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幕間:最も魔物に詳しい男


 現ヴァイリールフ王国国王陛下に嫁いだ王妃様は三名。


 武力を重んじ、身分を問わず才有る者に騎士訓練校の特待生支援を行っている正妃シルティア。

 芸術や工芸を奨励し、多数の芸術家や職人のパトロンとなっている、第三夫人ミルール。


 そして第二夫人ヴェリセリンドは、学問や文芸等を奨励し支援している王妃であった。


 そんなヴァイリールフ王国の主要都市には、第二夫人が出資している特殊な本屋が一件ずつ存在する。

 そこは本屋ではあるのだが、棚をしばらく格安で間借りする事が出来るのだ。


 本を出すというのは敷居が高いものである。

 型を作って刷る印刷所は、基本的に国や貴族や大きな商会が高名な学者様や作家様に依頼し原稿を執筆してもらって持ち込む場所であり。内容は貴族の子供達の教科書や流行の教養あるいは兵士の心得等、『使うために作る』つまり売り手が決まっている本を作る場所なのだ。

 もちろん世に出回っている本はそういう物ばかりではない。

 本屋に並んでいる本も、ほとんどは手書きの私費出版。

 ……そう、高名な作家になりたかったら。まずは手書きの私費出版から始めるのが第一歩なのだ。


 とはいえ、それも簡単な話ではない。

 まずもって、本にするような綺麗な紙は高いのだ。白い紙ならば、なおさらに。包み紙にするような物や羊皮紙とは原材料からして違うのである。

 とある異世界から来た某紡ぎ士などは、工房で使う帳簿用のノートを求めた際にこの世界の紙事情を知り、「へぇ~、牛乳パックなんて夢のまた夢だね」と呟いたらしい。

 どんな紙でも紙であるなら文章が書けはするが、あまりにも粗雑で汚いと当然本屋から拒否される。

 他にも、悪筆すぎると読めないし、閉じて丈夫な表紙を付ける金が無いとか。そういう本未満も普通の本屋は扱いを拒否する。

 本屋だって売れなければ食っていけないのだから当然だ。

 新品も中古も雑多に扱うとはいえども、本屋というのは高級品を扱う店なのである。


 以上の理由から、庶民の才能というのは埋もれがちであった。

 だが、第二夫人ヴェリセリンドはそこに救いをもたらした。


 王妃が出資している『棚借り本屋』は、どんな本でも、本未満でも、格安で一定期間店に置かせてもらえるのだ。


 もちろん『どんな本でも』と言っても限度はある。

 べっとりと汚れがこびりついて他の本も汚すような物は論外だし、誤った情報を意図的に広めようとする物や犯罪に関わるような物は認められない。そう言った悪本は預かる店員による検閲の上で即座に突っ返される。


 悪本ではない、書き手の手の届く範囲で作られた私費出版の本や本未満は、ほんの数枚の銅貨さえ支払えば、書き手が設定した金額で棚に並べられる。

 書き手は指定の間借り期限がきたら必ず店に訪れる約束で、売れていれば売り上げを受け取り、売れていなければ本を持って帰るのだ。間借りの延長は追加の銅貨が必要。なお、取りに来なかった本は容赦なく捨てられる。


 このようなシステムの『棚借り本屋』によって、ヴァイリールフ王国では多数の庶民出身の作家や画家が世に生まれていた。

 王妃が出資しているということで、新たな流行書籍を求める印刷所の偉い人や、金と暇を持て余した隠居貴族などがちょくちょく店を訪れて立ち読みをしていく。そうして見いだされた才能が作家として支援を受け、世に羽ばたいていくのである。

 それになんといっても買う側としても安いので、庶民も気軽に手に取る事ができるのも強みだった。優しい老婦人が庶民の子供向けに絵本や手習い本を書いてタダ同然の値段で置いていくパターンは意外と多く、これにより平民の識字率の向上にも繋がっている。王妃がここまで効果を見越していたのならば、実に見事という他なかった。


