幕間:目撃
ウィリアムは仕事の合間にマーガレッタと外出するようになっていた。
それは挨拶周りだったり、買い物だったり、何かしらの手配だったりと様々だ。
行き先や目的は多種多様だが、そのどれもこれもが『メグとの結婚』に帰結しているのだから人生わからないものである。
ウィリアムは孤児だった。
孤児院『ブラックベリー』で様々な事を教わり育ててもらったが、元々は商人の息子である。
とても幼い頃の事だったが、記憶力の良いウィリアムは覚えている。
行商人だった両親は、彼を連れた旅の途中で……人攫いに襲われたのだ。珍しい要素など何もない人間の一家だったというのに。
両親はそれなりに戦えたが相手が多すぎた。
抵抗した結果両親は殺されて、ウィリアムは捕まって……ちょうどそこへ、人攫いの情報を聞いた兵が乗り込んできたのである。
あと少し、兵が早かったなら……
あと少し、抵抗が続けられていたなら……
あと少し、ウィリアムに戦える強さがあったなら……
その『あと少し』を埋める手段を、ずっと考えてきた。
今更何をどうしたって、両親は帰ってこないけれど。
それでも、同じように命の危機に陥った誰かが、その『あと少し』をウィリアムが埋めていた事で助かったなら、きっと褒めてくれると思ったのだ。
だから、魔道具職人の道に進んだ。
あと少しになれる魔法を籠めた護符を作りたかった。
自分が戦う道は選べなかった。もしも自分が誰かに間に合わなかった時、二度と立ち上がれなくなる気がしたから。
幸いにも職人の才能には恵まれて、買っていった冒険者達から『これのおかげで助かった』と言ってもらえる度に、心が軽くなった気がした。
そんな風に生きて来た人生だったのに、いつの間にか、ひとりの女性が気になって目が離せなくなっていた。
メグ──マーガレッタ
それが恋だと自覚したのは、本当につい最近だったけれど。
だって、人魚だと聞いて、心の底から怖かったのだ。
人間の両親よりも、ずっと人攫いのターゲットになりやすい種族。
心配で心配で……そう、目が離せないのは心配だからだと、ずっとそう思い込んでいたのだ。
それがまあ、恋だったなんて、既成事実を検討されていた事さえ嬉しく思ってしまったなんて、人生わからない物である。
そんな風に、どこか夢心地な幸福感を味わいながらも、なんとか地に足をつけて新店舗兼新居の準備を進めていた……ある日。
彼女の叔母が座長を務めているという劇団──フリシェンラスで人気の劇団で驚いたし、その団員のほとんどが人魚だと聞いてもっと驚いた──で、挨拶をして散々からかわれた帰り道。
手をつないでいた彼女が、ヒュッと息を飲んだのにすぐ気付いた。
「メグ?」
足を止めた彼女を振り返る。
真っ青な顔色。
いつも明るい彼女らしくない、恐怖に見開いた目。
ウィリアムはすぐに目線の先を確認する。
──路肩に止まった幌馬車
あれか?
すぐにマーガレッタの肩を抱いて、脇の道へ入る。
「メグ、どうした?」
「ウィル──」
──パシン!
乾いた音と共に、馬車が動き出しこちらへ近づいてきた。
ウィリアムは、慌てて息を潜めたマーガレッタを引っ張り、民家の影に滑り込む。
縮こまる華奢な体を抱きしめて、ウィリアムは馬車が通り過ぎるのを待った。
……音が消え、しばらく待つ。
「……もういいだろ。大丈夫か?」
「う、うん……ウィル、あれ……人攫いの馬車だったかもしれないわ」
一瞬、心臓が止まったかと思うほどに動揺した。
「『灰色の口布には近づくな』って、人魚は注意しあってるの」
「灰色の……」
「あそこからじゃ遠かったけど……馬車の中で動いてた人、灰色の口布を着けてるように見えたのよ」
待て。
記憶力の良いウィリアムは覚えている。
あの幌馬車はどこにいた?
道の先。
路地の向こう。
店舗が連なった長屋の前──
──長鉢荘だ
「まさか!」
「ウィル!?」
違っていて欲しかった。
長鉢荘、馬車がいたのは南棟正面。
南棟は向かって左端が楽器店『ワンダラーの友』、中央が革細工店『竜の末裔』だ。
ウィリアムはまず、距離が近い『ワンダラーの友』の戸を掴んだ。
「っ、開かない……ハンジェス! いないか!?」
応答は無かった。そもそもこの店は留守がちなので、普段と違いが判らない。
ウィリアムは手をつないだままのマーガレッタと共に、次は『竜の末裔』へ駈け込んだ。
──ガチャン!
鍵のかかっていない扉は容易く開いた。
「ポカル!」
誰もいない。
棚の商品も無くなっている。
「ポカル! どこだ!」
「ウィル、これ!」
マーガレッタが指すのはカウンターの上に残された一枚の紙きれ。
──『辛くなったので故郷へ帰ります。お元気で』
「っ、ふざけないで! こんなもので騙されないわ! 私みんなと約束したもの! 引っ越したら教えてくれるって……ポカルだって笑った声で、嬉しいって言ってくれたのよ!」
ウィリアムは同意しながら、内心で冷や汗をかく。
軌道に乗らずに失意のまま故郷へ帰る者は少なくない。もしも彼女が約束していなかったら、信じてしまっていたかもしれない。
「……メグ、サンドラさんに伝えるんだ。その次は衛兵だ。俺はポカルを探す準備をする」
「わかったわ!」
ウィリアムは裏口を開けて、まっすぐに自分の工房へと走る。
──あと少しを埋めるんだ!
人攫いに遠くへ売られてしまったら手遅れになる。
振り切るように工房へ駈け込み、道具を揃え、己の技術を総動員して必要な魔道具に力を注ぐ。
……自分たちの帰りが『あと少し』早かったらだなんて、絶対に思いたくなかったのだ。




