収穫祭の準備
探りを入れた結果、特に問題なさそうでしたので、翌日にチトセ様と私は中央都市のメェグエーグ侯爵邸を訪れておりました。私も従者としてご一緒いたします。
「すごい立派なお屋敷……」
立派な白灰色の石造りの屋敷を見上げ、チトセ様は息を飲みます。
「なんだろう、訪ねていく先のグレードがどんどん上がってる気がする……」
「チトセ様、それはつまり工房としての売れ行きが順調だということです」
「そうだけどさぁ~」
緊張するよぉ~と嘆くチトセ様。
ですが、大丈夫です。私は心の中で応援するだけに留めておきます。チトセ様が本番に強いタイプだと存じておりますので。
守衛に手紙を見せて呼び出しを受けた旨を伝えると、案内の者がやってきて中へ招き入れられました。
メェグエーグ侯爵は中央都市フリシェンラスに本邸を持つ貴族です。
かといって中央都市が領地というわけではありません。都市から少し離れた、侯爵の領地と呼ぶにはかなり小さな牧場を所有しておられます。
と、いうのも。メェグエーグ侯爵家は代々神殿の司祭を兼任していらっしゃり、中央都市フリシェンラスの筆頭司祭が主なお仕事。
国中の貴族当主が王都に集まる祝祭の折、メェグエーグ当主だけは中央都市に残り、他の貴族家や要職、そして教会の方々を取りまとめて中央都市の祭がつつがなく進行するよう管理されていらっしゃるのです。
部屋に通されると、そこには既にメェグエーグ侯爵が待っておられました。
「急な呼び出しに応じてくださり、ありがとうございます」
羊の獣人であるメェグエーグ侯爵は長く伸ばした白い巻き毛に角を持った、穏やかな雰囲気をした壮年の男性でした。
司祭服に身を包み、物腰も口調も柔らか。
部屋の調度品も、侯爵家という身分に合う高級な物で揃えられてはおりますが、華美さを排したとても静かな雰囲気の物ばかりです。
貴族である前に、司祭であるお家なのでしょう。
穏やかに挨拶を済ませ、チトセ様が勧められたソファに腰掛けると、早速お話が始まりました。
「本日は相談に乗っていただきたく」
「は、はいっ」
「ふふ……そう緊張なさらなくとも大丈夫ですよ。どうぞ、近所のお爺ちゃん相手だと思ってくださいませ」
侯爵様、子供相手ならともかく、職人相手にそれは少々無理がございます。
「収穫祭の事で、とのことでしたが……?」
「はい。我がメェグエーグ家は……まぁこの格好を見ればわかるかとは思いますが、代々中央都市フリシェンラスの神殿の筆頭司祭を任せていただいている家でして」
言いながら、侯爵は己の白い頭髪に手をやります。
「まぁご覧のとおり、羊の獣人なのですね」
ふかふかとした毛を指先でくるくる弄びながら侯爵様は続けます。
「幸いにもメェグエーグ一族は豊富な魔力に恵まれて生まれる者が多く、さらに羊の獣人は他種族よりも魔力が頭髪に大量に蓄積する体質を持っております」
「へぇ……すごいですね」
「ありがとうございます。せっかくこのような恵みを賜って生まれましたので、成人し神職についたメェグエーグ一族は、皆収穫祭に一年かけて伸ばした髪を切り、毛糸に紡いで奉納しているのです」
そこでチトセ様は御自分が呼ばれた理由に察しがついたようです。
「あ、もしかして」
「ええ、今年は是非ともチトセ様に毛糸への加工をお願いいたしたく。と、いうのも、そも毛髪に宿った魔力というものは、すぐに使わなければ徐々に発散されて消えてしまうものでして」
侯爵様は、ふわ~っと広がって消えていくような手振りをいたしました。
「髪を切り奉納するのは、収穫祭期間中に何か不測の事態が起きた場合、人々を守るためぇにその魔力を使用することも念頭に置かれた伝統となっています。なので、毎年毛糸への加工は、魔力が減りすぎないよう収穫祭の直前に大慌てで行っているのですが、今年は神職を志した新成人の数が多く……かと言って、紡ぎもしないで出すのは羊毛をそのまま積んでいる状態ですからな。祝祭には少々見栄えがよろしくない」
その点……と、侯爵様はチトセ様へ笑顔を向けられます。
「貴女の紡ぐ糸は、素材の性質を保持するとの評判を耳にいたしました。もしも保持した魔力もそのままにできるのであれば、早めぇに祭の準備を進める事が出来てとても助かるのですが……いかがでしょうか?」
「大丈夫です、保持できます。ぜひともそのお話、受けさせてください!」
チトセ様はにっこりと微笑んで快諾いたしました。
* * *
