幕間:離宮のとある一日~午後~
離宮にはもちろん来客もやってくる。
いかに王宮と比較すると要塞のようであろうとも、離宮である。
高貴な身分の賓客を迎える上で失礼に当たらない程度の華やかさはあるし、王侯貴族が使う応接室も、王族が寝泊りできるような貴賓室だって一応用意はされている。ただ、使う頻度が少ないだけだ。結局、他国の王族を迎えるとなれば王都の方が安全なので。
ただ、あるからには使わないのはもったいない。
現在、そういった部屋のほとんどは商人が王族に品物を紹介する時に使われている。
エスティ王女を訪ねた仕立て屋『比翼の抱擁』も、そんな貴賓室の一つに通されていた。
「……………………綺麗」
手に取った布地をそっと手で撫でて、エスティ王女はほぅと吐息混じりにそう零した。
まるで王宮の塔から見る晴れた日の雪原のような、純白にきらきらと煌めきの粒が散っているとてもとても美しい布。例えばこれに、あの蜜珠糸で刺繍をしたりしたら、一体どんなことになってしまうのだろう。
「千羽織、でしたかしら。こんな美しい布初めてみましたわ!」
同席していたラズオール王子も感嘆の息を吐いた。
「これは予想以上だな。クリスタルオウルの羽を紡いで織った布、だったか……」
「はい、冒険者ギルドも便宜を図っていただいたそうで」
「そちらにもお礼を申し上げないといけませんね!」
「なるほど、それでこっちが?」
「こちらは鶏の羽を使っているそうです」
「鶏でこれか……」
「こちらも温かみがあってステキですわ!」
仕立て屋の夫人二人が持ってきてくれたハルカ工房の新作にエスティは夢中だった。
まず最初にエスティ様に、とあのチトセ様が言ってくれたというのも嬉しくてたまらない。
「本当に、私が買い上げてよろしいのですね?」
「ええ、お気に召していただけたのなら是非」
「パトロンのお前に最初に持って来るのは当然だろう。気に入ったなら、色を付けて買ってやるといい」
「はい!」
ウキウキと契約書にサインをしながら、エスティは名案を思い付いて手を叩いた。
「そうですわ、『比翼の抱擁』様にこれを使ってお仕事の依頼をいたします。このクリスタルオウルの布で、フィーシェお姉様にドレスを仕立ててくださいな!」
「おや、エスティ様のが最初でなくてよろしいので?」
「はい! だってこの布、とっても暖かいのですもの。フィーシェお姉様はもうすぐお輿入れですわ。後々の為にも、暖かいドレスをプレゼントしたいのです」
にこにこと嬉しそうに語るエスティに、部屋の一同、仕立て屋も兄もメイドもほんわかと微笑ましい空気が流れた。本当良い子よねぇ~。かわいいでしょう、僕の妹なんですよ。エスティ様はずっとそのままでいらしてくださいね。
「では、生地は十分足りると思いますから、フィーシェ様のお次はエスティ様のドレスでいかがです?」
「まぁ! それでしたら是非!」
「ははっ、商売上手だな」
「お兄様もいかがです? こちらの鶏の羽の布でシャツやスラックスなんて。マントもステキかもしれませんわ!」
「おや、僕にもプレゼントしてくれるのかい?」
「もちろんですわ! たくさん色々な事を教えていただいていますもの」
ラズオールは面白そうな顔をして、鶏の羽の布をさらりと撫でた。
「良い肌触りだ……それなら、商会との会合にも着ていけるような物を仕立てていただこうかな。僕が着ていれば工房の宣伝にもなるだろう」
「ステキ! では、それでお願いいたします」
ウキウキと話を進めるエスティだったが、ふと不思議そうな顔をして首を傾げた。
「そういえば、本日チトセ様はいらっしゃっておりませんの? ぜひ直接お礼をお伝えしたかったですわ」
それを聞いたリリパットの夫人は、苦笑いしてこう言った。
「エスティ様、前にハルカ工房に訪問された時はお忍びで行ったんじゃありませんでしたかね?」
「えっ? ええ、そうですわ」
「その時、エスティ様だって身分を明かされましたか?」
「いいえ、だってお忍びですもの」
「まぁエスティの事だから忍べてはいなかっただろうけどね」
「そ、そんなことはっ! 私、しっかりエプロンでしたわ!」
「前掛けがなんだって?」
「つまりですね、エスティ様が名乗られないと、チトセちゃんはエスティ様だってわからないんですよ?」
王女エスティはきっかり3秒硬直してから──理解した。
「あ、ああっ!?」
「それは大変だ。ハルカ工房の人はせっかくパトロンがついたのに、その連絡先がわからないじゃないか!」
