クラゲと人魚とシーツと
「クラゲが入った樽に水入れて一晩おいてみたけど……すごいねこれ、ぷるぷるの大きな塊がいっぱい……樽が水吸ったクラゲでみちみちだよ。元のクラゲってどのくらい大きかったんだろう?」
「キュアプルクラゲかどうかはわかりませんが……南の国で発見されたクラゲがこれまで確認された中で一番大きく、2階建ての家一軒分くらいの大きさがあったそうですよ」
「大きすぎない……?」
* * *
お友達であるマーガレッタさんのお肌を救うため、チトセ様はあっという間にキュアプルクラゲを糸に紡ぎあげてスティシアさんに機織りの依頼をかけました。
「………………これ……何?……」
「キュアプルクラゲの糸だよ」
スティシアさんが終始不思議そうに半透明でツヤツヤとした白い糸巻きを撫でていましたが、糸端を引っ張ったりされながら言いました。
「…………少し……伸縮性が、ある?」
「そうだね、ゼリー状の物を糸にするとこうなるかな。よっぽど強い力で引っ張らないと切れたりはしないけど」
「………………」
スティシアさんは、しばし悩んだ後にこう仰られました。
「…………チトセ……最初、少し、失敗するかも。……こんな糸……織った事、無い……」
「あ、じゃあ少し多めになるように追加した方が良いかな? 後で持って来るね」
恐らく、申し訳なさそうな声色からして、スティシアさんが言いたかったのは別の事でしょう。
けれど、コツを掴むまでのロスを当然と認識している様子のチトセ様のお返事に、嬉しそうに目を細めて、彼女は作業にかかりました。
織り上がったのは、スティシアさんの心配とは裏腹に、一週間後の事。機織りへの情熱を如何なく発揮して瞬く間にコツを掴み、弾力がありプルプルとした不思議な布が完成したのです。
「見た事の無い布ができあがってきたのです……」
「思ったよりボコボコしてない滑らかな手触りだね。さすがスティシアさん」
「これをシーツにするのですねです、任せてくださいです!」
「お願いしちゃっていいの?」
「もちろんです! マーガレッタさんはボクに初めてお仕事依頼してくださった方ですからです!」
ナノさんは張りきって、御自分で購入された蜜珠糸で刺繍まで施してシーツを完成させました。
そうして出来上がったシーツを、チトセ様はマーガレッタさんにプレゼントされたのです。
「試して感想を聞かせてほしいな。もし合わないなと思ったら無理はしないでね」
「っ! チトセ~~~!」
感極まったように、チトセ様に抱き着いてお礼を言うマーガレッタさん。チトセ様も嬉しそうでした。御友人とは良いものです。
そうして一晩経って、翌朝。
いつも通りドゥさんの高らかな鳴き声で目を覚まし、パンの即売会へ赴いたサンドラさんのお店で、マーガレッタさんがキラキラしながらチトセ様の手を取りました。
「すごいのよチトセ! もらったシーツで寝たら、明らかに肌の潤いが違うの! 最っ高よ、ありがとう!」
「本当!? それならよかったー」
「それでね……」
マーガレッタさんははにかみながら仰います。
「チトセ、今日時間あるかしら? 紹介したい人がいるの。きっとチトセの工房にとって良い取引先になると思うわ!」
* * *
特に決まった用事もございませんでしたので、チトセ様はマーガレッタさんの案内でお出かけすることになりました。私も、クラゲの布を持ってお供いたします。
店番を任せるナノさんにもマーガレッタさんは大喜びで美しい刺繍の感謝を述べた後、スティシアさんへのお礼の手紙を託していらっしゃいました。
「こっちよチトセ」
案内されたのは、中央都市フリシェンラスの中でも中央広場に近く、大通りに面した貴族御用達の大きな店舗が軒を連ね、箱馬車が頻繁に通る区域。
その中の、一等立派な劇場『海宴座』がマーガレッタさんの目的地でした。
箱馬車が止まり、着飾った貴族が楽し気に入っていく正面入り口には目もくれず。勝手知ったる様子で裏口へと歩を進めます。
当然関係者以外立ち入り禁止の出入口ですから、裏にも屈強なガードマンが見張りとして立っているのですが、マーガレッタさんは気の知れた様子でそのガードマンに声をかけました。
「おはよう、今日はオパーリェ姉さんいるわよね?」
「おはようございます、マーガレッタ様。座長はおりますが、つい先ほどお休みになられました」
「なら大丈夫ね!」
お休みになられている所を訪ねるのは大丈夫なのでしょうか……?
