乾燥肌
「チトセ~……アリア~……」
穏やかな冬の日の事。
チトセ様と一緒に綺麗な雪を選んでバケツに入れていると、微かにマーガレッタさんのお声が。
「こっち、シャワー」
小声で呼ばれた方へ振り向くと、少しだけ開いた共同シャワー室の扉の隙間から、困ったような表情をされたマーガレッタさんのお顔が。
「どうしたのマーガレッタ?」
「ごめーん、部屋に忘れ物して出られなくなっちゃったの。悪いんだけど、私の部屋から取ってきてもらえる?」
腕を伸ばして差し出された鍵を、チトセ様はしゃがんで受け取りました。……そう、しゃがんで。
「いいけど、なんで床に座っ……えっ?」
「……えへ」
シーッ、と唇に指を当てて微笑むマーガレッタさん。チトセ様は、慌てて御自分の口を塞がれました。
扉の隙間から覗いた、床に腰かけているマーガレッタさんの下半身。
それはとても美しい鱗が並んだ……尾びれだったのです。
* * *
「ありがとう、助かったわ。どうしても薬の切れ目は尾びれにシャワーをかけたくなるのよ。そうしたらうっかり次の分の薬を持ってくるの忘れちゃってたんだもの!」
人魚は尾びれを足にする薬を飲んで、こうして他種族の町にやってくることがあります。薬の効き目は3日程度の物から1年続く物と幅広く、仕事で上陸する人魚はその都度適切な薬を選んでいるのだとか。
言われたとおり、寝室の箱から取ってきた薬を飲むと、マーガレッタさんは無事に人間と変わらないお姿に戻りました。
今は、お邪魔したマーガレッタさんの工房『芳香の海』で、突発的なお茶会の最中です。
「こっちには人魚がいるんだね」
「チトセの故郷にはいないの?」
「お話の中でしか見た事なかったよ」
「あらもったいない。私の尾びれ綺麗だったでしょ?」
「うん! 鱗がキラキラしてた!」
うふふ、と笑いあうお二人に私はハルカ工房から持って来たクッキーを出しました。
「ありがとう。……んん! すごく美味しい!」
「アリアのクッキーはお店のより美味しいんだよ」
「おそれいります」
ご満足いただけてなによりです。
「……ところで、ウィリアムさんはマーガレッタが人魚だって知ってるの?」
「もちろんよ。好きになった時に、知っておいて欲しかったからカミングアウトしたの。そしたらめちゃくちゃ怒られたわ」
「え、なんで?」
「『内陸で人魚は珍しいんだぞ。人攫いに狙われるような危険を増やすんじゃない!』って」
クスクスと嬉しそうにマーガレッタさんは笑います。
「私よりポカルの方が危ないと思うけどね。あんなにぐるぐる巻きにしたら、かえってあからさまじゃない。チトセとアリアは大丈夫だと思うから言うけど……たぶん、珍しい獣人とかよあの人」
「あ~、そうかもね……でもそっか、人魚も狙われちゃうんだね」
ポカルさんの件で、そういう犯罪者集団がいる事を知ったチトセ様はどこか切なそうでした。
そんなチトセ様の様子に、「やっぱりチトセは大丈夫だったわ」とマーガレッタさんは嬉しそうに表情を綻ばせます。
「実は人魚って、内陸でもそんなに珍しくないんだけどね?」
「え、そうなの?」
「ええ、薬を飲んだら人間と見分けつかないのだもの。チトセだってわからなかったでしょ? フリシェンラスにも、結構な数の人魚がいるわよ」
「じゃあ、知らない内にすれ違ったり?」
「きっとしてるわ。わざわざ『人魚よ』って自己紹介しないから多く見えないだけよ」
なるほど。
私は納得しながら、マーガレッタさんのお部屋に目をやります。
カーテンやベッドの布は海を思わせる青と白。そこかしこに飾られた珊瑚や貝殻。身に着けていらっしゃるアクセサリーは真珠です。
これだけ海の物を並べていても『そういう好み』だと思うだけなのですから、特に気を遣う事もなく紛れ込めるのでしょう。
「強いて言うなら、人魚は肌荒れがツライかしら」
「肌荒れ?」
「そうよ。陸って、海の中より乾燥してるじゃない?」
「……それはそう」
「ずっと水に浸かって生活してきた人魚には潤いが足りないのよね……せっせとお肌に水浴びさせても、冬場は特に全然追いつかないわ」
「そっか……人間だって冬の乾燥はお肌に厳しいもんね」
「こんど人の多い所に行ったら観察してみるといいわ。お肌の乾燥が酷い人はほとんど人魚よ」
面白い指針を知る事ができました。今度観察してみる事にいたしましょう。
しかし、そう言われてマーガレッタさんを見てみますと、確かにチトセ様よりもお肌が乾燥気味のようでいらっしゃいます。
「いっそ水の中で寝たくなるわ。シーツにも水分持って行かれて結構辛いのよ……」
「わぁ、それはよっぽどだね……」
「チトセの紡いだ水の糸を布にしたら、潤うシーツになったりしないかしら?」
「水の布はね……寝てる時、無意識に魔力出したりしたら水が溢れちゃうから、お布団とベッドがダメになっちゃうかな……」
「そう、残念……」
はぁ……と溜息を吐くマーガレッタさんを、チトセ様は心配そうなお顔で見ていらっしゃいました。
* * *
「たぶんだけど……人魚ってあんまり汗かかないんだと思う。だから吸水性の良いシーツにお肌に必要な潤いまで持っていかれて乾燥が悪化しちゃうんじゃないかな」
『芳香の海』を辞したチトセ様と私は、その足で冒険者ギルドへと向かっておりました。