 さて、場所は中央都市フリシェンラスにある『棚借り本屋』。

 ここには、とある長期連載中の私費出版本があった。

 いや、連載と言うと語弊があるかもしれない。


 それは魔物の図鑑のようなメモ書きの束である。


 絵本のように、表紙代わりの紙に大きく描かれた魔物の絵姿。

 中を開くと、そこにあるのは魔物の絵と名前、そして生態に関する走り書きだ。『いつもより大きめ』だとか『冬は夏よりも毛深い』とか『倒した後に肉を焼いて食べた、美味かった』とか。時折、かかった血が乾いた痕があり、それにも『爪で引き裂かれた』等と注釈が入っていて、きちんと魔物の恐ろしさがわかる。

 現地で冒険者が取った魔物の覚書に薄っぺらい表紙をつけただけ、そういう代物だ。


 この図鑑のような物。品質や内容に比べて、設定されている金額がとても高い。

 高いので、誰も買わない。

 そして誰も買わないからこそ、間借り期間中にたくさんの子供達が見る事ができた。買われる事が目的ではなく、多数の人が無料で見る事ができるようにわざと高く設定しているのだ。


 これを書いているのは、とある一人の冒険者である。

 その名を、ハミルトン。


 若い頃は作家を志し『棚借り本屋』に間借りなどしていたが、自分が書いた冒険者が主人公の物語はどうにもリアリティに欠けるとスランプに陥り、本物の話を求めて冒険者ギルドに飛び込んだ結果……何故かそのまま本物の冒険者になっていた、今は中年の男である。


 彼が書いているメモ書きは、自分用の覚書である。作家を志していた名残で、色んな事をメモする習慣が残っていたのだ。

『棚借り本屋』にしばらく置くのは、置いていたら他の冒険者も見られて便利かなと思ったからだ。

 子供の方に人気が出るのは予想外だったし、評判を聞いたギルドマスターに『報酬出すから、ギルドの図鑑に最新情報書き込んでくれや』と言われるなんてもっと予想外だった。

 そして『引き受けたからには真面目にやるか』と本腰を入れたハミルトンは、本物を求めて本物になってしまった原因である凝り性っぷりが再び火を噴き、他の冒険者や子供達のためにと多種多様な魔物の情報を得るべく討伐に向かいまくった結果……討伐記録が恐ろしい数に上り、いつのまにやら堂々のSランク冒険者になっていた。


 二つ名は『エンサイクロペディア』

 生の魔物知識の生き字引となっている事と、中央都市フリシェンラス冒険者ギルドの図鑑更新者としての実績から、そう呼ばれるようになった。


 基本ソロでパーティを組まず、魔法は身体強化のみの近接戦闘型でありながらSランクに上り詰めたハミルトンは、武闘派からも知啓派からも一目置かれる一流の冒険者になったのである。

 ……とはいえ、ハミルトン本人にそんな大それた事をしている自覚はない。

 どんな凶悪な魔物も珍しい魔物も手がかりを見落とさず、正確な情報を集める事ができる才能も。何の因果か持ち合わせていた、魔物達を単騎で倒す事ができる程の戦いの才能も。彼はコツコツ地道な経験の積み重ねの結果であり、己は凡人だとしか思っていないのだ。それこそが一種の才能なのだけれど。



 さて、そんなハミルトン。

 本日も、すっかり定住している冒険者宿の一室で目を覚まし、掃除の邪魔だと宿のおかみさんに叩き出されたので、無精髭の始末もそこそこにあくびを噛み殺しながら『棚借り本屋』へ預けていたメモの束を引き取りに行ったのである。


「おめでとうございます。こちら、売上金です」

「へ?」


 金貨の入った袋がじゃらりとカウンターに乗せられるのを、ハミルトンは五度見した。


「えっ、なんで?」

「お買い上げされた方がいらっしゃいましたので」


 それはそうだ。

 本来『棚借り本屋』とはそういう場所であって、庶民の図書館代わりにしているハミルトンの利用方法がおかしいのだから。さすがの彼もそのくらいはわかる。

 だが、まさかよれよれのメモを束にしただけの本未満に、金貨を支払う奴がいるとは思わないじゃあないか。


 それなりの大金が入った袋を受け取って、ハミルトンは途方に暮れた。

 散々危険な魔物を単騎討伐してきたハミルトンはその報酬金が貯まっていて金には困っていないし、若い頃に志した物語を書いたわけでもない(むしろその資料段階のようなメモでしかないし、今更物語を書く気はさらさらない)ので嬉しくもなんともなかったのだ。

