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エプロン

「店長~!」


 秋のある日の事、店番をしていたナノさんが慌てた様子でワフフさんに乗り、工房へと駈け込んでまいりました。


「どうしたのナノちゃん」

「お客様がいらしてるのです!」


 そしてナノさんは、私とチトセ様に近くによるよう手振りをし、耳元でこう囁きました。


「バッグに王家の紋章が見えたのです! まったく忍べてないですけど、たぶんお忍びのエスティ王女様なのですです!」


 さすがは王室御用達の仕立て屋を実家に持つナノさん。素晴らしい観察眼でいらっしゃいます。

 まさかご本人が直接来訪されるとは思っていませんでしたが、念のため用意してあった高級茶葉を使うといたしましょう。



 * * *



 長鉢荘は一室一室があまり大きくありませんので、ハルカ工房も応接室というものはございません。

 駆け出し向けの物件ですから、まさか王族の訪問など想定されてはいなかったでしょう。私も、使者の方がいらっしゃるか離宮へ呼び出されるかのどちらかだと思っておりました。


 なのでエスティ王女様は、取引先との打ち合わせ用にと置いてあったカウンター前の椅子にちょこんと座っていらっしゃいました。


 銀狼の獣人であるエスティ王女は、その特徴である艶やかで美しい銀髪と、狼の耳に尻尾をお持ちでいらっしゃいます。

 お召し物はほどほどの地位の貴族のような物ですが……なるほど手持ちのバッグに王家の紋章が見えます。忍ぼうとして忍びきれていない、そんなところでしょうか。

 もちろんお一人ではございません。

 貴族に使える執事といった立ち振る舞いの従者が後ろで控えていらっしゃいます。恐らくは、王室警護騎士の方でしょう。微笑まし気な表情で忍びきれていない王女様を見守っておられます。


 私もチトセ様もさすがに王族がお忍びで来訪された経験はございませんでしたが、お忍びならわざわざ着替える事はないとナノさんに助言をいただきましたのでチトセ様は急いで店へと飛び出していかれました。

 私が後から追いつくと、王女様は花が咲いたような笑顔で挨拶をいたしました。


「突然お邪魔してごめんなさい。私、エス……ではなく! えっと、エ、エ……」


 その時、何故かエスティ様の目線が一瞬私と合いました。


「エ、エプロンと申します!」

「んんっ」


 吹き出しそうになったチトセ様でしたが、なんとか踏みとどまられたようです。ご自分も名乗りを上げて挨拶をなさいました。

 私は感情を表情に出さない訓練を受けておりましたので、問題ございません。

 なお、従者の方は後ろで顔を背けて肩を震わせていらっしゃいます。修行が足りませんよ。


「エ、エプロン様ですね? 本日はどういった御用件でしょうか?」


 チトセ様、声が少々震えております。


「あの、私、つい最近社交界デビューをいたしまして。その際、ある仕立て屋の方にドレスを仕立てていただきましたの。そのドレスの刺繍に使っていただいた蜜珠糸はこちらで紡いだ物なのでしょう? あんまりステキでしたから、ぜひ直接お礼をお伝えしたかったのですわ」


 ニコニコと、輝かんばかりの歓喜を乗せた笑顔で一生懸命に感謝を伝える王女の姿に、チトセ様も従者の方もナノさんもほんわかと和やかな気持ちになっていらっしゃるようでした。

 私も、愛らしい言動に心が和むのを感じます。

 しかしエスティ王女様、本当にお忍ぶつもりがございますか? つい最近社交界デビューなさった素晴らしい刺繍のドレスの主というだけで、どんなに鈍い方でもエスティ王女様だとわかってしまうのですが。


「それでですね、私、こう見えましても王……ではなく! えっと……お、お、お忍びの王族なので家名は出せないのですが!」


 出ております。


「それなりに力のある家の者ですので、こちらの工房に何かお手伝いが出来ればと思ってまいりましたの! 特にこの国は……ラズオールお兄様が仰っていたのですけれど……糸や布に関して得意ではございません。ですから、チトセ様の技術を、この国の多くの方に広めてあげて欲しいのですわ! この国の特産品が増えればステキだと思うのです。ハルカ工房さんのライバルさんも増えてしまうのはわかっていますわ。その分の損失については王家で補填しても構わないと思っていますの!」