しかし、苦笑いしているガードマンの様子を見ると、いつもの事なのでしょう。
あっさり扉を潜ると、中にはたくさんの部屋が並ぶ通路が続いており、その通路にもたくさんの箱や袋やトルソーにかけられた衣装等が並んでいます。物珍し気にそれらを眺めながら、チトセ様がマーガレッタさんに問いかけました。
「ねぇ……座長さんと知り合いなの?」
「叔母なの。でも母とは年が離れてたから叔母さんって呼ぶと怒られるの。『お姉様とお呼び!』って」
クスクスとマーガレッタさんは笑います。
「だからチトセも『お姉様』って呼んであげるといいわ」
「取引先相手になるかもしれない人にそんな」
「大丈夫よ、とってもカワイイ人だもの」
御機嫌に三つ編みの髪を揺らしてマーガレッタさんが向かったのは、並ぶ扉の中でも一際豪華な装飾が施された扉でした。
ノックを2回。そして返事も待たずにマーガレッタさんは扉を開きます。
「オパーリェ姉さーん、可愛いメグが遊びに来たわよー」
座長の部屋に相応しい調度品で整えられた部屋。
その中の、美しい衝立と透ける布の天幕で目隠しがされたベッドがあると思しき一角に、マーガレッタさんは踊るような足取りで近付いていきました。
声に反応したのでしょうか、もぞもぞとベッドの上の影が動きだしました。
「んん~~……メ~グゥ~~? ……何よぉ、ついに愛しの彼と既成事実でも作ったのぉ~?」
「それはまだよ。今日はお友達を連れてきたの」
「……? なら言えば先にペアチケット上げたわよぉ? 夜の一等席……それとも役者のファン~?」
「いいえ、ステキな取引相手になるかもしれない職人さんよ」
それを聞いた途端、影はガバッと起き上がって見違えるほどにテキパキと動き始めました。
「バカッ! バカメグッ! 仕事関係は仕事モードで対応するから先に連絡入れなさいっていつも言ってるじゃない! 靴はどこっ!?」
「オパーリェ姉さんはいつだって魅力的だから大丈夫よ。靴ならベッドの下よ」
「魅力的なのは当然だけどそうじゃないの! 座長としての威厳って物を別に準備しないといけないのよ! ああああああ、髪に寝ぐせついてるぅううう!」
ドタンバタンと慌てる音を聞きながら、マーガレッタさんは『ね、カワイイでしょ?』と聞こえてきそうな笑顔でこちらを振り返りました。
「……むごい」
チトセ様は複雑そうなお顔で遠くを見ていらっしゃいました。
……一度外へ出ていなくて良いのでしょうか。
私達は、どこか気まずい空気の中、座長様の準備が終わるのを待っていたのでした。
* * *
「お待たせして申し訳ありません。劇団『海宴座』の座長、オパーリェと申します」
「ハルカ工房の千歳と申します。こちらはメイドのアリアです。マーガレッタさんにはお世話になっております」
「とっても礼儀正しい方ね。こちらこそ、マーガレッタに何度かお話は聞いていましたわ。……それで、その……先程の醜態はその……記憶から消していただけると……っ!」
「大丈夫です! 忘れます! 無かった事にしますから!」
燕尾服とマーメイドドレスが一緒になったような、珍しいデザインの衣装に身を包み、とても凛々しい姿で御挨拶を交わしたのも束の間。
わっと顔を覆って嘆くオパーリェ座長を、チトセ様はあわあわと慰めるのでした。
なお、元凶であるマーガレッタさんはニコニコと笑いながら、座長の文机に置かれていたお菓子をつまんでいます。
「チトセちゃんイイ子……ぜひお姉様って呼んで?」
「えっ、えっと……『オパーリェお姉様』?」
「……メグ、あんたのお友達最高だわ」
「でしょう?」
威厳を取り繕うのはもう諦めてしまわれたのか、「あーやれやれ」と一気に砕けた口調に戻ったオパーリェ座長は、ベッドの反対側にある来客用のソファをチトセ様に勧めて着席なされました。
「それで? 取引云々って話はどういうことなの?」
