手配
その日、私はチトセ様とリーリャさんと一緒に長鉢荘の井戸で水を汲んでおりました。
リーリャさんの糸紡ぎの魔法がかなり手慣れてきましたので、難易度の低いキュアプルクラゲを紡ぐ準備をしていたのです。
乾燥したクラゲの身が入った樽へ、汲み上げた井戸水を注ぎます。
……と、その時。
勢いよく開かれたのはポカルさんのお店、『竜の末裔』に繋がる扉。
けれどもそこから現れたのはポカルさんではなく、ウィリアムさんとやや遅れてマーガレッタさん。
ウィリアムさんは何やら戦場にいるようなお顔で、脇目もふらずに御自分のお店へ駈け込んで行かれました。
対して、マーガレッタさんはこちらを見ると泣き出しそうなお顔で叫ばれました。
「チトセ! ポカルが人攫いに攫われたわ!」
「……えぇ!?」
* * *
「小生が衛兵を呼んでまいります! 大門の検問の手配も! サンドラ様は急ぎ冒険者ギルドへ!」
「頼んだよ! あんたらは店見といておくれ! ウィリアムとスティシアにも誰か付きな! 一人になるんじゃないよ!」
「は、はい!」
「わかったよ」
マーガレッタさんから事の成り行きを聞いて長鉢荘は大変な騒ぎになりました。
特に『ムキムキ小麦』でサンドラさんと話をしていたハンジェスさんは、とても悔しそうなお顔です。自分がお店にいれば気付いたかもしれない、と。
しかし、ご丁寧に置手紙まで残された誘拐……かなり前から目をつけられていたのでしょう。この時間、ハンジェスさんはいつも夕飯用のパンを買うついでに軽く話をするのが習慣だったそうですから、それを知られていたのでは? 長鉢荘の他の住人の事も行動パターン程度は調べられていた可能性が高そうです。
「どれ、私がスティシアの所へ行こう。チトセ君はアリア君と一緒にサンドラさんの店を見ていてもらえるかい? 代わりに『ハルカ工房』の面々は私がスティシアと一緒に見ておくよ」
「じゃあ、私ウィルの所へ行くわね」
「うん、わかった」
バタバタと駆け出していく面々を見送り……チトセ様は、苦し気なお顔で手を握りしめておられます。
「……ねぇアリア」
「はい、チトセ様」
「こういうのって……攫われた人が見つかって帰ってくるのは、多い? 少ない?」
「……正直に申し上げますと、ほぼ絶望的です」
人を攫って所有物とする……今は禁止されている奴隷制度は、見つかれば死罪です。それをわかっていても己の欲望のために強行するのは、地位と権力と財を兼ね備えた者ばかり。
発覚しないよう、人通りの少ない街道を選ぶか、街中であれば人目につかない経路をあらかじめ確保しているもの。衛兵が手がかりを見つけた頃には、途中の痕跡を消され、手の届かない場所へ運ばれてしまっている事がほとんどです。
そして、仮に衛兵が間に合ったとしても、口封じのため被害者がその場で殺されてしまう場合が多く、無事に帰ってきた例はほぼありません。
問われるまま、包み隠さずそういった現状を伝えておりますと、パン屋の裏手の扉が開き、ウィリアムさんとマーガレッタさんが駆けこんでまいりました。
「サンドラさんは……まだ戻ってないか。衛兵もまだだよな?」
「はい、こちらはまだ動きはございません」
「じゃあこれを預かっててくれ」
そう言って差し出されたのは細長い棒状の魔道具。
「追跡の魔道具だ。本来は狩人が射掛けた獲物を追うのに使う。体の一部をこの部分に押し当てれば、棒が体の主のいる方向を指すんだ。あまりにも相手が遠いと使えないが……俺達が馬車を見ているんだからまだそう遠くへは行っていないはずだ。ポカルの家に、髪の毛のひとつやふたつあるだろ」
「衛兵さんが来たら、渡してあげてちょうだい」
髪が別人の物だった場合にそなえて、お二人は追加を作るためすぐさま工房へ戻っていかれました。
「……髪? だって、ポカルさんは……アリア、もしかしてポカルさんの事って……私達とサンドラさんしか知らないんじゃ!?」
そう、そうでした。
ポカルさんはフリシェンラスでは珍しい蛇の獣人です。
あの特徴的な布を剥がれてしまったら、誰もポカルさんだと気付かない。仮にポカルさんが意識を失われていたら、大きなトカゲだと言い張られて検問を抜けてしまう可能性があります。
私は、お預かりした魔道具に目を落としました。
蛇ならば、抜け殻か鱗でしょうか?
……いえ、こうして考えている時間も惜しい。
「……チトセ様」
どうしようと狼狽えるチトセ様を椅子に座らせて、私はその手を握り跪きます。
「どうか私に、ポカルさんの奪還をお命じ下さい」
チトセ様は一瞬目を見開かれましたが、すぐにその瞳は強い光を宿されます。
「……アリアは、それができるのね?」
「はい」
「アリアは死んだり怪我しちゃダメだよ? それでも?」
「可能です。そして許されるなら、賊を処分する許可もいただきたく」
処分……口の中でチトセ様が呟きます。
しかし、その目は揺らぎませんでした。
「……いいよ、やっちゃって。どうせ死刑なんでしょう? 私、これを許せるほど優しくない!」
力強い宣言に口角が上がるのを感じます。
立ち上がり、体に染みついたカーテシーを、我が唯一のご主人様へ。
「承知いたしました、チトセ様」