 いかがかしら? と、言い切ってスッキリなさった様子の王女様。

 色々な情報がダダ漏れでしたが、王女様の御希望はわかりました。

 そしてチトセ様は、それはそれは嬉しそうに微笑まれました。

 お気持ち、よくわかります。

 だってそれは、王室専属になれと命じられたらどうしようという懸念とは裏腹に、チトセ様の思い描いていた展望とそっくり同じ物だったのですから。


「ステキなお話、ありがとうございます。エプロン様。実は私も、同じことを思っていました」

「!」

「ですので……私自身、この技術がこの国でどこまで需要の有るものなのか、確かめていたところだったんです。この工房、立ち上げてまだ半年たっていないんですよ? 蜜珠糸は、この工房の最初の商品なんですから」


 これにはエスティ王女もお付きの方も驚かれたようでした。

 目を丸くするお二人に、チトセ様はクスクスと笑って言います。


「ですから、最低でも1年はここで、やっていけるかどうか確かめるつもりでいます。その間に少しずつ色んな糸を紡いでみて、私一人では追いつかないほどに需要があるようなら、弟子を取って広めていきたいと考えていました」


 もう結果は出たようなものですけどね、と笑うチトセ様。

 王女様も、驚きに満ちていたお顔が、徐々に徐々に歓喜のそれに変わっていきます。


「ですからエプロン様。補填よりも……よろしければ来年の夏以降、新しい工房を構える際にお力添えをいただけませんか? ご覧の通り、ここは駆け出し向けで広くはありませんから、弟子が入るスペースが無いんです」

「はい! 喜んで!」


 意を得たりと、お二人はウフフと笑いあいます。


「魔法の糸紡ぎは、実はまったく難しくはないんですよ? 服飾関係を志す弟子が先になるでしょうけど、いつかは子供や孤児に教えて家庭の内職になればとも思っているんです。故郷ではそうでしたから」

「まぁ! それなら民にも安価な物を流通させることができそうですわ。市井の暮らしが豊かになりますわね」


 そこで王女様は、ふと疑問に思われたようでした。


「チトセ様は……どちらの御出身なんですの?」


 見た事も聞いた事も無い技術。しかし故郷では、民草の内職でさえあったというチトセ様。


 ──後から思えば、チトセ様は、この時賭けに出ていたのかもしれません。


「日本です」

「ニホン? 聞いた事がございませんわ?」

「……とても遠くです。この世界の誰も知らない国。どうやってここに来たのか、私にもわからない…………」


 内緒ですよ、とチトセ様は微笑みます。

 エスティ王女は、その答えに、ひとつの結論を出したようでした。


「……もしかして、極北の世界樹の向こう側からいらしたのかしら」

「極北の世界樹?」

「ええ、この世界は大きな大きな玉の形をしているのですって。その天辺の極北に大きな木が、果物のへたのように生えていて、それが世界を支えているそうなのです。そして時々、その向こう側の異世界からやってくる方がいるそうですわ」


 そう言うと、王女様はチトセ様の手を両手でそっと包みました。


「チトセ様。私、エスティ・ヘルデ・フュル・ヴァイリールフは、貴女の秘密を墓まで持ってまいりますわ。新たな技術を、我が国に伝えてくださったこと、心より感謝申し上げます。どうぞこれから、よろしくお願いいたします」

「……はい、こちらこそ。よろしくお願いします」

「皆様も、じいやも、内緒! 内緒ですわ! よろしくて?」

「は、はいなのです!」

「もちろんです」

「はい、エプロン様」

「あっ、そ、そうです、私、エプロンですわ!」


 どこか厳かだった空気が、あっというまに霧散いたしました。


 エスティ王女の帰り際、従者の方がエスティ様に気付かれないよう、チトセ様にお手紙を一通渡されました。

 王族からの手紙との事で、私は直接は拝見しなかったのですが、チトセ様が大まかな内容を教えてくださいました。


 手紙の主は、エスティ王女を産んだ第三夫人からの物。

 王女と話すチトセ様を、従者の方は観察し見極めていたそうで。お眼鏡にかなった場合に渡される手紙であったとの事。

 まだまだ幼くそそっかしいエスティ王女はきっと色々ボロを出したでしょうけれども、暖かく見守り、おかしな取引など持ちかけずにいてくれた事への感謝。

 そして、王女と工房、一緒にこれから成長していくのを楽しみにしています。何かあれば相談してください。

 という、慈愛に満ちたお手紙だったそうです。


 良くも悪くも、まだ幼く純粋な王女、エスティ様。そしてそのお母上である第三夫人。

 この日、チトセ様とハルカ工房は、とても素晴らしい支援者を得たのでした。


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