幕間:病を患った男達
タタンという名のリリパットは、幼いころから、幼馴染のナノがずっとずっと好きだった。
リリパットは他種族と体の大きさが全く異なるため住居が特殊。
そのためリリパットの家は、人間の家が一件建つ広さに集合住宅を作るか、街中のある程度の広さの土地に小さな村を作るような状態になる。
タタンとナノも、そんな場所で生まれ育ったご近所さんなのである。
ナノは良い所のお嬢さんだ。
母親は王室御用達にまで上り詰めた仕立て屋の二人の女主人の片割れ。そして父親は離宮勤めの文官で、貴族でこそないが『ポポ』という家名持ち。
対してタタンは、貧しくはないが極々一般的な家庭の生まれだ。
リリパットには珍しい冒険者の父が、宿屋の従業員として働いていた母に求婚して結ばれ、生まれたのがタタンである。
とはいえ、幼い頃の二人にそんなことは関係なかった。
ナノに気取ったところはなかったし、父と母が家をあけがちなタタンは暇を持て余してナノを誘って遊んだものだ。
『ナノはタタンとけっこんするです!』
2歳だか3歳だかの時に、面倒見のいい近所の姐さんリリパットが結婚した時には、キャラキャラと笑ってそんなことも言われた。
……まぁ本人は覚えていないだろう。
でもタタンは覚えている。
だって、嬉しかったから。
あの頃は、きっとそうなるだろうと思った。
成長するにつれて、そうなるものだと疑いもしなくて。
ああでも……使い魔を選ぶ頃に、なんとなく距離が開いてしまった。
父親の冒険譚を聞くのが好きだったタタンは、戦う程の度胸は無かったけれど、あちこち色んな景色を見に行きたくて猛禽を使い魔に選んだ。
父に聞いた話を喜んで聞いてくれたナノもきっと同じだろうと、タタンは勝手に思い込んでいた。
けれど、ナノが選んだ使い魔は犬で。
なんでだよ!? と、理不尽な憤りをぶつけてしまったのだ。一緒に猛禽を選ぼうなんて、一言も言っていなかったのに。
ナノは店は継がないけれど、母親のように刺繍で身を立ててみたくて、どうなるかはわからないけれど番犬になる使い魔が欲しかった。そんな彼女の夢を、タタンはその時初めて聞いた。
そして、今まで自分の希望ばかり考えて、彼女の希望を訊いていなかったことに気が付いたのだ。
その日から、ナノは一気に大人びていった。
……いや、今ならわかる。
むくれて意地を張ったタタンが、子供だっただけだ。
幼いころから、幼馴染のナノがずっとずっと好きだった。
今だって好きだ。結婚するならナノがいい。ナノじゃないとイヤだ。
けれど、あの日ズレてしまった歯車は、中々元に戻ってくれない。
笑わせる事もできなくて、軽口しか叩けなくて、同じ時間を過ごす事もなく、ただ家や勤め先が近所だという環境に甘えてすれ違うばかり。
わかってる。
子供の頃と同じようにからかっていては駄目なのだ。
でも、生まれてから成人するまで7年も培った性格は、中々変わってくれなくて。
そんな風に日々を過ごしていると、ナノが引っ越すらしいと母に言われた。
ナノの母とタタンの母は御近所なので軽く立ち話をするくらいには付き合いがあって、そこで聞いたと。
まずい。
わずかな接点さえなくなってしまいそうで、自分も急いで家を出た。両親は訳知り顔で、『迷惑だけはかけるなよ』と釘を刺された。
わかってた。
ナノの勤め先の工房は、たったの数か月で王族から手紙が来るようになっていて、長鉢荘から出るのは早いだろうなと思ってはいた。
でもそれにしたってこんなに早いと思わないだろう?
もう少しゆっくりしていてくれればいいのに! なんて、ナノの上司に心の中で八つ当たりをして。
以前仕事の途中でたまたま見かけた建築現場。工房のメイドが、たぶんナノの上司である工房の主と一緒に、ゲラゲラ笑っている酒屋のおっさんと一緒に見ていた工事。
きっとあそこだと当たりをつけて、そこからほど近い集合住宅に乗り込んだ。
……どうやら運命はタタンを見放さなかったらしい。
果たして、ナノもその集合住宅へ越して来た。
ナノは良い所のお嬢さんだ。
顔も可愛いし、手に職をつけてしっかり自立している。
実家にいた頃はタタンが周囲に目を光らせていたから虫が寄ってこなかっただけで、惚れた贔屓目を抜きにしてもナノは結構モテるのだ。
それが初めましてが多い集合住宅になんて放っておいたら、あっというまに狙われるに決まってる!
