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支度


 ご近所への挨拶周りやギルドへの手続きなども一通り終えたある日。

 パン屋が定休日のサンドラさんが、マリンゴのパイを手土産にいらしてくださいました。


「なんですかその可愛い話。最高じゃないですか!」

「他所のお孫さんの話と思えば面白いんだけど、そのお相手が自分の倅ってなるとねぇ……情けないやらなんやらで……」

「それでも奮起して行動するだけ偉いですよ。アリア、みんなの負担は大丈夫そう? ……うん。大丈夫みたいなので、料理人枠、あけて待ってますから」

「悪いねぇ。でも、お孫さんに別のお相手が出来たりしたら遠慮なく言っとくれ。こっちで諦めさせるから」


 料理人も、良い伝手から得られそうで、一安心でございます。



 * * *



 花のお礼状を含めた引っ越し後の諸々もひと段落し、チトセ様の糸紡ぎ工房も通常業務が始まりました。

 作業場が広くなった以外は特に作業場としての大きな違いは無いようですが、リーリャさんがついに糸紡ぎのお仕事にかかり始めた事が最も大きな変化でしょうか。

 まだたどたどしいとはいえ、紡ぎ手が増えた事で生産性は大きく上昇しておりました。


「クラゲさんの糸、手触りが面白いです」

「そろそろビー玉も採れ始めるみたいだから、入荷したらそっちもお願いするね」

「ビー玉! 綺麗なの楽しみです~」


 リーリャさんがキュアプルクラゲを丁寧に紡いでいる横で、チトセ様は離宮から届いた風羽を熟練の手つきで紡ぎ上げていきます。

 研究所では、どうやら風羽糸を帆布として使うための織り方に到達できたらしく、グレゴリー所長から歓喜の声が散りばめられた増産依頼の手紙が届いておりました。


 チトセ様がこのように職人としての仕事をこなす一方で、糸紡ぎ教室の準備も着々と進められております。


 ほぼ身一つに近い状態でしたチトセ様だけが持つ技術。当然、詳しく書かれた書物というものは無く、貴族の子が使うような教科書など存在しておりません。


「今年の生徒さん達には、ひたすらノート取ってもらうしかないね」


 来年以降については、離宮側で今年の授業内容を元に教本を作ってくださるとの事。それでもしばらくは離宮から持ち出し禁止の扱いになるそうなので、どちらにせよ生徒の方々は自分の技術書としてノートをまとめる事になるのでしょうが。

 しかし、そもそもノートを取ることを許されている時点で恵まれております。門外不出の技術を持ち運べる形にする危険性は軽視できないもの。私は、前職の修行中はノートを取ったり易々と口に出す事は固く禁じられておりました。懐かしいですね。


 ……と、柱時計が時を告げる声。


「チトセ様、そろそろお時間です」

「はーい、支度しようか」


 本日は、離宮職員の制服を仕立てるため、仕立て屋『ロイヤル・ヴァイリールフ』へお出かけです。



 * * *



 箱馬車に揺られて訪れたのは、離宮のすぐ前。正面通りの角にある石造りの建物です。

 看板も無く、仕立て屋というよりも兵士の詰め所のような防衛重視の外観のそれが、離宮直営の仕立て屋であることを知っている一般の民は少ないでしょう。

 離宮職員の制服とは、すなわち離宮に出入りするための身分証明に近い物。発色が難しい色の染料を使い、見えない内側に職人紋の他、王家認可の証紋と防御魔法・耐火魔法の機構を縫い込んだそれは、服と言うよりも『着る魔道具』と呼んだ方が正しいでしょう。

