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新しい工房の事

 工房に備え付けのポストに届くお手紙を取ってくるのも、私の仕事です。

 朝昼夜と三回確認するようにしていますが、時折、配達員の方と顔を合わせる事がございます。


「おはようございます」

「おう! おはようさん、メイドのねーちゃん!」


 猛禽に乗ったリリパットの少年がこの辺りの担当のようで、よく顔を合わせます。

 彼は一度ポストの上に着地すると、鳥がつかんでいる鞄からハルカ工房宛ての手紙を抜き取り……私がいますので直接手渡していただきました。


「差出人がどんどんグレードアップするな~と思ってたけど、もうここまで来たな! おめでとさん!」


 ニカッと笑う小さな少年から手紙を受け取ってみれば、そこには王家の紋章が。


「お宅のご主人様は出世頭だな! 頑張れよ!」

「ええ、自慢の主人です。ありがとうございます」


 バサリと羽ばたき、少年と鳥はドゥさんのポストへと着地いたしました。

 すると、通りにはちょうど出勤されていらしたワフフさんに乗ったナノさんが。


「おっ、今日も遅刻しなかったな! 偉いぞ寝坊助ナノ」

「毎朝余計なお世話なのです! 食いしん坊タタン!」


 まぁ、そちらは知り合いだったのですね。



 * * *



 お手紙にて指定された日時に、チトセ様と私は商人ギルドを訪れました。


「ふふ……ついに王族にお呼び出しを受けちゃった」


 どこか達観されたお顔でチトセ様が呟きます。今日のお召し物はついに出番のやってきた、余所行きの良い物です。張り切って着替えをお手伝いさせていただきました。

 王家の紋章が封蝋に捺されたお手紙は、もちろんエスティ王女様から。なんでも、ハルカ工房の新しい建物について、少々お話したい事があるとか。

 離宮ではなく商人ギルドに招かれた理由はよくわかりませんが、下手な貴族に目を付けられるよりは良いでしょう。


 久しぶりのギルドに入ると、受付のケリィさんが飛んでいらっしゃいました。


「お待ちしておりましたチトセ様。既に皆さまお揃いですので、こちらへどうぞ」


 奥へと案内されながら、チトセ様は不安げな表情でこちらを振り向きました。


「アリア……時間遅かったかな?」

「いえ、きっかりお約束の15分前です」


 こちらの小声のやりとりが聞こえたのでしょう。ケリィさんがクスクスと笑って言いました。


「お待ちの皆さんが早すぎただけですから、心配なさらなくて大丈夫ですよ。ハルカ工房様の将来には皆さん期待してらっしゃるんです」


 そうして案内されたのは『来賓室』と書かれた扉。

 ケリィさんが扉をノックし「失礼します、ハルカ工房のチトセ様がお見えです」と告げると、中から入室を許可する返事が聞こえました。

 そうして扉を開くと──


「では希望者の27名を無かった事にしろと言うのかね!? 商人達の暴動が起きるぞ!?」

「そんなことは言っとらんわい! じゃが現実を見ろと言うとるんじゃ! そんな人数が入る物なんぞ建ててみろ! どうなると思う!?」

「少なくとも、『オーリエ商会』や『カサンドラ輸入品店』の年寄り共は良い顔をしないだろうね」

「ほれ見ぃ! 殿下もこう言っとる!」

「しかし殿下! 27名の推薦者は35もの商会が名を連ねているのですぞ! そもそも!」


 ──……パタン


 凄まじい怒号が飛び交っていた室内を笑顔で見ていたケリィさんは、そっと扉を閉じました。


「取り込み中のようですので、15分経ってから来ましょうか」


 ──バタン!