もうなりふり構っていられない。
ずっと後手に回り続けていた自分。
今回も後手に回って誰かに持って行かれるなんて冗談じゃない。
わかってる。
そのためには、優しい男にならないといけないんだ。
「……父さんは、どうやって母さんを落としたの?」
「そりゃあお前。冒険者として活躍している俺の逞しさを見せればイチコロよ!」
「なぁに言ってんの。宿で酔いつぶれて、お客さんも大勢いる中で『結婚してくれぇ~』って泣きながらしがみ付いてきたくせに」
「その節は誠に申し訳ございませんでしたって!! ちょっと息子に見栄張りたかっただけだろぉ?」
両親の惚気は何の参考にもならなかった。
わかってる。
こういうのは、結局自分が頑張らないといけないんだ!
* * *
「明日からパンの配達先、一件増えるからね。その分ちょっと早めに出発しとくれ」
「なんで。いつもの巡回に組み込んじゃ駄目なんか?」
「間違いなく朝が早いんだよそこは。コッコさんとこの息子さんが執事になったからね」
「うげ」
翌朝。
パン屋『ムキムキ小麦』の店主の三男。ドワーフのグラウグンドはうんざりしながらパンが山と積まれた籠を何度も往復して幌馬車に積み込んだ。
ちょっと早いとは言われたが、そもそもパンの配達は朝が早い。朝食用なのだから当たり前だ。それを早くしたら当然のように時刻は夜明け前だ。早すぎるだろう。
だが定職についておらず、どこかへ弟子入りしたわけでもなく、やりたい事が見つからないまま親の脛をかじっている年若い息子に異を唱える権利は無いのである。
配達用の馬車にパン籠を並べ、上から綺麗な布をかけて、日が昇る前の一番寒い時間にパッカパッカと馬を進めるのだ。
あー寒い。早く夏にならんかな。
フリシェンラスの春の夜明け前なんて冬と変わりない。ふーっと息を吐けば、湯気のように白くてうんざりだ。
まだまだ手放せないマフラーに顔をうずめ帽子も深く深く被って、いつもよりさらに寒い時間に出発する原因になった配達先の鶏を心の中で呪う。
時計職人の友人が離宮の仕事で鶏宰相の早起きに巻き込まれた愚痴を、酒の席で笑ったのはいつの事だったか。それがこうして自分に返ってくるのだから、『人を笑いものにするな』という親の教えは正しかったのだ。グラウグンドはひとつの学びを得た。
今日からは、配達が終わって帰ったら寝直すのが日課だな。と怠惰な決意を新たにする。
母の手書きの地図を片手にゴトゴトと馬車に揺られ、グラウグンドはとある工房に辿り着いた。
「……ここ、か?」
辿り着いたのは、工房というよりはお屋敷だった。
三度見したが、どうやら間違っていないらしい。長鉢荘で駆け出し職人の胃袋を掴みまくっている母のおかげで、グラウグンドは新規の工房という物を多く見て来たが……ここまで立派な物は初めてだった。
『礼儀正しいとってもイイ子』だの『気を配れて技術もある』だの『将来有望』だのと、食事の席で母から耳にタコができる程聞かされた身としてはまぁ納得だ。
大きなパン籠を持って、裏にまわる。
どんな家だろうと厨房の出入口は大体同じ、すぐにわかるものだ。
「おはようございまーす! 『ムキムキ小麦』の配達でーす!」
扉に向かって声を張り上げる。
『腹から声を出せ、それがパン屋の礼儀だ』とは母の弁だ。絶対にうちだけだろうとグラウグンドは思っているし、夜明け前なのだから近所迷惑にならんのだろうかと心配している。
ややあって、足音が近付き、ガチャリと扉が開いた。
「おはようございます」
「あ、ぇっ!? ど、ドーモ……」
──なんでだ!
グラウグンドは心の中で母に理不尽な苦情を入れた。
──こんな可愛い同族がいるなんて聞いてないぞ!!
