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初講義(前編)


 離宮職員の制服であるローブは、勤める部署と役職によって色が異なります。

 宰相は濃厚な暗褐色、経済院は黄色系統、血統院は赤色系統、等。地位が高いほど色は濃くなり、一般職員は薄い色。メイドは専用のお仕着せに加えて、担当部署の色が入ったリボンを結ぶ決まりとなっております。


 チトセ様が袖を通す新品のローブは、冬の空を思わせる涼し気な青。


 青は学術院の色。

 王立研究所や黒の塔を代表とした、各研究所とのやりとり。騎士や錬金術や鎮魂士等を志す者が一般よりも高みを目指すために通う、上級訓練校の管理と監督。通常の本屋も棚借り本屋も問わず、国内で流通している書籍の検閲等。『知識を学ぶ』という分野を管轄するのが学術院です。

 今回の糸紡ぎ教室はエスティ様とラズオール様という2名の王族に加え経済院と商人ギルドが主導で進めた計画ではありますが、『異世界の技術継承』という内容から、講師のチトセ様と受講する生徒は学術院の色を身に纏う事となったそうです。


 誂えた制服はチトセ様のお体に丁度良く動きを阻害しません。貴族の女性のドレスのようなコルセットもありませんので、リラックスしてお話や作業ができるでしょう。

 一般職員とは少々形状が異なり、糸紡ぎの邪魔にならないよう袖は細く、まくってベルトで止められるようになっています。

 最後に、緩く編んだ髪の上へ、外部講師専用の四角い帽子を被れば準備は完了です。


「よくお似合いです、チトセ様」

「ふふ、ありがとう。アリアも似合ってるよ」

「恐れ入ります」


 私も、専属のメイド兼従者兼護衛という事で、離宮用のお仕着せにチトセ様の制服と同色の腕章をいただきました。愛用しているお仕着せよりも生地が上質で袖口や裾に刺繍飾りが入ってるのはさすが離宮です。


「じゃ、行こうか」

「はい」


 本日は糸紡ぎ教室の記念すべき一日目。

 いよいよチトセ様の、講師としてのお役目が始まる日です。



 * * *



「まさかアンタもここにいるとは思わなかったわアレク! お店を放って離宮くんだりしていていいのかしら?」

「…………」

「アンタのお姉様や弟は家督に御執心のようじゃない。うちの妹みたいにぼーっとしてたらいいカモよ! ……ちょっと聞いてるの!? アンタ本当に家から放り出されるわよ!? 少しは話を聞きなさいよぉおお!」

「まぁまぁ、ヴェシー落ち着こうよ。アレクは昔からこうじゃないか」

「だから言ってるんでしょうがああああ!」

「おおハニー! 久しぶりだね会いたかったよ!」

「イヤーーーーーーーーー!!! なんでアンタがここにいるのよぉおおおお!」

「私を呼びまして?」

「ああすまない、愛しのハニーを呼んだのであって、君のことではないよ」

「なっ、まっ、紛らわしい!」

「何よ! 他の女もそうやって呼んでるんじゃない! 女の敵!」


 離宮入りし、初回ということで待っていた城の兵士に案内していただいた糸紡ぎ教室の部屋の前で……チトセ様は困った顔をして佇んでおりました。


「……これ、部屋間違ってません?」

「ここであっております」


 無表情のまま淡々と告げる犬の獣人の兵士。

 一方で、閉まり切っていなかったらしい分厚い扉の隙間から聞こえてくる喧騒。


「本当に……? 痴話喧嘩と修羅場が聞こえてくるんだけど……本当に?」

「ここであっております」


 四角四面な対応しか返ってこない犬の獣人の兵士。

 埒が明かないと思われたのでしょう、チトセ様は覚悟を決めたように深呼吸をひとつするとドアノブを掴み、一度引いて音を立ててから押し開きました。


「はい、席についてー……ますね?」


 先程の喧騒が幻聴か何かだったかのように、部屋は静まり返っておりました。受講者は全員、何事も無かったかのように澄ました顔で背筋を伸ばして着席しております。なんという変わり身の早さ。


 チトセ様は苦笑いをしながら教壇へと進みます。

 私は入口近くの壁に椅子が用意されていますので、そちらで控える事にいたしました。

 ……と、案内の兵士が我々の後から一緒に入室し、何食わぬ顔で空いていた最後の席に着席。……護衛なのでしょうか。しかし、そちらの席に着くということは受講者? ですが鎧を装備したままで……と、懐から生徒用のケープを取り出して肩に羽織りました。受講者のようです。

 何がなにやらわかりませんが、チトセ様はとても面白く感じられた模様。笑いを堪えているようなお顔で、しかし背筋を伸ばして宣言なさいました。


「……はい、それでは全員揃っているようなので。これより、糸紡ぎ教室を開始いたします。講師を務めさせていただきます、ハルカ工房のチトセ・カイコミヤと申します。よろしくお願いいたします」