「だから、汗を吸う必要がないんだから、いっそ吸水性の無いゼリーみたいな物でシーツを作っちゃえばいいと思う……と、いうわけで、今日もお願いします、メルナタリーさん!」
「はぁ~い。全然わかんないけど、とりあえず個室ですねぇ~」
メルナタリーさんも慣れたもので、チトセ様と私はスムーズに案内されます。
何度か通っている内に顔を覚えられたのでしょうか、他のギルドの方からちらちらと目線を向けられながら、いつもの個室へと入りました。
「『お肌に良いゼリー』ぃい?」
「はい」
チトセ様の問いに、メルナタリーさんはいつもよりも難しそうな顔をされました。
「いっそゼリーじゃなくても、柔らかくて水を吸い取らない物なら……でもお肌に悪いとダメです」
「その条件ならまぁゼリーだよねぇ……でもお肌かぁ~」
う~ん、と悩みながらバラバラと図鑑を開いたメルナタリーさんは、パタンと図鑑を閉じてしまわれました。
「女性のお肌の悩みっていうのはねぇ、昔っからあるものなんです~。特にお金に余裕のある方程、財力に物を言わせて良い物探させるのぉ」
「どこも同じですねぇ」
「でしょお? そんなわけで……お肌に良い魔物の素材っていうのは、手間と危険と希少性が高い上に、魔力を含んでいるからか効き目が高いので……全部! ものすごく!! 高いで~す!!! お金持ちが買い占めちゃうから!!」
「わぁ」
何か苦い思い出でもあるのでしょうか。メルナタリーさんは飲み物をゴッゴッゴッ……と酒のジョッキのように飲み干し「やってらんないよね~」とぼやきながら話を進めました。
「じゃあお肌に可も不可もないゼリーの魔物はってなると、そんなちょうどいい物は無いんだぁ。子供でも知ってるスライムだって、全身ゼリーだけど内側はお肌によろしくない溶解液だしねぇ」
「そっかぁ……」
「そうなの、だからぁ~……」
メルナタリーさんは、しゅぴっと指を一本立てて言いました。
「逆に、商人ギルドで聞いた方が良いと思うよぉ~」
* * *
メルナタリーさん曰く、お肌に良い魔物の素材はほぼ全て貴族向けの高価な品になりますが、平民の女性だってお肌には気をつかうもの。特にこの中央都市は平民もそれなりに生活に余裕があるので、平民向けの化粧品という物が出回っており、そうなるともちろん安価な化粧品の材料が流通しているはず……との事でした。
「『お肌に良いゼリー』、ですか……」
「はい」
やってきた商人ギルドでケリィさんに素材の相談をしたところ、冒険者ギルドの時のように個室に通され、ケリィさんは何かの目録をペラペラとめくります。
「安価な物となると……あまり美肌効果は高くなりませんが、よろしいですか?」
「大丈夫です」
「それでしたら……キュアプルクラゲはいかがでしょう?」
「キュアプルクラゲ」
「はい、見本が倉庫にありますので取ってきますね。少々お待ちください」
しばし経って、ケリィさんがトレイに器を二つ乗せて戻ってきました。
片方の器には乾燥したクラゲの身が。もう片方の器には、同じく乾燥した身が水に浸されています。
「こちらです。王国でも南方の国境付近にある港町で採れるキュアプルクラゲの身を乾燥させた物になります」
「なるほど……水に浸けておくとぷるぷるに戻るんですね?」
「そういうことです。数年に一度の周期で大量発生するので、漁場保護のために国策で大量に水揚げされるんです。あまり効果は強くありませんが肌に良い成分が含まれているので、駆け出しの錬金術師が安価な一般向けクリームを作るために乾燥した身が出回っている感じですね」
「へぇ~……これはたくさんあるんですか?」
「それはもう! 不味くて食べられないですし……まだまだ消費しきれていないですけど、そろそろ次の大量発生が来る頃なので。国のお抱え錬金術師たちが『いっそ肥料にでもできないか』って頭抱えてるくらいです」
お値段はこのくらいです。とケリィさんはグレム単価を見せてくださいました。なかなかお手頃で、大量に購入しても問題は無さそうです。
「商人ギルドの倉庫にもたくさん在庫ありますから、すぐにお買い上げできますよ。あ、クラゲ良い感じに戻ってきましたね」
「あ~ぷるぷるだぁ~……うん、これなら良さそうですね。じゃあ購入お願いします」
「ありがとうございます!」
嬉しそうに契約書を用意していたケリィさんでしたが、ふと気付いたように手を止められました。
「……もしかして、これもやはり糸になるんですか?」
「はい、人魚の友人が肌の乾燥に悩んでいたので……肌の水分を奪わないシーツができないかな~と」
それを聞いたケリィさんは、驚愕の表情でクラゲの身とチトセ様を見比べました。
「そ、それはっ! 新しいアプローチですよ! 陸に上がった人魚の肌乾燥は化粧品業界では有名な話で……なるほど、寝具! 普通のシーツの布ですら水分奪われて辛かったんですね!? それを、このクラゲの布で……じゅっ、需要の気配がします!! お試しした結果をぜひ教えてください!」
「あ、はい。わかりましたー」
私にはわかります。
これが上手くいった場合、チトセ様の弟子候補に化粧品業界の息がかかった方が増えるでしょうという事が。
購入したクラゲの身は後日届けてくださるとの事でしたので、代金のみ支払いをして、その日は帰宅したのでした。




