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幕間:深窓の織り士

 スティシアは、ヴァイリールフ王国の中央都市より遥か南西、国境付近にある大森林のエルフ里の生まれである。

 緑と共に生き、植物と一緒に日の光によって命を伸ばしているのではないかと言われるエルフの中で、スティシアはいっそ突然変異と言っても良いほどに外へ出るのが苦手であった。

 先祖返りの髪色が濃厚な暗緑色であった事もあり、他のエルフが木々ならば、スティシアは苔か茸の類なのではないか。里の長老共は本気で思っていた節がある。

 当然弓の練習などまともにするはずもない、そもそも無理だろうなと両親も早々に諦めた。

 もちろん狩りにも採取にも出る気はなく、そもそも無理だろうなと誰も無理強いはしなかった。遭難されても困るので。エルフが森で遭難など本当に笑えないのだが。

 とはいえ、いくら長命のエルフも不老不死ではない。生きる為には糧を得ねばならぬ。にも拘わらずスティシアがこの引き籠り生活に甘んじていられたのは、ひとえに他の部分で誰にも真似できない程の貢献をすることができたからだ。


 それが機織りだった。


 彼女が機織りを初めて習ったのは、僅か16才の時の事。エルフの成長は遅い。人間が成人するような年であっても、エルフにとっては無邪気な幼子の齢である。


 そんな年齢でスティシアは手習いの一環として機織りを習い……教えた母親よりも均一で整った布を織り上げてみせたのだ。


 母親は仰天して父親に報告した。

 父親は仰天して一族に報告した。

 一族は仰天して族長に報告した。

 族長は……ははぁ、と納得して毛の後退した頭をつるりと撫でた。

 エルフの中でも、あまりに生態の違うスティシアの事は族長も気にしていたのである。果たしてこの子は里の一員として生きていくことはできるのかと。

 だが何のことはない、この子はその全ての才を機織りに収束させて生まれてきただけだったのだ。

 そして幸いにも、スティシア自身が機織りに何よりも喜びを見出していた。


 だからスティシアは機織りをして暮らしてきた。

 両親は彼女の体を心配し、口酸っぱくして言い聞かせ、渋々ではあったが室内でできる最低限健康を維持するだけの運動を習慣付けさせた。

 それ以来、特に大きな怪我も病もする事無く、スティシアは実に健やかに機を織り続けてきたのである。

 村の大切な儀式に使う布を織りなおし、村中のエルフの衣服を織り上げ、カーテンだのクッションだのの生地も一新し、タオルもハンカチもテーブルクロスも包帯も布巾も雑巾も何もかも新品にするほど織って織って織って織って織って織って織って織って織って織って織って織って織って……待て待て待てと長老たちからストップがかかった。


 スティシア、お前は里を全て織り上げてしまうつもりなのか。


 エルフの里はそう大きくは無い。そしてエルフは物を大切に長く使う傾向にあるので、それほどたくさんの布を必要としない。

 だが才能溢れるスティシアが機を織る速度は恐ろしいほど早く、あっという間に倉庫は布で埋まった。

 当然里だけでは材料となる糸が足りないので、スティシアは家族に頼んで時折やってくる外の行商に布を売り、その代価で糸を買い求めた。『凄まじい織り士』の噂だけが世の中へ広がった。本人は里の家から一歩も出てこないのに。