 まいったな……と、振り向くと、メモが買われた事で読むことができなかった子供達もしょんぼりとした顔でハミルトンを見ていた。

 いつもメモを受け取りに来たあとは、群がってくる小さな読者達にメモを一緒に見ながら討伐の時の話をしてやるのが日課だったのだ。

 いたたまれなくて、ハミルトンは売り上げの金貨で『棚借り本屋』の絵本と安い菓子を山ほど買って子供達に振舞ってやった。なんとか泣かれずにはすんだ。


「……しかしどこのどいつだ? こんな無粋な真似をした奴は」


 無粋も何も、本来『棚借り本屋』とは本未満を売るための場所である。自覚しているハミルトンが手数料に少し色をつけて渡しているし、近所の子供達が楽しみにしているから、店員も目溢ししているだけだ。


 怒るほどではないやるせなさを抱えながら、予定が無くなったハミルトンは仕方なく冒険者ギルドに足を向けた。

 他に行くところが無かったとも言う。

 まだ真昼間なので、酒場も娼館もちょっと気が引けたのだ。気ままな独身のおっさんである彼には家族サービスする相手もいない。


 受ける気が無くてもギルドの掲示板を見に行くのは、もはや癖のような物だった。

 自由気まますぎてどこで何をしているかわからない変人揃いのSランク冒険者達の中で、『エンサイクロペディア』は定期的に情報をフリシェンラスに持ち帰ってくる違った意味での変人であった。

 そのためフリシェンラスにて高ランクが必要な緊急討伐依頼はだいたい『エンサイクロペディア』が受けている。ハミルトンとしても、タイムリーに暴れている魔物の情報が得られるのでむしろ歓迎している。

 なので『今日は緊急は無いかなー』と確認するのは既に習慣だった。

 ラフな格好でぼけっと掲示板を眺める『どこにでもいそうなおっさん』という風体の彼を、しかしキラキラとした尊敬の目で見る周囲の駆け出し少年冒険者達。

 ハミルトンにまったく自覚は無いが、彼が書き残した情報の世話になって命を救われ、緊急討伐依頼など手も足も出ない駆け出しの少年達にとって、彼は物語に書かれた英雄そのものなのである。かつてそういった物を書いていた当人に、まったくその自覚は無いが。


 ──と、そんなハミルトンの背後から、ずんずんと近づいてくる気配があった。


 いくら自分をただのおっさんだと思っていても、ハミルトンとてSランク冒険者である。気配には気付いていた。

 だが、どうせ自分と同じように掲示板目当てだろうと気にしなかった。殺気も無かったし。


 なので、ガッと肩を掴まれたハミルトンは、それはそれは驚いた。


「えっ、何?」


 振り向くと……なんだか四角いおっさんがいた。

 白髪の髪も髪と繋がっている立派な髭も、きっちり四角く刈り込まれていて眼鏡のフレームは横に細長い長方形。広い肩幅は姿勢が良いので、きっちりとした白いローブと相まって大きな四角に見える男。


「えっ、誰?」


 見知らぬ四角い男は、なんだか見覚えのあるメモの束を手にしながら言った。


「失礼。王立研究所の所長。グレゴリー・ロードランスと言う。Sランク冒険者の『エンサイクロペディア』、ハミルトン殿とお見受けするが、このメモを書いたのは貴殿か?」


 ああ、やっぱり。

 ハミルトンは目の前に突き付けられた自分の書いたメモを見て遠い目をした。

 じゃあこの四角いおっさんが無粋な張本人かぁ。


「そうだけど……あんたか、『棚借り本屋』でアホみたいなに高い値段にしておいたコレ買った人って」

「高いだと? 多分に主観こそ含まれているが、情報の新鮮さと得るための危険度を考えれば安いくらいだ! この対魔物の調査能力、野放しにしておくにはあまりにも惜しい! 君、是非とも王立研究所へ来る気はないかね!?」