 名乗りを上げ、頭を下げた後、チトセ様は後ろを振り向き何か魔法を用いました。

 教壇の背後は磨かれた白い壁。

 そこへするすると、魔力で『糸紡ぎ教室』と文字が浮かびあがります。

 ……なるほど、範囲設置型の術を得意とする術士が魔法陣を描く際に使う魔力筆記で広い壁に文字を書かれたのですね。大きく書いて見せれば多人数であろうとも教える内容が伝わりやすいでしょう。素晴らしい方法です。

 受講される皆様は驚いたように目を開いて壁の文字をご覧になられました。


「今日は初日ということで実習はありません。午前中は授業について簡単な説明と器具の確認、午後は座学を少々する予定です。質問はある程度説明したら都度確認タイムをとりますので、その時にお願いします」


『午前:初日ガイダンス』

『午後:座学』


 追加で書き出された本日の予定。

 受講者の皆様は一言も聞き漏らすまいと張り詰めた表情をされていましたが、まずは説明からとわかると肩の力が抜けたようでした。一部の受講者はチトセ様が白い壁に魔力筆記で書いて見せる方法を図に起こしてるのが見受けられます。


「まず、授業について。内容によって変わる事もあると思いますが、午前中に座学、午後に実習という形で進めていく予定です。次の週には新しい内容へ進みますので、前回をもう一度ということは基本しません。なので皆さん、しっかりノートを取って、帰ってから復習してくださいね」


 わからなくなってしまった所の確認や疑問などは授業終了後に受け付けます、とチトセ様は仰られました。

 ということは、受講者の状況次第で帰る時間はまちまちになりそうですね。ドゥルさんへその旨伝えておきましょう。


「では、今年一年やっていくにあたり、皆さんひとりずつ自己紹介をお願いします。資料でお名前とプロフィールはいただいていますが、私も皆さんの顔と名前を早く一致させたいので、立ってお名前と……そうですね、目標を、一人一人お願いします」


 端の席から順番に、とチトセ様の指示を受け、一番手前の廊下側の席の方が立ち上がりました。


「アレックス・オーリエ……『オーリエ商会』店長の孫、です。リネンの花畑を今後どうするのか、打開策を見つけてこいと言われて来ました」


 年は18程でしょうか、寡黙そうな人間の青年です。

 次に立ち上がったのは、その後ろの席の方。


「ナーグ・キャリジス、『キャリジス堂』当主の孫です。うちは繊維全般を扱っていますが、僕個人は刺繍用の色糸に力を入れたいと思っています」


『キャリジス堂』のナーグさんは王女様の花嫁衣裳の件で御当主様と一緒に工房へいらしたことがあるのでお顔を存じております。成人直後と思われる、優しそうなお顔の青年です。

