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機織り

 長鉢荘は駆け出しの職人向けということで、住居と工房と店舗が一体になった構造をしています。これにより、小さいながらも自分の店を持ちつつ、安定した作業と生活が一箇所の家賃で済ませる事ができるようになっています。

 職人によっては販売スペースを必要とはしませんが、それでも仕事の話などをする来客はあるものです。そういう意味でも、通りに面して看板を掲げる事のできる店舗部分は重要な意味合いを持っています。


 しかし、この度ついにその店舗部分の機能を全力で放り投げた工房が誕生したのでした。


 スティシアさんはハルカ工房の一員となりましたので、御自分の看板を掲げる必要がございません。スティシアさん本人も掲げたくなかったのでしょう、そもそも商人ギルドに仮登録していた工房名がそのまま『スティシア』という名前のみでした。

 彼女の部屋の店舗は常に鍵がかけられ、看板も無く、空き室と代わりありません。

 念のため、扉に『織り士に御用の方は、隣のハルカ工房まで』という書付を貼っておきました。

 荷物の搬入以外で表からの出入りを使用しなくなると、必然この工房にとっての『表』というのは井戸の有る中庭側となります。

 というわけで、スティシアさんの工房の店舗部分は、お誂え向きの棚もある事から、すっかり倉庫となってしまったのでした。


 そして工房側は。

 さすが長命なエルフと言ったところでしょうか、長年使い込まれた事が一目でわかる、重厚で立派な機織り機が設置されました。

 チトセ様の糸車と同じように、専用の収納魔道具によってスティシアさん自身が持っていらした物です。この大きさの物を森の奥にあるエルフの里から持ってくるのは、収納魔道具がなければ厳しいですからね。


 こうしてハルカ工房は、お隣の部屋を追加するような形で、織り士の雇用と拡張を果たしたのです。



 * * *



「ナノちゃんはどう? スティシアさんとは上手くやっていけそう?」

「ワフフを好きな人に悪い人はいませんです」


 チトセ様が、一応先輩社員となるナノさんに確認したところ、帰ってきたのはそのような返答でした。


 なんでも初顔合わせはやはり扉の隙間越しだったそうなのですが、スティシアさんは片言での挨拶を終えたあと、ナノさんの使い魔であるワフフさんをそれはそれは目を輝かせて撫で続けていたそうです。