ラズオールがくつくつと笑いながら追い打ちをかける。
「わ、私ったらなんてこと……そ、それで比翼の抱擁様なのですね!?」
「ええ、お忍びの御令嬢がハルカ工房を知ったのは、蜜珠糸繋がりでうちだろうって。だからエスティ様、お手紙でも書いて、伝えて差し上げてくださいな」
「ええ、ええ! すぐ書きますわ!」
待っていたようにメイドが差し出したレターセットを受け取って、慌てて机に向かうエスティ王女。
面白そうにそれを眺めながら、ラズオール王子は仕立て屋に小声で言った。
「でも、チトセ嬢は当然わかってたんだろう?」
「そりゃもちろんですわよ」
「必死に頑張ってらした王女のお忍びを無かった事にするのも無粋だからって、それだけですわ」
「あははっ、つくづくありがたい職人だ」
* * *
「ですから! そんな御予算がどこから出るのかと申しあげております!」
「くどい! そこを捻出していただくべく貴殿にお話を通しておるのが何故おわかりいただけぬのか!!」
離宮のとある執務室にて、部屋の主の前で喧々囂々と議論……もとい意見の殴り合いを行っている二人の重鎮がいた。
方や人間。ヴァンゴードル伯爵。中央都市フリシェンラス離宮の会計院に勤める貴族。
方や牛の獣人。カウスモーウ伯爵。ヴァイリールフ王国は中央都市よりやや北東に広がる平原を領土に持つ貴族。
そんな二人を死んだ魚のような目で見守っているのは、この部屋の主。
第一王子であり正妃の子でもある王位継承権堂々の第一位、次期国王と目されているヴォルデン王子その人である。
「我が領地にて算出しております乳製品は中央都市にて消費される乳製品の半分を占めているのですぞ! これを効率よく運び、より新鮮に届けるための街道整備! 中央都市にも多大なる利が見込める内容のはず!」
「施工範囲が広すぎるのです! カウスモーウ領がどれだけ広大だとお思いなのか! 領土のほとんどが牧場! しかもその牧場間全ての道を石畳になど他に回す予算が消し飛びますぞ!!」
「例のベア子爵領への道は全て石畳ではありませんか!!」
「あれはベア子爵家の私費工事です!!」
「そんな馬鹿な!」
ヒートアップしたまま帰ってこない二人の伯爵。
どうしてここまで盛り上がってしまったのか。それはひとえにカウスモーウ伯爵当人が来訪したその時から既に喧嘩腰だったのがいけない。
カウスモーウ伯爵は常日頃から牧場だらけの自領を田舎だと自虐して笑っているのだが、他者に田舎扱いされるのは我慢ならないという実に面倒なタイプの領主であった。
そんなカウスモーウ伯爵がどういうわけか、最近樹海のど真ん中で開拓に精を出しているベア子爵領開拓村の近況を知ったらしい。
そこで『あんな駆け出しの開拓村でさえ馬車道は全部石畳敷だとぅ!?』と、おかしなスイッチが入ってしまったようなのだ。カウスモーウ家の一族は、普段は温厚極まりないのだが、ひとたびスイッチが入ってしまうとどこまでも暴走してしまうという悪癖があった。
ヴォルデン王子は極めて冷静にカウスモーウ伯爵が比較対象として出すベア子爵領開拓村への街道の情報を確認した。
『村の開拓に先んじて馬車道として敷設工事。施工業者は国家指定で中央都市フリシェンラス周辺の街道整備も手掛けた『アルマイト工房』。西海岸への大通りから分岐する形で村まで……』
なるほど。王子はひとつ頷く。
過去に王国から街道整備を命じた業者を使っているので、『辺境の村に王家が手を貸した』と思いこんだのだろう。
ベア子爵が人口ゼロの樹海と谷を領地に賜ったのはもはや有名な話。おかしな土地を褒美にしてしまったから道くらいは作ってやろう等と王家が手を貸してもなんらおかしくはないように見えるわけだ。
だが事実は違う。
ベア子爵は王と王子が何度確認しても『あの場所がいい』と言い張ったし、馬車道の整備に関しては軍用馬車で散々中央都市周辺を通っていたベア子爵が『ぜひこの道を敷いた業者を使いたい』と自分で調べて依頼をしに行っただけだ。王家は業者の顔つなぎはおろか、1銅貨だって出してはいない。
確かにカウスモーウ伯爵が言うように、子爵家の私費で施工するにはいささかあの道は長すぎる。それも完全にゼロからの、木を切り倒して切り株を除去するところからの工事なのだ。資産がそれほど多くない家では破産してもおかしくない規模なのは間違いない。
だがこれにもカラクリがあった。
