初講義(後編)
「面白い……実に合理的だ」
「大きな壁に大きく書けば部屋にいる者が一度に見る事ができます。情報の共有にもいい」
「こりゃいいねぇ、塔のジジイ達にも教えてやりましょ」
午前の講義が終わり、皆さんお昼を取りに外へ向かう中、研究所や『黒の塔』等からいらした方々が、チトセ様が書いた壁の文字を前に感心された様子で感想を述べられておりました。
その様子をご覧になられていたチトセ様が、首を傾げて呟きました。
「こっちって黒板無いんだね」
「コクバン、ですか?」
「えーっと、緑がかった黒い板に……軽く削ると白い粉になる棒で字とか絵とかを書く物。かな? 何で出来てるかはちょっとわからないんだけど……黒い板は表面が滑らかで、布とかで拭くとその粉が落ちるから、何回でも書き直す事ができるの」
その大きな物を教壇の後ろに設置し、書いて見せていたのだとか。
「無いと思わなかったからとりあえず魔力筆記でやったけど……今後書く量が増えたら維持が辛くなるかもしれないから、その時はアリアも手伝ってくれる?」
「かしこまりました」
とはいえ、数年以内にそれらしい物ができそうな気はいたします。チトセ様のお話を、興味津々といったお顔で聞いていらした方々が、すぐそこにいらっしゃいますので。
……ところで、その方々の中に王立研究所のグレゴリー所長が混ざっているのは、指摘しない方がよろしいのでしょうか。
* * *
本日午後の授業は、糸紡ぎの魔法についての座学です。
そも、糸紡ぎの魔法とは何をどうするモノなのか。魔法で紡ぐ際、どんなことに注意する必要があるモノなのか。そういった事をチトセ様はお話されました。
「つまり糸紡ぎの魔法は、まず『安定させて、解す』、それを撚る事で『綺麗に並べ、繋げる』、という事を材料に対して行っています」
説明しながら、重要な部分をまとめた内容が後の壁に書き出されていきます。
受講者の皆様は特に難しい顔をする事もなく、せっせと自分なりにわかりやすいようノートを取っているようでした。
──カカカカカカカカカカカカカカカカカカ……
「『安定させて、解す』ので、流れる水や燃える炎といった動いている物も形にすることができるのです。腐らなくなったり、魔力を維持したりするのもこの安定化のためです。この糸紡ぎの魔法を上回る衝撃……ハサミで切ったり、こすれたりですね。そういったダメージが蓄積すれば、当然普通の糸と同じく劣化します。普通の糸と同じように見えるのはこのためです」
チトセ様の授業を聞きながら、私も、色々試した日々を思い出します。
私の糸を用いた暗殺術に使えないかと試み、むしろその扱いやすさに驚いた物でした。綾取る魔法はどんな糸であれ強度を増幅させる効果がありますので、何を紡いだ糸でも使えました。相手の意表を突く事もできるので、相性も抜群。素晴らしい事です。
──カカカカカカカカカカカカカカカカカカ……
「水や炎の糸に魔力をこめると溢れ出すのは、安定していた物が魔力を流す事で動く性質を取り戻すためと言われています。ただしこれについては、詳しい事はわかっていません。純粋な属性に近いモノとそうでないモノとで挙動が異なりますし、魔力を流しても属性が溢れない物もあります。溢れても糸が劣化しないことなど、色々と不可解な事が多いのです」
魔法の糸に魔力を流した時の挙動。
これについては、チトセ様はあえて濁すことにいたしました。
チトセ様の世界では物質をとても細かく観測する機械により、仕組みが解明されているそうなのですが……なんといってもここは異なる世界。
チトセ様の世界の法則に当てはまらないモノがこちらにあるかもしれませんので、慎重に、注意深く自分たちで観測して解明してもらうために、お伝えしない事を選んだのです。
研究系の方々が目を輝かせていらっしゃいますので、こちらの世界でもいずれは明らかになる事でしょう。
──カカカカカカカカカカカカカカカカカカ……