「だ、大丈夫ですか? しゃっくり? 咳? ……あ、顔ちょっと赤いような……」
「な、なんでもねー、です! これパン! そんでサイン! くれ、さい!」
「は、ふぁい……?」
不意打ちだった。
長鉢荘にいた頃、人間のメイドは何度か遠目に見かけていたから、そっちが出てくるとばかり思っていた。油断した。
サインを待ちながら、驚きすぎて変な声が出たのをグラウグンドは心底悔いた。
絶対に今の自分は挙動不審だ。変な奴だと思われやしなかっただろうか。今日何着てたっけ、色おかしくないだろうか。ヒゲだってまだまだ短いし整えてないし。あ、ヤバイ、前髪、寝癖あった気がする、最悪だ。
寝癖を見られたくなくて、帽子のツバを引き下げて。
用紙が戻ってきたら慌てて「マタアシター!」と言い捨てて逃げてしまった。
──なんだあの可愛い子は!
くりっと大きな瞳、素朴ながらも整った顔立ち。燃えるような赤毛を三つ編みのお下げにしていて、それがまた似合っていて可愛くて。
扉を開けて、挨拶と一緒に自分へ向けられたはにかんだ笑顔ときたら!
完敗だった。
完膚なきまでの敗北であった。
グラウグンドは生まれて初めて、骨の髄まで『一目惚れ』というものを理解させられた。
それに加えてあのメイド服!
なんだあの健気さの具現化のような衣装は!
ドワーフがメイドなんて、聞いた事も見た事も無かった。だから余計に不意打ちだった。
自分がこんなにメイド服に魅力を感じるタイプだなんて知らなかったし知りたくなかった。
どこか上の空で配達を終えたグラウグンドは、母の城である『ムキムキ小麦』に帰還すると、いてもたってもいられず、たまたま客がいなかった店内に突入した。
「母さん! なんだよあのお屋敷!?」
「戻ったらまず『ただいま』だろ! で、なんだい? お屋敷って今日から配達行ったチトセちゃんの工房かい?」
「それ! ドワーフのメイドがいるなんて聞いてねぇぞ!」
「今までだっていちいち従業員のこと伝えたことなんてなかったよ。何の問題があるって言うんだい?」
「いや、問題っていうか……」
怒鳴りこんだものの若干正気に返った息子を、パン屋の肝っ玉女将は鼻で笑った。
「店の邪魔だよ! さっさと帰ってその情けない顔、鏡でじっくり確かめといで!」
あっさりと叩き出され、グラウグンドはすごすごと自宅へ帰る。
そんなに情けない顔してるのか、と言われた通りに鏡を見れば、そこには頬を赤く染め困った表情で恋に戸惑う男の顔が映っていて、グラウグンドは羞恥の余り思い切りその場に転がった。
「……まいった」
まず、母親には間違いなくバレた。それがとてつもなく恥ずかしい。年齢一桁のガキじゃあるまいし。
そして問題は明日からの配達だ。
あのお屋敷も他の工房の例に漏れず、パン屋の休みの日以外は毎日配達する事になっている。つまり明日も顔を合わせるわけで……この赤い顔と挙動不審さをどうにかしないと、あの子にだって気持ちが筒抜けになるじゃないか。
「いやでも、会えないよりマシか……」
そうだ、前向きに考えろグラウグンド。仕事を理由に、毎日顔を合わせる事ができるじゃないか。世の中には意中の子との接点が無さすぎて嘆いている男がごまんといるのだ。それに比べれば、どれだけ恵まれた環境にいることか!
まずは着古した服じゃなくもう少ししっかりした物を選ぶようにして……ヒゲも髪も、出発まえにちゃんと整えよう。
だがそんな希望は、夕刻帰宅してきた母親の言葉によって粉々に打ち砕かれた。
「ああ言っとくけど、チトセちゃんとこの新しいメイドちゃんは『ドドンガ建設』さんとこの孫だからね! 今のあんたじゃ、まず無理だよ!」
頭を鈍器で殴られたような衝撃を感じた。
ドドンガ建設!
離宮の仕事も請け負う一流の建築工房!
その腕と、代表の人を見る目の厳しさから、フリシェンラス在住のドワーフ間では有名な工房だ!
そこの、孫娘!
