魔法の糸の素材
「──……ふふっ」
王家の紋章が捺された手紙に目を通し、チトセ様は楽しそうにくすくすと笑っておられました。
「エスティ様からですか?」
「エスティ様と、ヴォルデン王子様の連名。『魔石の糸は、弟子が卒業し担い手が増えるまでは王家以外に卸さないでほしい』って内容なんだけどね。あんまり何回も『なにとぞ』『なにとぞ』って書いてあるから面白くなっちゃった」
なるほど。私などは色々と便利そうだとしか思いませんでしたが……王家の方から見ると魔石の糸というのは一大事なのですね。
* * *
キュアプルクラゲの潤包糸という需要の高い商品により、蜜珠糸の材料が途切れる冬にも問題なく稼ぐことができるようになったチトセ様は、その売り上げのいくらかを手にケリィさんが手配してくださった箱馬車に乗って、倉庫街を訪れておりました。
多数の荷馬車や人足が行き交う倉庫街を進み、たどり着いたのは一際広い敷地を持つ石造りの立派な建築物。
「こちらが商人ギルドの大倉庫になります」
「おおー、すごい大きいですね!」
天井は高いですが貴族の館のような華やかさは無く、一階建てのシンプルな構造の倉庫です。それが何棟か敷地内に連なっています。
警備の方へギルド証を掲示し、私達は中へと案内されました。
本日の目的は、中央都市で流通している素材の確認です。
中央都市の商人方が大変盛り上がってしまった結果、チトセ様は夏から多くの弟子へ魔法の糸紡ぎを教える事が確定しました。
その際には当然弟子の方々から『あれそれを紡いだらどんな糸になりますか?』という質問が来ることでしょう。
その時に問われた素材の事がわからなければ答える事ができません。それは師弟関係が危うくなるだけでなく、授業が止まってしまう可能性もあるのだとチトセ様は仰られました。
加えて、数多の素材を確認した上で、紡ぐのに何かしらの器具が別途必要だと判断されれば、その手配もしておかなければなりません。
「新天地に来て、分からない事だらけだってわかってるんだから、自分から学びに行かないとね。やるって決めたからには、生徒さん達にもきちんと教えてあげたいし」
そういった姿勢が商人ギルドにも伝わったのでしょう。商人ギルドマスターとケリィさんの快い協力の元、中央都市でも随一の品揃えを誇る商人ギルド大倉庫の見学と、希望があればその場での即売が許可されたのです。
ただ、魔物の素材に関しては冒険者ギルドの方が品揃えは良いそうなので、そちらは商人ギルドマスターが冒険者ギルドへ交渉してくださっているとか。
さて、やってきた倉庫の中は暖房が焚かれているのか、涼しい程度の気温に保たれていました。
「ここは凍ると良くない物が入っている棟になります。ここを見て少し体を温めてから冷凍倉庫へ行きましょう」
「助かります~」
ヤモを首に巻いたチトセ様が安堵するように息を吐きます。
それを見た倉庫番の方が、紐で首から下げられる厚手の革袋に暖かいお茶を淹れてくださいました。
チトセ様、ケリィさんに続いて私も受け取ります。首から下げると胸元に温もりが、持てば手袋越しにじんわりとかじかんだ手が解され、飲むと体の内側から温まりほっと一息つけました。
いただいた目録を片手に、高い棚の間を進みます。
ケリィさんはギルドマスターからついでに何かを言いつけられているようで、板に留めた目録に何やら書き付けていらっしゃいました。
「ここは瓶とか壺とかが多いですね」
「そうですね、基本的には液体入りです。凍らせてはいけない筆頭なので」
下段に大瓶が、上段に小瓶が、簡単には落下しないよう棚の前に柵が付けられてずらりと並んでいます。
中身は様々。大量の蒸留水もあれば何かの薬液であったり、瓶入りの酒類も並んでいます。中が見えない陶器の壺に入れられているのは、どうやら漬物や魔物の内臓・血液等であるようでした。
ある意味色とりどりな瓶を眺めて行くと、ふと思いついたようにケリィさんがチトセ様へ問いかけます。
「チトセ様、ガラスは糸にできますか?」
「できますよ。ちょっと取り扱い注意になりますけど」
「そうなんですか? とても綺麗な糸になりそうだと思ったのですが……」