ベア子爵は少しでも節約をしようと、使用する石材を賄うために開拓地からそれほど遠くない『人形の庭』と呼ばれる遺跡型ダンジョンにてストーンゴーレムの乱獲を行ったらしいのである。
ストーンゴーレムは的確に核を破壊してしまえば、死体は良質な石材だ。事実中央都市の白灰色の建材はほとんどがこれである。
ベア子爵はその拳ひとつで的確に巨体を誇るストーンゴーレムの核を破壊して回ったそうだ。さすが軍事で身を立てている騎士の一族だけあって強い強い。南方の熊獣人はもう少し小柄で愛らしさがあるらしいのに、何故この国の熊獣人はこんなにでかくて強いのか。
『人形の庭』がダンジョンからただの遺跡になりかけるほどに狩りまくって石材を確保し、街道予定地の木々も自分で切り倒してしまえば、あとは本当に施工費だけ。あのダンジョンはしばらく経たないとゴーレムの数は戻らないだろう。余剰の石材は市場に卸されたので文句も言えない。
そんなベア子爵の過剰なアグレッシブさは、カウスモーウ伯爵の想像の向こう側だったという話だ。
王子は天を仰いだ。
この詳細を説明したところで、暴走中のカウスモーウ伯爵には信じられないだろう。というか既にヴァンゴードル候が青筋浮かべながら叩きつけているのにコレなのだから。
王子は悩ましかった。
王家としては、どちらかと言えば道路工事をしてやりたい。
カウスモーウ伯爵の言うように、利は確かに多いのだ。
口には出せないし絶対に出さないが、ぶっちゃけ蜂蜜しかない開拓村よりはよっぽどそっちの道を整備した方が国は潤う。ベア子爵もそのへんわかっているから最初から最後までこちらに何も要求せず私費工事に徹した節がある。まったく優秀な部下でありがたいことだ。
しかしカウスモーウ伯爵もそのへんわかっているから、今、このように荒ぶっている。『何故うちを蔑ろにするのだ、田舎だからか? 田舎だからなのか?』という具合だ。徹頭徹尾冤罪である。
だがカウスモーウ伯爵の要求をまるっと飲むのはよろしくない。
フリシェンラスとその一帯は王家の直轄であり、ヴァイリールフ王国の交易の中心。国内各地から食料がやってくる……カウスモーウ伯爵領の乳製品だけを食べているわけではないのだ。そこで要望通りに伯爵領内の街道整備を国家事業として行った日には、他の傷みやすい食材を生産している領だって『じゃあうちもうちも』となるに決まっている。
誰もがベア子爵のような手法をとれるわけではないのだ、というか無理だ、なんだストーンゴーレムをワンパンって、ふざけてるのか。冒険者ランクに換算すると堂々のSランクを少しばかり突出してSSに片足突っ込むらしい、まったく優秀な部下でありがたいことだ。
脳内でつらつらと愚痴を並べてから、ヴォルデン王子は現実に戻った。
「……カウスモーウ伯爵の言い分はわかった。乳製品は需要が高いからな、街道整備の重要性には大いに賛同できる」
「では!」
「ただな、ヴァンゴードル伯爵が言うように、予算は有限だ。特にカウスモーウ領は立派な牧場が多いからな。牧場から街道に出るだけでも広大だろう?」
「……その通りで」
「だからな、王家としては中央都市からカウスモーウ領までの道を改めて整えたい。領内については……また考えよう。というのもな……ベア領に関しては本当に王家は何もしていないんだ……いや、本当だ。あれは子爵が自分で工夫した結果らしくてな。俺も驚いているんだ」
さすがに未来の主君である第一王子に諭されると、カウスモーウ伯爵も頭が多少冷えたらしい。俗にいう『家畜系』の獣人は王族の言葉が何よりも効くのである。宰相? あれはあれで忠誠からの言動なのでもうどうしようもない。
今がチャンスだと王子はたたみかける。
「それこそ、工事費用を安く抑える方法についてはベア子爵に直接訊いてみるのもいいかもしれんぞ」
「なるほど、ベア子爵は見た目こそアレですが、戦場でなければ気の良い御人ですからな」
「ふむふむ……」
怒り狂っていたカウスモーウ伯爵は徐々にその怒気を治め、常日頃浮かべる穏やかな微笑みを王子へ向けた。
「ヴォルデン殿下がそう仰るのでしたら、一度ベア子爵領を視察させていただくとしましょうかな」
「ああ、そしてぜひ話を聞かせてくれ」
先程とは打って変わって鼻歌混じりに退室したカウスモーウ伯爵を見送り……ヴァンゴードル伯爵とヴォルデン王子は深く溜息を吐いた。
「お手を煩わせて申し訳ございませんでした、殿下」
