秋と虫
『珍しいカニニサーモンが手に入って旦那様が大喜びしてたよ』
『カボプキン、今年は出来が良いって』
『西の森の開拓、本格的に始まったんだってね』
『レーブ伯爵の屋敷に幽霊が出るって噂……』
裏の共同井戸広場へ帰還した使い魔の影猫達から噂話を聞き取るのも、すっかり習慣となりつつありました。
使い魔というのは便利な物で、術者と使い魔は他に聞こえないよう会話ができます。影猫の場合、周りからはニャーニャー鳴いているようにしか見えません。
私は、ただの猫に餌をやっているだけに見えるよう、肉や魚の切れ端を小さな器に入れて出しながら報告を聞き続けます。影猫達は自分でネズミを狩って食べますので、本当に少しです。
『今年はウッドタートルが異常繁殖してるってさ』
『冒険者ギルドが新しく仕入れた釣り糸は魚の目に見えない不思議な糸なんだって!』
『なんでもエスティ様のドレスに使われていた金色の刺繍は、今までにない深みのある美しさだったとか』
『おい絹糸の数が約束と全然違うじゃないか!』
『最近、蜂蜜工場の景気がいいってよ。羨ましいねぇ』
初めの内は服飾関係の商人の会話や貴族達の噂話などを集めていたのですが、近頃は庶民の噂もある程度集めるようにしています。
それでも今日は、やはり先日行われた7番目の王女の社交界デビューについての噂が多いようですね。
中でも気になったのがこちらです。
『エスティ様が糸を紡いだ職人に支援をなさろうと考えているそうよ』
どうやら、ドレスは相当お気に召していただけたようですね。
7番目の王女、エスティ様。
第三王妃の娘で、御母上譲りの穏やかで可憐な方という評判を耳にしています。悪いようにはならないでしょう。
使いの者が来るか、王城に呼び出しを受けるか……どちらにしても、お話が来た時に高貴な方とお会いになるための服を仕立てていただくお店は見繕っておいた方が良いかもしれませんね。『比翼の抱擁』は今の身分ではまだ高級すぎると思いますので。
* * *
日ごとに秋が深まりつつある今日この頃。
ここ数日のチトセ様と私は、籠を手に色鮮やかな落ち葉を集めては糸に紡いでおりました。
「落ち葉は今の時期しかできないから。すぐには使わないだろうけど、作り置きしておきたくて」
色鮮やかな赤や黄色に染まった様々な種類の葉。
それを洗い、ある程度のゴミや軸は取りましたが、様々な色が混ざったままの状態でチトセ様は糸に紡ぎ始めました。
「糸の色が途中で変わっているのです!」
「色の違う物をいっぺんに紡ぐとこうなるんだよ。こういうタイプの糸は布に織ると面白い模様になるの」
なるほど、織るとなれば量が必要になります。それを見越してチトセ様は作り置きをなさっているのでしょう。
「布の感触はサラサラしたリネンに近くなるかな。特に落ち葉で織った布は、秋用のカーテンとかクッションに大人気だったんだ」
どこか弾んだ様子でチトセ様が紡ぐ糸は、黄色と赤のまだらな糸巻きになっていきます。
「素朴な色合いなのです。貴族向けではない感じですです」
「そうだね、布の質的にも庶民向けだと思う。材料費ゼロだし、いつかお安く出回るようになるといいな」
「すぐには売らないのです?」
「だって、みんなが欲しいからって街中の落ち葉持って来られたら困っちゃうよ」
糸車をぶんぶんと回しながら、チトセ様はアハハと笑います。
「まだ紡げるのが私しかいないんだもん。どういう形で誰かに教えるにしても私に余裕が無いとダメだから、もうしばらくは先の話」
「むぅ、オンリーワンにもデメリットがあるのですか」
「そういうことだね」
冬支度ではないですが、チトセ様は秋になられてからはより一層お仕事に精を出されていらっしゃいます。
主な理由は、冬になればビー玉の供給が止まるだろうという事です。
「だって蜂でしょ? 冬は活動しなくなるんじゃない?」
チトセ様の懸念通り、蜂蜜業者に確認したところ冬は工場がストップするとの事。
夏に収入が止まる蜂蜜業者の方々にとってビー玉の収入が増えた事は大きな助力となっていたようです。感謝の言葉と一緒に、採取したビー玉を卸してくださいました。
蜜珠糸の販売先の方にも事情を説明し、納得していただき、春一番の取引と貴族向けの新商品が出来たら紹介するお約束をいたしました。
貴族向けの蜜珠糸で成功したため大きな工房を視野に入れられるだけの収入にはなっておりますが、すぐに動かなかったのはこれが理由です。
主力商品の供給が止まり、諸々の物価も高くなりがちな冬をまずは越さねば。軌道に乗せるとはそう言う事です。
「冬にしか作れない糸もあるんだけど、それが必要になるのって夏が多くなるのかなって。だからお金に余裕がある間は、思いつく季節ならではの糸を作り溜めておくよ」
そうなると必然外出が増えますので、ナノさんの店番は本当に渡りに船でした。
私も、冬に向けて準備をいたします。
チトセ様のお召し物や寝具を厚手の暖かい物へ衣替え。
工房は調理場でもあるストーブがありますが、寝室と店は冷えますので湯たんぽを購入しました。火ヤモリを飼うのは少々値が張りますので、来年以降に検討いたしましょう。