 その偽造を防止するため、一手に引き受ける仕立て屋は唯一『ヴァイリールフ』の名を店名に冠する事を許され、こうして離宮直下の保護を受けているのです。


「許可証を確認します」

「えっと……はい、これです」

「確認しました。中へどうぞ」


 入口の兵士に許可証を提示し、中へ。

 一階は兵士の詰め所と倉庫、仕立て屋の作業場は二階。

 仕立て屋があると知らない者には本当に詰め所だと思われているようで、トラブルが起きた人が駆けこんで来る場所になっており、そういう場としても機能しているのだとか。

 案内の兵士が扉を叩き、「ハルカ工房、チトセ・カイコミヤ様の御来店です」と告げれば、向こうから扉が開かれました。

 にこやかに微笑んで立っていたのは……耳の長さから、恐らくはハーフエルフの女性。


「いらっしゃいませ、カイコミヤ様。『ロイヤル・ヴァイリールフ』へようこそお越しくださいました。私、店主のニトリロアと申します。どうぞよろしくお願いいたします」


 中へ招かれながら、穏やかに挨拶を交わす傍ら。既に店内にいた青い髪の男性が、驚いたような顔をされているのが目に入ります。

 身に纏うのは白地の騎士隊服。黒地に白の紋章は神殿の所属を示す物。この装いは鎮魂騎士のそれ。

 男性は、お二人が挨拶を終えたのを見計らい、訓練を受けた者特有のキビキビとした歩みで近付いていらっしゃいました。


「失礼。もしや……糸紡ぎ教室の講師となるカイコミヤ様でいらっしゃいますか?」

「はい、そうです」


 チトセ様が首肯されると、男性は嬉しそうに破顔し、騎士らしい敬礼の姿勢を取りました。


「お会いできて幸栄です。中央都市フリシェンラス神殿の鎮魂騎士、ナーゲルと申します。妹がこれからお世話になります」

「妹さん、ですか?」

「はい。妹のサティラは神殿の新米神官なのですが、カイコミヤ様の糸紡ぎ教室にて講義を受ける事になりました」

「ああ、そうだったんですね」


 サティラさん……確かに生徒名簿にお名前がありました。

 教室の準備の一環として、チトセ様にはラズオール王子から生徒名簿が既に届いております。

 私も一通り目を通させていただきました。

 ヴァイリールフ王国において繊維を扱う業界でも最大手の三社から御子息御息女がやってくる他、お話に上がったサティラさんは神殿から、王立研究所からもお一人研究員がいらっしゃいますし、錬金術ギルド、医術士ギルド、武器職人や医療品界隈も所属に名を連ねておりました。大公や『黒の塔』の魔術師も名簿に並んでいたのは少々驚きましたが、それだけ注目されているということでしょう。


 ナーゲルさんは妹さんの代わりに糸紡ぎ教室の生徒の制服であるケープを受け取りに来られたとの事で、『ロイヤル・ヴァイリールフ』の他の職員の方から箱を受け取っておりました。


「それでは自分はこれにて。筋肉が御入用の際はどうぞ遠慮なく神殿に連絡を」

「筋肉、ですか?」


 白い歯を出して笑んだナーゲルさんは、箱を持っていない方の腕で力こぶを作るようにしてチトセ様へ胸を張りました。


「はい! 自分の鎮魂騎士としての能力は騎士として全ての民のために振るう物。と、なれば自分が個人的にお役に立てるのは、この筋肉のみですので!」


 もう少し他にも何かあると思いますが。

 遠い目をされたチトセ様に挨拶をして、ナーゲルさんは帰って行かれました。


「カイコミヤ様は筋肉質な方があまりお得意ではございませんか?」

「えっと、悪い人ではないのはわかるんですけど……圧が強くて……ハイ……」


 クスクスと微笑むニトリロアさんに案内され、チトセ様は奥で制服のための採寸をいたします。


「そういえば、ニトリロアさんのお名前も生徒名簿にあった気が……」

「はい、お世話になります。離宮制服の安全性を高めるために、必須の技術だと心得ておりますわ」


 偽造防止や襲撃からの防御が必要な離宮職員の制服には、確かにチトセ様の魔法の糸は今後必須の技術となるでしょう。


 制服は完成後に連絡が来るとの事で、チトセ様と私は採寸を終えた後に工房へと戻りました。


「お帰りなさいませチトセ様。冒険者ギルドからお手紙が届いております」

「はーい……なんだろ?」


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