幕間:秋の収穫祭
中央都市フリシェンラスの収穫祭と言えば、古今東西から様々な品が集まる一大フェスティバルである。
白灰の石で作られた街は、氷の神を象徴する白と黒の紋章が描かれた旗や布で飾られ、少し大きめの通りという通りには露店が立ち並び、広場には流しの踊り子や演奏家や大道芸人が陣取って常に何かしら行っている。
劇場では有名な劇団が建国の神話を題材とした演目を流し、料理の店は祭限定の特別メニューを並べて食通を唸らせ、かと思えば冒険者ギルドの敷地では高ランク冒険者による模擬戦に歓声が浴びせられている。
こんな状態では大きな馬車など通れるはずもなく、馬車屋はこぞって馬の背に台のようになっている祭用の鞍を乗せて、移動するのも難儀なリリパット向け乗り合い馬屋となっていたりした。
宿屋も地方の村から都会の祭を見に来た観光客で満員である。
もちろん村は村で収穫祭を行うのだが、やはり規模が違う中央都市のそれは『今年は少し余裕があるし、たまには町の祭りを見たい』という村人に人気の観光先なのである。
「今年の小麦の焼き菓子! 蜂蜜たっぷりで甘いよ、食べてみな!」
「このオーランジュースは南のミーネリ村からまっすぐ運んできた代物だ、今しか飲めないぜ!」
「カニニサーモンの蒸し焼き! できたてだよー!」
「採れたてベリーの砂糖漬け、お土産にいかが?」
「秋の味覚、三本角ボアの串焼きだぁ!」
参拝に向かう者が通る大通りは食べ物の露店でいっぱいだ。
威勢の良い呼び込みの声が飛び交う祭の賑わいを、フリシェンラス大神殿の神官達は一歩離れたところから見守っていた。
祈りの場である神殿の敷地に一歩入れば、不思議と喧騒は遠ざかる。
大きく開かれた扉の奥は大聖堂。
花と氷晶石で飾られた祭壇が正面に鎮座し、神殿を訪れる民はそこで祈りを捧げて帰るのだ。
その際、話の種にと、広い室内左右の壁にずらりと並べられた奉納品を眺めていくのが身分職業出身問わず人々の楽しみの一つでもあった。
貴族たちの奉納は王都の神殿に寄進の金貨で納められる。農家の野菜や料理人によるご馳走の奉納は、神がすぐに召し上がるため正面の祭壇に並ぶ。
なので、左右の棚はほとんどが商人の輸入した珍品や職人の作品、そして冒険者が討伐した獲物の素材等である。
それらが奉納者の名前を記されて、誰でも見る事のできる場所にずらりと並べられる……つまり、どうしたって比べられるのだ。
ある意味、沽券のかかる場所と言ってもよかった。
神の眼前でそんな見栄の張り合いをしていいのか、という声が上がった事もあるのだが。
「そもそも神話からわかります通り、我らが氷の神は実力主義でおられます。人の子の見栄の張り合いなど、幼子が宝物を自慢しあうようなもの。微笑ましく見守ってくださいますよ」
等と、かのメェグエーグ筆頭司祭が直々に仰せられる上に、王族でもある王都の枢機卿もそれに深々と頷くのだからそれ以上の文句など出ようはずもない。
神官としても、奉納品の質が高まるのは色んな意味で嬉しいのだ。
一定期間を過ぎれば諸々の費用とするための売却も可能になるという世知辛い理由もあるけれど、それ以上に、余所の国の神殿に奉納品の質で負けたくないのである。
何と言ってもヴァイリールフ王国の氷の神は実力主義でおられるので神官もそれに倣っている次第。氷の神のライバルとも言える大陸南東の火山国が祀る炎の神の神殿には負けたくないのだ。
仲が悪いわけではない。沽券の問題だ。なにせ実力主義なので。
そういうわけで、秋の収穫祭における神殿内の奉納品棚は、毎年のように商人・職人・冒険者達の静かなる戦いの場と化しているのである。
そうするとどうなるかと言うと、この棚は商人達にとってそれはそれは重要な情報収集の場となるのだ。
「今年もあの商会が奉納にかかった総額としてはトップのようだな……」
「ドラゴンの鱗、さすがSランクは格が違う」
「ここの調香師、今年は珍しい香りを出してきたな……今度買ってみるか」
「へぇ、フリシェンラスに鱗付きの革をこんなに見事に加工できる職人がいたとはね」
「この装飾……あの行商人、あんな地方にまで伝手を伸ばしたのか? どうやってあの谷を……」
「お、このやたらデカいカワウツボの首の塩漬けはこの前の騒動のやつじゃないか? へぇ、パーティは『ホワイトベリー』ね……最近よく珍魚を釣ってるところだったな」
「あの武器工房の独立した弟子は中々良い品を作るようねぇ」
「む、見た事の無い皿だな。どこの物だ?」
神殿で大きな声で話すわけにはいかないので、そういった商人達の心の声や囁き声はヒソヒソぐるぐると渦巻いている。
余所の国から商いに訪れた者もここを必ず見るし、逆に収穫祭とここの情報を集めるために人を飛ばす他国の商会だっているのだ。『ここを見ない奴は商売人じゃない』とまで言われている。
市井の家族連れ等も見ていくのだが、たいていは「綺麗だねぇ面白いねぇ」で終わる。なので時間をかけて眺めているのはほとんどが商業関係者なのだ。