 なんか変なのに捕まった……

 ハミルトンは困った。

 純粋にものすごく困った。

 なんだかんだ高給取りなので詐欺とかゴロツキとかその他ヤベーのとかに絡まれた経験は両手両足の指より多いのだが、悪意の無いタイプは初めてだった。

 しかもなんか、王立研究所とか言ってなかった? 国の偉い人じゃん……どう断れば角立たないかな……

 作家を断念した自分は頭がそんなによくない、と思っているハミルトンにエリートの巣窟であろう王立研究所へ行く気などさらさらない。

 しかし悪漢ならぶん殴って衛兵に突き出せばそれで終わるのだが、偉い人相手ならそうもいかない。

 とりあえずメモ書きはもっと高い値段にしないといけないなぁと現実逃避気味に思うのが精一杯であった。


 だが救いは思わぬところからやって来た。


「おいこらグレゴリー! ギルド所属の冒険者を『野放し』とか言うんじゃねぇ!!」


 コケコケコッコー! と憤りつつ奥から飛び出してきたのは我らが冒険者ギルドのマスターである。


「急に来たと思ったら依頼出すわけでもなく図鑑独占しやがって。挙句にうちの『エンサイクロペディア』を引き抜こうとするなんざイイ度胸じゃねぇかぁおい!?」


 てめぇは昔っからそうだ! と、四角い男の額を、キツツキが木に穴をあける時のように指先でつつきまくるギルドマスター。

 ……あれ結構痛いんだよな。

 しかしそれを受けている四角い男は特に動じた様子はない。


「何を言う、この知識は研究所にこそ必要な物だろう! 彼とて、国の歴史に名を遺す偉業に関わる事になるのだから、悪い話ではあるまい!?」

「いや~そういうのは興味無いんで、遠慮します」

「ぬぅう!?」

「ほら見ろ! Sランク冒険者なんてのはなぁ! 趣味と性癖と冒険者稼業が一致した奇人変人しかいねぇんだよ!!」

「いや、元Sランクのあんたがそれ言っちゃうの?」


 しかしこの四角い男も諦めが悪かった。

『そこをなんとかっ……!』と粘る粘る。

 ハミルトンはだんだんこの男がかわいそうになってきた。

 王立研究所とやらは、そんなに情報とか人材が足りていないのだろうか。

 魔物の素材から有効成分を見つけるのは大体その研究所の仕事だった気がするのだが、少ない人数でそれを頑張っているのなら少しくらい応援してもいいかなと思ったのだ。


「……ようは魔物の最新情報が欲しいんだろ? だったら俺が書き込みいれてるギルドの図鑑見て、足りない分は依頼出してくれよ。俺行くから。あとそのメモもさ、『棚借り本屋』に置いとく期間が過ぎたらそっちにやるから」

「ほう? ……無料でもらえるのなら願ってもないが、良いのかね?」

「いいよ。今までのだって宿の部屋に溜まるばっかりで、おかみさんに叱られたら捨てるだけだったし」

「なっ、こっ、これを!? 捨っ……!?」


 何がショックだったのか、四角い男は崩れ落ちて膝をつき、そのままギルドマスターに引き摺られ、奥へ行ってしまった。

 ギルドが間に入るなら、あとはあっちとギルドとの話し合いだ。

 ハミルトンは溜息を吐きながらカウンターによりかかると、顔見知りの美人受付嬢がひょっこりと顔を出した。


「おつかれぇ」

「おう……研究所とやらも大変なんだなぁ。王立だってのに、そこまで人足りてねぇのか……」

「いやぁ~? 十分いると思うよぉ?」

「え?」

「あの所長さんがぁ、お眼鏡にかなった人材を手当たり次第にスカウトする悪癖があるんだってぇ」


「友達に聞いた~」と語る受付嬢の言葉に、ハミルトンは納得のいかない顔で頭を抱えた。


「ええ~~~~……じゃあ俺が手貸す必要無かったじゃん」

「おっさん、ほんと詐欺とか引っかからないように気をつけなよぉ~」


 ウヒャヒャと笑う受付嬢に見送られ、ハミルトンはドッと疲れを感じながら出口へ向かう。好々爺という雰囲気の男とすれ違い、その連れとぶつかりかけた事を謝罪しながら扉に手をかけた。

 緊急の討伐も無かったし、今日はもう帰って昼寝しよう……


「……失礼。私、服飾素材系問屋『キャリジス堂』の店主、ヨーク・キャリジスと申します。魔物図鑑の閲覧希望はこちらの窓口でよろしいですかな?」


 扉を潜りながら背後に聞こえた受付の会話を、ハミルトンは全力で聞かなかった事にした。




『エンサイクロペディア』への指名依頼として、やけに素材の色艶や触感や人体への影響の詳細を求められる魔物の調査依頼が多発するのは、この少し後の事である。


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