「いやいやいやいやケリィ、主役をどこへ連れて行こうってんだい」

「はよぅ中へ通さんか!」


 扉を開けて飛び出してきたお二人に、ケリィさんはにっこり笑って冷たく言い放ちました。


「お二人とも、あれがお客様を出迎える態度だと仰るのでしたら、お母上のお腹の中から商人やり直してきていただけます?」

「ゴメンナサイ」

「ゴメンナサイ」


 即座に頭を下げた二名に、チトセ様が耐えきれず吹き出しました。

 ケリィさん、意外な迫力をお持ちなのですね。



 * * *



「チトセ様、お久しぶりです」

「お久しぶりです、エスティ王女様」


 部屋に入ると、エスティ王女が嬉しそうにチトセ様と御挨拶を交わし、クリスタルオウルの布について少々お話をされました。尻尾がふりふりと動いていて、大変愛らしゅうございます。


「……エスティ様、さっきまでの騒ぎの時もここにいらっしゃったんですか?」

「ええ、おりましたわ」

「えっと……大丈夫でした? その、怖かったりしません?」

「? ……あ、張り切った議論の事ですの? お兄様達やお姉様達が時折あのような議論をなさいますから、慣れておりますわ」

「思ったよりタフなんですね」


 そんな王女様に、先程までの毒気を抜かれたように、部屋の男性三名が苦笑いされております。

 王女はニコニコと微笑みながら、物静かな雰囲気をした男性の下へチトセ様を促しました。

 エスティ様と同じ色の髪、そして耳と尾。もしや……


「こちら、兄のラズオールですわ」

「やぁ、妹が世話になったね」


 やはり、王族の方でしたか。

 7人の内、4番目のラズオール王子。


 まさか王族の方が追加されると思っていらっしゃらなかったのでしょう、チトセ様は「ヒェッ」と喉の奥で悲鳴を上げられ、動きがぎこちなくなりました。


「いえいえコチラこそ、エスティ王女様にはこの度ありがたいお話をいただきまして……」


 さすがに本番に強いチトセ様も、王族らしい空気を纏った王子の登場には余裕を保てなかった御様子。

 ギシギシと音がしそうな動きのチトセ様に、王子はクツクツと笑いながら「楽にしていいよ」と仰られます。


「礼儀作法だの何だのっていう煩わしい事を抜きにして話し合うために商人ギルド(ここ)を選んだんだ。今の僕は王子と言うより、経済院の筆頭だと思ってくれて構わない」

「けいざいいん……?」

「離宮の院の一つ……王国の政治を担う一角のことですわ」

「どっちみち偉い人じゃないですかー!」


 ヤダー!と嘆くチトセ様の御様子に、アッハッハと王子様が楽しそうに笑います。揶揄われておりますよ、チトセ様。

 そんなチトセ様の肩をぽんぽんと、年配のドワーフの方が叩きます。


「ラズオール様はワシら職人には気さくな御人じゃ、そんなに緊張せんでもえい」


 蓄えた髭を三つ編みにし、真っ赤なリボンで結んだドワーフは、赤ら顔でニカッと笑ってチトセ様に握手を求めました。


「ワシは『ドドンガ建設』の代表、ドンカ・ドンガじゃ。今回、お前さんとこの工房建設を請け負う事になった! ドンと呼んどくれ!」

「えっ? あっ、ハルカ工房のチトセです……?」


 何やら話が見えないチトセ様に、3人目の男性が握手を求めます。

 3人目の方は……高価なスーツを隙無く着こなした……骸骨でした。


「いやはや、先程は御見苦しい所をお見せしましたな。ようやくお目にかかれました……私、商人ギルドの創設時よりギルドマスターを務めております。ルドルフ・カラドリーアと申します。チトセ嬢のお話は職員からちょくちょく聞いておりました。以降、お見知りおきを」

「ア、ハイ、チトセです……」


 驚きが許容量を超えてしまわれたチトセ様。

 そんなチトセ様にギルドマスターは「カカ」と笑いました。


「やはりアンデッドがギルドマスターだと驚かれますなぁ! さよう、見ての通り私はスケルトンでございます!」

「やはりって言うくらいなら、いいかげんカツラや仮面の一つでも被ったらどうだい?」

「そんなもったいない、半分はこれが楽しくてギルドマスターをしているのですからな!」

「まったく人の悪い爺さんだ」


 顎の骨をカタカタと鳴らして笑うギルドマスターに、ラズオール王子とドンさんはやれやれと苦笑いいたしました。


 そもアンデッドとは、死してから何らかの影響により不死性を持った者の総称で、生前の肉体がどのような状態だろうとアンデッドと呼ばれます。スケルトンもゾンビもゴーストも吸血鬼も、皆等しくアンデッドなのです。