 ナーグさんが座り直すのと同時に、鼻を鳴らしながらその後ろの女性が立ち上がりました。


「ヴェリシア・カサンドラ、『カサンドラ輸入品店』の跡取りよ。オーリエとキャリジスには絶対に負けないんだから!」


 腕組みをして力強く宣戦布告をされたヴェリシアさん。アレックスさん、ナーグさんと同じ年の頃の、気が強そうなお方です。


『オーリエ商会』、『キャリジス堂』、『カサンドラ輸入品店』はヴァイリールフ王国における繊維業界の最大手。商人ギルドの選抜の中でも大本命といったところでしょうか。

 チトセ様も嬉しそうに生徒名簿に何かしら書き付けていらっしゃいます。


「では次の人」

「はい! ウィグビーです。錬金術ギルドの所属で、消臭の魔道具に使われているムカデの糸に感動して──」


 一見穏やかに自己紹介は進んでいきます。

 しかし、同業の方同士はやはりライバルが気になるのでしょうか。水面下で渦巻く思いを瞳に乗せて、自己紹介中の方に刺すような視線を送る方が時折いらっしゃいます。


「サティラと申します。神殿の新米神官ですが、糸紡ぎが得意なため恐れ多くも推薦をいただきました。皆様のお役に立てるよう──」

「ニトリロアです。『ロイヤル・ヴァイリールフ』の店主を務めており──」


 離宮制服の採寸をしに行った際にお会いしたナーゲルさんの妹さん。そして仕立て屋の店主さんも予定通りいらっしゃいました。


「ポーラ・ウィアンナと申します。人魚向けの化粧品及び医薬品に役立つ技術ということで、参加させていただきました」


 こちらは人魚向け……つまり潤包糸がきっかけの受講者でしょう。

 繊維業界の他は、医療関係、武具関係、先程の錬金術界隈や王立研究所の研究員等、様々な分野からやってきています。

 しかし、特に注目を集めたのはこちらの方でした。


「はいはい、どっこいしょ……アタシはドルン。見ての通り、お婆ちゃんですよ。珍しい魔法があるって聞いたんでね、『黒の塔』からお勉強に来ました」


 一瞬ざわつく教室内。受講者の皆様は驚いた表情の方がほとんどです。

 かく言う私も、資料を拝見した時は驚きました。


『黒の塔』は魔術研究の総本山の通称です。

 魔術師ギルド、と呼んでもいいかもしれませんが、ギルトと異なるのはその在り方。

 ひとつの町にひとつの他ギルドとは違い、『黒の塔』はひとつの国にひとつ。

 その名の通り、研究所であり学び舎でもある黒く高い塔が数本聳え立ち、その塔を囲むように円形の道路に沿った町。塔の中には一握りの優秀な魔術師だけしか入る事が許されず、外の者には及びもつかない高度な魔法実験が日夜繰り返されているのだとか噂されている場所。

 そのように、閉鎖的な場所なので塔の中やそこに出入りできる魔術師は半ば生きた伝説のような扱いをされている存在なのです。


 好奇の目を向ける者、懐疑的な目を向ける者、面白そうに笑う者と様々ですが、自己紹介は続いていきます。


「私はハニィ・ベア。父は第12騎士団の将軍、ベア子爵ですわ。我らベア家がついに辿り着いた理想郷を、より一層盛り立てるために参りました。どうぞよしなに」


「アリス・ミューツェロット、ウサギの獣人! 彼氏募集中でーす!」

「イルシュスト・アンデツヴァイという。淑女の皆様、どうぞよろしく」

「ワタシはロロ・クルント。トレント伯爵家のお抱え仕立て屋『蝶の貴婦人』の長女デス。我々リリパットに最適な布地を作るために来ました!」


 そして最後は2名。

 先に立ち上がったのは、チトセ様と私をここまで案内してくださった兵士でした。


「ギリアム殿下の推薦を受け、ラズオール殿下の命により今期糸紡ぎ教室の護衛を担当いたします。第5騎士団所属、配属は離宮。任務中はシールドとお呼びください」


 ……何故、護衛が受講者として着席しているのかの説明はございませんでした。教室の皆様も首を傾げていらっしゃいます。

 何か王子様方の深いお考えがあるのかもしれませんが……一メイドには考えの及ばない理由でございましょう。


 そして最後に立ち上がったのは、離宮職員の制服を着た中年の男性です。


「離宮大会議室付き書記長、グライム・オールトレスと言う。魔法の糸紡ぎの教本を作るため、今期糸紡ぎ教室の授業内容を記録する任を受けた。受講者としてここにいるが、実習中も記録に徹する故、教室の備品と思っていただいて結構。以上だ」


 グライム・オールトレス、この方は有名人なので噂を存じております。

 速記の際、ペンでつつくように筆記する独特の癖から、通称『キツツキ男爵』の異名を取る離宮大会議室の番人。

 一度見聞きした事を忘れない記憶力の高さを買われ、一代限りの名誉男爵となったお方。

 授業内容を元に教本を作るため、ラズオール様が派遣された離宮職員です。


 受講者34名の自己紹介が終わると、教室の中には先程までと違った空気が流れておりました。

 全員が気を張り詰めていた開始直後とは違う。全員が互いの出方を伺っている……そう、賭博場のカード遊びで札が配られた直後のような、そんな空気です。

 チトセ様はそんな受講者たちを、どこか嬉しそうな顔で見渡しました。


「はい、皆さんありがとうございました。今年一年はこのメンバーでよろしくお願いします。何名か貴族出身の方もいらっしゃいますが……この教室内において私は皆さんを同列に扱いますので、そのつもりでいてください」


 何名か、驚いたような顔でチトセ様を見ましたが、チトセ様の笑顔は崩れません。


「糸紡ぎの修行に地位も身分もありませんからね。皆さんも、今の自己紹介を聞いて、この中の誰かが未来の提携相手だったり商売敵だったりしたと思いますし、お家や勤め先に戻ったら色々あるとは思いますけど、この教室内では『切磋琢磨する同期』ということにしてください。仲良くしろとまでは言いませんから」


 年齢も種族も幅広い受講者の方々です。全員が仲良く友人にというのは、確かに難しいでしょう。

 それでも、チトセ様のお言葉は受講者の方々に何かしら訴えかけた様子。


「し、しかたないわね! ここでだけよ!」


『カサンドラ輸入品店』のヴェリシアさんが拗ねたようにそう言ったのを皮切りに、仕方ないなと肩を竦める者、微笑む者、苦笑いを浮かべる者、様々な反応がさざ波のように広がりました。

 ひとまずは、敵意が見当たらなくてなによりでございます。さすがはチトセ様。



「ところで、我々は講師の方をなんとお呼びすればよろしいかしら?」

「『カイコミヤ先生』でお願いします」


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