「いや、あの状態になったカウスモーウ伯相手ならしょうがない。一般職員なら迫力に負けて判を捺してしまっていただろう。よく未然に連れて来てくれた」
互いの健闘を称えあう伯爵と王子。
会計院の有力貴族と次期国王。
この二人、離宮勤めの中でも屈指の苦労人と名高い二名なのである。
* * *
日が傾き、街がオーラン色に染まる夕刻。
離宮の職員達が次々と帰路に就くのを、夜警当番の兵士達が羨ましそうに見送っている。
その流れに逆らうように、一人の小柄な人間が『資料室』と書かれた扉に駆け込んだ。
「おい、ジェスカ。帰る時間だぞ!」
「ん、なんだもうそんな時間か」
ジェスカと呼ばれたハーフエルフは、古い資料を修復していた作業台から顔を上げ、細い体をぐーっと伸ばした。
「一日は短いな……もうあと40時間くらいあってもいいと思うんだが」
「仕事時間が40時間増えるじゃねぇかやめろよ」
もたもたと帰り支度を済ませたハーフエルフを引っ張るようにして二人がホールまで出ると、職員の制服を着ていない青年が一人、ホールの大時計前で梯子をかけていた。
「何してんだあんた」
「うん? そのローブは職員さんか。見ての通り、大時計の整備に来た時計技師だよ」
ほら、と見せた腕章は、二人が着ている職員用ローブと同じ布でできた出入業者証であった。
「へぇ、大時計ってこんな時間に整備するのか」
「遅くにおつかれさんだな」
二人の労いの言葉に、時計技師はふるふると首を横に振った。
「いや、しばらくはちょっと特殊なだけ」
そう言いながら、技師は時計の正面をぱかりと扉のように開ける。
中には大時計らしい巨大な歯車がぎっしり詰まってコツコツと時を刻んでいたのだが……その中の一箇所に、どう見ても動物用の回し車がはめ込まれ、大きめのネズミが一匹せっせと走ってそれを回し続けているではないか。
「スピー、お疲れ」
スピーというのがそのネズミの名前だったのだろう。呼びかけられたネズミがゆっくりと動きを止めると……大時計全体の歯車がそれに連動してゆっくりと止まった。
「え、大時計ってネズミが動かしてたのか?」
「そんなわけあるかー! 俺、係員がでかいゼンマイ巻いてるの見た事あるぞ!?」
ネズミにタオルと飲み物をやっていた時計技師は、それはそれは渋い顔をした。
「ゼンマイ仕掛けであってる。そのゼンマイが昨日イカレたんだ。交換で済ませたくても、こんなでかい時計用のゼンマイなんて在庫があるわけない。だから、直るまでスピーに動かしてもらってるだけだ」
へぇ~、と二人は感心したような呆れたような様子で声を上げる。
「そんなにまでして動かさないといけないのか、この時計」
「一部の職員はこれが鳴らないと飯も食わずに仕事を続けるから、何がなんでも鳴るようにしてくれって言われたが?」
時計技師の言葉に、小柄な男は何か言いたげな顔でハーフエルフの連れを見やり、ハーフエルフはそっと目を逸らした。
「そ、そのネズミは……そんな長時間走り続けてて大丈夫なのかな?」
苦し紛れに話題を逸らすハーフエルフに何かを察したのだろう。時計技師は溜息を吐いて言う。
「スピーはキャラバンネズミだ。三日三晩不眠不休で走り続ける事が出来るから夜に休めれば問題ない」
「……ネズミにそれができるなら、私もできるのでは?」
「そんなわけあるか」
「飯は食え」
「…………すいませんでした」
責められて頭を下げるハーフエルフを、工事現場のおっさんのように肩にタオルをかけたネズミがやれやれといった雰囲気で見ている横で。時計技師はチェーンのついた懐中時計を取り出し、時刻を確認しながら書類に何事か書き付けてブツブツと文句を言い始めた。
「ったく……なんだって宰相殿は夜明け前なんてイカれた時間に御出勤あそばすんだ? ゼンマイが直ってくるまで、アホみたいに早起きしないといかんじゃないか……」
そうか、二人は察する。
仮の動力を担っているこのネズミをずっと閉じ込めて置くわけにはいかないのだから、技師が毎日職員が帰った頃に迎えに来て、朝は最初の職員が出勤した直後にネズミを連れてこなければいけないのだろう。すなわち、宰相の朝告げの直後に。
「……おつかれさまでーす」
「……おつかれさまです」
いたたまれなくなった二人は、そそくさと離宮を後にした。
「うわ、雪だ。寒いなぁ~」
「あっという間に積もるぞこれは」
「帰ろ帰ろ……」
やがて技師も帰宅すれば、夜警の兵士が全ての扉を施錠して……こうして離宮の一日が終わるのである。