 そしてそのほとんどは不死性を持つ過程で精神が崩壊するらしく、理性を失い人を襲います。あるいは、自らアンデッド化した者の多くがヒトを食料とみなして捕食しようとしてきます。

 そういった、ヒトに危害を加える脅威と化したアンデッドは魔物扱いの討伐対象です。

 しかし、中にはこちらのギルドマスターのように、理性を保ち穏やかに暮らすアンデッドも存在します。けれどもアンデッドの中ではかなり珍しいケースとなり、めったにお目にかかる事はできません。

 そうした理性のあるアンデッドのほとんどは、一度死んでいることもあって達観しているためか、魔物に間違われるのが面倒で、常夜の島にあるアンデッドだけの町『終焉の都市』に行き着き暮らしているのだとか。

 よほどの理由がなければ生きた者達の間で暮らすアンデッドはいません。

 このギルドマスターさんは、そのよほど(・・・)の理由持ちなのでしょう。


「まぁ私の事はこのくらいでよろしいでしょう。ちょっと肉が無い老人が商人ギルドを作って長々とマスターをやっているだけのことですよ。……ではでは、皆様おかけくだされ」


 ギルドマスターの一言で、チトセ様も皆様も豪華なソファに腰かけました。

 ケリィさんがお茶のセットとお菓子を持ってきてくださいましたので、私が引き継いで準備をし、皆様にお配りいたします。


「さて、本日お集まりいただいたのは他でもございません。こちらのチトセ嬢が店主を務めておりますハルカ工房。その新しい建物についての打ち合わせの為でございます……とは申しましても、肝心のチトセ嬢が一番わけがわかっておりませんでしょうからな。その説明からいたしましょう」


 ギルドマスターの言葉に、チトセ様はカクカクと頷かれます。

 そもそもチトセ様は、次の夏が近くなってから新しい工房の事を考えようと思っていらっしゃいましたので、その動揺はよくわかります。

 他の方々も異論無しと頷きましたので、ギルドマスターがゆっくりと語り始めました。


「最初から順に説明いたしますと……事の始まりは、やはりエスティ様が社交界デビューなさった舞踏会でしょうな」


 こくりと王女も首肯されます。


「我が国がシルクもコットンも生産が難しい事はチトセ嬢もご存じかと思います。金糸も然り。そうなれば必然王侯貴族の衣装は輸入に頼らざるを得ず。しかし生産国で最も質の良い物は、当然その国の王侯貴族へ優先されますからな。故に我が国の王侯貴族の衣装は、どうしても、最上とは言い難かったのです」

「勝てるのは毛皮くらいだね」

「そこへ、あの蜜珠糸が現れた」


 ギルドマスターは感極まったように拳を握りながら続けます。

 目の肥えた貴族や豪商界隈に走った激震の事──舞踏会には貴族に匹敵する力を持った豪商も参加しておりました──そういった方々が目を剝かれた。『あの刺繍糸はなんだ』と……チトセ様は蜜珠糸を問屋に卸さず、直接仕立て屋へ持ち込みましたので、だからこそ余計に目を引いたのだとか。誰も見た事が無い、本当にあの場こそが、世の中への初お披露目だったのです。


「あれは凄かったね。御婦人方も誰か知る者はいないかと必死だった」

「ステキなドレス、本当に嬉しかったですわ」


 エスティ王女がその糸を紡いだ職人を支援する事をラズオール王子が喧伝した事で、業界がパニックになる事は避けられました。蜜珠糸は『比翼の抱擁』・『ベーギィ&ボーギィ』・『ドゥドゥ閣下』の3工房に卸され、王族や貴族の方々はこぞってそこへ注文を出します。

 しかし、あまりにもその状態が続けば、当然他の仕立て屋や布と糸の問屋は面白くありません。


「そんな折に行われた収穫祭。チトセ嬢、貴女はそこでメェグエーグ侯爵の依頼を受けられた。奉納品棚に飾られたその毛糸と、そして貴女の奉納品である美しい糸。それらに釘付けになった商人達が、メェグエーグ侯爵が王女との会話で耳にした事柄を話すのを漏れ聞いたのです」