そうして数日後、メェグエーグ侯爵家ほぼ総出の散髪会が行われ。その日のうちに大量の羊毛……毛髪がハルカ工房に届けられたのです。
「魔法の糸紡ぎは魔力保持ができるから、安価な魔石の代わりとして田舎の村でも使われてたんだよ。魔力を使い切ったらただの糸として使えばいいだけだしね」
「魔石のように、後から魔力を籠めることはできないのですか?」
「糸はね~それはできないんだ。火の糸も雷の糸もそうだけど、中のエネルギー……力って言ったほうがいいかな? 熱も力も、伝えきったらそれでおしまい」
「なるほど。何度も繰り返し使うことはできないのですね」
届けられた毛は羊毛そのものではありますが、さすが貴族の方だけあり日頃から手入れされていたのがわかる美しさ。刈り立ての羊毛にあるようなゴミなどはまったくございません。先方である程度の処理はしてくださったのでしょう。既に綺麗に解されていて、普通に羊毛を紡ぐ時に行う金ブラシで梳く工程はほとんど必要無いようでした。
唯一違う点と言えば、その毛に相当量の魔力が蓄積されている事でしょうか。
チトセ様はいつもどおり丁寧に糸を紡いでいきます。
柔らかな羊毛が見慣れた毛糸へ。
紡ぐ速度は水の時と同じようにとても早いです。
「羊毛も紡ぐ頻度は高かったのですか?」
「頻度が高かったっていうか……魔法を使って紡ぐ前に、そもそもの糸紡ぎの練習から始めた頃に羊毛をよくやったの」
「なるほど、手習いの一環だったのですね」
「そう。懐かしいなぁ、自分で紡いだ毛糸でマフラー編んだっけ……」
編むの初めてだったから、すごい時間かかったんだよね。と笑うチトセ様。
懐かしさを覚える羊毛紡ぎはあっという間に終わりました。
今回は祭りの奉納用ということで、糸巻きから見栄えの良い毛糸玉へと丁寧に巻きなおします。
「店長~、こっちもできたのです!」
「ありがとうナノちゃん」
ナノさんが作っていたのは、完成した毛糸玉に巻く帯。
幅の広いリボンのようなそれは、白と黒の祭りの旗のように仕立ててあり、蜜珠糸で美しい刺繍が施されています。
毛糸玉に帯を一周させて留め、ナノさんの職人紋は既に目立たない場所に捺されていますので、毛糸の糸端をリボンに括り付けたところへチトセ様の職人紋を捺せば完成です。
「すごいです。めちゃくちゃ高級な毛糸に見えるのです!」
「見た目羊毛でも侯爵様御一家の髪の毛だからね……高級どころじゃないよ」
ある意味、今までで最も貴重な品となった今回のお仕事。
毛糸玉は大切に綺麗な新品の紙に包まれ、ドゥさんに紹介していただいた貴族向けのハットボックスも手掛けている箱工房から購入した美しい丈夫な箱に収めて、メェグエーグ侯爵家へと納品されたのでした。
* * *
無事に納品を終えて一息ついたチトセ様は、バルコニーでナノさんとお茶を飲みながら仰られました。
「さて……私も何を奉納するか考えないと。ナノちゃんはもう決めたの?」
「ボクはボクの主力商品でもある蜜珠糸の刺繍をしたシルクのハンカチなのです!」
「なるほど……」
チトセ様はふと街並みに目をやります。
街は着々と祭の準備が進み、白と黒の旗を掲げる家が増えました。
お手伝いに行った孤児院も、祭の日に着る上着をどうにか人数分作り終えたとの事。
「……陽の光と剣の腕を認めて住むのを許してくれた、氷の神様、か」
チトセ様はしばし思案され……そして、ひとつ頷くと私に買い物をお命じになられました。
「アリア、町で綺麗な花をたくさん買ってきて!」
そうして購入した様々な花。チトセ様はそれらの茎を落とし、花の部分をまとめて紡ぎました。
白い花、赤い花、黄の花、青の花等々……様々な色に時折緑を織り交ぜながら、まるで花束のような糸巻きが出来上がったのです。ツヤツヤとした手触りは花弁そのもの。
「百花糸って故郷では呼ばれてたんだ。色んな種類の花を混ぜた糸。糸巻きのままでもインテリアとして需要があったっていう変わり種でね。服に使う時は大きな布にするよりも、縁取りのレースとか、ボタンホールとか、それこそ布張りのボタンとかに使う事が多かったかな」
ああでも百花布のスカーフとか造花は人気だったね、とチトセ様。ナノさんもお話を聞いてキラキラと目を輝かせていらっしゃいます。
織り手の都合がつくようになれば、余所行き用に仕立てるのも良いかもしれませんね。
「これなら、雪を溶かしてもらった恵みで作った、感謝の花束になるかなって」
綺麗な白木の糸巻きに丁寧に巻きなおされた百花糸の糸巻きは、職人紋を捺されて、神殿に奉納されたのでした。




