糸車
「サンドラさん、こんにちは~」
「おやチトセちゃんいらっしゃい。ちょうどマリンゴパイが焼き立てだよ」
「マリンゴパイ!!」
「失礼しますチトセ様、よだれが……」
「あっ、ありがとアリア……サンドラさん、マリンゴパイ買います。ワンホール」
「はいまいどあり」
「……ってそうじゃなくて! あっ、ちがうんですマリンゴパイは買います! でもそうじゃなくて!」
「パイは逃げないから落ち着きな」
「は、はいっ! パイは美味しいですからね……えっとそれでですね、サンドラさんの旦那さんは鍛冶師なんですよね? 糸車の製作とかって、相談できますか?」
* * *
エスティ王女のお忍び(?)訪問から数日後、チトセ様は並んだ3種類の糸車を前に、何やら思案されておりました。
「まだ先の事だけどさ……お弟子さんとるなら、お弟子さん分の糸車をどこかに作ってもらわないといけないなぁって」
この世界にも糸車は存在します。
チトセ様がお持ちの木製の糸車と見比べても、構造に大きな違いはございません。
「問題は、こっちの二つなんだよね……」
3つある内の、2台。
金属製の糸車と、タブンプラスチックで出来ているという半透明の糸車です。
「なんで3種類もあるかって言うとさ、単純に失敗した時に危ないからなんだ」
「失敗……というのは、糸に紡ぐ魔法ですか?」
「そう、私はもう慣れてるから指先で魔法を調整しながらちょうどいい魔力の強さを見極められるけど……これに失敗すると、材料が糸にならずにほつれて零れちゃうんだよね」
例えば火を紡ぐ時、失敗すれば炎が迸る。水も、釣り糸にしたのはただの井戸水だけど、これが何かの薬品だったら、それがぶちまけられてしまう。とチトセ様は仰られます。
「そうなった時、木の糸車だと最悪炎上。そこまでいかなくても、痛むのが早くなってあっという間にダメになっちゃう。だからって、金属のは糸によっては硬すぎるしプラスチックは消耗が早いの。だから私も、周囲の安全と糸車のために必ず3種類使い分けるようにしてる。初心者ならなおさら3種類ないと危ないんだよ」
家庭の内職として絶対に危険物を紡がないなら良いんだけど、とチトセ様は溜息を吐きます。
「しかしチトセ様のような紡ぎ士を志す弟子ならばそうもいかないのでは?」
「だよね……うん、とにかくこっちの職人さんに現物を見せて相談しよう」
* * *
そういった経緯をサンドラさんにお伝えすると、サンドラさんは「ふぅん」と鼻を鳴らして言いました。
「そういう話なら、旦那は防具屋だから領分じゃないねぇ……車大工に行って訊いてごらん」
「車大工、ですか?」
「そ。馬車を作ってる工場さ。確かこの街の糸車はそこが作ってるって聞いたことあるね……ほい、マリンゴパイ」
「ありがとうございます! 行ってみます」
* * *
焼き立てのマリンゴパイをお茶と一緒に工房で召し上がり、改めて車大工の工場へとチトセ様と私は出発いたしました。
工場の場所は大門の近く、物資や人が馬車に乗り降りするための広場のすぐ隣です。
広場は今日もたくさんの馬車と人々が行き交っています。商人らしき方々が情報交換をしていたり、護衛の冒険者が最終チェックを行っているのも見えます。
広場に面した建物は、車大工と蹄鉄屋。鉄を打つ音やトントンという木工作業の音がひっきりなしに聞こえてきます。音のせいでしょうか、厩は離れた場所にあるようで、交代したらしき馬はどこかへ引かれて行きました。
チトセ様は、車輪がいくつか並んでいる車大工の工場に近付き声を掛けます。
「すいませーん!」
すると、気付いた職人の方がなんだなんだと応対してくださいました。
「なんだい、うちは車大工で馬車屋じゃねぇよ?」
「ばっかお前ぇ、女の職人が車大工に用があるって言やぁ糸車の事しかねぇだろうが」
「ああ!」
今日のチトセ様は工房での装いそのままで来ていますので、職人だとすぐにわかったのでしょう。所々に薄い革の当て布がついたお召し物は、市民の服にしては丈夫な物です。
「いま在庫あったっけか……ちぃと待っててくれや」
「あ、違うんです。えっと、糸車の事なんですけど、ちょっと変わった素材で糸車を作ってもらいたくて、その相談をさせてもらえたらな~と」
「変わった素材?」
チトセ様は頷くと、鞄から糸車を収納している魔道具を取り出し、工場の邪魔にならない片隅に金属の糸車と半透明の糸車を出しました。
「これなんですけど」
