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幕間:とある王家の品評会


「……わかってやっている気がする」


 末妹のエスティ王女とテーブルを挟みながら、4番目の王子ラズオールは奈落の底から這い出るような声色でそう呟いた。


「わかって、ですか?」


 エスティは新しい玩具を前にした子供のように目を輝かせながら、テーブルに乗せられた小箱を覗き込みつつ小首を傾げた。


 小箱の中身は糸巻きが4つ。

 差出人は他でもない、ハルカ工房のチトセである。


 何の事は無い、これは支援者であるエスティへのお披露目品だ。

『新作が出来たら世に出す前に送ってほしい』と、そう頼んだのはラズオールであり実際その通りに送られて来たのだから文句を言うのはお門違いである。

 だがその物が問題だった。


「来たぞラズオール」

「季節の催し事以外で貴方が家族に招集をかけるのは珍しいわね?」


 この糸を見て、ラズオールは王家である一家一同の招集を決めた。

 引退している祖父母や政治に関わらない王妃達はともかく、父王や兄弟姉妹はノーステラを除いて全員である。

 場所は王宮の一室。人払いが面倒なので王家の家族団欒の間をそのまま使った。

 続々とやってくる兄弟姉妹達。

 嬉しそうなエスティは廊下の侍女からティーセットを受け取り、せっせと茶の支度を進めている。王家団欒の間はオフレコで色んな事を明け透けに話すので、命令が無い限り侍女も部屋には立ち入り禁止なのだ。

 だがそんな可愛らしいティーパーティにはならないだろうとラズオールは確信していた。

 そして約束の時間の直前、扉が開いて父である現国王ロズワルがやってくる。


「待たせた。とりあえずグロリアスに全部押し付けてきたから午後は丸ごと使えるぞ。それで、何があった?」


 家族水入らずで過ごすための部屋に作法も何もない。父王は兄弟姉妹が並ぶテーブルの席にどさりと腰かける。

 だが漂う空気は公務のそれであった。ピンと来ていないのはエスティだけだ。


「本日お呼びしたのは他でもありません。何度か御報告させていただいていた、エスティが支援している糸工房。そこの新作について、御意見を伺いたく存じます」


 ラズオールがあえて固い語り口で切り出した事でそれは決定的になった。


「糸巻きは4つ届いたのですが……一番とんでもない物をさっさとお目にかけます。……これです」


 ラズオールが取り出したのは灰色の糸巻きである。

 小箱から取り出した途端、ふわりと上質なテーブルの上をすべる穏やかな風。父王と長男は眉を寄せて窓を確認した。真冬なのだから、もちろん閉まっている。

 糸巻きから目を離さなかったのは3番目のギリアムだった。


「……ラズ。気のせいじゃなきゃその糸巻き、風が吹いてないか?」

「そうです。エスティ、説明を」

「はいお兄様。えっと、チトセ様からのお手紙によると……『ブロウクロウという魔物の風羽を紡いだ糸』との事ですわ。糸にすることで風の流れを一定に安定させられるのですって」


 ほぉ……と誰ともなく感嘆の声が零れる。

 だがエスティの次の言葉で家族会議の場はひっくり返った。


「それから……『織り士の工夫次第では、風の向きを1方向にした布にすることも可能だったと記憶しています。帆船の帆布に良いのではないでしょうか』ですって」

「はぁあ!?」


 王族達はその言葉を飲み込むのに少々時間がかかった。

 既に飲み込み済みだったラズオールは自棄になったように茶を煽っていた。


「……おい、つまり何か? 風が無くても自分で風を起こして進む船が出来ると?」

「遭難防止のために乗船させている風魔法の使い手が死に物狂いで動かす帆船を? この糸だけで?」


 父王とギリアムが呆然と呟く。

 特に軍人系のカノーティアとギリアムは国が所持する軍船で何度も訓練を行っているのだ。この中では他よりも、風魔法で船を動かす難しさに詳しかった。


「……無風の時だけではない。どんな風向きであろうとも、船の帆だけは望みの風を得られるなら、船全体の速度が上がるだろう」

「貿易船だろうが軍船だろうが速さは強みだ。どこも喉から手が出る程欲しがるぞ」

「ご理解いただけたようでなによりです」


 この糸の価値が浸透したところで、ラズオールは本題を切り出した。


「経済院筆頭として、早い貿易船は是非とも欲しい。今すぐ実用化へ向けて動き出したいくらいですが、また弟子が増えるっ……のはともかく。国防を考慮するのなら、こちらの一存で進めるわけにはいきません。……よって、国王陛下に御意見を伺いたい」


