送りの日
半年近く続く長い冬もようやく終わり。刺すように冷たい風が、明らかに柔らかく優しい温もりを孕んだ風に変わった事に気が付きます。
王家の注文も、王女様の花嫁衣裳分はひと段落し、ほっと一息といったところ。予想よりも早めに完了したのは、やはり子供と言えども器用なリーリャさんによる下処理の手が増えた事が大きいでしょう。
暖かくなり、街中の雪はほとんど溶けて、庭の土を久しぶりに見る事ができるようになってきた頃に、春の新年祭が始まります。
浮足立つ心をそっと宥めるかのように……町のあちらこちらに飾られるのは黒い布。
白灰色のフリシェンラスが、この日ばかりは黒を纏い、重く静かで厳かな空気に包まれます。
今日はどんなに元気な悪戯っ子も不思議と大人しく声を控える、弔いのための時間。
──『送りの日』です。
この日は皆、仕事を休み、故人を偲びます。
喪服を着て。
家で静かに過ごす者。
思い出の場所へ、そっと足を運ぶ者。
王族や貴族は、務めとして王都で国葬の儀を行っているそうです。
そして年内に大切な人が亡くなられた方は、神殿へ足を運び、神が墓から集めて送り出す直前の魂へ最後のお別れをします。
生き抜いた魂は送り出され、世界樹の中を通り、新たな魂となってどこかの誰かとなり生まれ落ちる。
よって今日が、その人がその人で身近にある最後の日なのです。
「……ねぇアリア」
「はい、チトセ様」
「考えてたんだけど……神殿に、行きたいんだ。付き合ってくれる?」
「お供いたします。……どなたか、亡くなられた方が?」
「うん……」
窓の外を見ていたチトセ様は、どこか困ったようなお顔で振り向かれました。
「……私が、さ。元の世界だけど……1回、死んでるから」
* * *
重く黒い幕で飾られた神殿は、いつもよりもさらに静かに、深く深く水底に沈んでいるかのような雰囲気でした。
喪服の黒いローブにすっぽりと身を包んだ方々が何人も神殿を訪れ、時には嗚咽と涙を零される様子も見られます。
石造りの大きな祈りの場へ入ってから、チトセ様は喪服のフードを被られました。周りは皆、被っている方ばかり。私もそれに倣い、フードを被ります。
……実のところ、私は『送りの日』に神殿に来たのは初めてです。
人の死は、何度も見送ってまいりましたが。その死を惜しむほどに大切な方は、私には今までの人生においてチトセ様しかいらっしゃらないのです。
……いえ、強いていうのなら、私に『メイド』というものを教えてくださった『先輩』も、大切な事を教えてくださった大切なお方ではありました。今はどこで何をされているのか存じませんが、もしも『先輩』がお亡くなりになられた時にそれを私が知ったなら……ここへ来たかもしれませんね。
前を歩くチトセ様に続きます。
御自分の死を、見送りに来たチトセ様。
その御心の内は、私には計り知れません。
祭壇で、静かに、震える事もなく、祈りを捧げるチトセ様。
しかし、その祭壇におわす神の御許に、チトセ様の魂はいないのです。
……祈りを終えたチトセ様は、しばし祭壇を見つめておられました。
そして振り向き、祈る前と同じ、困ったような微笑みのまま頷かれ、神殿の外へと歩き始めます。
「……お疲れ様でした」
外へ出たチトセ様に、横合いから穏やかなお声。
メェグエーグ侯爵が、喪服を身に纏い、静かに微笑んでおられました。
チトセ様は一瞬驚いたように目を開きましたが、すぐに、どこかほっとしたようなお顔に変わり……
「すみません……少し、お話聞いていただいてもいいですか?」
* * *
快諾されたメェグエーグ侯爵の案内で、人気の無い神殿の庭のベンチへと足を運びます。
私は席を外していた方がよいかと思いましたが、チトセ様に引き留められ、ベンチの脇でお二人を見守る事にいたしました。
「……私、この世界の人じゃないんです」
「ええ……異世界から、世界樹を通っていらした方、ですね?」
「やっぱり偉い人はわかるんですねぇ……」
穏やかな空気の中、重く曇った灰色の空の下で、ぽつりぽつりとチトセ様は話始めました。
御自分が、元の世界では馬車のような物に轢かれて亡くなられていること。
一度死んでいるから神殿に来てみたものの、やっぱりよくわからなかった事。
