お屋敷のメイド
霧雨が通り過ぎた雨上がり。
固く分厚く凍りついて残っていた雪には丁度良いシャワーとなったようで、新芽の柔らかな黄緑色がちらほらと萌える街中はすっかり春の姿となりました。
しっとりと濡れたフリシェンラスの街並みを、私はやや急ぎ足で目的地へ歩きます。
今日の私はチトセ様の使い。
お忙しい主に代わり、新しい工房となる屋敷について諸々の用事を足しにまいります。
* * *
『ドドンガ建設』さんによる新築工事は、驚くほど速く完了しました。
ドワーフに対するお酒の力とは恐ろしいものです。
白灰色の石造りの壁、木製の屋根、中央都市フリシェンラス定番の素材は街並みによく馴染んでいます。
建物は2階建てに屋根裏部屋が少々。スティシアさんの住居兼作業場となる塔部分のみ3階建て。
当初の予定よりも柱や窓枠に装飾が増えているように見受けられました。
「おう、メイドの嬢ちゃん」
「お久しぶりです、ドンさん」
「お前さんのご主人様は来られんのだったな」
「はい、申し訳ございません」
「謝ることはないわい。繁忙期の職人にはよくあることじゃ」
確認のため、屋敷前で待っていてくださったのはドンさんです。
そして……ドンさんの後ろには若いドワーフの女性が。
「そちらは……?」
「おう、ワシの孫じゃ。ほれ、挨拶せい」
「あ……初めまして。ディラヴァンドラと申しまふっ。ディラとお呼びください」
ディラさん。赤毛を可愛らしく三つ編みのお下げにしており、緊張のためかときどき噛んでしまっておりますが、可愛らしいお嬢さんです。
年の頃は……ドワーフの成人直後の16才前後といったくらいでしょうか。濃紺のワンピースに白いエプロン、白い帽子を被っていらっしゃいます。
……これはもしや。
「ディラさん、ですね。私はチトセ様のメイドをしております、アリアと申します」
「は、はひっ……本物だぁ……」
「すまんのぉ。家で『良い御屋敷ができた』と仕事自慢しとったら『どうしても見てみたい』言うてな……」
「構いませんよ」
「そう言ってもらえると助かるわい。じゃあ行こうかの」
ドンさんの案内で、完成したばかりの屋敷の中へ入りました。
正面の扉をくぐった1階部分は、カウンターと広い作業場となっております。
ナノさんの御要望により、カウンターは奥行が少々広め、リリパット向けの仕事道具入れが違和感なく可愛らしい収納として作られており、ワフフさんの足場が後ろに。
奥には扉が二つあり、片方は資材倉庫へ直通。もう片方は屋敷の奥へ続いています。
後者の扉を潜り、奥へ進みます。
1階の残りのスペースは調理場と使用人の部屋です。
工房用の資材倉庫とお屋敷用の倉庫は壁一枚を挟んだだけで位置は同じ裏側、地下室も倉庫ですのでここに階段があります。使用人や搬入業者は基本的に裏口を使います。
2階はチトセ様のお部屋と、食堂や書斎、そして将来住み込みの弟子が増えた時につかうお部屋や客間です。
ありがたいことに、私は使用人ではありますが、チトセ様のメイドであり従者のような立場ですので、チトセ様のお隣にお部屋を用意していただきました。何かあってもすぐに駆け付けられます。
お風呂はそれぞれ使用人用が1階に、チトセ様とスティシアさん用が2階となりました。
それに合わせて、スティシアさんの塔は1階が作業場、2階が屋敷のお風呂場やトイレと繋がる生活スペース、3階が寝室となりました。
一通り見て回りましたが、素晴らしい出来栄えです。
家具こそまだ入っていませんが、広さ、歩きやすさ、共に問題ありません。
「……素晴らしいお屋敷に仕上がっていますね」
「そうじゃろそうじゃろ! 酒を貰った事もあって、今回は特に良い仕事させてもらったわい!」
内覧を一通り終えて、私達は1階のカウンターへと戻ってまいりました。
滞りなく確認を終えたので、契約完了のサインを入れ、約束通り『ドドンガ建設』さんへお酒の引き渡し証を一緒にお渡しします。
「おおおおああ! 目録が本当に倍量じゃあ! ありがたく頂戴いたす! 何か不具合が起きたら連絡をくだされ! すぐに修理に来るからの!」
「わかりました」
今夜は酒盛りじゃあ! と浮かれるドンさん。
……その後ろで、憧れにも似た眼差しで屋敷を見つめるディラさん。
恐らく、この勘は間違っていないでしょう。私はお二人に声をかけます。
「ところで……もしやディラさんは、メイドの職を御希望されておられますか?」
お二人が、とてもよく似た驚きの表情で振り返りました。
「えっ、な、にゃんで……」
「はー……わかる相手にはわかるもんじゃなぁ!」
「……反対されたわけではないのですよね?」
「反対はしとらん。ただのう……やはりドワーフがメイドになるっちゅうのは……」
ドンさんが言葉を濁された内容を、私は察することができます。
メイドを雇うようなお屋敷は、当然お金がある主人の物。そしてお金持ちは……明け透けに言ってしまえば、見栄っ張りが多いのです。
