恋する乙女の嫁入り支度
冬が深まると寒さは一層厳しくなり、フリシェンラスでは日持ちのする根菜以外は野菜の値段が徐々に上がっていきます。
代わりではありませんが、反対に安くなるのは海の魚介類です。
足の速い物が多い魚やエビや貝等を凍った状態で輸送するのが簡単になるためです。魔法で冷凍を維持する事は出来ない事もありませんが、やはりその分コストはかかるので、夏場は干物の方が主流ですね。
今日の夕食は魚介類のスープにいたしましょう。
質の良いものを選んで買い込みます。
一緒に、とある海藻を乾燥させた物も1樽、後日届けてもらえるよう手配しました。
先日、チトセ様の故郷の物に近い海藻を見つけて『ダシ』の取り方を教えていただいたのです。味もお墨付きをいただけました。
これでいつでも、チトセ様のお好きな風味のスープを召し上がっていただけます。
『ミソ』や『ショーユ』とやらも、こちらに存在していればよいのですが……こればかりは、気長に探すしかありませんね。
* * *
商人ギルドにて糸紡ぎ教室の件が決定してから、チトセ様はエスティ王女様と時折手紙のやりとりをされていらっしゃいます。先日、教室で使う糸車について思い当った事を商人ギルドマスターへお手紙したり等もしましたが、王女様とのやりとりは文通と呼んでも差し支えない頻度となっています。
始めの内は、主な話題は新しい工房についての事だったようですが。近頃は、王女様の考える新しい糸の未来の展望の他、貴族の間でのハルカ工房の商品の評判等もエスティ様は教えてくださっているそうです。
チトセ様も、今まで紡いだ糸の詳細や元の世界での特殊な素材の糸の使い道等をお返事に認めていらっしゃるようでした。
そして本日。
そんな日々のお手紙によって決まった、エスティ王女様再びの御来店、その当日。
店の前に王家の馬車が止まりましたので出迎えに行きますと、お付きの方に手を支えられて馬車から降りるエスティ様の御姿。
そしてその後ろから、一緒に降りていらっしゃった凛々しく美しく、そして鍛え上げられたと一目でわかるしなやかな体躯を持った銀狼の獣人の女性。
エスティ様と同じ、第三夫人を産みの母とする2番目の王女。
カノーティア様の初来店でございます。
「お初にお目にかかる、チトセ嬢。私はカノーティア・ヘルデ・フュル・ヴァイリールフ。現王ロズワルと第三夫人ミルールとの間に生を受けた。通称、2番目の王女だ。母を同じくするエスティに良くしてくれていると聞いている。礼を言おう。これからもよろしく頼む」
「いえ、こちらこそ……エスティ様にはよくしていただいております」
エスティ様が穏やかでふわふわと微笑まれているのに対し、カノーティア様は刃のように研ぎ澄まされた美貌を生真面目に引き締められた武人の空気を漂わせていらっしゃいます。
チトセ様がエスティ様やラズオール様の時よりも遠い目をなさっているのはそのためでしょう。「また王族が増えた……」と呟いておられますが、私は残りの王子や王女だけでなく、王や王妃もお目にかかる可能性があると思っております。
「今日は御相談したい事があってまいりましたの。実は──」
カウンター前の席で、にこにこと話し始めたエスティ様を、しかし止めたのはカノーティア様でした。
「いい、エスティ。私が自分で言おう……あの、実は……」
カノーティア王女は、気まずそうに眼をそらし、頬を赤らめながら絞り出すように仰られました。
「その……嫁入り支度を、したいと、思っているんだ……」
一瞬の静寂の後、工房にチトセ様とナノさんの黄色い悲鳴が響き渡ったのでした。
* * *
「あれ? でも以前お手紙にあった、クリスタルオウルの千羽織を使ったドレスをプレゼントする王女様とはお名前違いますよね?」
「はい、あれは5番目のフィーシェお姉様ですわ」
「フィーシェが嫁ぐのは他国だからな、準備や調整に時間がかかる。輿入れそのものは1年くらい先の話だろう。……私はいわゆる降嫁。それも貴族出身とはいえ冒険者で家を継がないと宣言している相手だからな、実質平民に嫁ぐようなものだ」
「へぇー、この国はそういうのありなんですか」
「いいえ、普通はございませんわ」
「ああ、普通はなしだな」
「あれっ?」
「幸い私は、2番目の王女だったから」
いまいち話の見えない我々に、二人の王女様は丁寧に説明をしてくださいました。
「2番目の私と3番目のギリアムは、明け透けに言ってしまえば『予備』だ。どちらも政に興味も才も示さなかったが、戦いの才能だけ見れば兄上を僅かに上回る、が……私もギリアムも王位に興味は無い。しかし『予備』を用意しておかねば、万が一があった時に国が存続できない」