「……何が知りたかったわけでもないんですけど」
「私、死んで世界樹を通って……色んな事が目まぐるしく進んでいくのに、知らない事ばっかりの世界が楽しくて」
「アリアがいて、優しい人たちと、たくさん出会って……なんだか夢を見ているような気分になる事があるから、ちゃんと生きてるのかな? って……」
「死んだ私が、今際の際に見ている、幸せな夢なんじゃないかって……思う事があるんです……」
「世界樹を通ると、生まれ変わるなら……私は? 私はちゃんと、私なのかな……」
「こっちの神様は、すごく近いというか……きっと、本当にいるんですよね? だから……もしかしたら、何かわかるとういか……感じる事があるかなって……」
チトセ様自身もよくわかっておられないような、困惑したままの声色。そんなとりとめのないチトセ様のお言葉を、メェグエーグ侯爵は静かに頷きながら耳を傾けられておりました。
そして、チトセ様の言葉が途切れた所で、常通りの穏やかな声で語り始めます。
「まず、貴女はひとつ勘違いをしておられる。『魂は世界樹を通って生まれ変わる』、そして『異世界からの来訪者も世界樹を通ってやってくる』。これはどちらも正しいのですが……道が少々違うのです」
「道、ですか?」
「そう。亡くなられた方々は、水の流れと共に世界樹の根から吸い上げられ、木の中を通って、その際に浄化されます」
メェグエーグ侯爵は下から上へ、吸い上げられるような手振りをいたしました。
「それに対して異世界からいらした方は……こう、上から降りて来るそうなのです」
「上から」
「はい。そもそも世界樹という物は……ずっとずっと、世界よりも大きな存在であり、この世界の世界樹は……マリンゴが木に繋がっていた細い枝があるでしょう? あの部分らしいのですね」
「あ、この世界って木の実みたいな物なんですか」
「誰が確かめぇたわけでもありませんが……伝承によると、そういうことらしいですよ」
「へぇ……あ、じゃあ上から来るって事は……」
「そうです。そのもっと大きな、大元の樹の方から来ている事になるわけです」
「……もしかして、『世界樹を通ってやってくる』って」
「ええ、その大きな方の事ですね。まぁ、枝を伝って来ているのですから、間違いではないのですが……つまり、貴女は魂の浄化部分は通っていませんので、貴女は、きちんと貴女のままこちらへいらしているという事です」
静かなお庭に、チトセ様が大きく深呼吸なさった音。
ずるりとベンチに体を預けて力を抜いたチトセ様は、嬉しそうに微笑んでおられました。
「なぁ~んだ……」
「故郷ではお亡くなりになられたかもしれませんが。貴女はこの世界に降りてきて、こう……世界樹の葉に当たって、ポヨンと跳ねて。その大いなる樹の葉の力をいただき、この世界で体を写し取って生を受け、今まさにしっかりと根付こうをしている、ひとりのヒトなのです」
「ポヨンと」
「そう、ポヨンと。……大丈夫。この世界は現実で、貴女はしっかりと、生きておられます」
メェグエーグ侯爵が、優しい手つきでチトセ様の頭を撫でます。
されるがままになっているチトセ様の瞳から、ぽろりと一粒。
私は……そっと、チトセ様にハンカチを差し出したのでした。
* * *
「お話、ありがとうございました」
「いえいえ……お礼ならぜひ、もう一度神殿で、我らが氷の神にお願いいたします。私に、チトセ嬢の話を聞いてこいと命じたのは氷の神ですから」
えっ、と固まるチトセ様に、メェグエーグ侯爵はメェメェと笑いながら続けます。
「フリシェンラスの筆頭司祭ともなると、ほとんど神の御用聞きでして。よくあるのですよ……『あそこへ行かねば』とか『声をかけねば』とか、そんな突拍子もない義務感に襲われる事が」
羊使いが荒いですよねぇ、と笑うメェグエーグ侯爵を、チトセ様は呆れたような感心したようなお顔で見つめます。
「……本当に、いるんですね」
「ええ。ですから、異世界からいらした貴女の事も、ちゃんと見ていて、こうして気遣ってくださったのですよ」
それを聞いたチトセ様は、ようやく本日一番うれしそうな笑顔を見せてくださったのでした。