 ラズオールの危惧している事が、この部屋にいる者達にはよくわかったのだろう。と言う事がエスティにはわかった。

 エスティはピンとこなかったので、事前にラズオールに教えてもらっていた。


 そもそもヴァイリールフ王国は海戦にあまり強い国ではない。

 大陸の北西端に位置するこの国は、北と西を海に面しているが、入り組んだ断崖絶壁の地形ばかりなのだ。数少ない狭い浜の漁村が使う小舟程度ならともかく、軍用の大型帆船は乗りつけることができない。唯一と言っていい例外は国の南西、国境近くの港町のみ。

 今までは、海岸のほとんどが港として使えない代わりに攻め込まれる事も無かったのだ。いっそ内陸の国境にある大きな湖の方が軍事的衝突は多かったくらいだ。

 そもそも他国から見たヴァイリールフ王国は、極寒の冬が長く厳しく、あげく伝統的に王族が反則級に強いため、喧嘩を売った所で割に合わないのである。

 だから他国と戦になったことがほとんど無く、大規模な海軍が必要無かった。

 南西の港町の防衛と、海岸線の見回りに少数いるだけなのである。


 そして反対に、西の大洋に位置する隣国、レッセン群島連合国は艦隊と人魚兵を多く所持する海戦に強い国だ。名前の通り、群島の諸国がまとまってひとつになった国である。国内の移動にさえ船が必須なのだから海の経験値が違う。


 レッセン群島連合国とヴァイリールフ王国とはこれまでずっと中立の貿易相手であった。お互い喧嘩する理由も特に仲良くする理由も無かったし、陸の物と海の物とをやり取りするとちょうど良い塩梅、それだけだった。

 それがここへ来て、5番目の王女フィーシェがレッセン筆頭政務卿の子息……『わかりやすく言えば王子』と恋仲になってトントン拍子に婚約まで突き進んだのである。

 別に困る事では無かった。

 まぁおめでたい事ですし、それならこれを機に中立から味方になってもう一歩仲良くしましょうか。くらいの雰囲気で話はまとまり、輿入れの準備を進めていたのだ。


 ……さて、ここで異世界の技術の早い帆船など採用した日にはどうなるか。


 レッセンは間違いなく良い顔をしないだろう。

 そもそもヴァイリールフの海を挟んだ隣はレッセンなのだ。軍船を用意したとして、有事の相手として上げられる筆頭は海賊かレッセンである。今まで海戦に興味が無かった顔をしておいて、輿入れが決まった途端にその相手を警戒しているように見える軍船の強化など、喧嘩売ってるのか? という話だ。


 そして隣のレッセンでなくとも、近隣諸国は間違いなく過剰に反応する。

 ヴァイリールフ王家は『転移』という戦に有利すぎる特殊能力を有する一族だ。

 たとえ王族が揃いも揃って『鍛えるのは好きだけど戦とか冗談じゃない。お役目もあるのにそんな面倒な事やってられるか』と考えていたとしても、周りはそうは見てくれない。

 何もしていないし何もされていないにも関わらず、ヴァイリールフ王国を警戒する国は多いのである。

 大自然との闘いが厳しすぎるので、この上に戦とか本当に勘弁してほしいヴァイリールフ王家としては、いらん火種を撒き散らしたくないのだ。いやもちろん国を守る力は歓迎なのだが。


 兄弟姉妹は揃って王である父を注視した。

 王は静かに目を閉じ……長考の後、開いて言った。


「……俺、引退していいか?」


「ふざけんな馬鹿親父」

「早すぎますわ」

「グロリアス卿より先はありえないだろう」


 息子達娘達のブーイングを受けて、頭を抱えながら父王は天を仰いだ。


「くっそ、糸の職人だから服飾関係が発展するだけだと想定してたらなんだこれ? この前はグレゴリーから書類にサインして判捺せって圧かけられるし、強化馬車が気になるからって視察捻じ込もうとしてくる国は多いし、どこから聞きつけたのか人魚の国からは『感謝の真珠』とかいうやたらデカくてお高い物届いたし……船だの軍だのにまで関わってくるとか異世界コワいなぁおい!」