世間一般において、メイドとは屋敷の備品。同じ備品ならば、見栄えの良い物を選ぼうとするのが上流階級の考え方。大人であっても背が低いため他種族のメイドと並ぶと見劣りしがちで、家事魔法も不得意なドワーフは敬遠される傾向にあります。
さらにドワーフは力が強いですから、何かを破損してしまった時の『やはり……』という風当たりが、他種族よりも強いのです。
そういった不愉快な思いをすることがわかっているので、ドワーフの方もメイドを選ぶ者がいないのだとか。
「まぁ種族で向き不向きがあるのは確かじゃからな。ドワーフとエルフは特にそのへん極端じゃ……いくつかお屋敷に行ってはみたが雇ってもらえんくてな。だからといって可愛い孫娘を変な家に行かせるわけにいかんし……今日この屋敷の中をそれっぽい恰好で歩かせてもらって。それですっぱり諦めるつもりだったんじゃ」
「…………」
なるほど、お仕着せに似た服を着ていらしたのは、やはり勘違いではなかったのですね。
私は、しょんぼりと俯くディラさんを不躾にならない程度に観察します。
ドワーフの女性として平均的な身長は確かに私よりもかなり低いですが、担当の割り当てや台さえ工夫すれば掃除も調理場のお手伝いも問題ないでしょう。ここは工房を兼ねている屋敷ですので荷運びは多いでしょうから、ドワーフ特有の力強さはむしろ望むところ。
そしてチトセ様は、そもそも使用人の見栄えを気にされるような方ではありません。
……これは渡りに船かもしれませんね。
「……いかがでしょう? ディラさん、この屋敷で働いてみませんか?」
「え……」
「おいおい、そんなことメイドが決めていいんか?」
「チトセ様から使用人の雇用権限はいただいております。もちろん最終的な決定は仰ぎますが……チトセ様は種族や背の高さで選ぶ事は無いと思いますので」
「あー……そうじゃな、あのお嬢さんなら無いじゃろうな。しかし、即戦力でなくてええんか? 掃除洗濯と家庭料理くらいは仕込んどるが、メイドとしては新人じゃぞ」
「まだ引っ越しまでしばしありますし。心当たりがひとつありますので、相談して良い場所があれば、そちらで研修していただければ、と」
なにより、ラズオール様やエスティ様が選んだ『ドドンガ建設』代表のお孫さんというのが素晴らしい。
何かしらを介すれば、どこの手の者が名乗りを上げるかわかったものではありません。いずれどうなるかはわかりませんが、今のところチトセ様は自由に活動されたいご様子ですから、余計なしがらみはできるだけ避けたいのです。
かといって、どこにも所属していない身元不明者等は何が飛び出してくるかわかりません。いっそメイドも孤児院からお願いしようかと考えていたほどでした。
「そこまで言ってもらえるなら……ディラ、お願いしてみるか? ここを逃したらもう無いかもしれんぞ?」
「う、うん。お爺ちゃん、アタシ、やってみたい! あ、アリアさん、よろしくお願いしましゅ!!」
そうと決まれば、こちらも手配をしなければなりません。
屋敷で予定していた家具屋との打ち合わせを済ませ、工房へ帰還しチトセ様に許可をいただきます。
「え、そんな映え重視でドワーフ雇わないとかあるの? いいよ、うちは全然気にしないから。立派なメイドさんにしちゃって!」
「ありがとうございます」
さすがチトセ様。快く許可を出してくださいました。
別途相談させていただいた研修先も、色よい返事がいただけましたので、これで一安心です。
* * *
そして数日後。
あらかじめ連絡していた通り、私はディラさんを連れて研修先へと赴きました。
「えっと、アリアさん。結局、アタシはどこで研修を? ……ここ、貴族街ですよね?」
「もうすぐですよ……こちらです」
「お久しぶりですなアリア殿! そちらがメイド志望のディラヴァンドラ嬢ですな!? このドゥルドゥがお仕えする家のメイドということで、我がコッコ家のメイド長キャサリンに指導をお願いいたしました! ドワーフは力がお強いとの事ですが、ディラヴァンドラ嬢はまだお若いですのでキャサリンほどお強くはないでしょう! ご覧くだされ! このキャサリンの逞しい肩! 胸筋! 僧帽筋! 上腕二頭筋! 鶏の獣人の女性の中でも、これほど見事に鍛え上げているものはそうおりませんぞ! これほど逞しくとも一流のメイド長なのですから心配なさらなくてよろしい! 身の丈など些細な事! お屋敷が整うまでには、立派なメイドに仕上げてみせましょうぞ!!」
「あぁあああぁぁああああのあにょあの! ここってあにょ!?」
「はい、コッコ侯爵家です」
「こっ、ここっ、こっこっ、侯爵しゃま!?」
「コッコ侯爵家です」
執事となるドゥルさんにディラさんの研修先を相談をしたところ、『ならばぜひコッコ家で!』と快諾してくださいました。
コッコ家は人柄も良く、様々な職業に理解のあるお家です。
ディラさんを素晴らしいメイドに育ててくださる事でしょう。
「ではディラさん、頑張ってくださいね」
「は、はははは、はい! がんばりましゅ!!」