「メェグエーグ侯爵には、チトセ様が『早くても次の夏になったら新しい工房に移る事を視野に入れて、弟子を取る事も検討されている』という事を少しお話ししましたの」


 エスティ王女の補足に、ギルドマスターはうんうんと頷きます。


「それを聞いた商人達は一気に商魂が爆発してしまったのです。弟子を取るという事は、唯一であった技術を扱える者が増えるという事ですからな。しかも他国にどうしても遅れを取っていた高級繊維分野に関して、逆に覇を取れる可能性すら秘めた技術。シルクの輸入で辛酸を舐めていた商人ほど燃え上がってしまいました……貴女の想像する100倍は喜んでいたと思ってくださってけっこうですよ。実際、商人ギルドで職員と一緒に万歳三唱した豪商がおりましたからな」

「わぁ」


 苦笑いしたチトセ様は、けれど「ん?」と首を傾げました。


「でも……うちの工房には特にそういう問い合わせは来ませんでしたよ?」


 私も毎日のお手紙を確認していましたが、そういった豪商からのお手紙等も見ておりません。

 すると、ラズオール王子がクツクツと肩を震わせて笑い始めました。


「それがね……商人達はよっぽど他国に一泡吹かせたいらしくて、商人ギルドを中心に結託してハルカ工房の弟子取りをお行儀よく待ちながらを守ろうとする犬のようになってしまったんだ」

「犬!?」

「いやギルドマスターの私から見ても、情報を統制する様は見事でしたぞ。普段からあれくらい仲良くしてくれれば良いものを……」

「それは無理じゃろ。ワシらは同志であると同時にライバルじゃからな」


 はっはっは、と朗らかに笑ってからギルドマスターは言葉を続けました。


「そういうわけで、忠犬達の頑張りと、エスティ王女とラズオール王子のお力添えもあり、ハルカ工房を見守る布陣が強固なものとなったのですが……ここでひとつ問題が発生しましてな」

「……問題、ですか?」

「はい。どうもこの忠犬達……心が弾みすぎて、あまり長い事『待て』ができなさそうなんですな」

「君はたぶん『夏になって、工房が1年間順調に経営できたと確認できたら、新しい工房と弟子について考えはじめよう』くらいの気持ちでいたんじゃないかな?」

「あ、はい」

「周りの商人達はそうは思っておりません。『夏には新工房に移り弟子を取るのだ』と、いつのまにかそういう認識にすり替わっておりました」

「えぇ~~……」


 いやはやと首を振るギルドマスター。

 困った顔で天を仰ぐチトセ様。

 そんなチトセ様を見て苦笑いされる王子が口を開きます。


「忠犬の中には舞踏会に参加していたような豪商も名を連ねている。ここで『それは勘違いですよ』と延期した日には……そういうわけで、君には申し訳ないのだが『エスティが出資をすることになるから』という建前で、新しい工房の建設についてある程度こちらで話を進めさせてもらっていたんだ」

「なるほど、そういう事でしたか……」


 なんとまぁ、御本人のチトセ様よりも周りの方が盛り上がってしまわれていたとは。

 しかも、市井の噂で耳にしなかったということは、情報の統制とやらもそれなりに結束の強い物だったと見受けられます。これは私も、そろそろ建物内の密談を聞き取るよう方針を変えた方が良いかもしれませんね。

 事態を把握したチトセ様は、皆様へ向かって深々と頭を下げられました。


「守っていただいて、ありがとうございます。おかげさまで心穏やかな日々を過ごせました……」

「うん。そこまで理解が早く感謝してもらえると、こちらも動き甲斐があるというものだね」


 あはは、と笑いながら王子は立ち上がり、数枚の書類と地図が広げてある広い台へと一同を誘いました。


「そういうわけで、今日は君に工房の設計について相談をしたくて来てもらったわけだ。重ね重ね申し訳ないが、工房を建てる土地と施工業者については、あらかじめこちらで選ばせてもらったよ」