グラウグンドはそっと己の経歴を省みた。
武具工房の長を務める職人の父とパン屋の母の間に生まれた三男。どちらも評判の腕前だから、生まれは悪くない。
二人の兄は父の後を継ごうと職人として頑張っていて、姉は母のパン屋の味を継いで嫁ぎ先の村でパン屋を始めている。
けれど。
自分は……三男ともなれば跡継ぎでもないし、鍛冶仕事には興味がなかった。
パンを作るのは楽しいし、味も母のお墨付きをもらっているが……パン屋もなんだかピンとこなかった。
なんならパンだけじゃなく料理全般好きで得意で『美味しいんだからお店出せばいいのに』なんて言われたこともある。でも、先立つ物は無いし。大衆向けにせよ貴族向けにせよ、知らんどっかの誰かに向けて料理を作り続けるというのもピンとこなかったのだ。まったくやる気が出なかったとも言う。
だから、熱中できる仕事を探していると言えば聞こえはいいが、はっきり言ってしまえばグラウグンドはやる気のない無職だ。良くて家業の手伝い。
……もし、奇跡がおきてあの子が自分に惚れてくれたとしても、こんな男に可愛い孫娘をくれてやる頑固職人がいるか?
ドワーフが酒断ちするくらいにはありえない気がした。
しかし、グラウグンドは諦められなかった。それほどまでに人生初の一目惚れは心の奥深くに突き刺さっていたのである。
だからグラウグンドは……とりあえず酒を飲んだ。
他種族から見れば酒に逃げたように見えるかもしれないが、ドワーフにとっては違う。
気合を入れる時は酒! 悩んだら酒! 考える時は酒! 壁に立ち向かう時は酒!
つまりは本気を出すための薬。ポーションのような物なのだ。
本気度合いが伝わって、両親も少し驚いた顔をしていた。
焼け付く高度数を燃料に頭脳を回転させる。
何はともかく、仕事に就く事だ。
可愛いあの子と結ばれたいのなら、その先には当然家庭がある。衣食住のためにも、いずれ生まれるかもしれない子供を養うためにも、金を稼がなければならない。最低限それができなければ、頑固職人の許しなど得られない。
自分には何が出来る?
得意で好きなのは料理だ。むしろこれしかないかもしれない。だったら料理で一人前になり身を立てるのが一番現実的だろう。
もうこの際、なりふり構わず小さな飯屋とか食べ物の露店から始めるか?
だがそこで、可愛いあの子の顔がブレーキをかける。
あの子に出会えたのは、母の店の手伝いで配達をしていたからだ。
小さな店なんて、朝から晩まで忙しくなるに決まっている。手伝いなんてできやしない。そうしたら接点は消える。それは駄目だ!
どうしたものかと、グビリ、酒を飲み……そこでグラウグンドに天啓が下りた!
可愛いあの子。
その後ろで、こちらを覗き込んでいた人間のメイド。その手に握られていたフライパン。
そうだ、おそらくあの屋敷には料理人がいない──!!
「母さん! 俺をあの工房の料理人に推薦してくれ!」
「馬鹿な事言ってんじゃないよ! お屋敷の料理人になりたかったら、どっかのレストランで修行くらいしてきな!」
そりゃそうだ。
グラウグンドは酔いを吹き飛ばされ正気に戻った。
そりゃそうだ。
工房を兼ねているとはいえお屋敷を建てられるほどの職人が主なのだから、それなりの腕前でないと雇ってもらえるわけがない。
周囲の評判こそ良いが、自分の料理は家庭料理に毛が生えたレベルだろう。そこを自惚れたりはしない。プロ級なのはたぶんパンだけだ。『召し上がっていただくための料理』を学ぶ必要があるのは自明の理。
「わかった。朝は配達やって昼間は修行に出てくる」
「おや、思ったより本気だね。仕事決めるなら配達やめていいんだよ?」
「配達は行く。屋敷に雇ってもらえるようになるまではやらせてくれ」
「そうかい。そういうことなら頑張んな!」
グラウグンドは力強く頷いた。
修行先は父の友人がやっているレストランが快く了承してくれた。
今日からは、配達が終わって帰ったらレストランに直行するのが日課だな。と決意を新たにする。
いままでの怠惰な自分はなんだったんだと不思議に思うくらいやる気が満ちている。
可愛いあの子と幸福な家庭を築くためなら、どんなことだってできる気がした。
「やっとグラウも火ぃついたか」
「まったくさ。女が絡まないと本気出せない所はアンタそっくりだよ」
「嫁が絡まないとって言ってくれや。家族のために頑張れるのは良い事じゃねぇか」
「さんざんローシャと一緒になって宰相様に迷惑かけといてよく言うねぇ!」
「馬ッ鹿おめぇ! それは言わねぇ約束じゃねぇか!」
* * *
灯りがついていない自室へ倒れ込むように帰還した男は、そのままずるりと床に伸びた。
「…………こういう意味だとは思わないだろ……」




