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幕間:赤い糸の騎士嫁


 家族だけの、祝いの席を設けてもらった翌朝。

 中央都市フリシェンラスの離宮にて行われた、除籍の儀。


 体に刻印していたヴァイリールフ王族紋、『転移』の魔法を使うための秘術でもあるそれを、剥離させる儀式を終える。



 * * *



 母である第三夫人ミルールは、丈夫な旅装束を仕立ててくれた。

 継母である正妃シルティア様は懐刀の短剣を、第二夫人ヴェリセリンド様は最新の地図を。

 1番目の王子ヴォルデン兄上は、騎士隊用の剣を返却した代わりにミスリルの剣を。

 3番目の王子ギリアムは、とても丈夫な水筒を。

 4番目の王子ラズオールは、鞄型の魔道具を。

 5番目の王女フィーシェは、小さく扱いやすいカンテラの魔道具を。

 6番目の王子ノーステラは、病床で祈ってくれたお守りを。

 7番目の王女エスティは、不思議な糸で織ったという暖かい肌着を。


 家族の祝いの品だけで、支度はほとんど済んだと言ってもよかった。

 荷物は少なくていい。

 ドレスも、宝石も、王女として必要だった物は、これからの生活には必要ない。


 祝福だけを身に纏い、花嫁衣裳でもある母が用意してくれた装束に己の覚悟と誓いを、魔石を紡いだ赤い赤い糸で刺した。


 これが、王族ではなくなったカノーティアを構成する全て。


「カノーティア様! お幸せに!」

「お元気で!」

「いつでもお顔を見せてくださいね!」


 離宮の者達が、新たな門出のカノーティアを見送ってくれた。

 王宮の使用人や苦楽を共にした騎士達には、既に別れを済ませてある。

 いつも騎士の訓練にばかり赴いていたから、離宮務めの者にはあまり面識が無いなずなのに……いや、離宮の衛兵には訓練で何度も顔を合わせた者達がいた。


 離宮の門を出て、振り返る。


 衛兵だけではない、文官も貴族も平民も、様々な者達が顔を出し、見送ってくれていた。

 それに、窓から見えるあの顔は……兄と、弟妹達、そして父である国王陛下。


 ──父は、ロズワル陛下その人は、直筆の血統証明を書いてくれた。


 王族ではなくなる彼女にとって、それはどこの国へ行こうとも万が一の時の助けになるには違いなかった。

 ……だがカノーティアは、それを使うつもりはない。

 大切な人の命がかかれば考えるが、一人前になり、その庇護から離れるのだ。これがあるから大丈夫などと甘えてはいけない。

 これはあくまで、カノーティアがヴァイリールフ王家で生を受けたという証と、家族の絆だ。


 どこか寂しそうな顔をした家族達と、王族でなくなっても慕ってくれるかつての部下達へ。

 カノーティアは大きく手を振り、そして背を向け、前を向いた。


 快晴の空。


 大きく響き渡った宰相殿からの祝福の声を背に、歩き出す。



 2番目の王女『カノーティア・ヘルデ・フュル・ヴァイリールフ』は

 春の日の今日。

 王族籍を抜けて、ただの『カノーティア』になった。



 * * *



 王宮が生活の拠点である王族達は、中央都市の民にはあまり顔を知られていない。

 王都はそれこそ銀狼の獣人の街であり、誰も彼も遠い親戚のような有様なのだが……血の連なる皆が皆、王都で暮らしているわけでもない。平民となっている銀狼の獣人はもちろん大勢いて、中央都市にもそれなりの数がいる。

 だから、離宮を離れてしまえば、カノーティアはもうそこらの冒険者と区別はつかなくなっていた。

 装いこそ新品ばかりなのが強いて言うなら浮いているが、隙の無い立ち振る舞いと武装姿での歩きなれた様子を見れば、『装備を新調した冒険者』としか周囲には認識されなかったのだ。


 いつかこうなると思って、訓練をしてきたから。


 騎士隊と共に、厳しい行軍だって経験してきた。王女だからといって、隊長に手加減はさせなかったし、『転移』で帰って夜を明かすような真似だってしなかった。この未来を、見据えていたから。これが彼女の、花嫁修業だった。