「全部良い事ではあるのだがな……」

「そんな父上に朗報です」

「やめろぉ! ラズオール(おまえ)の朗報が朗報だった試しがない!」

「送られてきた糸巻き、あと3つあるんですよ」

「う゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っ!!」


 宰相グロリアスが見たら怒り狂いそうな姿でテーブルに伏してしまった父王を横目に、1番目の王子ヴォルデンが遠い目をしてラズオールに問う。


「……3つともそんな感じなのか?」

「いえ、一番パンチが効いている物を最初に持ってきましたので、残りはそれほどでは」

「パンチもキックも大して変わらねぇんだよ! もう全部出せ! まとめて聞く!」


 やけくそで力強く立ち上がり小箱に近付いてくる父王。

 兄弟姉妹もそれに倣い、近くで実物を見ようと寄ってくる。

 その様子に苦笑しながら、ラズオールは箱から糸巻きをひとつ取り上げた。


「……これは『螺鈿糸』。エスティ、説明を」

「はいお兄様。お手紙には『魚の鱗や貝殻の内側を紡ぐとこのような光沢の糸になります』と書かれていますわ。とても美しい糸ですわね」

「そうだな……蜜珠糸とはまた違った、しかし同じくらい美しい糸です。それがよほどの大きさでない限り廃棄される魚の鱗が材料とくれば、漁業関係者や海辺の冒険者は諸手を上げて歓迎するでしょう」

「おかしい……純然たる服飾用のはずなのに、何故漁業にまで影響が出るんだ……」


 その『螺鈿糸』をテーブルに置き、次の糸巻きを取り上げる。


「……これはナイトクロウの糸」

「こちらは黒い鳥の魔物の羽ですわ。千羽織にすればきっと素晴らしい布地になりましてよ! お手紙には『黒地を螺鈿糸で飾ると大変素晴らしい衣装が出来上がります』とありますわ」

「そうだろうな……そしてそもそもナイトクロウは家畜に被害を出す害鳥の筆頭です。真っ黒な体で夜闇に乗じて来るから討伐難易度は高いが、肉は大して旨くないし、少数の羽以外は使い道が無いので、ただただ金がかかるだけの存在でした」

「ふむ、では今後は羽にそれなりの価値が出るな。冒険者や農場が喜ぶだろう」


 黒い糸巻きを置いて、最後の糸を箱から取り上げる。


「……最後は『薬草糸』」

「『薬草とコットンを混ぜて紡いだ糸』……と、お手紙にはありますわ。用途によって何通りか作り方があって、消毒作用や薬効のある包帯を作りやすいのですって」

「おい待て、これを包帯にするだけで良いってことか? 包帯を消毒するのにどれだけの手間がかかるとおもってやがる」

「……これを本当に必要とするのは、この国ではなく、皮膚病が多い南方の国だろうな」

「貿易品がふえますわね」


 最後の糸もテーブルに並べると、父王は信じられないという顔で糸巻きを凝視した。


「何なんだこの職人……どれもこれも驚くほど国益になるぞ? チトセ・カイコミヤとやらはこの国をどうしたいんだ……?」

「より良くしたいのでは?」

「チトセ様は『もったいない』のがお好きではないそうですわ。今まで廃棄していた物に利用価値を見出す事を優先していらっしゃいますの」

「ゴミを使えるようにしただけでこんなことになるか?」


 驚愕していた父王は、しかしそれでも当初の驚きからは持ち直したらしい。


「だが確かに最初のが一番ヤバかったな……それ以外は問題が出るとしたら貿易関係だろうから考えるのはゆっくりでいい。となると……どうするか……」

「そんなにお悩みなら、私に預けていただけません?」


 常と変わらぬ口調で、ころころと笑いながら挙手したのは輿入れを控えたフィーシェであった。


「レッセン群島連合国に嫁いであちらの国に尽くす身としては、是が非でも頂きたい品物ですわ。帆船にして、私の持参金として持たせてくださいな」

「持参金ならぬ持参船?」

「我が妹ながら、なかなか豪気なことを言う……」

「そして私の輿入れの場を御披露目の場にしてしまえばよいのです。『友好の証として、貴国に差し上げるために作ったのだ』と。そうすれば、こちらで数少ない軍船にしようが貿易船にしようが、それはついで(・・・)という事になりますわ」


 なるほど、悪くない。

 王族一家はうんうんと頷いた。

 そうすれば、結果として戦力が上がるのはレッセンの方だ。

 レッセンは常日頃から『海賊退治が忙しくて戦なんかやってられるか』というタイプの国だから、対海賊の戦力として喜ぶだろうしこちらの危険も少ないだろう。むしろ『これからも海の平和をよろしくお願いします』と頼りにしているアピールをするくらいの方が、あちらの顔を立てられるかもしれない。