「そうでないと海千山千の豪商たちが沽券や権力という商品を用いた裏取引と言う名のいらぬ商戦を繰り広げますからな」


 これまでの説明から、おおよそ何が起こるのかを把握されたのでしょう、チトセ様はぶるりと震え、ただただ首肯なさいました。


「工房予定地は2つにまで絞った。ルドルフ、説明を」

「はっ。まず一つ目はこちら、商会の倉庫街に近い場所の土地。こちらが候補の中では最も広い土地になります」


 ギルドマスターが指したのは、それこそ特大の倉庫がまるまる二つは建てられるのではないかと言う程に広い土地でした。


「……広すぎません?」

「広すぎですな。その理由については後ほど……次はこちら、職人街と冒険者ギルドとの中ほどに位置した土地。職人の住居兼工房にはやや広めなので、必要になれば小さな倉庫も建てられる余裕のある丁度良い広さと言えるでしょう」


 次の場所は、どうやら孤児院ホワイトベリーの近くにあたる立地のようでした。


「大と小、二つ候補を用意したのにはもちろん理由がある……チトセ嬢、弟子は何人ほど取るつもりだろうか?」

「何人、ですか? 正直まだそこまで考えてなかったですけど……」

「そらそうじゃろ」

「そうでしょうとも」

「……そこでチトセ嬢にお知らせだ。君の工房を建てるにあたり、色んな商会から土地の提供の申し出と合わせて……弟子の推薦状もそれはそれは多数来ている」


 チトセ様はパチクリと瞬きをされました。


「……推薦状ではありますが、ようは『ぜひ我が商会に技術を!』という嘆願書ですな。それが現在、27名!」

「にじゅうななめい」

「建つ頃にはもう少し増えるじゃろうな」

「多すぎません?」

「君が思ってる100倍は期待度が高いということさ」


 やれやれと、しかしどこか嬉しそうに肩を竦めるラズオール王子は言います。


「王家としての希望を述べさせてもらうのなら……国の特産品とするためにも弟子は出来るだけ多く取ってもらう方がありがたい。可能なら、27名全員を。……だが、技術継承がそんな簡単な物でないことも理解はしている」

「ワシは反対じゃな。27人じゃぞ? 軍隊の新兵でもあるまいし。そもそもそんな数の弟子が入るような規模の工房を、駆けだしが国からの援助で建ててみぃ、豪商の古狸がどんな嫌味を言うかわかったもんじゃないわい」

「しかし27名からたった2,3人を選ぶと言うのも問題なのです。多い多いとは言いますが、これでもふるいにかけた数なのですぞ。残った27名は、どれもこれも名立たる豪商や商会や権力者の息がかかった職人候補。中にはそれこそ王国の繊維業界の中枢を担う者の関係者もいれば、最上級の仕立て屋の息がかかった者もおります。うかつに切り捨ててはハルカ工房の将来にいらぬ軋轢が生じる可能性が……!」


 徐々に再燃し始めた説明のような議論のような場に、そっと涼風を吹かせたのはエスティ王女でした。


「皆様、ここで張りきった議論をされてはチトセ様がお困りですわ」


 ハッと我に返ったように咳払いをする殿方達。安心して息を吐くチトセ様に、エスティ王女が笑いかけます。


「いや失礼……そういうわけで、我々では二進も三進もいかなく」

「もうお嬢さんに直接訊いた方が早いじゃろって話になったんじゃ」

「なるほど、よくわかりました」


 チトセ様が苦笑いされながら首肯し、腕を組んでしばし考えにふけられます。


「……まず、私の考えを聞いてもらっても良いですか?」

「もちろん」

「そのために呼んだのです」


 では、とひとつ深呼吸されてからチトセ様は話始めました。

 初めて長鉢荘で暮らす準備をしていた頃によく似た、期待にわくわくとした顔で。


「まず前提として……私、ハルカ工房で取るお弟子さんは、できれば長く勤めてほしいなと思ってるんです。もちろん、独立したいとか個人の事情とかで離れる事はあると思いますけど。……でも、推薦状の弟子希望の方って、たぶんそういうのじゃないと思うんですよね。『技術を得たら、すぐにでも推薦してくださった人の工房で活躍したい』そういう人たちだと思うんです」


 その言葉に、皆さんはハッと目が覚めたような顔をされました。

 ですが、チトセ様は構わずそこに続けます。


「そして……私、故郷でそういう人たちに教鞭をとっていた事があるんです。服飾についての専門技術を教える学び舎で、非常勤講師を務めていました。一度に30人程を相手にして教える事は可能です」