 たどり着いた冒険者ギルドには、たくさんの冒険者達。


『Aランク冒険者ロットフレア・コッコが、カノーティア王女様と結婚する』


 その報せを聞いて、祝いに、冷やかしに、元王女様を一目見に、集まってきた同僚だ。

 誰も彼もが、やってきたカノーティアの姿に驚いた。

 思い描いていた王女様の姿とは違う、冒険者の真似事などではない、とうに自分達と変わらない顔つきをした女性騎士の姿がそこにあったからだ。


 ギルドの中をざっと見渡し、カウンター近くに望みの姿を見つける。


 ギルドマスターと話しをしている後ろ姿。

 愛しい君。

 振り返った相貌に見つめられれば胸に炎が灯る。


 夫となる人、ロットフレア・コッコ。


「……待たせた」

「遅ぇよ。Aランクになっちまった」


 ふっと笑いながら差し出された手に、手を重ねる。


 もうこの手を離さなくていいのだ。

 ずっと一緒に繋いでいられるのだ。


 カウンターで、義父となるギルドマスターその人に、冒険者登録をしてもらった。

 受け取った冒険者ギルド証は駆け出しのEランク。誰でも同じ、元王女だって関係ない、それが無性に嬉しい。


「……よし、これでいい。皆聞けぇ! うちのAランクのロットフレア・コッコが! 元王女様で駆け出しEランクのカノーティア様と! 今日を持って夫婦になるぞぉ!!」


 ──ワァッ!


 と、湧き上がる歓声。

 嵐のような祝いの声と口笛。

 冒険者の結婚はこれで完了だ。ギルドマスターが証人となり、宣言し、仲間が祝えば、それで認められる。


「義父様、もう私は王女ではありません。どうか、カノーティアと」

「ん、そうだったな……うちのバカ息子をよろしくなカノーティア」

「はい!」


 そんな会話を義父と交わす後では、夫となったロットフレアが冒険者仲間達にバシバシと背中を叩かれている。

 カノーティアにも、護衛任務や騎士と合同の討伐任務などで知り合った女性冒険者が声をかけに来てくれた。


 ずっと遠くから見ているだけだった輪に入れた事が嬉しい。


「……ところでカノーティア。お前さん、その服魔石付きか? ……にしては石が見えないんだが」

「ああ、これは魔石を紡いだ糸で刺繍をしたんだ」


 ──ざわっ


 と、空気に驚きが渦巻いた。


 冒険者達の目線が自分の花嫁衣裳に向いた事がわかり、口角が上がる。

 ……これが、王女としての最後の仕事だ。


「気になる者もいるだろうが、少し待って欲しい。この糸を紡いだ職人は、夏から弟子を取って担い手を増やす予定なのだ。そう遠くない内に手が届くようになる」

「おう、それアレだろ。水の釣り糸紡いだとこのだろ?」


 思いがけない援護が、見知らぬ冒険者から飛び出した。


「ああ、あれと同じところか!」

「知ってる! 商人ができるだけ他所の国には内緒にしてって必死だった糸の話!」

「俺も聞いたぜ!」

「あたしもー!」

「じゃあ俺達もよ、ギリギリまで黙ってりゃあ余所の国の冒険者に自慢できるって事だよな?」

「そりゃいいや! お前らもそうすぐには他所の国行かないだろ?」

「行く予定はねぇよ」

「商人ギルドと一緒に、こっちもできるだけ極秘にしとこうぜ!」


 ゲラゲラと楽しそうに笑って、秘密秘密と蓋をしていく同僚達。

 貴族のように、裏の事情を汲んだわけでもあるまいに。

 完全な秘匿は無理だろうが、それでもこれなら『真偽を確かめる必要のある噂』ではなく『眉唾物の与太話』程度にまで情報は抑えられるはず。


 カノーティアは、柔らかく微笑んだ。


 伴侶の愛する荒くれ者たちの世界。

 その世界の優しい一面を、気の良い物たちの好ましい一面を、さっそく知る事ができたから。


 ふわりと、優しく大きな手が、カノーティアの頭に乗せられる。


「そんじゃ行くぞ」

「どこへ?」

「とりあえずどっか。ここにいたらいつまでも見世物だからな」


 ひょいと手を引いて歩き出すロットフレア。

 ニヤニヤと笑う同僚達の顔。

 手を引かれながら、純白の羽に包まれて赤面する事の無い彼が照れているのだと知ってしまえば、ただただ愛しさがこみ上げるばかり。


「……ロットフレア、それなら壁の外へ行こう!」

「は? 住む家とかどーすんだ」

「しばらくはいらないだろう。私は宿暮らしという物も経験してみたかったのだ!」

「マジかよ」


 後ろから「熱いねぇ御両人!」「お幸せにー!」と声が追いかけてくる。

 その声に向かって、照れ隠しに「コケェエッ!」と鋭く鳴いた彼の横で。

 カノーティアは、それはそれは幸せそうに、彼女らしい顔で、笑っていた。




 賑やかな春の空の下。

 カノーティアは、ロットフレアと夫婦になった。


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