 技術力という点ではヴァイリールフにヘイトが集まるだろうが……それはもう仕方ない。


「……今から作って、輿入れに間に合うか?」

「紡ぎ士が増えるチトセ嬢の教室開始は夏……今から風羽を持つ魔物の討伐依頼と風羽の買い取り指示を出して、チトセ嬢には先行して糸紡ぎを依頼しましょう。糸が上がってきたら研究所と織り士とで帆布の開発をすれば……まぁなんとか行けるのでは?」

「花嫁衣装もまだですもの、大丈夫ですわ」

「どうせ持参船も用意せんといかんしな」


 どうにか方向性が決まり、家族は……姉妹を除いた男達はそろって溜息を吐いた。


「おかしいな? 毎年冬は問題発生を迎え撃ちながら雪解け後の施政の準備をする『待ち』の時期だったはずなんだが……」

「今年はなんだか忙しいな……主にラズが」

「チトセ嬢の影響が大きすぎますね。まぁ楽しいですけどね」


 苦笑するラズオールの顔は……なるほど、少しばかり疲れが滲んではいるが、目は光があって力強い。


「これは根拠のないただの感想なのですが……チトセ嬢はわかっていて各方面に役立つ物を出してきている気がするんですよ」


 どういうことだと促せば、ラズオールは腕を組んで虚空を見上げる。


「特産品にしたいからと、急ぎの弟子取りを頼んだじゃないですか。『だったら教える内容が世に広がっても問題ないように考えておいてください』と、暗に言われているような感覚がしまして……気のせいかもしれませんが」


 的外れでもなさそうな感想に、一同は悩ましく喉を鳴らした。


「……まあ、無いとは言い切れんな」

「穿ちすぎじゃないか? 教えるために己の技術を見返して列挙しているだけに思えるぞ」

「だが、もしそうだとしたらラズに真正面から嚙みつき返している事になるな。なかなか豪胆で面白い女だ」

「ギリアム兄上、人が先に無理難題を押し付けたような言い方はやめてください。誠心誠意丁寧に接してますよこちらは」

「そうよ、おそらく振り回されているのはラズの方だけだわ」

「フィーシェ……ッ!」


 崩れ落ちた同じ年のラズオールをくすくすと笑って見やりながら、フィーシェはエスティに歩み寄る。


「ねぇエスティ。この前貴女からのプレゼントで仕立て屋に依頼したドレスの生地……クリスタルオウルだったかしら。あれもハルカ工房の作なのでしょう?」

「はい、そうですわ」

「だったら、私の花嫁衣装の生地もぜひそちらにお願いしたいわ」


 話を通してもらえるかしら、と微笑むフィーシェに、エスティはパァッと花が咲くように笑って了承する。

 呆れたような顔をしたものの、納得したように項垂れたのはラズオールだ。


「帆布に続いて花嫁衣装も? ……いや、そうか。クリスタルオウルの布のドレスを持って行くなら、花嫁衣装がそれに劣ってはいけないのか」

「そうよ。それに、そちらのナイトクロウの糸を織った布と螺鈿糸の組み合わせも遠くない内に世に出るのでしょう? エスティの庇護する工房の作であることは周知の事実なのですから、我々が先に使わないと他の貴族も困ってしまいますわ」


 そんなわけで、今回の悩みを何もかも引き受けた、ふわふわしていながらもしっかり者のフィーシェは、「ねぇエスティ」と殊更優しい声で妹姫に教えを諭した。


「貴女は『お兄様やお姉様より先でいいのかしら』と言うでしょう? 他の貴族もね、貴女に対してそう思うのよ。だから、貴女が大事にしているハルカ工房の作品は、貴女がどんどん使って差し上げなさい。その方が貴族の皆様にも、ハルカ工房のためにもなりますわ」

「わかりました、お姉様」


 聞き分けの良い仔犬のように尻尾を振りながらフィーシェに撫でられているエスティを見て、ラズオールは開きかけた口をそっと閉じた。

『過剰な発注で潰してはいけない』だなんて、優しいエスティには無縁の忠告だと思ったので。



 * * *



「……というかそろそろグロリアスにも全部ぶちまけるからな? 視察希望と真珠の件では散々つつかれたんだ。本当ならメェグエーグも巻き込みたいところなんだが……あ゛~~~~王様とかやるもんじゃねぇよ、さっさと引退したい……」

「メェグエーグ筆頭司祭は既に色々御存知のような気もしますが……父上は、そんなにお嫌ならどうして王になられたのです?」

「なんだ、ラズには言ったことなかったか? ……俺の代はな、『お役目』を達成できそうなのが俺しかいなかったんだよ。お前らの代は豊作! この父に感謝しろ!」

「ああ……はい」




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