「ワフフがあんなにうっとり撫でられるのは珍しいです。相当なテクニシャンとお見受けしたのです」

「そっかー」


 不和がでないならいいや、とチトセ様は考える事を放棄なさいました。


 さて、当のスティシアさんはと言いますと、さっそく初仕事である鶏の羽の糸を布に織っている真っ最中です。


 チトセ様が紡いだ羽糸を一目見て、スティシアさんは覗いていた目を大きく見開きました。

 震える手で糸巻きをひとつ手に取り、ためつすがめつご覧になられたのです。


「…………こんな……はじめて、見た……」

「鶏の羽を紡いだ糸だよ。私の故郷では、羽毛の糸を使った布は千羽織って呼ばれてたんだ」

「……せんばおり………………」

「私は機織りには詳しくないから、どんな織り方にするかは任せるね」

「………………わかった……!」


 嬉しそうな声色のスティシアさんに、チトセ様もどことなく嬉しそうでした。

 スティシアさんが扉の影に隠れている間に、機織り機のそばへ糸の入った袋を積んでおきます。


「じゃあよろしくね」

「……あ、あの…………私……織る時、集中……だから…………決して覗かないでください!!」

「ツルかな? わかった」


 最後だけやけに流暢に訴えたスティシアさんに了承の旨を伝え、チトセ様も追加の羽糸を紡ぐため工房へ戻ったのでした。


「でも……声はかけないと食事とか困るよね?」

「ご安心くださいチトセ様。そのあたりはどうとでもなりますので」

「そう?」

「はい、ようは寝食と入浴の他は邪魔にならないよう努めれば良いだけですから」


 隠密は、昔取った杵柄により得意分野ですので。



 * * *



 あれから5日。

 スティシアさんの手により、ハルカ工房初の布地の製品が完成いたしました。


「すごい! 綺麗なのです!」


 ナノさんが絶賛されるのも無理はございません。

 真っ白な羽を紡いだ糸を織り上げた無地の布は、鳥の羽の持つツヤツヤとした光沢と滑らかさを持った美しく素晴らしい手触りの一品でした。

 シルクとは違いますが、艶や滑らかさや美しさはシルクにも劣りません。

 素人目にも高級品とわかる反物に仕上がっていると思います。


「うん……やっぱり千羽織は良いね。これが無いなんてもったいないもの」


 チトセ様も満足そうに布地を撫でていらっしゃいます。


「実家でも中々お目にかかれない丁寧な仕事です! 織り方も厚みもドレスにちょうどいい生地なのです!」

「フフ、ナノちゃんのお墨付きなら間違いないね。それなら『比翼の抱擁』さんに持ち込んでみようか」

「わー、母がひっくり返るのが目に浮かぶのです」


 生地が汚れないよう、綺麗な紙に包みながら、チトセ様は私を振り返りました。


「そういえばアリア、当のスティシアさんは? まぁ、外に出て来たくはないんだろうけど……」

「ご心配なく。スティシアさんは織り上げて私に生地を託したと同時に、ベッドへと倒れこみました。本人の申告によれば、1日ゆっくり休めば問題ないとの事です」

「あ、そういうルーチンなんだ」

「修羅場の時の母みたいですです」

「ポポさんもかぁ~」


 ナノさんとの契約と違い、スティシアさんは一切表にでず機織りを専門にする代わり、完成した布地の扱いはチトセ様に一任することになっております。

 準備を整えたチトセ様に続き、私は梱包した生地を持って『比翼の抱擁』へと向かいました。



 * * *



「待ってちょうだい待ってちょうだい待ってちょうだい」

「いつか来るだろうとは思ってたけどもさぁ……!!」


『比翼の抱擁』のお二人、マーサル夫人とポポ夫人は、手に手を取って固まってしまわれました。

 何かに怯えるかのような声を聞きつけた店員の方々は、やって来ては驚き慌てふためいて他の店員を呼びに走り、新しくやって来ては驚き……と既視感のある挙動を繰り返し、やはり今回も従業員全てが布地の周りに大集合しております。

 チトセ様は今回も、とても良い笑顔で皆さんを見ていらっしゃいました。

 お気持ちよくわかります。楽しいです。

 

「うわ、つやっつや……これが全部国産? 本当に?」

「シルク市場と正面から戦えるよ……誰が織ったんだい?」

「うちに新しく入ったエルフの織り士のスティシアさんです」

「待って聞いたことある!」

「東のエルフ森に住む凄腕じゃなかったかい? 気難しいので有名だよ……凄いのが入ったもんだね!」


 どうやらスティシアさんは機織りの腕もさることながら、その気難しさでも名前が知られていたご様子。

 おっかなびっくり生地に触れるお二人に、チトセ様は続けます。


「それでですね、ちょっと相談させていただきたいんですけど……ありがたい事に、とある筋から援助のお話を頂いているんですよ」

「ああ、エスティ様だね?」

「えっ」

「ラズオール王子から貴族に通達があったのよ。『エスティのお気に入りだから、囲い込むような真似をしないように』ってね。エスティ様もチトセちゃんの事うちに訊きに来たし」

「あ、そうなんですね」


 なら話が早くてよかった、とチトセ様は続けます。


「こういう場合って、新作はその援助していただいている方にまずお納めした方がいいんですよね?」

「……そうよ! そりゃそうよ!」

「あんた、何うちに持ち込んでるんだい!? エスティ様に即献上だってかまわないくらいだよ!?」

「やっぱりですか……ただ、これ鶏の羽なんですよ」


 う~んと悩むチトセ様の顔に、お二人は一瞬の間を置き……何かに気付いて顔色を変えました。


「まさか……まだ上があるのかい!?」

「上というか……鶏の羽が悪いわけじゃないんですよ? 十分綺麗ですし、千羽織の時点でそれなりに高級品なのは間違いないので。ただ、私の故郷だと、皇……王族への献上品ともなるとですね、羽を取る鳥も『縁起の良い鳥』とか『謂れの有る鳥』とか、そういうのを選ぶものだったんです」


「または、羽を取るために育てられた鳥」というチトセ様の言葉に、お二人は納得されたように頷かれました。


「なるほどね……これ、収穫祭の鶏肉から採った羽を貰ったって話だものね」

「物は申し分なくても、経緯を思うとちょいと不敬、か……」

「え~、でもこれを最初にパトロンに献上しないのはありえない!」

「だよねぇ……」


 う~ん……と従業員の方々も一緒に考えこまれてしまいました。

 そして、最初にポンと膝を打ったのはマーサル夫人です。


「……やっぱこれしかないわ。チトセちゃん!」

「はいっ」

「だったら、不敬じゃない千羽織を大至急作ってエスティ様に納品するのよ!」

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