「意思を持つモノを紡ぐ事はできません。これは、糸紡ぎの魔法とは結局のところ微弱な魔法干渉ですから、生き物が持っている無意識の魔法抵抗に打ち勝てるほど強い干渉ではないんです。……やってみようとしちゃダメですよ? 強い干渉には全力で抵抗するのが生き物ですから。『魔法の出力を上げればできるんじゃないか』って考えて、逆に腕を捩じ切られた研究者が過去にたくさんいましたからね!」
チトセ様の強めの注意に、受講者の何名かはそっと目を逸らしたり苦笑されたりなさいました。研究家肌の強い方には、耳に痛い注意だったのでしょうか。
──カカカカカカカカカカカカカカカカカカ……
……それにしても、この教室に響き渡るペン先の音。
グライム・オールトレス男爵の速記の音です。『キツツキ男爵』との呼び名は看板に偽りなしでございました。
遠目にしか確認できておりませんが……どうやら発言内容や板書の内容だけでなく、チトセ様や受講者の方々の様子も合わせて記録されている模様。速記の能力が必須の書記官ですが、ここまで詳細に記述する方は他におられません。
離宮会議室付きの書記官は『改竄厳禁』の血判魔法契約を結んでいるそうですので、オールトレス男爵は本当に会議をまるのまま記述されるための人材なのでしょう。
しかし、その記述量にこの音が立つ程のペン使いで、よく紙に穴が開かないものです。
「以上の事からわかるように、素材をそのまま糸にするわけですから、材料の厳選と下処理がとても重要になります。色を均一にし、布を織る事等を考えた場合は特に──」
──カカカカカカカカカカカカカカカカカカ……
チトセ様も始めはこの音に驚かれていましたが……しばし授業を進める内に、慣れてしまわれたようでした。
講師の方が否を唱えないのであれば、受講者が唱えられるはずがございません。
声が聞こえないほどの音でもありませんし、聞き逃すまいと皆様集中していらっしゃるようですので、構わないでしょう。
「──では、ここまでで質問のある人はいますか?」
チトセ様の問いかけに、力強く複数挙がった声と手。
打って変わって能動的になった受講者達に、チトセ様は一人ずつ発言を許可し、どこか嬉しそうに質問に答えていらっしゃいます。打てば響くと言いますか、これだけ前のめりに学ぶ姿勢を見せてくだされば、教える側も甲斐があるのでしょう。
「魔法の糸の台頭によって、リネンは今後不要になりますか?」
「不要には絶対になりませんよ。リネンやコットンといった、肌に優しくサラサラとしていて吸水性の高い布地になる糸は、ヒトが手を加えなければ存在しないんです。リネンだけではなく他にも──」
──カカカカカカカカカカカカカカカカカカ……
……私の修行時代はどうだったでしょうか。
私がメイドというものを知ったのは、暗殺の仕事に必要な潜入の練習の一環として、師の手筈でとあるお屋敷にメイド見習いとして入った事がきっかけでした。
そこで私の教育担当となった先輩から、メイドの仕事と共に心構えを説いていただき、強く感銘を受けた私は師から離れてメイドの道に入ったわけですが……
とても教え方が上手な方で、ノートを取る事などできませんでしたが、仕事内容はするすると頭に入ってきたのを覚えています。
教わった事が上手くできれば、先輩も嬉しそうに喜んでくださいました。
他のメイドと中々馴染めない私を気遣い、間を取り持ってくださった事もありました。
……思い出に残る先輩のお顔は素敵な笑顔ばかり。
あの時の先輩は、今のチトセ様のようなお気持ちだったのでしょうか。
そこでふと、暗殺の師の事が脳裏をよぎりました。
暗殺の修行時代は笑顔とは程遠く、師の表情もしかめっ面しか思い出せません。楽しいという感情とは無縁の、淡々と訓練に明け暮れる、無味乾燥な日々でした。
まぁ今となれば、それも当然の事とわかります。裏社会の、それも暗殺者など、笑顔咲き乱れる職場なわけがありませんからね。
むしろあの師が、先輩の朗らかに笑顔を浮かべていたら、だなんて想像するだけでゾッとします。
師は今頃どこで何をしているのでしょうか……
生きているとは、思いますが。




