春祭りの支度
花嫁衣裳に用いる糸と布。
クリスタルオウルの羽に加えて、帆布の研究用に風羽も届き始めたハルカ工房は、冬を忙しく過ごしておりました。
……そして私としたことが、忙しさにかまけて大事な事を失念していたのです。
「チトセ様。春の新年祭に向けて、喪服と年越し以降にお使いになるお召し物の新調が必要でございます。近々、仕立て屋へまいりましょう」
「……ごめん、何にも話が見えないや。一から教えて?」
* * *
ヴァイリールフ王国にとって、年越しというのは春の新年祭の事。
冬から春へと移り変わる雪解けの時期に行われ、その祭の後から農家の方は種蒔きの支度を始めます。
そしてその祭は同時に、今年一年の内に亡くなられた方々を、冬と一緒にお見送りする日でもあるのです。
「ヴァイリールフ王国は氷の神が主神ですので、亡くなられた方々の魂は柔らかな雪によって痛みを冷やし、春に溶けた水と共に流れて世界樹の根本へ届けられます」
「へぇ~、なるほどね」
「また、冬が厳しいこの国では……春に溶けた雪の中から、人知れず凍死した方々が出てくることがございますので。そういった方々も全てまとめて、去り行く冬と共に国葬を執り行う『送りの日』が春の新年祭の一日目です」
「わぁ……思ったよりシビアな理由もあった」
一日目が、『送りの日』
冬を、死者を、惜しみつつ見送る弔いの日。
そして同時に、我々への試練と魂の慰撫と送還を終えた氷の神が神山へ戻る──降りて来ていたわけではないのですが──のを見送る日でもあります。休息に入られる神に静かな見送りをするという意味合いが強いのだとか。
そして二日目は、『転換の日』
「『転換の日』は、神が春や新たに芽吹く生命を迎えるための支度を行う日です。我々人の側は、前日の国葬の飾りを全て外し、三日目の祭りの飾りに取り替えます。この日は新しい年に切り替わる日なので、旧年でもなければ新年でもありません。どちらでもない日なのです」
「……その日に生まれた子って誕生日どうするの?」
……驚きました。
いえ、しかし、世界が違うということはそう言う事なのでしょう。
そもそも、新年祭の三日間すらご存じないのです。
「『転換の日』は赤子が生まれません」
「えっ?」
「生まれないのです。神が全ての魂を送り終えて新たな魂を迎える支度を行っている日なので、魂の流れが止まっています。魂にとっても『転換の日』なのです。神によって『転換の日』は異なりますが、どの神の場合も『転換の日』は子供が生まれません」
「へぇ~……」
この日に人が亡くなると、高確率で即座にアンデッド化します。行くべき場所へ流れて行けない魂が、死した体の影響を受けて変質してしまうためと言われています。
そのため、祭りの支度に合わせて治安の維持や急病人にも気を遣わなければならない、身分の高い方々にとっては中々に忙しく神経が磨り減る日なのだとか。
「そして最後が三日目、『歓待の日』です」
『歓待の日』は春の新年祭の本番と言ってもいいでしょう。
長く厳しい冬という試練を乗り越えた祝いの席。
新たな芽吹きや、新たな年に生まれてくる魂達を歓迎する宴。
次の年も強く生きましょうという誓いの儀式。
そういった諸々を全てまとめて、酒宴の席で祝います。
「……とはいえ、秋の収穫祭のような街を上げてのお祭りにはなりません。なんといっても冬を超えたばかりで、食料が乏しい事を想定していますので」
「あー、それはそうか。畑もそこからだったら、食べ物に余裕が出るのはもう少し先だよね」
「はい。なので飾り付けた広場でお酒が振舞われ、新しい服を着てダンスの輪が出来る程度です。若者はそこでダンスの申し込みをして恋人になる事が多いそうですよ」
「なるほどね。……えっと、つまり喪服は『送りの日』用に必要で……新しい服は、年越し後? 『歓待の日』から着ればいいって事かな?」
「さようでございます」
そういうわけで、チトセ様と私は箱馬車を手配して仕立て屋へ足を運びました。
春が近づき、まだ雪は降りますが、暖かい日が増えて積もっている雪は徐々に量を減らしています。真っ白だった道も、晴れた日の昼間は石畳が見えるようになってきました。
以前、念のためにとお出かけ着を用立てた店を、今回も使うことにいたします。
『白樺のトルソー』というその店は、職人や商人の仕事着から晴れ着に貴族や支援者などの前に出るための礼服まで、中流階級を対象に様々な用途の服を用立ててもらえるお店です。白い表皮がついたままの白樺をそのままあちこちに使っている店構えは明るく牧歌的。チトセ様も以前訪れた際はとてもリラックスされ、遠い国から来たと言えば色々とこちらの衣服のマナーを教えていただき、とても気に入られていた良いお店です。
「いらっしゃいませカイコミヤ様」
