ヶ月で棚が歪んで、美観が損なわれる」


 翔は、スマホを取り出し、構造力学の簡単な計算式を陽介に見せた。その知識は、彼が自転車のフレームやパーツの強度を調べる中で、自然と身につけた「実用的な知識」だった。


 陽介は、仕事では何億円もの契約を扱うが、この5,000円程度の木材の「強度」については、中学生の息子に完敗していた。彼の「効率」は、「精密さ」と「実用的な理論」の前には無力だったのだ。


「わかった、翔。じゃあ、支柱を3本にして、45cm間隔で立てる。材料の再計算を頼む」


 陽介は、素直に翔に主導権を譲った。

 美和と咲は、そんな父子のやり取りを、微笑ましく見守っていた。美和は、陽介が息子を信頼し、彼の知識を素直に受け入れていることに、感動を覚えていた。


 以前の陽介なら、きっと意地になって「俺のやり方でやる」と言い張っただろう。庭活動は、彼の「自己肯定感」を、他者の力を借りることを恐れないレベルにまで高めていた。


 翌日。いよいよハーブ棚のDIYが始まった。

 陽介は、ホームセンターでカットしてもらった木材を前に、電動ドリルを構えた。ネジを真っ直ぐに打ち込むためには、下穴を正確に開ける必要がある。陽介は、仕事で報告書を作るのと同じくらい慎重にドリルを垂直に構えたつもりだったが、いざ穴を開けてみると、少し斜めになってしまう。


「あー、難しいな。なんか、俺の癖で、ちょっと右に傾いちゃうんだよ」


 陽介は苦笑した。

 彼は、パソコンのキーボードやマウスを扱うのには慣れているが、肉体的な「精密さ」を要求される作業は苦手だった。


 翔は、何も言わずに陽介の隣に立ち、彼の様子を観察していた。そして、陽介がドリルを置いた瞬間、黙ってそれを受け取った。


 翔は、ドリルを構え、深く息を吐き、静かにトリガーを引いた。「キュイイイ……」という音と共に、木材に吸い込まれるように、完全に垂直な穴が開いた。


「……すげえな、翔」陽介が思わず声を漏らした。

「部活でタープのポールを打ち込む練習とか、自転車のフレームにブラケットを固定する時とか、『道具の重心』を意識しないと、すぐにネジ山をナメるんだ。これは、『力』じゃなくて『体と道具のバランス』だよ」


 翔は、部活で培った「実用的な技術」と、自転車という趣味で鍛えられた「精密な道具への感覚」を、見事に父のDIYに応用してみせた。陽介の苦手な分野を、翔の「得意分野」が完璧にカバーした瞬間だった。

 陽介は、息子が自分よりも優れている分野があることに、素直な喜びと、誇りを感じた。彼は、会社での「管理職としての優位性」を、家庭内の「ものづくり」の場では完全に手放し、一人の共同作業者として、翔の知識と技術を頼りにした。


「翔、頼む。下穴は全部お前に任せる。俺は、墨付けとヤスリがけをやるから」


 陽介は、作業の主導権を完全に翔に委ねた。翔は、その依頼を静かに、しかし誇らしげに受け入れた。

 翔にとって、父の趣味に「実用的な価値」で貢献できたことは、何よりも大きな自己肯定感につながった。父の趣味は、もはや「遠い世界」ではなく、自分の「得意分野」を活かせる「共同のフィールド」となったのだ。



---



 そこからは、父子の「共同創造」の時間が流れた。それは、会話に満ちた賑やかな時間ではなく、作業に没頭する、静かで濃密な時間だった。


 庭に響くのは、文明的な音と、自然の音のハーモニーだった。


 陽介が、木材の表面を滑らかにするために、電動サンダーを走らせる「ヴォオオオ」という低い音。その後ろで、翔が電動ドリルを構え、垂直に下穴を開ける「キュイイイ」という精密な音。そして、陽介がネジを仮止めするために、手回しのドライバーで木材を締め上げる「ギチギチ」という音。


 会話は、最小限の指示と確認だけだ。


「この角、もう少し丸く削ってくれ。咲が触るから」

「わかった。面取り、しっかりやる」

「父さん、この45cmの支柱、ネジは2cm上を狙ってくれ。重心が安定する」

「よし、2cm上だ。墨付けし直す」


 二人の間には、言葉の代わりに、「ものづくりの連帯感」が流れていた。

 それは、互いの技術と役割を完璧に信頼し合っているからこそ成立する、高度な協調作業だった。父は、翔の精密さに全幅の信頼を置き、翔は、父の熱意と行動力がなければこの作業が始まらないことを理解していた。