中央都市が食糧難になった記録はございませんが、念のため日持ちのする食料をある程度貯えます。
そうして過ごしていたある日、マーガレッタさんとウィリアムさんがハルカ工房に来店されました。
* * *
「うわぁああ! すごい! すごいわチトセ! なんて綺麗な糸なの!」
「へぇ……」
チトセ様の糸の噂を冒険者ギルドで耳にしたというウィリアムさん。先日水の糸を納品いたしましたので、その話題を漏れ聞いたのでしょう。
お二人は、店で糸見本をご覧になり、驚いた声を上げられました。
「見た事の無い魔法だな、これは話題になるわけだ」
「私、お店の飾りに使ってる布に水の糸で刺繍をしてほしいわ! ナノちゃん、お仕事頼めるかしら?」
「はわわわ! 初めてのお仕事の依頼! 御受けいたしますです!」
ウキウキと仕事の契約をするマーガレッタさんとナノさんの後ろで、ウィリアムさんは何やら思案されているようでした。
「……チトセ。君の紡ぐ糸は、魔道具の素材としての性能はどんな感じだ?」
「魔力の通りや魔法の乗せやすさって意味なら、基本は素材の性能そのままですね」
「基本的にということは、違う場合がある?」
「例えば『火』ですね。何を燃やした火を紡いだかによって性質が変わります」
「なるほど、そういう……待て、『火』を紡ぐ? いや、水も紡いでいるからな……」
「不可能ではないのか……」と首を振ってから、ウィリアムさんは続けました。
「形が安定しない素材を固定させたい場合には有効そうだな……雪とか、氷とかもできるか?」
「できますよ。冷気系の魔道具に使うなら、氷の方が威力は上がります」
「氷の糸はどのくらいの金額になる?」
「溶ける前に紡がないといけないんで…今だったら、このくらいですかね。冬はもっと安くなりますよ。夏は高いです」
「それでも錬金術師と取り合いになる氷晶石よりは、かなりコストダウンが見込めるな……わかった。氷は冬に頼みに来よう」
「ちなみに材料持ち込みだと、加工費のみにできます」
「それは良い事を聞いた。……そうだ、アレも糸にしてもらった方が使いやすいのか! ちょっと待っててくれ!」
何かを思いついたらしきウィリアムさんは店を飛び出し……ややあってから大きなガラス瓶を抱えて戻ってきました。
「これなんだが……」
「イヤーーーーーーーーーーーーーッ!!」
カウンターの上に置かれたガラス瓶に入っていたのは、虫です。
それもムカデが、みっちりと詰まっていました。生きてはいないようで、動いてはいませんが。
チトセ様の頬が引きつり、マーガレッタさんは悲鳴を上げています。
ナノさんも「ヒェッ」と跳び上がり、物陰に隠れてしまわれました。
そんな面々の反応を見たウィリアムさんは、それはそれは渋い顔になって話し始めます。
「やはりそういう反応になるのか……これは『ケムクイムカデ』っていう虫なんだが。この虫の体は、臭いを消す魔法の籠めやすさと効率が世界一なんだ。今の所、これ以上の素材は見つかっていない」
「つまり私の天敵じゃないの!」
バカバカウィルのバカ! と調香師であるマーガレッタさんが壁際から苦情を申し立てます。
「用途はそのまま『消臭』の護符。ただ難点は……このムカデの体、潰すと魔法の持続性が激減する。だから護符には、この姿がこのまま貼りつく事になる」
「イヤーーーーーーーーーーーーーッ!!」
想像してしまわれたのでしょう、再び悲鳴を上げてしまったマーガレッタさんに苦笑いしながら、ウィリアムさんは続けました。
「……とまあこのように。消臭だからな、需要はあるんだが……見た目で忌避する者が多すぎるんだ。今の所は狩人くらいしか買い手がいない」
なんともったいないのでしょう。
消臭、私もひとつ欲しいです。
「だから、糸にした場合、魔法の籠めやすさと効率、そして持続性が維持されるのか確認したい……頼めるか?」
ウィリアムさんは真剣なお顔でした。
職人として、より良い物を作りたいという真摯な表情。チトセ様もお仕事中によくされる表情です。
対するチトセ様は、少々顔色がよろしくありませんでした。
「……チトセ様、大丈夫ですか?」
チトセ様は……おっかなびっくりではありますが、ガラス瓶を受け取ります。
「ち、チトセ? ……怖かったらムリしなくていいのよ?」
「ダイジョーブデス……やります! 私、プロだから!」
「チトセ……!」
「店長!!」
マーガレッタさんとナノさんが涙ぐんでおられます。
ムカデに触れるというのは、それほど覚悟が必要な事だったのですね。
ムカデは毒持ちの場合もありますが、そうでない場合はただの虫だと侮っておりました。覚えておきましょう。
* * *
チトセ様が並々ならぬ覚悟でムカデの塊に手を触れ紡がれたケムクイムカデの糸は、まさしくウィリアムさんが求めた通りの糸となり、『消臭』の護符の売れ行きがとても良くなったとの事でした。
私もひとつ、買い求めました。
帆布に、ケムクイムカデの糸で模様が刺繍された護符は、とてもオシャレな一品でした。
「虫が平気な人に魔法の糸紡ぎを教えたら……きっとその人は魔道具屋さんのお得意様になれると思う──!!」