 ですから、とチトセ様は朗らかに笑います。


「分けて、出来るように計らっていただけないでしょうか」

「分ける……?」

「はい。ハルカ工房は私の仕事場として、あくまで一つの工房として運営します。そしてそれとは別に、どこか広い場所をお借りして、週に1日通う事のできる魔法の糸紡ぎの教室を開くんです! ……どうでしょう?」


 チトセ様の問いに、真っ先に飛びついたのはエスティ様でした。


「私は賛成ですわ。それでしたら、27名の方がどなたも学ぶことが出来るのですもの。チトセ様の御提案は皆様が嬉しくなれるものだと思います!」


 お二人の明るい笑みと言葉に、呆気にとられたような男性達はすぐに我に返り、嬉しそうな表情で話し合いを始められました。


「なるほど、教官と生徒達の関係ですな。魔法士や騎士ではなく、職人でそれは盲点でした……チトセ嬢がそれで教えられるというのであれば、ですが……?」

「そもそも、そんなに難しい技術じゃないんですよ? どちらかと言うと、できるようになってからは個々の経験量が物を言う世界ですから。週に1日教えて、あとは個人でそれぞれ練習していただいて……危ない素材の注意点や、色んな素材を糸にするコツを1年使って教えれば、もう十分だと思います」

「ほうほう……それならば人数の問題も解決いたしますな」

「建てる工房も城のように巨大な物でなくても構わんのう!」

「あとは教室か……チトセ嬢、一度に30人程と言っていたな? ならば、講師代は国家予算から出そう。エスティは工房の方の出資を頼む……そうすれば、教室に離宮を使う大義名分ができる。なんといっても金を出しているのが王宮になるからな。それならもう一つの問題も解決だ!」


 ラズオール王子が嬉しそうに言い放った言葉に、チトセ様は再び首を傾げられました。


「もう一つの問題、とは?」

「ああ、何と言っても目標が『国の特産品』だからな。他国からの間者や刺客がこないとも限らないだろう? シルクの市場は間違いなく大打撃を受ける事になるからな。だから、ハルカ工房とその弟子達にはある程度の護衛をつける必要性があるという話になっていたんだ」

「えっ」

「土地をこちらで決めた理由のひとつでもありますな。どちらも兵の詰め所が近いので、工房が完成した暁には見回りの対象となる予定でした」

「こうなれば狭い方の土地で決まりじゃな? こっちは冒険者の家が多い住宅街の一角じゃ。夫婦どちらも元冒険者が多いし、元冒険者は怪しい輩を見分ける嗅覚が強いから治安も良い」

「教室を離宮で行うなら、元々兵の詰め所だからな、何の問題も無い」

「いやぁ、丸くおさまりましたなぁ!」


 はっはっは、と嬉しそうに笑う皆さん。

 チトセ様も、間者や刺客の話には顔を引きつらせておられましたが、「ま、いいか」と呟きながら微笑まれたのでした。



 * * *



「……と、いうわけで。新しい工房の希望をまとめる会議を行いたいと思います!」


 商人ギルドから戻ったチトセ様は、すぐにナノさんと一緒にスティシアさんの部屋へ赴いて話し合いをすることになさいました。

 スティシアさんは寝室に続く階段の上から、髪をだらりと垂れ下げつつ目だけでこちらを覗いての参加です。とても不気味です。


 あの後、ハルカ工房と技術継承の教室を別にするという方針で決定したラズオール王子と商人ギルドマスターは、それを実現するべく各方面と調整を行うために慌ただしく駆け出して行ってしまわれました。

 なので残されたチトセ様は、エスティ王女と『ドドンガ建設』のドンカさんから、新しいハルカ工房の建物について『間取りや設備の希望をまとめるように』という指示を受けたのです。実際に工房を使用するのはチトセ様や従業員ですからね。


「とはいえ、私も工房どころか、家だって自分で建てた事なんてないから勝手がわからないので……ドンさんに叩き台を貰ってきました」


 ドンさんがチトセ様に持たせてくださったのは、ドンさんが仮に起こしたデザインと設計図数パターンです。決定した土地に住居兼工房を建てると、どのくらいの部屋がどの程度できるのか。外観はどのようになるのか。というイメージを掴むための物だとか。