 里のエルフ達は金銭には頓着しない者達だったので、スティシアの才能が里から出ない事こそをむしろ惜しんだ。

 なんと言っても、過去に迎えた異世界の男が素晴らしい楽器を世界に広めた実績があったのだ。この子の織る布も、世界に出すべき至宝なのではないか。


 スティシアが絶対に里の外はイヤだと言うのならそんな意見も出なかっただろう。


 だが、里の者達は知っているのだ。


 スティシアが

 あの子が

 行商人が持ち込んだ美しい糸

 その糸が見事であればあるほど嬉しそうにして

 森の奥深くにはやってこないような高価な糸や珍しい色糸の話を、どこか羨ましそうに聞いている事を……


 とはいえ、彼女にも問題があるのは事実である。

 極度の出不精、そこに機織りが好きすぎる事によって形成された人付き合いを面倒くさがる性格も相まって、生きたアンデッドのようになってしまっている現状。

 こんな状態の彼女を外に出したところで、まともな扱いをされるわけがない。


 さてどうしたものか……


 そんな頃に、里を出ていた同胞が久方ぶりに帰郷した。

 ハンジェス。

 スティシアの従兄であり、若いエルフの中でも多種族との人付き合いが好きで人の国の都市に居を構えている男。


 これだ。


 生贄が決まった瞬間であった。



 * * *



 スティシアは震える手で糸巻きをひとつ手に取った。

 ためつすがめつ、その艶やかで美しい糸を目に焼き付ける。


 なんて綺麗なんだろう。

 織り上げたら、どれだけ綺麗な布になるだろう。


「鶏の羽を紡いだ糸だよ。私の故郷では、羽毛の糸を使った布は千羽織って呼ばれてたんだ」


 千羽織。

 羽を千枚、織り上げる。

 その言葉の美しさにも心が震えた。


「私は機織りには詳しくないから、どんな織り方にするかは任せるね」


 見た事の無い糸を紡いだ本人であるチトセは、所属することになった工房の店長は、そんな素晴らしい仕事を自分に任せてくれるという。

 里にいた頃にはありえなかった喜びだった。

 心が躍る。

 心底この仕事を楽しみたくて、余計な事を考えずに仕事がしたい旨を告げれば、チトセはあっさり「わかった」と言ってくれた。ツルがなんなのかはわからなかったけれど。


 糸を受け取り、仕事にかかる。


 チトセはスティシアへの理解が妙に良かった。

 里の同胞でもこの出不精を極めた性格には手を焼いていた節があるのに、チトセはあっさりと受け入れてくれた。

 なんでも、故郷では引き籠りが珍しくなかったとかで。例え家から出なくても、機織りという技術を専門にするなら別に問題ないのではと言ってくれた。

 商人ギルドへの登録だけで既にうんざりしていたスティシアにとって、それはとてもとてもありがたかった。


 経糸を整えて、何度も何度も丁寧に織り機へ通していく。


 艶やかな糸だ。

 ヴァイリールフ王国はシルクもコットンも育たない。だから他国から仕入れるしかなく、質の良い品はめったに入ってこない。それは領土内にあるエルフの里も同様だ。

 だから、スティシアがこれほど上質な糸に出会ったのは初めてだった。


 専用のボビンに巻きなおした緯糸をシャトルにセットする。


 逸る心を抑えて……機を動かす。

 糸を通して、1回、2回。

 トントンと、体に染みついた心地よいリズム。


 織っている時のスティシアは、大きな楽器を演奏しているような気分だった。ヴィーレリリンの演奏会などにも興味は無かった。スティシアは、もっと自分好みの演奏を自分で行う事ができたから。


 トントン、カタン、トントン、カタン


 ある程度織り進めて、布に成った部分にそっと指先で触れてみる。


 ──ああ、知ってる


 この触り心地を知っている。

 里のニワトリをそっと撫でた時の、あの柔らかさ、あの艶やかさだ。

 あれをそのまま、なんてとんでもない糸だろう。


 スティシアは思う。

 きっと私は、チトセの糸を織るために生まれてきたんだ。


 異世界の人が紡いだ異世界の糸


 ここへきてよかった……

 スティシアは心から、望外の喜びを噛み締めていた──



 ──ただ、予想外が一つあった。


 いや、悪いことではなく、むしろありがたいことなのだけれど。


「スティシアさん、お昼の時間ですよ」


 かけられた声に驚いて振り向くと、にこにこと笑顔のメイドが目に入る。


 チトセのメイド。

 アリア


 彼女はおかしい。


 たとえ機織りに全てが収束されていようとも、スティシアとてエルフの一人だ。

 森に生きるエルフは皆耳が良い。

 スティシアだって、耳が良い。


 なのに、スティシアは、アリアが自分の部屋に入ってきた物音を感じ取れた事が無いのだ。


 それだけではない。

 チトセとの契約に含まれているように、アリアは自分の世話も一緒に焼いてくれている。

 部屋に入ってくるだけではなく、掃除をして、洗濯物を引き受けて、なんなら朝も起こしてくれるし、ちょうど良い頃合いで休憩を促してくる時には紅茶とお菓子が用意されているし、食事の時間にはチトセの部屋から持ってきただけだとしても準備がだいたい終わっている。


 全部、スティシアが気付かない間に。


 半分くらいはスティシアのせいだとは思う。お茶や食事の香りに気付かない程集中してしまっているのは確かなのだ。


 でもそれにしたって。


 あまりにも気配が無さすぎるとスティシアは思う。

 今日も音も無くやってきたアリアに促されてベッドに入った。

 そのベッドも、知らない間に綺麗にベッドメイクが済んでいる。いつのまに工房に入って2階に上がってベッドメイクを済ませて出て行ったのだろう。わからない。わからないのだ。


 まぁでも、いいか。とスティシアは思う。


 だって、機織りに集中できるのは確かなのだ。

 きっちり時間通りに食事と休憩と睡眠をとらせてくれるからコンディションはむしろ上がった。

 スティシアは楽しい機織りができればいいのだ。

 それ以外は、大体の事が些事だった。

 今のスティシアは、見た事の無い糸を使って機織りが出きて、それを許してくれるチトセとアリアとナノがいる。それが全てで大切な事。


 だからいい。

 アリアの気配の消し方が、絶対にメイドのそれではないことだって。

 どうでもいいことなのだ。


 うとうとと睡魔に身をゆだねながら、スティシアは思う。


 ここへきて良かった。


 連れて来てくれたハンジェスにも、心の中でだけ感謝を述べる。

 直接言ったら、絶対にあいつはうるさいから。


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― 新着の感想 ―
[一言] 各方面優しい世界でほのぼのほっこりします。
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