「…………親方に話通すわ。ちぃと待っててくれや」
一瞬目を剥いた職人さんは、恐る恐る糸車を回し、それが飾り物ではなく実際に使うための物だと確認されると、苦笑いしながらチトセ様にそう言ったのでした。
そうして工場の奥で椅子をお借りして待つことしばし。
「見た事もねぇ糸車持ち込んだ嬢ちゃんってのはあんたか?」
作業着を着た大柄な人間の男性が、細く切った干し肉を齧りながらやってきました。
彼は挨拶もそこそこに、出しっぱなしにしていた糸車へ近づき、あちこち検分を始めます。
「……マジで使い込まれた道具じゃねぇか。なんだって金属だのガラス……じゃねぇな? なんだこれ?」
「えっと、タブンプラスチックだと思うんですが」
「聞いた事もねぇよ。この二つはなんだってこんなけったいなもんで作らねぇといけねぇんだ?」
そこでチトセ様は詳細を説明いたしました。
糸を紡ぐ魔法を使って、色んな物を糸に紡ぐ仕事をしている事。
液体や火も紡ぐため、安全のために熱に強い素材と薬品に強い素材の糸車が必要である事。
試しに水を紡いでみせると、親方さんは驚いた顔をした後、納得したように頷きました。
「ああ~ああ~ああ~、見たぞそれ! ピーターが荷車借りてった時に自慢してた釣り糸だ!」
「ピーターさんですか?」
「孤児院の冒険者だ。『ホワイトベリー』って知らねぇか?」
「モールスさんなら」
「ああ、魔法の坊主の知り合いか。ピーターは『ホワイトベリー』の前衛だ」
世間話をしながら、親方さんは糸車の板の部分を軽く金槌で叩いて確認していました。
「金属の方も鉄じゃねぇな……合金か?」
「すみません、私も何で出来てるかまでは……」
「は~ん……」
一通り検分が終わり、親方さんは立ち上がって干し肉を齧りました。
何故かチトセ様と私もいただきました。少々塩分が強いですね……。
「で、嬢ちゃんはこれを作ってほしいのか?」
「はい、今はこれがあるのですぐではなくていいんですけど……いずれ弟子を取って教えたいと思っているので……」
「弟子取るなら弟子の分の道具がねぇとお話にならんわな」
そりゃそうだ。と親方さんは腕を組みます。
「……まったく同じ物は無理だ、素材の検討がつかんからな。だが、嬢ちゃんの言い方だと、火と薬……それこそ魔物の溶解液とかか? そういうのに強けりゃいいんだろ?」
「はい」
「そんなら、魔物の素材でもあたってみるか。ただ、今はちとでかいの一台作ってるところだからよ、目途が立ったら連絡する感じでいいか?」
「大丈夫です、助かります」
「で、だ。料金なんだが……」
親方さんは少々バツが悪そうに周囲をちらちらと確かめながら、チトセ様に顔を寄せて囁きました。とはいえ、元々声の大きな方なので、普通に周囲に聞こえておりましたが。
「さっきの……水の釣り糸。あれ、ひと巻きもらえねぇか?」
「親方ぁ! 釣りもほどほどにしねぇと奥さんにドヤされますよ!」
「馬鹿野郎! お前ぇ、その嫁の機嫌取るために美味ぇ大物釣ってこようとしてんじゃねぇか!」
「その魚さばく手間は奥さんでしょうが!」
やいのやいのと言い合う工場の方々にクスクスとチトセ様は笑い、近頃人気なので数個持ち歩くことになさっている水の糸をひと巻き、取り出しました。
「よろしくお願いします」
「前払いたぁわかってんじゃねぇか嬢ちゃん、任せといてくれや」
* * *
完成の一報が届いたのは三日後でした。
「はっや」
釣り行きたさに前倒しで張り切ったという親方さんが得意げに披露してくださったのは、光沢のある黒い糸車。
マグマアントという魔物の甲殻を使ったそれは、木製と同程度の重量で熱にも薬品にも強い一品。安価で大量に出回っている素材を使っているので価格もお手頃という素晴らしい出来になっていました。
「だがその……嬢ちゃんの糸車からヒントをもらって、車輪を同じ殻で覆ってみたり、この殻で手押し車作ってみたりしたらよ……思いのほか商人が食いついたんで……しばらくマグマアント素材は品薄になるかもしれねぇや」
「よかったじゃないですか。私が弟子を取るのは早くても次の夏以降ですから、糸車が必要になるのはまだ先ですし」
「そう言ってもらえると助かるぜ。それまでに使ってみて、改善点とかあったら教えてくれ」
その後、水の糸で釣ったという魚の自慢を聞きながら、工房まで糸車を運んでいただきました。
それはそれは大きなカニニサーモンを釣ったという親方さんは、奥様にきっちりとお説教を受けたそうです。