「お久しぶりです。今日は、喪服と、お祭りの日から着る新しい服をお願いします」
「かしこまりました」
このお店は若い夫婦が経営されており、御夫婦どちらも中々腕の良い仕立て職人です。この腕なら上流階級向けの仕事もできそうなものですが……様々な職人向けの作業着の改良をするのが生涯のテーマらしく、貴族向けの服を作るつもりはないそうです。
私はこのお店を『ムキムキ小麦』のサンドラさんから教えてもらいました。鍛冶職人の間では作業着の使いやすさと安全性もさることながら、礼服も息苦しくない物を作ってもらえると、とても評判なのだとか。
「喪服はオーダーメイドにいたしますか? 既製品もございますよ」
「う~ん……じゃあ既製品見せてください」
店主に案内された先には、黒いフード付きマントを着せられたトルソーが。
チトセ様の故郷では喪服は全身黒で揃えていたとの事ですが、こちらは違います。
頭から踝まで、全身をすっぽり覆って隠すことのできる濃い黒のフード付きマントを喪服と呼びます。
中に着る服は何でも構いません。葬列に加わる時は、故人との思い出が強い服を着て、上から喪服を被るのが一般的です。
他のマントと異なる特徴としては、フードがとてもとても深いこと。
喪に服している間は、突然深い悲しみに襲われて涙を零してしまうもの。そんな時、人目を遮ってくれるようにフードは深く、顔を全て覆う事もできるくらいの深さに作ります。
マントの裾を全身を覆えるほどに長く作るのも、他のマントとは違う特徴です。
足さばきには影響が出ますが、他のマントとは違う喪服だと一目でわかりますので。喪中にこれを着て外出する方は『そっとしておいてほしい』という意思表示にもなります。もちろん門での確認等は、きちんと顔を見せなければなりませんが。
トルソーに着せられた既製品は、無地の黒でとてもシンプルな物。丈の調整は多少必要です。
被ってみたチトセ様も、特に問題は無さそうでした。
「結構フード深いですね……こんなものですか?」
「そんなものです。お葬式の最中でなければ、フードを外して歩いて大丈夫ですよ」
「よかった、絶対転ぶ……」
「子供は手をつないでないと勝手にフード被って転びますねー」
オーダーメイド品は体格に合わせるのもそうですが、お家や商会の紋を黒糸で刺繍したり、裏地に聖句や光属性の護符を縫う等します。故人の髪を裏地に縫い付ける伝統のお家もあるのだとか。
「じゃあ喪服はこれで。裾上げだけお願いします」
「かしこまりました。新調される服はいかがいたしますか?」
「ん~……せっかくだから、作業服新調しようかな。ポケットとか欲しい所につけたいし、袖をまくりやすくもしたいので……細かい調整とかは、オーダーメイドですかね?」
「既製品からの調整ができそうならそちらでも大丈夫ですよ。内容、お伺いいたします」
『白樺のトルソー』が上流階級向けのお店と違う最大の点は、店内に革素材が多く置かれ、作業用の革製品を一緒にオーダーできるところでしょう。
チトセ様も店内の様子からそれをお察しされたようで、薄手の柔らかな革エプロンの他、ハサミやボビン等多種類の小物を入れられるベルトポーチのような物を細かく指定し注文されていらっしゃいました。
……チトセ様が故郷からお持ちになられた鞄を見た時から思っておりましたが、あちらの鞄は、ポケット等の小物入れがとても多い構造をしているのですね。こちらの鞄やポーチは革や布を箱状に作り、後は蓋の有無のみというのが一般的です。
チトセ様の御注文は、刃物を安全に納めるための小さなポケット、それを幾重にも重ねた上にさらにポケットをつけたような機能的な構造等々。雑談の中で様々な工具を吊るす構造等も語られ、店主夫妻は目を輝かせておりました。
仕上がった服は、後日長鉢荘へ届けていただくよう手配をし、チトセ様と私は店を出ます。
……そして同時に、お店は臨時休業となりました。
「……久しぶりだね、この感じ」
「そうですね。冒険者向けに魔道具を安全に腰に吊るす構造の話が最後に漏れ聞こえましたので……そういう事かと」
「火ついちゃったかぁ」
でも楽しみだね、と笑いながら私達は帰りの箱馬車へと乗り込みます。
「最初に色々売った鞄屋さんとか下着屋さんはどうなったかなぁ」
「噂ですが、どちらも売り上げが伸びているそうですよ。特に下着屋の方は貴族の女性から絶賛されていらっしゃるそうで、店を大きくして弟子を増やしたとか」
「おおー、頑張ってる! 良かったねぇ」
優しく笑うチトセ様はとても嬉しそうで、噂を集めていて良かったとしみじみ思いました。
* * *
余談ですが。後日、ポケットの多い機能的なベルトポーチは各職人……特に家や工具のサイズがまったく異なるリリパットに大歓迎され。中央都市フリシェンラス中の職人達が予約待ちをして買い求めたそうです。