 作業の途中で、陽介は自分の周囲に広がる五感を強く意識した。


 電動サンダーで削られたばかりの、生の木材のフレッシュで甘い香り。陽介が選んだ淡い緑色の防水塗料の、わずかに刺激的な匂い。

 そして、秋の日の差し込む庭特有の、芝生と土の匂い。これらが混ざり合い、父子にとっての「DIYの匂い」として記憶に刻まれていく。


 陽介がヤスリをかけた後の、滑らかで心地よい木肌の感触。翔が精密な作業をする際に、素手で触れる木材の質感。

 そして、何よりも、額から流れ落ちる汗を、汚れた作業着の袖で拭う時の、粗い布地の感触。


 陽介も翔も、作業に集中するあまり、額に大粒の汗をかいていた。陽介は、翔が自分の作業に熱中し、心地よい疲労を覚えているのを見て、満足感を覚えた。 

 以前の翔は、部活から帰るとすぐに自室に引きこもり、疲労は「閉塞感」を伴うものだった。

 しかし、今の翔の疲労は、「共同創造の達成感」からくる、前向きで心地よいものだった。


 翔は、作業が一段落すると、自分の部屋から小さな工具箱を持ってきた。中には、自転車のパンク修理キットに加え、精密なトルクレンチや、角度を正確に測るデジタル水平器などが入っていた。


「父さん、これ使っていいよ。この水平器の方が、市販の安物より1ミリ単位で正確だ」


 翔は、陽介がホームセンターで購入したばかりの、安価な工具を横に置き、自分の愛用の道具を差し出した。

 道具を大切にする翔にとって、それは「心の壁の撤廃」の象徴だった。

 自分の最も大切な趣味の道具を、父のDIYという「共有の場」で使うことを、彼はためらわなかった。


 陽介は、そのデジタル水平器を使って、棚の支柱が地面に対して完璧に垂直であることを確認した。誤差は、ゼロ。翔の精密な仕事の成果だった。


「ありがとう、翔。お前の道具は、やっぱり精度が違うな」

「だろ?」翔は、少し照れくさそうに笑った。


 午後いっぱいをかけて、棚の骨組みが組み上がり、防水塗料が塗布された。二段式のシンプルな構造だが、翔の「強度計算」に基づいた設計と、「精密な穴あけ」のおかげで、棚は地面に置いても微動だにせず、完全に安定していた。

 それは、陽介の「発想」と翔の「技術」が完璧に融合した、父子の共同創造の成果だった。


 日が傾き始めた頃、陽介と翔は、互いの肩を軽く叩き合い、完成を祝った。

 会話は少なかったが、その一瞬のアイコンタクトの中に、何時間にもわたる共同作業の達成感と、互いへの信頼が凝縮されていた。



---



「できたぞ、咲。見に来てくれ!」


 陽介がリビングに向かって声をかけると、咲は待ってましたとばかりに、目を輝かせて庭に出てきた。

 美和も、コーヒーカップを片手に、その様子を見守るためにデッキに立った。


 陽介と翔が、汗だくになりながら作った、淡いグリーンの二段ハーブ棚。庭のコンクリートの壁際に設置されたそれは、単なる収納家具としてではなく、庭の空間に「確固たる存在感」を与えていた。


「わあ……すごい!ちゃんとしてる!」


 咲の第一声は、素直な感嘆だった。

 彼女が最も心配していたであろう「お父さんの雑なDIY」の要素は、翔の精密な技術によって完全に排除されていたのだ。棚は垂直で、強固で、表面は滑らかに磨かれていた。


 しかし、咲の目は、棚の「構造」ではなく、その上の「ディスプレイ空間」に釘付けになっていた。


「よし、お父さん、ちょっとどいて。ここからは、私の仕事だから」


 咲は、まるで監督のように陽介と翔を棚から遠ざけ、自分の「美的指導」を始めた。


 咲は、すぐにリビングからハーブの鉢植えや、自分の部屋の小物を持ってきて、配置作業に取り掛かった。


「背の高いローズマリーは、下段の奥に置く。そうすると、背景のコンクリートの壁を隠しながら、立体感が出る。上段の手前は、日当たりが必要なバジルね。

 ラベンダーの濃いパープルは、全体を引き締める色。これは、白や緑の多いハーブの中で、視線を集める『アイキャッチ』として使う」


 咲は、陽介が以前百均で買った小さなLEDランタンや、自分でドライフラワーにしたユーカリの束、それに小さな鳥の形の陶器のオブジェなどを持ち出した。


「ランタンは、ただ置くんじゃなくて、ちょっとだけ斜めに傾けて、『自然に置かれた感』を出すの。ユーカリは、棚の角から無造作に垂らす。『計算された無造作さ』が大事なんだよ」