「なのでカノーティアお姉様は、御結婚を先送りになさっていたのです」
「兄上が命を落とした場合、次は私が婿を取り女王となる番だった……とはいえ、兄上は何事も無く次期王の資格を得る準備が整いつつあるし、私の年齢的にも待つのがそろそろ辛い。私もできれば自分で子を産みたいからな。ギリアムに『予備』を任せて、私は降りる事にしたんだ」
2番目のカノーティア王女様は確か24才。貴族の女性としては、確かにそろそろ遅い方に入ってきます。
「婚期は遅れたが……悪い事ばかりでもない。私は12になった時、父上と約束をしたんだ」
「約束、ですか?」
「ああ……『兄上が資格を得る直前まで私は結婚せず、予備としていつでも王となれるだけの準備をして待つ。必然婚期が遅れるその代わりに、予備から解放される時は結婚相手を自分で選ぶ』そういう約束だ」
「カノーティアお姉様は、心に決めた方がいらっしゃったんですものね」
エスティ様の言葉に、カノーティア様はまた顔を赤くして俯いてしまわれました。
「い、家柄だけ見るなら、問題ない相手だったんだ……だが『銀狼の王の伴侶は、同じ銀狼でなければならない』という掟があって。相手は銀狼では無いから、私が王位を継ぐなら彼と結婚は不可能だったんだ……性格も、王様なんて絶対にイヤだと言うタイプだし……」
「え、王様のお相手って同じ銀狼の獣人じゃないと駄目なんですか?」
「ええ、その関係もあって子は多く作るのですわ。王都は実質、銀狼の獣人の街なんです」
ヴァイリールフ王国は獣人の国なので、獣人の貴族も同じように『跡継ぎは同種族としか子供を作ってはならない』という伝統が多いと聞いた事があります。
人間の貴族はその辺りは大らかで、ハーフが後を継ぐ事も少なくはありません。
これが、人間が王族の国だと逆になるそうです。王や貴族の人間は数代遡っても他種族が混ざっていない人間としか婚姻を結ばず、獣人の貴族はハーフが多いのだとか。不思議ですね。
「ま、まぁ……なんにせよ、兄上は問題なく王位を継ぐだろうと言うところまで来たからな……私は一足先にお役御免となっても良いだろうという事になった」
「お姉様、おめでとうございます」
「ありがとうエスティ……だが、そうなったらなったで、今度は『今すぐにでも嫁に行け』と言われるようになった」
「えっ、なんでですか?」
「フィーシェお姉様が他国に嫁ぐからですわ」
「私の降嫁とフィーシェの輿入れが重なると色々面倒だからな……かと言って、フィーシェが嫁いで落ち着くのを待つと年単位で先になってしまう。私もそこまで待ちたくない」
「わぁ~……色々大変なんですね」
ややこしい王族の婚姻事情に、皆様は溜息を吐かれます。
「状況はだいたいわかりました……けど、どうしてうちに?」
チトセ様の問いに、カノーティア様は「うむ」とひとつ頷きました。
「私の相手は冒険者だからな。王族や貴族のような大々的な結婚式はしないつもりなんだ。冒険者の結婚式は、冒険者ギルドに神父が呼ばれて仲間たちと祝う物だと聞いている。なので、その世界に入る私はそれに倣いたい」
「郷に入ってはなんとやらかぁ……身分の高い人って、お祝いにはお金かけて権力をアピールしたりしませんでしたっけ?」
「するぞ。しかし、他種族と結婚する事で私は王族から除籍される。それなら問題ないんだ……話がずれたな。そして女冒険者の新婦は、結婚する時に戦装束を新調するらしい」
「調べたところによると、花嫁衣装という物を用意するのではなく、その日から苦楽を共にする夫に合わせた装束となる事で『妻として夫と共にある』と知らしめるそうなのです」
「へぇ~、そうなんですか」
それは知りませんでした。
ナノさんも興味深げに頷いていらっしゃいます。
「その新しい装束に、花嫁が夫の隣に立つ自分をイメージして刺繍を施すのが通例だそうですわ」
「前置きが長くなったが……その刺繍糸をこちらで調達したいと思ったのだ」
「なるほど、蜜珠糸ですね!」
「いや、違う」
「あれっ!?」
いそいそと金色の糸巻きを取り出したチトセ様は驚いて振り返りました。
「私の夫となる男は、それはそれは強く逞しい冒険者なんだ」
「おっと、突然の惚気」
「鍛え抜かれた肉体。厚い胸板。長大な剣を羽のように振り回し。得意の火属性魔法の威力は天をも焦がす程に豪快かつ強力で、王国騎士団にもあれほどの使い手はそういない!」
「カノーティアお姉様はロットフレア様の事になると詩人になりますの」
「推しを語るオタクかな? ……そのロットフレアさん? が結婚相手なんですか?」
「そうだ。彼の名は、ロットフレア・コッコという」
……あら?