「それがね姉様。チトセに私が人魚で乾燥に困ってる話をしたら、とっても素敵なシーツをわざわざ作ってくれたのよ!」
私は荷物から、潤包布と名付けられたキュアプルクラゲの糸を織った布を取り出しました。
包んでいた紙を開き、テーブルへ乗せます。
初めは「へぇ~?」と首を傾げていらしたオパーリェ座長でしたが、現れた布の不思議な質感に目を見開かれ、水分を奪わないぷるぷるとした感触を手で確認するとわなわなと震え出しました。
「何これ! 何これ!! 何これ!? 柔らかい海藻みたいな肌触りの布なんて初めて触ったわ!? 何でできてるの!?」
「キュアプルクラゲを紡いだ糸を織って作りました。お肌に良い成分が入ってるって聞いたので」
「キュアプルクラゲって……何年かおきに上陸の邪魔になるアレ!?」
上陸……そう、マーガレッタさんの叔母様ということは、この方も人魚ということ。
それはつまり、肌乾燥の悩みもまた、同じであるという事です。
「このシーツで寝るとすごいのよ! 一晩経ってもお肌の潤いがシーツに奪われていないの! 夜中に何度も起きて水分を取ったり化粧水を浴びるように塗る必要が無いのよ!」
「なんですって!? そんなの陸に上がった人魚にとっての救世主じゃないの!! チトセちゃん、貴女いったい……何者…………」
何かに思い当ったように勢いを失っていったオパーリェ座長は、「あーっ!!」と叫びながら布と良い笑顔を浮かべているチトセ様を見比べました。
「知ってる!! 貴族の御婦人方が噂してらした『凄い糸の工房』! 『王女様御用達の新技術』!! 『商人ギルド期待の星』!!」
「それチトセの事よ」
「大事な事は先に連絡入れなさいっていつも言ってるじゃないぃぃぃいい!!!」
オパーリェ座長は頭をかきむしると、一瞬で文机に移動し、劇団のビラを一枚取って戻り、チトセ様に差し出しながら頭を下げられました。
「改めまして……劇団『海宴座』の座長、オパーリェと申します……こちらの布ですが、いくつか発注させていただく事は可能でしょうか……?」
「ちょうど今時期は手が空き気味なので、可能です。今日持ってきた物も、御希望ならこのままお買い上げいただいても大丈夫です」
「買いますぅ~~」
さすが劇団の座長様。とても手慣れた様子で契約書と注文書を書き上げてチトセ様に手渡し、チトセ様は代わりにクラゲを織り上げた布を渡しました。
「……ぃよっしゃああああああ!! ものどもー! であえであえーぃ! シーツ縫うのよシーツ! 肌荒れの救世主! 乾燥しにくい布が来たわよぉおおお!!」
「なんだってぇ!?」
「座長! マジっすか!?」
「お化粧のノリが良くなるの!?」
「衣装係! 早く縫ってくれぇええ!!」
「下着は!? 寝間着は!? それで作っちゃだめ!?」
「掛け布団も!」
「まてまてここは花形が優先だろ!」
「受付のことも忘れないでくださーい!」
「ふざけんじゃないわよ! アタシの肌荒れもう限界なんだから!」
反物を掲げたオパーリェ座長が叫びながら部屋を飛び出すと、廊下から次々と役者やスタッフらしき方々が飛び出してきて大騒ぎ。
あれよあれよという間に……私たちは大笑いするマーガレッタさんによって外へと連れ出されたのでした。
「ああなったらもう裏は臨時休業よ。夜まで相手にしてもらえないわ。面白かったわね!」
「うん、面白かった。それに本当ありがたい取引先になったよ、ありがとうマーガレッタ」
「どういたしまして。ここはね、役者もスタッフもほとんどが人魚の劇団なのよ。だからみーんな欲しがるだろうと思ったの!」
楽しそうに笑うお二人に私も心が温かくなりながら、一同で帰路につきました。
キュアプルクラゲの身を紡いだ糸は潤包糸、そしてそれを織った布は潤包布と名付けられ、春が来るまでの主力商品となったのです。