 陽介と翔は、汗だくの体で、ただただ娘の「美的センス」に圧倒されていた。

 自分たちが何時間もかけて作り上げた「実用的な骨組み」が、咲の数分間の「演出」によって、一気に「ボタニカルなインテリア」へと昇華していくのを目の当たりにした。


「すごいね、咲。まるで、お店のディスプレイみたいだわ」


 美和が、心から感嘆の声を漏らした。

 棚は、単なるハーブの置き場ではなくなっていた。それは、庭の風景に、「安らぎ」と「洗練」という付加価値を与える、空間のアクセントとなっていた。


 咲は、すべての配置を終えると、満足そうに一歩下がって棚を眺めた。そして、スマホを取り出し、複数の角度から写真を撮り始めた。


「これなら……」


 咲は、最高の笑顔で言った。


「これなら、インスタにあげても恥ずかしくないね!」


 この言葉が、陽介にとって最高の「美的承認」だった。娘の世代にとって、「インスタグラムにアップロードできる」ということは、その対象が「社会的に価値のある、美しいもの」として認められたことを意味する。

 陽介の「実用的な努力」は、咲の「美的センス」によって、初めて「社会的価値」という完成形に到達したのだ。


 陽介は、翔と顔を見合わせた。言葉はなくても、お互いの達成感は共有されていた。


「よかったな、翔。お前の精密な仕事のおかげで、咲の『インスタ映え』を達成できたぞ」

「ふん、まあね。強度がしっかりしてるから、あとはどう飾っても大丈夫」


 翔は、照れを隠すように、また工具の片付けに戻った。しかし、その背中からは、確かな誇りが滲み出ていた。

 棚は、陽介の趣味の成果が、初めて家族の「美的幸福」のために使われた瞬間を象徴していた。そして、その過程で、家族それぞれの「得意な役割」が、庭という空間で完璧に機能したのだ。



---



 日が沈み、庭にランタンの光が灯り始めた。その光の下で、美しく飾られたハーブ棚が、静かに存在感を放っていた。


 陽介は、温かいコーヒーを飲みながら、この新しい構造物を眺めた。

 この棚は、ただの木製の物体ではない。家族の得意分野の「結晶」だった。


 陽介は、以前の自分を思い出した。

 かつて彼は、仕事の「効率」というモノサシで、すべての事柄を測っていた。

 DIYなど、会社の利益に繋がらない「無駄な作業」だと一蹴しただろう。そして、もしやっていたとしても、大雑把な「概算」で済ませ、結果的に歪んだ棚を作り、家族の不満を招いたに違いない。

しかし、今の彼は違う。


 家族の要望を「プロジェクト」として受け入れる柔軟性。

 息子の専門知識と技術を、素直に認め、主導権を譲る謙虚さ。

 単なる機能性だけでなく、娘が求める「美しさ」という付加価値の重要性を理解する感性。


 これらすべてが、庭活動を通じて陽介が手に入れた「心の成長」だった。


「陽介さん、この庭、どんどん変わっていくわね」美和が、隣で言った。

「ああ。俺一人でやってた頃は、ただの自己満足の場所だったけどな」

「そうじゃないわ。陽介さんが、私たちの要望をちゃんと聞いて、それを受け入れる『器』ができたからよ。翔くんも、あんなに生き生きと電動ドリルを使ってるの、初めて見たわ。あの子、理科とか工作とか、本当はすごく好きなのに、なかなか表に出さなかったから」


 翔は、内向的で、自分の好きなものや得意なことを、家族にさえ開示することをためらう子どもだった。

 しかし、このDIYという「実用的な共同作業」を通じて、彼は自分の技術が父を助け、姉を喜ばせるという「確固たる価値」を持つことを知った。翔の自己肯定感は、このハーブ棚の完成によって、目に見える形で高まったのだ。


 そして、咲。

 彼女の「美的センス」は、単なる趣味ではなく、家族の生活空間を洗練させるための「才能」として認められた。棚のデコレーションは、彼女にとっての「創造的なアウトプット」であり、家族の生活への重要な貢献だった。


 陽介の庭に、家族の共同作業の成果である「構造物」が誕生したことは、決定的な意味を持っていた。


 庭は、もはや「陽介の趣味の道具置き場」ではない。

 それは、家族の「創造性」と「実用性」を結びつけるラボ、子どもたちの「得意分野」が光り、自己肯定感を育むステージ、家族の絆が「形として残る」成果を生み出す場所、へと進化していた。


 陽介の孤独は、この「ハーブ棚」という形ある構造物によって、完全に過去のものとなった。彼の趣味は、家族の生活を豊かにし、子どもたちの成長を促すための「戦略的な基盤」として、完全に機能し始めたのだ。


 陽介は、満たされた気持ちでコーヒーを飲み干した。この場所が、家族の幸福を育む、揺るぎない「ホーム」となったことを確信した。


 そして、陽介の心は、すでに次のステップへと向かっていた。

 それは、仕事のプレッシャーに立ち向かうための、庭がもたらす「心の余裕」を試す瞬間だった。

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