さて、今年もつつがなく始まった秋の収穫祭、その神殿の奉納品棚。
その中でかなり商人職人冒険者達の注目を集めている奉納品があった。
それは、毛糸玉。
他ならぬ中央都市フリシェンラスの神殿筆頭司祭、メェグエーグ卿の奉納品である。
「なんだあの魔力量は……」
「メェグエーグ卿御本人の魔力から見れば、毛髪に蓄積される魔力量もあれくらいにはなるだろうが……」
「だが、切った後、これほど丁寧に紡いで奉納するまでそれなりの時間が経っているはずにも関わらず、魔力がほとんど放散していないのはどういうことだ?」
メェグエーグ家は貴族だが、様々な観点から収穫祭に自らの毛髪を奉納しているのは周知の事実である。過去、収穫祭中に起きた飛竜の襲撃において、神殿の神官はその毛糸の魔力を使って速やかに結界を張り民を守った事もあるので、商人達もこの毛糸玉には『毎年有事の備えをありがとうございます』くらいの感想しか抱いてはこなかった。
なので、まさかその毛糸玉に度肝を抜かれる日がくるなどと露程も思っていなかったのである。
なにこれ気になる……ものすごく気になる……
そもそも魔力貯蓄物質の筆頭は宝石でもある魔石。次点で金属のミスリル。結晶化した魔物の体の一部は、結晶なので魔石に分類される。
稀に一部の魔物の眼球や皮が長期間残留魔力を維持し続ける事もあるが、生命が生存している間で体組織に堆積させた魔力というのは、死と同時に放散していくのが当たり前の事なのである。
魔力貯蓄物質以外の物質は、魔力を流し込んだ所で魔力が通るだけ。溜まりはしないのだ。
ではこの毛糸はなんだ?
後から魔力をこめたところで流れて終わるだけ。
ということは、毛髪の持ち主の魔力が放散されず維持されているということに他ならない。
どうやって?
目利きの腕が高い商人ほど、その特異性に気付いてその場に根が生えたように足が止まり、目が離せなくなっていた。
これほど美しく整えてあるのだから職人が紡いだ物に違いない。きっとその職人はこのからくりを知っている。
だが肝心の職人紋が箱にも飾り帯にも見当たらない。
恐らくは見えぬよう裏側に捺してあるのだろう。奉納品は神へ捧げられた物。すなわち神の物であるし、盗難防止の観点からしても神官以外はお触り禁止である。職人め何をしているのだ! こういう時に自分の紋を表に出さずしてどうする!
「どうかなさいましたか?」
毛糸をガン見していた商人達に声をかけたのは、他ならぬメェグエーグ筆頭司祭その人であった。
さもありなん、商人たちの人だかりの原因が自分の奉納品ともなれば声もかけるだろう。
と、その商人溜まりの中の勇気ある一人が、どもりながらも司祭に問うた。
「そ、その……この毛糸を紡いだ方はどなたなのかと……」
メェグエーグ卿は司祭でもあり貴族でもある。しかも爵位は侯爵。大らかな人柄だとわかってはいても、よくぞそこまでストレートに問えたものだ。他の商人達は勇気を出した彼に心の中で喝采を浴びせた。
さて、問われたメェグエーグ卿はと言うと……
「ああ、これは失礼。私としたことが、並べる時に一つは裏に返しておこうと思っていたのに、失念しておりました」
と言って、なんでもないかのように毛糸玉のひとつをくるんと裏返して帯の背を見せたではないか。
殺到する商人の目。
「メェメェ」と愉快そうに笑いながらその場を離れるメェグエーグ卿。
「なんだこの職人紋は……どこの地域のものだ?」
「刺繍の方の紋は見た事があるぞ。最近、例の蜜珠糸で刺繍したハンカチを売っているプリア・ポポの娘だ」
「まて、この帯の刺繍も蜜珠糸だろう」
「蜜珠糸は今のところ数が少なく、エスティ王女の社交界デビューの衣装を手掛けた職人達が買い上げる分で精いっぱいと聞いている。プリア・ポポの娘はその糸紡ぎ工房に就職したので例外なのだとか」
「……もしかして、蜜珠糸とこの毛糸を紡いだのは同じ職人なのか!?」
「皆様、神殿ではお静かに」
司祭に釘を刺された商人達は一瞬で静かになった。いまここでつまみ出されるわけにはいかない。
彼らは静かなまま散り、まるでカニのように移動して棚から目を離さず奉納品を次々に確認していき、目的の物を見つけた。
蜜珠糸で刺繍したシルクのハンカチと、その隣に並べられた、様々な色で斑に染められた見た事の無い糸巻きを。
「なんだこれは……」
「色鮮やかで艶もある……だがこの艶の見た目はシルクではない、かといってコットンやリネンでもない……」
「いったい、何をどうしたらこんな……」
「テオドール、そりゃ例の水の釣り糸を紡いだ職人の事だろ?」
「そうですよ。この毛糸と、あの蜜珠糸を紡いだのと同じ方です」
聞こえてきた声に、商人達は一斉にそちらを振り向いた。
そこにいたのは、筆頭司祭……テオドール・メェグエーグと親し気に話す鶏の獣人……現冒険者ギルドマスターのローシャ・コッコ!