聞き覚えのある家名に、私もチトセ様も一瞬時が止まりました。
「……すいません、知り合いと同じ苗字なんですが……コッコさんなんですか?」
「はい! ロットフレア・コッコさんは宰相グロリアス様のお孫さんですわ」
「ええ……?」
混乱されているチトセ様に、私はそっと耳打ちいたしました。
「……チトセ様。この国の宰相グロリアス・コッコ様の御子息が、現冒険者ギルドマスターのローシャ・コッコ様です」
「えっ、そこ繋がるの?」
「はい。そして、現冒険者ギルドマスターのローシャ・コッコ様の長男が、冒険者のロットフレア・コッコ様です」
「へぇ~~……」
「そして次男がお隣のドゥーイー・コッコさんです」
「そこ繋がるの!?」
「はい。そしてコッコ家は、由緒正しい侯爵の家系でいらっしゃいます」
「ええぇえぇえぇえええええ!?」
驚きの声を上げるチトセ様に、二人の王女様は笑顔でこくりと頷きました。
「やはり隣人ともあればドゥ殿と面識はあったか」
「御父上のローシャ様も兄のロットフレア様も後を継がないそうなので、ドゥーイー様が次の侯爵家当主になられるそうですわ」
「なんであの人帽子屋やってるんですか!?」
何故でしょうね……?
「えっ、ということは……お相手のロットフレア様も……鶏の獣人?」
「もちろん、獣人系侯爵家の世継ぎ候補だからな。……嗚呼、あの艶やかな純白の羽毛。逞しく厚い胸板。美しい瞳に高貴な鶏冠! ……忘れもしない6歳の春、新年祭という運命の日に一目見た時から私は彼の虜だった!」
おもむろに席を立ち、床に跪き、「おお、神よ……!」と天を仰ぐカノーティア様。
「……あれ大丈夫ですか?」
「カノーティアお姉様はいつもこうですわ」
「いつもですかぁ……」
床の上で12才の時の国王との約束とやらまで独白されたカノーティア様は、やがて何事も無かったかのように席へと戻られました。
「私は、強く逞しいロットフレアの隣へ並び立つに相応しい装束を用意したい」
「すごい普通に話続きましたね」
「カノーティアお姉様はいつもこうですわ」
「そこでだチトセ嬢!」
「アッハイ」
「これを紡ぐことはできるか!?」
そう言いながら、カノーティア様はゴツゴツと膨らんだ革袋をひとつ取り出します。
ザラザラとカウンターへ出された中身は……大量の赤の魔石でした。
「貴女の魔法で紡がれた糸は、素材の性質を受け継ぐと耳にした。ならば魔石を紡いだ糸を使って魔法を縫い込めば、一見して魔石が無いかのような魔道具ができるのではないかと考えたのだ……」
カノーティア様は魔石を眺めながらひとつ息を吐きます。
「ロットフレアと結婚すれば、私は王族から除籍され『転移』の術は使えなくなる。その分、減少する戦闘力を魔石で補おうと考えたのだが……魔法の補助として使う魔石は、結局のところ宝石だからな。平民となる私が、貴族のようにジャラジャラを魔石をつけるのは如何な物か。だが、袋に入れるといざという時に取り出す手間が致命的になりかねん。ならば、糸にして刺繍にすることができれば、それが一番私らしい『ロットフレアの妻』としての装束になると思ったのだ」
ほんのりと頬を染め、愛おしそうな表情で魔石を手の上で転がし……そして力強い眼差しをチトセ様へ向けられました。
「どうだろうか?」
それを受けたチトセ様は、優しい微笑み。
「誰が最初に思いつくかなーと思ってました」
そして魔石を一粒手に取ります。
「仰る通り、望み通りの糸ができますよ」
「本当か!?」
「はい、お任せください。刺繍をする時間を考えると、なるべく早い方がいいですよね?」
「ああ、嫁入りは春を予定している! よろしく頼む!」
「よかったですね、カノーティアお姉様!」
後から教えていただきましたが、チトセ様は可愛らしい恋のお話をとても好んでおられるそうで。
「結婚準備よ! 御祝儀よ! ドゥさんみたいな鶏さんにあの美人王女様が嫁ぐって絵面凄そうだけど! とにかく御目出度い結婚よ! 式場が来い!!」
と、大変荒ぶりながら魔石を紡いでおられたのでした。
書き溜め分に追いついたので、ここからは更新の間隔が開きます。