「仮だからすごくざっくりしてるけど、すごいイメージしやすい……スティシアさん、見えるー?」

「……見えていらっしゃるようですね」

「あれ、床に腹這いになってませんかです?」


 問題は無さそうなので、階段近くに資料を広げての会議が始まりました。


「なんかどのパターンも、貴族程じゃなくても、お屋敷みたいな建物になっちゃってるんだけど……兵隊さんが巡回しつつ気にかけてもらって、でも貴族に睨まれないように考えると、このくらいにしておいた方が良いんだってさ……」

「王女様が出してくださる事を考えてもこのくらいはあった方が良いと思うのですです。じゃないと王女様の沽券に関わるのです」

「マジかぁ~……で、私は当然ここに住むわけなんだけど。スティシアさんも住み込みだよね? うん。……で、ナノちゃんはどうする? ドンさん、こっちの従業員の事は知ってたみたいなんだけど、『リリパットは住居は別の方が良いじゃろ』って言ってて、なんでかなー?って」


 チトセ様が不思議そうに首を傾げます。

 ナノさんはそんなチトセ様が口にするドンさんの言葉に、うんうんと頷きながら言いました。


「その人の言う通りなのです。ドワーフならまだともかく、リリパットはかなり体が小さいので、家の作りが根本的に別物になるのです!」

「まぁそれはそうだろうけど……家の中に家作るような感じじゃダメなの?」

「それもいまいちらしいのです。母も昔、ラナンさんと一緒の工房に住み込みしたことがあるそうですが。デッドスペースとか足音の揺れとか色々上手くいかなかったと言ってましたです。なのでボクは今まで通り、通いで良いのです」

「へぇ~、そっかぁ」


 昔は上京してきたリリパットが屋根裏に間借りした事もあったそうですが、水回りの使い辛さや使い魔の生活空間の関係から、結局は早々にリリパット向けの住宅へ移ってしまうのだとか。

 ナノさんも、ハルカ工房が新しくなったら実家通いから工房近くの集合住宅へ移るつもりのようです。


「じゃあ住むのは私とアリアとスティシアさん……最低でも3人分は必要って事だね」

「私は使用人用の部屋を御用意いただければ」

「そういうもの?」

「そういうものです。それにチトセ様、この規模の屋敷になりますと使用人をもう少々増やした方がよろしいかと」

「おっと、じゃあ1階に書いてある使用人関係の部屋はそのままの方がいいのかな……」


 見たところ、工房としての作業空間も倉庫も十分に確保されているようでしたので、ハルカ工房からの要望はお風呂回りとスティシアさんの生活空間の事になりそうでした。


「お風呂! 湯船に浸かりたい! 長鉢荘は好きだけど、共用シャワーだけなの寂しかった!」

「? ……あっ、必ず湯船があるのってリリパットだけなのですかです?」

「えっ!? ……そっか小っちゃいからお湯溜めるのも沸かすのもすぐだもんね! いいなぁ~」

「逆にリリパットの家はシャワーが無いのです。小さいシャワーを作っても、お湯が大きな水滴になっちゃうですです」

「あ~、表面張力~」


「スティシアさんはお風呂とトイレも他の人と合わない方がいいよね?」

「すごい激しく頷いてるです」

「作業場も別だから……こう、建物にくっついてる塔みたいにしてもらった方がいいのかな? 1階はトイレとお風呂場に他の人の反対側から入れる場所にして……2階を作業所にしてこっちと出入りできるようにして、3階は2階から上がる寝室に~……とかどう?」

「ものすごく激しく頷いてるですです」


 庭もそれなりの広さになっているので、必要になれば後から増築も可能でしょう。

 追加の使用人に関してはよくわからないからと、私に一任していただく事になりました。とはいえ、これは建物が完成してからでも問題はございません。


「長鉢荘で何年か過ごすかと思ってたけど……思ったより早く自分の城が手に入りそう」

「店長……店長の技術でそれはのんびりが過ぎるのです」

「………………うん……ナノ、言う通り……」


 そうです。チトセ様は素晴らしいお方なのです。

 ようやく世の中がその事を理解してくださり、私は喜ばしい限りです。

 ただおひとり、当のチトセ様だけが「え~」と声を出されながらよくわかっておられなさそうな顔をされていたのでした。


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