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異世界の使徒

 スティシアさんがハルカ工房の所属になることが決まったからには、色々としなければならない事が出てまいります。

 何はともかく雇用契約を詰めなくてはいけませんし、作業場兼住居となる部屋への引っ越しも完了させなければ始まりません。

 朝食を済ませた私とチトセ様は、出勤してきたナノさんに事の次第を説明して店番を任せ、ハンジェスさんの店『ワンダラーの友』へと向かいました。


「いやすまないね、なにせ1年近く空けていたものだから片付けもまだなんだ」


 ドタンバタンと羽箒片手に駆けずり回るハンジェスさん。


「スティシアは奥で引っ越しの準備をしているよ。彼女の鞄を持って行けばそれで済むと思っていたんだが……旅の道中で色々と買い足した時、うっかり私の魔道具に入りきらなくて、彼女の魔道具を間借りしていたのを失念していた!」


 スティシアさんの荷物とハンジェスさんの私物が魔道具の中でグチャグチャになってしまっているので、それを仕分けなさっているのだとか。


「すまないが、店の方で少し待っていておくれ! 私の作品は好きに見てもらって構わないから!」


 そう言って奥に引っ込むなり、ガラガラガラ……と木材が崩れたような音が聞こえてきます。


「……大丈夫なのかなぁ」

「どうでしょうか……」


 とはいえ、今は待つことしかできません。


 楽器店『ワンダラーの友』は淡い黄緑色に木の葉の模様が描かれた壁紙の、柔らかな色彩の店舗でした。

 商品と思われる物には全てグレーの布がかけられています。

 チトセ様はその内のひとつに近付き、倒さないようそっと布の覆いを外しました。


「あ」

「ヴィーレリリンでございますね」


 現れたのは、エルフ発祥の楽器と言われるヴィーレリリンでした。

 艶やかな塗装の施された木材は独特な形状に整えられ、上には数本の弦が張られています。傍らには、演奏するための弓のような物も置かれておりました。

 確か、楽器としての歴史はまだ新しい物であったと記憶しています。


「こっちではヴィーレリリンっていうんだね」


 チトセ様はヴィーレリリンを眺めながら仰られました。


「あっちでは、ヴァイオリンっていう名前だったよ」



 ──ガタン!



 重い物を落としたような音に、私とチトセ様は振り返りました。

 そこには、木箱を落としたハンジェスさんが、そして指先と目だけを覗かせたスティシアさんが、どちらも驚きに目を見開いて硬直しておられました。


「チトセ君……君はもしや…………異世界から来た人間なのかい!?」



 * * *



 ──今より150年ほど前の事。


 とある森の中にあるエルフの里で、一人の人間の男性が保護されました。


 男の話す身の上は、なんとも奇妙な物でした。


 誰も知らない国の名前。

 見た事の無い文化の服。

 相棒だと言う不思議な楽器。


 挙句の果てに、男は。

 乗っていた空飛ぶ鉄の瓶が落ちた時に、自分は死んだはずだと言うのです。


 それらを聞き、里の者が混乱する中、最も長く生きている長老が言いました。


 この男は、世界樹の向こう側から来た異世界のヒトである。と


 死んだとき、何かの弾みで世界を超えてしまう者がいる。

 世界樹に降りたその死者は、世界の根幹たる樹から力を分け与えられて生前の姿を、所持していた物品も一緒に取り戻す。

 そして世界を巡る魔力と共に流れ、どこかの森へ降り立つのだと。


 決して多くは無い。むしろ少ない。

 恐らくひとつの時代に一人しか存在するまい。

 それほどに少ない。

 けれど確かに時折やってくる、異世界からの客人が。


 男はエルフの里に客人として迎えられました。

 男は、生前に人生の全てを捧げた楽器の演奏者でした。


 己の運命を理解し、受け入れた男は

 この世界に存在しないその楽器を広めるために、きっと自分はここへ来たのだと。

 己の運命を、そう定めました。


 男の奏でる音色に見せられた里の者は

 男の友となり

 その楽器を作るようになり

 やがて男と共に世界を旅してその楽器と音色を広めました。


 やがて男の寿命が迫り、里へ戻った男と友は

 もしも死後に男の世界へ行ったのなら、今度は男が向こうを案内しよう。

 と、約束を残し、そうして男は死んでいったのです──



 * * *



「──ということがあったものだから、私達の里のエルフは他より少しばかり異世界のヒトという存在に馴染みが深いのさ」


 ハンジェスさんのお話を、チトセ様と私、そして壁の向こうからこちらを覗き込むスティシアさんも驚きをもって聞いていました。


「…………それ……私、知らない……」

「そりゃそうさ、シアが生まれる前の話だし。そもそも君は昔から出不精が過ぎて、ヴィーレリリンの演奏会になんか終ぞ参加しなかっただろう?」


 肩をすくめるハンジェスさんに、スティシアさんは沈黙しました。

 すると、真剣な眼差しでお話を聞いていたチトセ様が挙手なさいます。


「もしかして、その友ってハンジェスさんの事ですか?」

「そうなら恰好良かったのだけれどね。生憎、これは私の叔父の話なんだ。なんと言ってもこの時の私は、まだ25年ほどしか生きていない子供だったのでね、里の外へ出る許可は得られなかったんだよ」


 生演奏は聞いたけれどね、と言いながらハンジェスさんは壁のヴィーレリリンを手に取ります。


「元の名前はヴァイオリン。忘れたわけでも間違えたわけでもないさ。ただ、違う名前にしておけば、『正しい名前を知っている者』がわかるだろう?」

「あっ」

「そう、こうしてチトセ君を見つける事ができた」


 クスクスとハンジェスさんは笑います。


「里の老人達の思いつきも、役に立つ日がくるものだね。エルフは他種族嫌いが多いが……それでも、友の同郷が困っていたら手を貸してやろうと思うくらいには、縁というのを大事にする種族でもあるのさ……だというのに、シア、お前ときたら!」


 ハンジェスさんは苦笑いをしながら天を仰ぎました。


「手を貸すどころか、世話になる立場なんだものなぁ!」

「………………知らない…………だから……関係、ない……」


 壁の向こうから聞こえる拗ねたような声は、反撃とばかりにトドメの一言を放ちます。


「…………ハン、片付け」

「おおっとそうだった!!」


 再びドタンバタンと始まった片付けの音。

 チトセ様は私の方へ顔を向け、困ったように笑いました。

 それでも、同じ境遇の方のお話を聞けた事で、とても嬉しそうな様子がうかがえます。

 昨日、お二人を確認した時、状況次第では始末する必要があるかと思っておりましたが、そのような事にならずに良かったです。

 私はホッと、胸を撫で下ろしたのでした。

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