商人たちの不躾な視線に気付いたのか、ちらりと振り向いたギルドマスターから金属音がしそうな眼光を向けられて、商人達は慌てて視線を糸巻きに戻した。
怖っ……さっすが引退前は血塗れの冠なんて二つ名がついていた元Sランク冒険者は迫力が違うぜ……というかあの二人知り合いだったんだな。お前知らないの? 昔の収穫祭での飛竜騒ぎの時、結界張ったのがメェグエーグ卿で、飛竜を仕留めたのが当時冒険者だったローシャ・コッコ。あの二人幼馴染だよ。マジかぁ~
だが彼らとて一端の商人である、たとえ眼光に怯もうとも、耳だけは、全力で二人の方へと向いていた。
「エスティ王女に御紹介いただきまして」
ピクッ
「へぇ、あの小さな王女様が」
「その工房を応援なさるそうですよ。とは言いましても、もう少し先、次の夏以降の事になるそうですが」
ピクピクッ
「ってこたぁ、王室専属か?」
「いえいえ、エスティ王女は民の幸福を考えておられる御方。紡ぎ士の方は是非とも新しい糸の技術を世に広めぇたいとお考えのようで、そのお手伝いをなさるとか……」
「は~ん、大体わかったぞ。ようは弟子を取るのにでかい工房が欲しいってこったな。今は長鉢荘? あそこ狭いもんなぁ」
ピクピクピクッ
「ええ、ですからそれ以降なら今より注文も増やせるでしょうし……ギルドに技術が欲しいのなら、目ぇぼしい人材を弟子入りさせてみては?」
「簡単に言いやがるぜ……冒険者ギルドに糸を紡ぎたがる奴がいるかってんだ。ってーか、王様はどうなんだ? できれば王国内の特産品にしたいんじゃねーのか?」
「ラズオール王子があちらこちらでお話しされている内容からすると、そうなのでしょうね」
耳をピクつかせていた商人達は、二人の会話が他へと反れていった辺りで脱兎のごとく神殿を飛び出した。
この羊毛を紡いだのは、ラズオール王子が『エスティ王女の支援相手のため手出し無用』と喧伝していた蜜珠糸の職人と同一人物!
王女も職人もこの技術を独占するつもりはなく、夏以降に弟子をとる可能性が大!
けれどもラズオール王子は、ヴァイリールフ王国の特産品とすることに前向きである!
つまりつまり、高級繊維に関しては他国に足元見られるばかりだった我が国も、ついに奴らの鼻を明かしてやれる可能性が出てきたってことだぁ!! ありがとうございまぁす!!
こうしちゃいられねぇ! うちの商会は弟子を送り込むのか、それとも何かしら注文するのか! どうやって食い込んでいくか草案をまとめて会議だ会議ぃ!!
俺達の手で、魔法の糸を我が国の特産品に押し上げてやる!!
日頃からシルクやコットンのあれそれで他国の商人にマウントを取られ続けていた商人達は奮起した。別に他国の商人と仲が悪いわけではない。沽券の問題だ。なにせ実力主義なので。
こうしてヴァイリールフ王国の商人達は商人ギルドを交えて連携を取り、かつてない速さで他国の商人に対する情報統制を徹底し、ハルカ工房の弟子取りを今か今かとお行儀良く待つ躾された犬のような集団と化したのである。
後に商人ギルドにおいて『忠実なる糸待ちの年』と呼ばれる期間の始まりの事であった。
* * *
「メェメェメェメェ」
「笑いすぎだテオドール……わかってて商人共に聞かせただろ」
「当然でしょう。私、司祭であると同時に貴族ですよ? 敬愛するエスティ王女のお気持ちは汲んで差し上げたいじゃありませんか」
ヴァイリールフ王国侯爵及び中央都市フリシェンラス神殿筆頭司祭、テオドール・メェグエーグ。
彼は人を動かす手腕の見事さから、羊の獣人であるにも関わらず『牧羊犬』の異名を取る人物である。
「しかし、今回限りだろうとはいえ、我が家の奉納品が注目を浴びるというのは、中々に嬉しいものですねぇ、メェメェ」
「まったく人の悪い羊だぜ」