「綺麗なんですけど……ガラスって割れたらナイフみたいに手が切れる物になっちゃうじゃないですか。ものすごく細い糸に紡いじゃうと、似たような状態になっちゃって危ないんですよ」
「えっ!? あっ、じゃあ金属とかもですか?」
「そうですね。刃物になりえる物はあんまり細く紡ぐと危ないです。蜘蛛の糸みたいに細ーく紡ぐ事ができちゃう素材でもあるので」
「でもそんなに細く紡ぐにはかなり練習が必要ですけど」とチトセ様が笑って仰られます。私も初めてお会いした時に手解きしていただいてから暇を見てそれなりに練習しましたが、細く紡ぐには確かにコツが必要でした。
「レースとかの飾り用にするなら、それこそゼリーとかを紡いだ方がいいんですよ。素材の取り扱いも安全で楽ですし」
「なるほど……そう考えるとビー玉は最高の素材だったんですね。」
瓶の棚を過ぎると、次は大量の毛皮やなめし革が積まれた棚に出ました。
「革屋さんはそれこそ端材を紡げば長い革紐に再利用出来るから、喜ぶと思うんだよなー」
「喜ぶでしょうね。とても喜ばれるでしょうね。たぶん武器屋も防具屋も喜びますよきっと」
「ですよねー、もったいないですもん」
毛皮や鱗革は不可能ですが、なめし革を紡いだ糸は切断面が無く全体が艶やかな革紐に出来るので見栄えも強度も良いのだとか。
「……チトセ様。ここでの話は、しばらくはここだけの話にしてくださいね?」
「あはは、わかってます。この前、ラズオール様にもお手紙で釘刺されちゃったんで……さすがに私も生徒40人超えの教室は厳しいですから」
そうですね。今の革紐の件でさえ、知れ渡ればフリシェンラス中の革屋から弟子入りが殺到するという事は私にもわかります。
* * *
複数の棟を一通り見て周りお開きとなる頃には、すっかり日は傾いておりました。
実際に紡いで確認したい素材を少しずつ買い取って箱に詰めてもらい、
帰りの馬車へ向かおうと出口へ足を向け……チトセ様は目に差し込む光に顔を上げられました。
目線の先には、大きな扉の上に据えられたシンプルな丸窓。
「……あっそうだ、レンズ! 用意してもらわないと!」
何の事かと振り返るケリィさんへ、チトセ様は「思い出して良かった」と呟きながら向き直りました。
「ケリィさん、虫メガネ……拡大鏡、ありますか?」
これくらいの大きさの……と、チトセ様は手の平ほどの大きさを示して見せます。
ケリィさんは、さすがは商人ギルドの受付と言うべきでしょうか、ギルドの制服のポケットを探って丁度良い大きさの拡大鏡を取り出しました。
「これで良いですか?」
「ありがとうございます。ちょっと試させてください」
チトセ様は拡大鏡を受け取ると、きょろきょろと周囲を見渡し……人目を遮るような、けれど陽が差し込む場所へ私達を手招きなさいました。
念のため、私も確認いたしましたが、周囲から見られている様子はありません。
差し込む陽の光の中に、チトセ様は拡大鏡を入れます。
拡大鏡を通った光を手の平で受け止めると、それは一回り小さな光輪となって手の平を照らします。
チトセ様が手の平の位置を動かすと、光の輪はさらに小さく明るくなって……とうとう点のようになりました。
その位置を確認すると、チトセ様は指先で光の点を受け止め……そして親指を添えて魔法をこめて撚ったのです。
──するりと引き出されたのは、光の糸
「──っ!?」
ケリィさんは咄嗟に御自分の口を塞がれました。驚きの余り叫んでしまいそうだったのでしょう。ここだけの話、とご自分で仰った手前、人を集めて周知するような真似をするわけにはいきませんからね。
私もそれなりに驚きましたが……火を紡がれた所を実際に見ておりますし、手の平に光を集めた時点で光の糸かしらと予測はついておりました。
チトセ様は、唯一目を白黒させているケリィさんに、とても良い笑顔で仰います。
「……というわけで、これも教室で教えます。なので、生徒さん用の拡大鏡。糸車に固定できれば最高です。手配してもらえるようにギルドマスターさんに伝えてもらえますか?」
首振り人形のようにカクカクと頷くケリィさんは……しかし、頭の中では商品価値を算出していらっしゃるのでしょう、とてもキラキラとした目をしていらっしゃいました。




